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「あの、さっきは、その……ごめんね」
 わざわざタオルを持ってきてくれたというのに謝ることはないだろうと思いつつ、恋人気分でいるのはもう自分だけなのだと、要の言葉をかみしめる。

「別に……」

 会話は簡単に途切れた。要にも俺にもこれ以上続ける言葉なんかないのだろう。一秒でも早く、俺がこの空間から出て行くのが要にとってのためになる行動なのだろうが、今の俺がその行動をとることはできない。
 どんなにこの空間にいるのが辛くても要の笑顔が、出会ったころの曇りのない笑顔に戻るために俺は別れを切り出さなくてはいけない。他の男ならメールでも電話でも、世の中にあふれかえっている文明の利器を使ってわざわざ対面で別れ話切り出すことなんてない。もめられでもしたら後が面倒だからだ。でも、要は特別。
 別れはちゃんと相手の顔を見ていいたい。例えそれがどんなに辛くても、自分勝手なことでも。

「あっ、あのさ」
「な、なに?」
 静寂に包まれた中でいきなりどもりながらも発せられた俺の言葉に要は身体をビクッと震わせながら答えた。
 俺は短く息を吸い込んで要の目を見て口を開く。

「別れよう」
 続いているのかもわからない恋人関係。
 果たしてこの言葉が俺たちの関係を終わらす言葉にふさわしいのかなんてわからない。『終わりにしよう』とかが一番しっくりくる言葉なのかもしれないが、俺はこの言葉を選んだ。少なくとも、俺はこの半年の間、要と恋人という関係を築いていたのだと思っているからだ。

「別れようって……もう会わないってこと?」
「…………ああ」
 要の中ではもうとっくに恋人という関係は破綻していたのだ。そんなこと知りたくはなかった。俺は要の顔をこれ以上見続けることはできず目をそらした。そらした先で俺の見覚えのない革張りの黒いソファが目に入った。先月までは布地の白いソファだったのに……。付き合って間もないころはそこで何をするわけでもなく、ただ一緒に並んで座って過ごすこともあった。もうその思い出のソファはここには残っていない。俺が思っている以上にもうここには俺と要との思い出の品などないのかもしれない。全て俺じゃない、他の誰かとの思い出を上書きしていく。俺の知らないうちに油絵みたいにべっとりと。何度も何度も重ねて、もう下書きなんて見えなくなるくらいに……。


「……………………ねえ、いくら?」
「は?」
 何をいっている?
 要の言葉の意味が理解できず、思わず聞き返す。

「いくら払えばいい? いくら払えば郁はこの関係を続けてくれる?」
「いくらって……」
「郁の好きな金額を言えばいいよ。僕はその金額を郁が僕の呼び出しに応じるたびに払うから」
 嘘だって、聞き間違いだって、思った、思いたかったそれは確かに要によって意思をもって発せられた言葉。


 ああ、そうか。初めから俺は恋人になんかなっていなかった。俺は遊びだ。
 要が俺と争おうとはしないのも、いつも優しいのも、俺を大切に思っていたからなどではない――俺はただの都合のいいだけの相手。

「ねえ、いくらほしい?」
 俺は今まで身体を売ったことも、売ろうとしたことも一度だってない。一夜限りの相手だとしても俺は自分の意思で相手を選んできた。半年前の俺にこんな提案したらどんなに綺麗な顔をした相手だろうが頬に一発、しばらく忘れられないくらいのものをお見舞いして、散々罵ってやっていたことだろう。なのに、俺の口からはあっさりと出てきた言葉は相手を罵るための言葉なんかじゃなかった。

「……いくらでもいいさ」
 それは要の提案を受け入れる言葉。

 こんなふざけた提案なんか受け入れたくはなかった。
 要の恋人でいられないなら、誰かの代わりに抱かれるだけなら、こんな関係やめてしまおうと思ったはずなのに。
 そんな俺の判断を要はいとも簡単に変えさせてしまう。

 恋愛は惚れた方が負けだ、なんてよく言う言葉――こんな時に実感させられるなんて思ってもみなかった。


「じゃあ……1回、10万でどう? 足りない?」
「…………ああ、それで……いい」
 要が提示した金額は、昨日バイト先からもらったばかりの先月分の給料明細に記載された金額のほぼ半分の金額だった。
 要の誕生日には何かプレゼントするんだって、要の誕生日を知った日からシフトを増やしてもらって。フリーターの俺が稼げる金額なんて要からすればたかが知れているけれど、それでも、少しでも喜んでもらえるものをプレゼント出来たらって、必死で働いて手に入ったお金。
 それでもそんなのは要にとってははした金でしかなくて、俺みたいな、都合のいいだけの相手に簡単にあげてしまえるような金額。


 初めから俺と要は何もかも違った。
 要は男女問わず思わず振り返るような顔。異国の血が身体に少しだけ入っているらしい要はちょうど頭8個分の身長で、当たり前のようにすらっとした手足。コンビニに売っているファッション誌の表紙を飾るような綺麗な女性が高めのヒールを履いて要の隣に立っても肩を並べるくらいで、決して彼の身長を抜くことはできないだろう。
 その上嫉妬することすら馬鹿馬鹿しいと思えるほどにお金もち。それも親の稼いだお金だというのなら生まれがよかっただけじゃないかなんていうやつもいるのだろうが、全て自分で稼いだというのだから誰も文句なんか言えやしない。

 比べて俺は中学に入ってからわずか2cmほどしか伸びていない、女子の平均にも満たない背。これで顔が女の子のように可愛ければよかったのかもしれないが、集団に入れば簡単に埋もれてしまうような凡庸な顔つき。大学は浪人してまで入って親に迷惑かけたのに、就活だってどこの会社に行っても他での活躍を……ってたった一通のメールで祈られるばかりで結局はどこにもいつかず転々とバイト先を変える日々で、毎日の生活をうまくやりくりしてやっとのこと生活できるくらいの稼ぎしかない。
 おまけに男しか愛せないという親不孝者。親にそのことを告げて家を出てから毎月仕送りはするが一度も家には帰っていない。

 何もかも、違う。
 そう思ってしまえば、一瞬でも恋人だなんておこがましいことを考えていた自分が恥ずかしい。今すぐにかえって自分の家のぺたんこにつぶれた布団にくるまって眠りたい気分だ。
 だが、それは目の前の人物が許しはしないだろう。

 俺が金での関係を承諾してから要の手はずっと俺の手首からこぶし一個分のスペースを開けた部分をきっと跡がくっきり残ってしまうのだろうと思うほどに強くにぎっている。

「ねえ……しよ?」
 要の口から出た疑問形であるその言葉は俺の拒否権なんて認めはしないのだろう。
 先ほど目に入った革張りの、買い替えたばかりの真新しいソファに押し倒される。俺と要の、2人分の体重をかけられたソファはしわを作って俺たちを受け入れる。まるでそのために存在するかのように。

「…………郁」
 愛おしいものかのように俺の名前を呼ぶ。
 自分は求められているのだと錯覚しそうになる頭に必死で俺は所詮つなぎなのだと言い聞かせる。そう、俺はつなぎ。要の愛する相手が彼の元を訪れるまでの相手。本気なんかじゃない。
 何度も頭で繰り返しながら頭を冷やしていく。冷えていく頭で、小学校の時に朝礼でやった、消火活動の練習のバケツリレーみたいだな、なんて間の抜けたことを思う。

 それでも身体は正直だ。
 要の長い指が滑油を纏って俺の中に侵入する。それを待っていましたとばかりに俺の身体は簡単に許してしまう。

 名前を呼ばれるたびに、俺の身体は要を求める。
 頭で思うこととは真逆に、身体はもっと奥をせめてほしいと勝手に動き出す。それでも俺の欲しいところには要の指は届かない。

「か……な、め」
「待って、まだ……だめだよ」
「……ほ、しい………………かな、め……、ほ…………し……、い」
 与えられる快感に俺の頭はこれ以上抗うことをやめ、要を求める。

 要はそんな俺を嬉しそうに眺める。
 ああ、この顔だ。俺が見たかった顔。晴れた日の空みたいにきれいな笑顔。
 もうそれは俺に向けられることなんかないと思っていた。でも、それをもう一度向けてくれた……。
 あふれそうになる涙を必死でこらえる。

 それは誰かの代わりの俺なんかに向けられる顔じゃない。本来は要の愛する人に向けられるはずだった顔。

「…………郁、もう、僕……我慢、……でき、ない」
 要は寝ころんだ俺の身体を起こし、自分の隣に座らせる。そして、自分のズボンを膝まで降ろし、固くなったモノを外気にさらした。

「郁、……乗って?」
 要は太ももをトントンと二回叩きながら足の上に来るように指示をする。俺もその意味がわからないほどうぶではない。
 要によってほぐされた穴で要のモノを受け入れるためにゆっくりと身体を下していく。

「……………ん」
「……郁」
 全てが入り終わったことに安心したのもつかの間、要は俺の身体の左右をつかみ俺の身体を上下させた。

「ん……んぁあ、あ、や……めぇ」
「郁、い……く」
 身体の中に暖かいものが流れて上がったかと思えば今度は下から上に上がっていく。

「郁……、可愛かったよ」
 頭をなでられ、行為が終わったのだと告げられる。

「……ん」
 素っ気なくつぶやいたのは、久しぶりに求められた身体が限界だと告げていたから。少し休もうと思うが、要は俺の身体を離そうとはしない。

「ねえ、郁。もう、一回……しよ?」

 薄れていく意識の中、上下に何度も振られる俺自身の身体がたてる卑猥な音が耳に響いた。


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