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ベータはアルファに勝てはしない/期間限定の檻にいるのは(現代オメガバース)
期間限定の檻にいるのは(三浦視点)
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『世界の9割はアルファとオメガによって成り立っている』
これは『バース性論』を代表する、世界で一番有名な論文の書き出しである。
書いたのはベータ性の男性統計学者だ。
長年の研究と自身の実体験を元にかかれたこの論文は彼の死後100年以上が経った今でも、バース性の研究をする研究者はもちろんのこと、一般人にも絵本や一般書と形を変えて親しまれている。
もちろん性別関係なく、だ。
それにより全人口の一割ほどしか存在しないアルファとオメガは残りの9割よりも優れた人間である、とほとんどの人間は思いこんでいる。
いや、思いこまされているのだ。
事実、僕は幼い頃から『アルファとして産まれたからにはその性に恥じぬ生き方をせよ』と両親に言い聞かされていた。
両親共にアルファ性で、兄もアルファ性。
そしてどんなに血族を遡っても、三浦の一族にはオメガはいてもベータはいないらしい。一族揃ってアルファかオメガであることが両親の誇りであるらしく、兄や僕がなにかしらの賞を受賞したり、テストで高い順位をとる度に『さすがは三浦の子だ』とほめてくれた。
けれど三つのバース性においてもっとも優れているとされるアルファの中にだって、もちろん優劣は存在する。
例えば僕と兄さんだ。
同じアルファ男児として、同じアルファの両親から産まれたというのに僕は兄さんよりも劣っていた。
学力や運動の話ではない。むしろそちらは勝っているとも言える。
けれど僕は人として兄さんには決して勝てないのだ。
兄さんは中高と生徒会長を勤め、常に三浦財閥の跡取り息子として立派に振る舞って見せた。
なんの努力もしなかった訳ではないだろうが、あの人は努力を苦労とは思わない人であった。いつだって爽やかな笑みを絶やすことなく、誰にだって性別関係なく優しく接していた。だからこそ性別関係なく、だだ一人の人間として誰からも好かれるのだろう。
僕は昔から兄さんが羨ましくて、そして同時に恨めしかった。
なんで僕は兄さんとは違うんだろうって。
同じ道を辿っているはずなのに。
実力は僕の方が何段か上のはずなのに。
気づいた時には兄さんはいつだって僕の数歩先どころか別の道を歩んでいるのだ。
そんな兄さんは高校2年の夏に番となるオメガを決めた。
『共に競えるようなアルファと一緒になる道を選びなさい』という、昔から何度と無く言い聞かされてきた両親の言葉を押し切って。
兄さんが両親に逆らったのはおそらくこれが初めてのことだろう。
だが選んだ相手があの『運命の番』だったらしく、両親に相談する間もなく発情期を迎えた彼と番になってしまったらしい。
ならば仕方のないことだと両親が折れる形で兄さんとその番は婚約を結んだ。
相手方は2つ年が離れている、濡れ羽のような髪とは対象的なほどに白い肌のオメガである。兄さんの高校卒業を待ってから正式に籍を入れるのだという。
いつも笑みを絶やさない兄さんが、自分の番といると一層幸せそうに微笑むのだ。
そんな姿をみる度、僕は自分が惨めに思えてならない。
いくら兄さんと同じ道を辿ろうとしたところで、あの人が歩んだ道は辿ることは出来ないのだーーと。
兄さんが残していった記録を塗り替えることは出来ても。
同じ役職につくことは出来ても。
兄さんと同じように運命の番を見つけることなんてきっと出来やしない。
今まで兄さんの真似をして生きてきたのに、これからは真似をすることすらもう通用しなくなるのだ。
そうしたら僕はどう生きていけばいいのだろうか?
だからといって卒業までの一年半ほどで運命の番など見つかるわけがない。
なにせ生涯で運命の番とやらに会える確率など0.001%以下である。
それはただ単純に国などの生活区域が全く違って……というのもあるが、ほとんどの場合が年齢的問題である。年が離れていればお互いに他の相手を見つけて生きることを選ぶことが大半だ。どちらかが他の相手と番になれば香りなんて気づくはずがない。それにそもそも相手が同じ時代に生きていない場合もあるのだ。
だからこその『運命』なのだ。
出会えたことは奇跡とも言える。
そんな小さな確率を少しでもあげようという試みをしたのがこの国営学園である。
国中からアルファ・オメガが集められた。そしてそれだけではなにぶん体面が悪いと、ごく一部の優秀なベータも混ぜてある。
つまりこの国のアルファとオメガはほぼ全員がこの学園の卒業生・在校生、そして未来の入学生であるというわけだ。
実際、兄さんの番だってこの学園に通う予定で入学前のガイダンスに参加していたらしい。
そこで兄さんたちは出会ったのだという。
けれど同学年や先輩後輩、そして次期生徒会長の挨拶のために入学前に顔を会わせることとなった新入生にも僕の運命の番などいなかった。
実際のところ、学園在学時に運命の番を見つけられる生徒などごくわずかである。
だが例え運命の番でなかったとしても、この場所で生涯の番を見つけてくれれば国の将来も安泰というわけである。その思惑通り、思春期を共に過ごしたアルファとオメガは卒業と共に番になる者も多い。そしてついでとばかりに学園に集められたベータとしては有能な生徒を自らのビジネスパートナーとして連れて行くのだ。
そう、学園に集められたベータの大半はベータとしては有能なのだ。
なにかしら特化した能力をもっており、この学園でその能力を伸ばしていく。
そんな中で異例とも言えるベータがこの学園にたった一人だけ存在する。
木崎 夕ーー学園でも有名な木崎兄弟の次男で、三兄弟唯一のベータの少年である。
そんな彼はアルファの兄弟に非常に溺愛されているが、その割に彼自身はイマイチ記憶に残らない人物だそうだ。
だそうだというのは、実のところ俺はその男を見たことがないからである。
兄の朝陽とは三年間同じクラスで、彼が弟の夕について話しているのを何度か耳にしたことがある。
「夕はベータだから俺と十六夜で助けてあげなくっちゃいけないんだ」ーーと。
彼は弟について語る度にゆるんだ顔でそう口にした。
それはなんと傲慢なことだろうかと思ったのはもう三年も前のことである。
そして信じられないことに、委員会で顔を会わせることがあった弟の十六夜の方も全く同じことを口にしたのだ。
そんなの冗談だろうと思ってよくよく話を聞いてみると、その男は目立った才能がないどころか、成績は全てにおいて平均ぎりぎりかそれ以下であるそうだ。
高校生にもなって兄と弟に助けてもらわなければいけないような男がなぜこの学園に在籍できているのか?
この話を聞いた誰もが思うそんな疑問の答えは案外単純だった。
アルファの兄と弟がそれを望んだからである。
正確に言えばベータの彼が入学しないのであれば自らの入学を拒否すると宣言したのだ。
もちろんこの学園に通うことは義務でも何でもないし、拒否しようと思えば拒否できることではある。
だがたった一人のベータのために将来の可能性を自らつみ取るという選択をとろうとするだなんて誰が予想をつけられるだろうか。
だが思い返してみると、木崎 朝陽という人物は入学前のガイダンスに参加していなかったのだ。
全員参加必須のその会に、全3回もあるそのガイダンスに一度だって。
つまり彼は入学直前までこの学園に通うことを拒否し続けていたのである。
「木崎君は弟君になんでそこまでするの……」
朝陽は弟が入学してからというもの、終礼が終わるとすぐに鞄を持って弟のクラスに駆けつける。
ある日それが面白くないと感じた、朝陽を狙うオメガの一人が彼に尋ねた。
すると彼は心底不思議そうに首を傾げたのだ。
「だって兄弟である僕らが助けないで誰が夕を助けてあげるの?」
そう話す朝陽の姿に僕は、ほんの少しだけ木崎 夕という人間に興味が沸いたのだ。
けれど噂以上にその男は目立たなかった。
まるで透明人間なのではないかというほどに見つからないのである。
それが兄弟だという理由だけで人気者の彼らを独占していると嫉妬される彼が、この学園に居残り続けられる理由なのだろう。
だが見つからないのならそれでも構わなかった。
たかだかふっと沸いた興味である。
一人の人間にそこまで時間を使う必要性など感じない。
すっかり興味が薄れた木崎 夕の顔を初めて認識したのはそれから数ヶ月ほど経った頃のことである。
放課後の教室で一人、教師にため息を吐かれながらノートにかじり付くように勉強する少年の姿があった。
目をそらせばすぐに記憶から出て行ってしまうような、これといって特徴のない少年である。
あんな生徒いたか?
生徒会長になるのだからと兄さんから渡された春に撮影したクラスごとの写真を目を通してある。
一人一人の顔と名前が一致するなんてことはないが、それでも一回どこのクラスでどの辺りに映っていたかまでは見ればわかるはずである。
けれど不思議なことに、僕はその生徒の顔に全く見覚えがなかった。
「木崎君。あなた一応二年生には進学できるけれど、このままいけば三年生にはなれないわよ?」
「すみません……」
「お兄さんと弟さんがいないのはわかるけれど、でももうあなたも高校生なのだから一人で勉強できるようになりなさい」
「はい……」
教師の言葉に目線を下げる男こそが、僕が何度となく探した木崎 夕だった。
兄と弟は秋から海外に短期留学をしている。
思い返せば兄の朝陽は留学直前まで教師となにやら揉めていたような気がする。
おおかた弟を残して留学にはいけないとかそんなことだったのだろう。
まさか兄と弟がいなくなった途端に進学が危ぶまれるようなほどの無能だとは思わなかった。そりゃああの二人も過保護にもなるわけだ。
いや、兄と弟にさえこの学園に連れ込まれなければその身相応の学校に通っていたのだろう。そう思うと不憫な男である。
けれどあの兄弟が帰ってくれば、きっとあの少年は再び兄と弟に手を引かれて歩みを再開させるのだろう。アルファの二人が両方から手を引くのだ。道を迷うということはないのだろう。
そう思うと地味でなんの取り柄もないように思えるその男がなんだかまぶしく思えた。
それから僕は木崎 夕を目で追いかけるようになった。
一度認識してしまえば見つけるのは容易なことである。
なにせ木崎 夕はいつ見ても一人っきりだった。
そんな孤立した男を見つけられなかったのは彼が風景と馴染むのが上手いからである。
彼を探そうと思わなければきっと気づかないほどに。
けれど僕は当初、彼に近づくつもりはなかったのだ。
ただただ自分と似ているようで全く違うベータの少年を見ているだけのつもりだったのだ。
なのにわずか1年と経たずに彼に溺れている。
「ゆう、気持ちいい?」
「はい、会長」
「もう、こんな時くらい名前で呼んで、っよ」
決して僕の子を孕むことはない夕の尻に何度も子種を注いで、彼に僕の存在を刻み込む。
僕を見てくれと、愛してくれと心の中で叫び続けながら。
ベータどころか、誰かに惚れるつもりなどなかったのに。
その予定が狂いだしたのは今年の春のことだった。
学園でトップの人気を誇っていた木崎兄弟の留学に続き、三浦財閥の御曹司で跡取りという好条件の僕の兄さんを筆頭とした30人ものアルファの卒業。
多くのオメガが番選びを難航させている状態で、新たにやってきた新入生の7割がオメガであった。
そうなれば当然、オメガ内での競争は激しくなる。
なるべく将来有望そうなアルファを捕まえてやる!
そんな意気込みを持ったオメガの多くが俺を獲物としてロックオンしたのだ。
だが何かしてくる訳でもない。ならばただただそれに耐えればいい。
初めはそう、楽観的に考えていたのだ。
だが今まで一切そんな視線など送ってこなかったクラスメイトすらもギラギラした目でこちらを見続けるのだ。
それも朝から夕方までずっと。
昼や放課後、そして体育の時間になれば一気に数を増やしたその視線は僕の肌を刺すようにさえ感じるようになる。
今の僕はきっと飢えた猛獣の中に放り込まれた生肉と同じなのだろう……。
こんな生活に嫌気がさしてきたある日、相変わらず一人っきりの木崎を見つけた。
こうして彼の顔を見るのもいつぶりだろうか、とそんなことを考えていると僕の頭にふとした考えが浮かび上がった。そして頭で考えるよりも先に彼にこう持ちかけていた。
「君の兄弟の代わりに勉強を見てあげるから、恋人の真似をしてよ。嫉妬されるのは慣れているでしょ?」ーーと。
木崎兄弟が帰ってくるのは秋だ。
数ヶ月ほど前に耳にした状況が今も変わっていなければ、彼の三年生への進級は危うい。
木崎だって兄弟が不在の間に留年が確定するのは本意ではないだろう。
彼にとってもなかなか悪くない提案ではないだろうか。
そう思ったのだが、予想外にも木崎はその提案を断ったのだ。なんでも僕の迷惑がなんだかんだと話しているがそんなことはどうでもいい。ちょうどいい人材を逃すつもりなどないのだ。
だから木崎が納得するように、僕と彼の利点をわかりやすく話すことにした。
兄弟が帰ってくるまでの間、赤点を回避し続けるのが木崎にとっての利点で、群がってくるオメガの数を減らすことが僕の利点であると。
すると木崎はとある疑問を投げかけてくる。
『ならばオメガと番になればいいのではないか?』
確かに適当なオメガと番になってしまえば少なくともイヤな視線からは解放されるだろう。だが選ばれたと勘違いされて、求められても正直迷惑な話である。
僕は兄さんとは違って、オメガと番になるつもりなんて全くないのだから。
それから適当に理由を並べて話すと、ようやく木崎は丸め込まれてくれた。
ーーこうして僕と木崎は恋人の真似ごとを演じるようになった。
真似事とはいえ、木崎にも欲はあるはずだ。
なにかしらのアクションは起こしてくることだろう。そうしたらそれに合わせて動けば恋人らしく見えることだろうと踏んでいたのだが……その様子は一週間が経ってもまるでない。
これでは僕がただベータの生徒を連れているだけである。
オメガ達からの視線は相も変わらず鋭いままである。
むしろベータである木崎をつれていることで、俺が番ではなくベータのパートナー選びをしているように思った生徒もいたらしく、ベータからのギラギラとした視線までも感じるようになってしまった。
これでは本末転倒である。
もう少し親密に見えてもらわなくてはと、昼食を共にするようにした。
校舎のどの窓からでもよく見えるよう、校舎の真ん中に植えられた大樹の下で。
今まで昼食は食堂でとっていた俺がわざわざ一人と食事を共にするのだ。隣のベータがただ黙々と食事をしているだけでも見る目は変わってくることだろう。
だが残念なことに俺たちを恋人同士だと勘違いする生徒はほぼ皆無だった。
それどころか、ただでさえ覚えの悪い木崎に勉強を教える時間を何度も邪魔されて気は苛立つばかりである。
それでも生徒会長として生徒を無碍にすることも出来ず、だからといって恋人の真似事をしろと言っているのに文句一つ口にせず送りだそうとする木崎を怒鳴ることも出来ないまま日々は過ぎていった。
夏休みを区切りになんの意味もないこの関係も終わりにするかーーと思っていた時のことだった。
いつも暗い表情ばかりを浮かべる木崎が頬を赤らめて、僕に成績表を見せてきたのだ。
「少し点数があがったんです」
「これも会長が教えてくれたおかげです」
しきりにキラキラと、子どものような眩しい笑顔を浮かべる木崎の目には他の誰でもない僕が映っていた。
優良物件のアルファでしかない僕ではなく、三浦 楓という一人の人物が。
気づけば僕は彼の唇をふさぐようにキスを一つ落としていた。
「よくできたね」
そう口にしてから自分はなんてことをしたのだと思い直す。
動転していることが木崎にバレぬよう、今日は用事があるんだと嘘をついて早々に木崎と別れた。
そしてこの関係を辞めようとしてるのになにしてんだろうとその出来事を夜中悔やんだ。
会ったらどうにかして昨日のことを取り繕うことにしよう。
そう決めて登校すると、昨日の行動はとある方向へと動きだしていた。
どうやら放課後の教室で起こった出来事をどこかで見ていた生徒が噂を流したらしい。
『どうやら会長とあのベータはそういう関係らしい』
その関係が恋人という意味だったのならば俺が願った通りなのだが、噂の『そういう関係』というのはどうやら『性欲処理要員』という位置づけであるらしかった。
確かにそういう相手としてベータを確保するアルファがいないわけではない。
なにせベータ性の男はオメガや女性と違って孕まないのだ。学生の間だけにしても、今後も続けて行くにしても格好の相手なのだ。
けれどそんなことをするのはごく一部の人間だけである。
俺は木崎をそんな目で見たことは一度だってない。
その……はずだ。
あのベータはただの性欲処理だと耳にする度にわき上がるいらだちの意味を知らぬまま、木崎と顔を会わせることもなく夏休みに突入した。
夏休み期間だって生徒会長として何度か学園を訪れる用事はあった。
けれど一生徒でしかない木崎がわざわざ登校してくるはずがなく、だからといって連絡先を知らないからには適当な理由をつけて連絡をとることもできない。
それなのに彼は何とも迷惑なことに、僕の頭の中に居座り続けるのだ。
テキストを開けば、きっと木崎はここで躓くだろうとか、ここは教えたから出来るはずだとか。
ならばと気分転換に本を開けばきっと彼ならこう解釈するはずだなんて考えてしまう。
そして最後には必ず、頭にこびりついて離れてはくれないあの笑みがやってくるのだ。
僕だけを見つけるあの少年をどこかに隠すことができたらいいのにーー。
そう思い至るまで長い時間はかからなかった。だがそれは実行出来るはずもないことである。
だって彼は人間なのだ。
犬みたいに鎖で繋いで置くことは出来ないし、鳥みたいに籠に入れておくことも出来ない。
どうすれば彼を僕の元につなぎ止めていくことが出来るかなんて、どんなに考えてもわからなかった。
ーー僕だけの頭では。
「どうしたんだ、楓」
「兄さん」
この夏、兄さんの番は一時的に実家に帰省していた。
彼の実家はバース科のある大病院らしく、突然産気づいたとしても素早い対応が出来るのだという。
だから今日は珍しく一人っきりの兄さんに僕はつい悩み事を漏らした。
「実はどうしても手に入れたい人がいるんだ」
「そうか。楓にもそういう人が出来たんだな」
「うん……」
「なら絶対に逃がすな。父さんや母さんの言葉に耳を傾けてはいけない。……あのな、楓。今よりもずっと昔、人間にはバース性なんてものは存在しなかったらしい。けれど突如として新たな性が三つほど発生した。それはなぜだと思う?」
「新たな環境に対応するため?」
「人間は忘れかけていた動物としての片鱗を開花させたからさ。だからこそアルファやオメガは動物のように己の番を求める。それを運命なんて名前で呼ぶのってさ、きっと人間は優れた生き物であるって思いこみたいからだろうね」
「それは……」
ならば産まれてこの方、番を求めようとしてこなかった僕はやはりアルファとして劣っているということだろう。
「だけど番なんて、別に運命で結ばれた相手である必要性はないんだよ」
「兄さん、それは」
それはきっと兄さんが運命の相手を見つけられたから言えることでしょ、と続けるつもりだった。
けれど兄さんの次の言葉に僕は口をつぐむしかなかった。
「楓、よく覚えておきなさい。本能に従って望んだ相手こそが本当の番だ。見つけたからには何をしても逃がしてはいけないよ」
「え?」
そう話す兄さんの顔は逆光でよく見えなかった。
けれど普段決して弱み事なんて口にしない僕が、その日に限って兄さんにこぼしてしまったのはきっと何かしら意味のあることだったのだろう。
兄さんが番の元へ向かってからも、兄さんの言葉は僕の頭をグルグルと巡る。
何度も何度も繰り返されるその言葉に、僕は木崎 夕こそ僕の番なのだと納得せざるを得なかった。
ならあの子は僕が助けてあげなくちゃ。
そのためには秋には帰ってきてしまう彼の兄弟が邪魔だった。
きっと彼らさえ帰ってきてしまえばあの子は再び彼らを頼って、僕の事なんて見向きもしなくなってしまうことだろう。
それはなんとしても阻止しなければならなかった。
幸運にも彼らはまだ海外である。こちらに帰ってくるのは夏休みの終盤のことだ。
彼らが帰ってこないように、産まれて初めて三浦財閥の権力を使った。
何人ものオメガと彼らが憧れる学者も呼びつけて接触させて。
それでも彼らは帰国する意志を曲げることはなかった。あの兄弟は想像以上に木崎 夕という人間に固執しているらしかった。
それは昔から助けなければと、刷り込まれたにしては異様にも思えることだった。
少し引っかかりを覚えたものの、やがて憧れの学者との研究に靡いたらしい彼らは二人揃って留学を春にまで延ばした。
本当はあの子が卒業または留年して道に迷う時には不在でいて欲しかったが、春まで時間があれば十分である。
ーーそれまでに夕の番は僕であることを、彼自身と周りに思い知らせればいいのだから。
限られた時間の中で、僕は少しだけ強引な手段を取ることにした。
多額の寄付金をしているのをいいことに生徒会室の隣を改装して準備を整えた。そしてそこに夕を連れ込むため、そして同時に彼の逃げ場を少しでもなくすためにとある芝居を打った。
夏休み明けの初日。
わざわざ二年生の部屋で彼を待って、僕たちが恋人なのだと周りに信じ込ませるための種を蒔く。
目を大きく開いたかわいらしいその顔にキスをしてしまったのは僕の本心だけど。
「会いたかったよ、夕」と呟いてキスをすればその目は涙を貯めて、僕をとらえるのだ。
それがたまらなくて、周りのことなど忘れて彼の呼吸を貪り食らう。
息苦しくて僕の肩に捕まってもがく姿も愛らしい。
「ふふふ、必死に俺を求めてかわいいなぁ」
預けられた彼の頭をなでて、彼の口元に垂れたそれと全く同じものを自分の口は端から舐めとる。こんなの観衆に向けたアクションのつもりだったが、案外甘くて美味しい。
そう思えるのもきっと彼が僕の番だからだろう。
「コッチも寂しいだろうけど、それはあとで……ね?」
放課後の本番に向けての仕込みをすると、夕は僕の予想を遙かに越えて可愛く赤らんで見せた。
彼のこんな可愛い姿、本当は僕以外誰にも見せたくはない。
けれどこの学園で本気で僕から彼を取ろうとする者などいないのだ。
いるのは愚かにも邪魔をする者のみである。
それすらももうすぐいなくなることだろう。
待ち遠しくてたまらなかった放課後、帰り支度をする夕の手を引いて、用意した部屋へと連れ込む。
鍵を閉めるのも忘れない。
勉強会の時のように、途中で邪魔などされないように中からしか閉められないような鍵を設置したのだ。
そして夕にはこっち。
彼が万が一にでも逃げ出さないように、特注で手錠を作ったのだ。
鍵は僕が首に下げているものだけ。
これさえ壊してしまえばもう二度とその手錠は外れない。
だけど僕はまだその手錠も鍵も壊すわけにはいかないのだ。
これは僕の理性もつなぐ役割も担っているのだから。
「先輩、なにするんですか!」
「逃げられちゃ困ると思ってね。それにこういう趣向もたまにはいいでしょ」
「たまには、って!」
「あーあ、すっかりご無沙汰だったからふさがっちゃってるね」
初めてなのだろう、夕の穴に指を入れてその中で軽く指を折ると彼の身体は驚いたようにビクっとはねる。
「先輩、なにしてるんですか!」
声を上げて、抵抗するように身体をよじるその姿と連動するように手錠はジャラジャラと音を立てる。いやらしく思える夕の姿に僕の気持ちは高ぶっていく。
だが夕は状況を理解出来ずに泣き出してしまう。そんな姿を見ていると、ついついその手錠を外してしまいたい衝動に駆られる。
けれどそうしたらきっと二度とこの子は手には入らなくなってしまうだろう。
だって拒まれたら最後、止まるということを僕は頭の中の辞書から消し去ってしまうだろうから。
番というのは難儀なものである。
相手がオメガならただ首を噛んで、所有の証を刻めばそれですむ事なのに、ベータ相手だとその一番容易な手段は使えなくなってしまうのだから。
夕の目から伝い落ちる涙すら勿体なく思えて、掬い取るようになめてとる。
こっちはしょっぱい。
けれどどちらも夕から出たもので、美味しいことには変わりない。
本当は自分たちだけで楽しみたいところだけど、もう観衆たちは皆お揃いのようである。
声を潜めているつもりなのだろうが、人数が人数だけにその声は耳を澄ませればはっきりと聞こえてくる。
「相手はベータでしょ? やっぱり性欲処理のためだけの相手よ」
「でもあのキスに朝の会話は……」
「ちょっと静かにして聞こえないわ」
どれも予想通りの反応をしてくれる。
ならば声だけでもサービスしてやらなければならないな。
きっと明日には校内を噂が駆け回ることだろう。
今度はきっと『生徒会長はベータにご執心らしい』と流れてくれればいいのだが。
まぁそうでなければまた聞かせてやればいいし、それでわからないのならばソレ相応の対処をすればいいだけである。
この子を手に入れられるのなら、やすいものだ。
ーー初めて彼のナカに触れてからもう二ヶ月ほどが経った。
学園内の生徒及び教員への周知はもう完璧とも言える。
もとより夕に話しかける生徒などいないに等しいものだったが、今はもう嫉妬を孕んだ視線すらも向ける者はいない。
けれど僕はまだ夕の腕から手錠を外せないままでいる。
夕が抵抗したのは初めの数回だけで、それ以降はおとなしく抱かれてくれている。
けれどそれはまるで人形のようで、彼は僕ではない何かを無機物のような瞳で見つめている。
僕が欲しいのは僕だけを見つめて、笑いかけてくれる夕なのに。
いつになったら身体だけでなく、夕の心も手にはいるのだろうか。
彼の身体を壊してしまわないようにとつけているこの手錠も、そしてこの部屋も使えるのは春までである。
けれどそれまでに夕は僕のことを愛してくれるだろうか。
道に迷ったその時に、兄弟ではなく僕を頼ってくれるのだろうか。
「夕、愛してる。だから夕も同じだけ俺に溺れて?」
縋るようにそう囁くといつだって夕の身体はぴくりと動く。
その時の彼の瞳にはほんの少しだけ僕が映っているような気がした。
これは『バース性論』を代表する、世界で一番有名な論文の書き出しである。
書いたのはベータ性の男性統計学者だ。
長年の研究と自身の実体験を元にかかれたこの論文は彼の死後100年以上が経った今でも、バース性の研究をする研究者はもちろんのこと、一般人にも絵本や一般書と形を変えて親しまれている。
もちろん性別関係なく、だ。
それにより全人口の一割ほどしか存在しないアルファとオメガは残りの9割よりも優れた人間である、とほとんどの人間は思いこんでいる。
いや、思いこまされているのだ。
事実、僕は幼い頃から『アルファとして産まれたからにはその性に恥じぬ生き方をせよ』と両親に言い聞かされていた。
両親共にアルファ性で、兄もアルファ性。
そしてどんなに血族を遡っても、三浦の一族にはオメガはいてもベータはいないらしい。一族揃ってアルファかオメガであることが両親の誇りであるらしく、兄や僕がなにかしらの賞を受賞したり、テストで高い順位をとる度に『さすがは三浦の子だ』とほめてくれた。
けれど三つのバース性においてもっとも優れているとされるアルファの中にだって、もちろん優劣は存在する。
例えば僕と兄さんだ。
同じアルファ男児として、同じアルファの両親から産まれたというのに僕は兄さんよりも劣っていた。
学力や運動の話ではない。むしろそちらは勝っているとも言える。
けれど僕は人として兄さんには決して勝てないのだ。
兄さんは中高と生徒会長を勤め、常に三浦財閥の跡取り息子として立派に振る舞って見せた。
なんの努力もしなかった訳ではないだろうが、あの人は努力を苦労とは思わない人であった。いつだって爽やかな笑みを絶やすことなく、誰にだって性別関係なく優しく接していた。だからこそ性別関係なく、だだ一人の人間として誰からも好かれるのだろう。
僕は昔から兄さんが羨ましくて、そして同時に恨めしかった。
なんで僕は兄さんとは違うんだろうって。
同じ道を辿っているはずなのに。
実力は僕の方が何段か上のはずなのに。
気づいた時には兄さんはいつだって僕の数歩先どころか別の道を歩んでいるのだ。
そんな兄さんは高校2年の夏に番となるオメガを決めた。
『共に競えるようなアルファと一緒になる道を選びなさい』という、昔から何度と無く言い聞かされてきた両親の言葉を押し切って。
兄さんが両親に逆らったのはおそらくこれが初めてのことだろう。
だが選んだ相手があの『運命の番』だったらしく、両親に相談する間もなく発情期を迎えた彼と番になってしまったらしい。
ならば仕方のないことだと両親が折れる形で兄さんとその番は婚約を結んだ。
相手方は2つ年が離れている、濡れ羽のような髪とは対象的なほどに白い肌のオメガである。兄さんの高校卒業を待ってから正式に籍を入れるのだという。
いつも笑みを絶やさない兄さんが、自分の番といると一層幸せそうに微笑むのだ。
そんな姿をみる度、僕は自分が惨めに思えてならない。
いくら兄さんと同じ道を辿ろうとしたところで、あの人が歩んだ道は辿ることは出来ないのだーーと。
兄さんが残していった記録を塗り替えることは出来ても。
同じ役職につくことは出来ても。
兄さんと同じように運命の番を見つけることなんてきっと出来やしない。
今まで兄さんの真似をして生きてきたのに、これからは真似をすることすらもう通用しなくなるのだ。
そうしたら僕はどう生きていけばいいのだろうか?
だからといって卒業までの一年半ほどで運命の番など見つかるわけがない。
なにせ生涯で運命の番とやらに会える確率など0.001%以下である。
それはただ単純に国などの生活区域が全く違って……というのもあるが、ほとんどの場合が年齢的問題である。年が離れていればお互いに他の相手を見つけて生きることを選ぶことが大半だ。どちらかが他の相手と番になれば香りなんて気づくはずがない。それにそもそも相手が同じ時代に生きていない場合もあるのだ。
だからこその『運命』なのだ。
出会えたことは奇跡とも言える。
そんな小さな確率を少しでもあげようという試みをしたのがこの国営学園である。
国中からアルファ・オメガが集められた。そしてそれだけではなにぶん体面が悪いと、ごく一部の優秀なベータも混ぜてある。
つまりこの国のアルファとオメガはほぼ全員がこの学園の卒業生・在校生、そして未来の入学生であるというわけだ。
実際、兄さんの番だってこの学園に通う予定で入学前のガイダンスに参加していたらしい。
そこで兄さんたちは出会ったのだという。
けれど同学年や先輩後輩、そして次期生徒会長の挨拶のために入学前に顔を会わせることとなった新入生にも僕の運命の番などいなかった。
実際のところ、学園在学時に運命の番を見つけられる生徒などごくわずかである。
だが例え運命の番でなかったとしても、この場所で生涯の番を見つけてくれれば国の将来も安泰というわけである。その思惑通り、思春期を共に過ごしたアルファとオメガは卒業と共に番になる者も多い。そしてついでとばかりに学園に集められたベータとしては有能な生徒を自らのビジネスパートナーとして連れて行くのだ。
そう、学園に集められたベータの大半はベータとしては有能なのだ。
なにかしら特化した能力をもっており、この学園でその能力を伸ばしていく。
そんな中で異例とも言えるベータがこの学園にたった一人だけ存在する。
木崎 夕ーー学園でも有名な木崎兄弟の次男で、三兄弟唯一のベータの少年である。
そんな彼はアルファの兄弟に非常に溺愛されているが、その割に彼自身はイマイチ記憶に残らない人物だそうだ。
だそうだというのは、実のところ俺はその男を見たことがないからである。
兄の朝陽とは三年間同じクラスで、彼が弟の夕について話しているのを何度か耳にしたことがある。
「夕はベータだから俺と十六夜で助けてあげなくっちゃいけないんだ」ーーと。
彼は弟について語る度にゆるんだ顔でそう口にした。
それはなんと傲慢なことだろうかと思ったのはもう三年も前のことである。
そして信じられないことに、委員会で顔を会わせることがあった弟の十六夜の方も全く同じことを口にしたのだ。
そんなの冗談だろうと思ってよくよく話を聞いてみると、その男は目立った才能がないどころか、成績は全てにおいて平均ぎりぎりかそれ以下であるそうだ。
高校生にもなって兄と弟に助けてもらわなければいけないような男がなぜこの学園に在籍できているのか?
この話を聞いた誰もが思うそんな疑問の答えは案外単純だった。
アルファの兄と弟がそれを望んだからである。
正確に言えばベータの彼が入学しないのであれば自らの入学を拒否すると宣言したのだ。
もちろんこの学園に通うことは義務でも何でもないし、拒否しようと思えば拒否できることではある。
だがたった一人のベータのために将来の可能性を自らつみ取るという選択をとろうとするだなんて誰が予想をつけられるだろうか。
だが思い返してみると、木崎 朝陽という人物は入学前のガイダンスに参加していなかったのだ。
全員参加必須のその会に、全3回もあるそのガイダンスに一度だって。
つまり彼は入学直前までこの学園に通うことを拒否し続けていたのである。
「木崎君は弟君になんでそこまでするの……」
朝陽は弟が入学してからというもの、終礼が終わるとすぐに鞄を持って弟のクラスに駆けつける。
ある日それが面白くないと感じた、朝陽を狙うオメガの一人が彼に尋ねた。
すると彼は心底不思議そうに首を傾げたのだ。
「だって兄弟である僕らが助けないで誰が夕を助けてあげるの?」
そう話す朝陽の姿に僕は、ほんの少しだけ木崎 夕という人間に興味が沸いたのだ。
けれど噂以上にその男は目立たなかった。
まるで透明人間なのではないかというほどに見つからないのである。
それが兄弟だという理由だけで人気者の彼らを独占していると嫉妬される彼が、この学園に居残り続けられる理由なのだろう。
だが見つからないのならそれでも構わなかった。
たかだかふっと沸いた興味である。
一人の人間にそこまで時間を使う必要性など感じない。
すっかり興味が薄れた木崎 夕の顔を初めて認識したのはそれから数ヶ月ほど経った頃のことである。
放課後の教室で一人、教師にため息を吐かれながらノートにかじり付くように勉強する少年の姿があった。
目をそらせばすぐに記憶から出て行ってしまうような、これといって特徴のない少年である。
あんな生徒いたか?
生徒会長になるのだからと兄さんから渡された春に撮影したクラスごとの写真を目を通してある。
一人一人の顔と名前が一致するなんてことはないが、それでも一回どこのクラスでどの辺りに映っていたかまでは見ればわかるはずである。
けれど不思議なことに、僕はその生徒の顔に全く見覚えがなかった。
「木崎君。あなた一応二年生には進学できるけれど、このままいけば三年生にはなれないわよ?」
「すみません……」
「お兄さんと弟さんがいないのはわかるけれど、でももうあなたも高校生なのだから一人で勉強できるようになりなさい」
「はい……」
教師の言葉に目線を下げる男こそが、僕が何度となく探した木崎 夕だった。
兄と弟は秋から海外に短期留学をしている。
思い返せば兄の朝陽は留学直前まで教師となにやら揉めていたような気がする。
おおかた弟を残して留学にはいけないとかそんなことだったのだろう。
まさか兄と弟がいなくなった途端に進学が危ぶまれるようなほどの無能だとは思わなかった。そりゃああの二人も過保護にもなるわけだ。
いや、兄と弟にさえこの学園に連れ込まれなければその身相応の学校に通っていたのだろう。そう思うと不憫な男である。
けれどあの兄弟が帰ってくれば、きっとあの少年は再び兄と弟に手を引かれて歩みを再開させるのだろう。アルファの二人が両方から手を引くのだ。道を迷うということはないのだろう。
そう思うと地味でなんの取り柄もないように思えるその男がなんだかまぶしく思えた。
それから僕は木崎 夕を目で追いかけるようになった。
一度認識してしまえば見つけるのは容易なことである。
なにせ木崎 夕はいつ見ても一人っきりだった。
そんな孤立した男を見つけられなかったのは彼が風景と馴染むのが上手いからである。
彼を探そうと思わなければきっと気づかないほどに。
けれど僕は当初、彼に近づくつもりはなかったのだ。
ただただ自分と似ているようで全く違うベータの少年を見ているだけのつもりだったのだ。
なのにわずか1年と経たずに彼に溺れている。
「ゆう、気持ちいい?」
「はい、会長」
「もう、こんな時くらい名前で呼んで、っよ」
決して僕の子を孕むことはない夕の尻に何度も子種を注いで、彼に僕の存在を刻み込む。
僕を見てくれと、愛してくれと心の中で叫び続けながら。
ベータどころか、誰かに惚れるつもりなどなかったのに。
その予定が狂いだしたのは今年の春のことだった。
学園でトップの人気を誇っていた木崎兄弟の留学に続き、三浦財閥の御曹司で跡取りという好条件の僕の兄さんを筆頭とした30人ものアルファの卒業。
多くのオメガが番選びを難航させている状態で、新たにやってきた新入生の7割がオメガであった。
そうなれば当然、オメガ内での競争は激しくなる。
なるべく将来有望そうなアルファを捕まえてやる!
そんな意気込みを持ったオメガの多くが俺を獲物としてロックオンしたのだ。
だが何かしてくる訳でもない。ならばただただそれに耐えればいい。
初めはそう、楽観的に考えていたのだ。
だが今まで一切そんな視線など送ってこなかったクラスメイトすらもギラギラした目でこちらを見続けるのだ。
それも朝から夕方までずっと。
昼や放課後、そして体育の時間になれば一気に数を増やしたその視線は僕の肌を刺すようにさえ感じるようになる。
今の僕はきっと飢えた猛獣の中に放り込まれた生肉と同じなのだろう……。
こんな生活に嫌気がさしてきたある日、相変わらず一人っきりの木崎を見つけた。
こうして彼の顔を見るのもいつぶりだろうか、とそんなことを考えていると僕の頭にふとした考えが浮かび上がった。そして頭で考えるよりも先に彼にこう持ちかけていた。
「君の兄弟の代わりに勉強を見てあげるから、恋人の真似をしてよ。嫉妬されるのは慣れているでしょ?」ーーと。
木崎兄弟が帰ってくるのは秋だ。
数ヶ月ほど前に耳にした状況が今も変わっていなければ、彼の三年生への進級は危うい。
木崎だって兄弟が不在の間に留年が確定するのは本意ではないだろう。
彼にとってもなかなか悪くない提案ではないだろうか。
そう思ったのだが、予想外にも木崎はその提案を断ったのだ。なんでも僕の迷惑がなんだかんだと話しているがそんなことはどうでもいい。ちょうどいい人材を逃すつもりなどないのだ。
だから木崎が納得するように、僕と彼の利点をわかりやすく話すことにした。
兄弟が帰ってくるまでの間、赤点を回避し続けるのが木崎にとっての利点で、群がってくるオメガの数を減らすことが僕の利点であると。
すると木崎はとある疑問を投げかけてくる。
『ならばオメガと番になればいいのではないか?』
確かに適当なオメガと番になってしまえば少なくともイヤな視線からは解放されるだろう。だが選ばれたと勘違いされて、求められても正直迷惑な話である。
僕は兄さんとは違って、オメガと番になるつもりなんて全くないのだから。
それから適当に理由を並べて話すと、ようやく木崎は丸め込まれてくれた。
ーーこうして僕と木崎は恋人の真似ごとを演じるようになった。
真似事とはいえ、木崎にも欲はあるはずだ。
なにかしらのアクションは起こしてくることだろう。そうしたらそれに合わせて動けば恋人らしく見えることだろうと踏んでいたのだが……その様子は一週間が経ってもまるでない。
これでは僕がただベータの生徒を連れているだけである。
オメガ達からの視線は相も変わらず鋭いままである。
むしろベータである木崎をつれていることで、俺が番ではなくベータのパートナー選びをしているように思った生徒もいたらしく、ベータからのギラギラとした視線までも感じるようになってしまった。
これでは本末転倒である。
もう少し親密に見えてもらわなくてはと、昼食を共にするようにした。
校舎のどの窓からでもよく見えるよう、校舎の真ん中に植えられた大樹の下で。
今まで昼食は食堂でとっていた俺がわざわざ一人と食事を共にするのだ。隣のベータがただ黙々と食事をしているだけでも見る目は変わってくることだろう。
だが残念なことに俺たちを恋人同士だと勘違いする生徒はほぼ皆無だった。
それどころか、ただでさえ覚えの悪い木崎に勉強を教える時間を何度も邪魔されて気は苛立つばかりである。
それでも生徒会長として生徒を無碍にすることも出来ず、だからといって恋人の真似事をしろと言っているのに文句一つ口にせず送りだそうとする木崎を怒鳴ることも出来ないまま日々は過ぎていった。
夏休みを区切りになんの意味もないこの関係も終わりにするかーーと思っていた時のことだった。
いつも暗い表情ばかりを浮かべる木崎が頬を赤らめて、僕に成績表を見せてきたのだ。
「少し点数があがったんです」
「これも会長が教えてくれたおかげです」
しきりにキラキラと、子どものような眩しい笑顔を浮かべる木崎の目には他の誰でもない僕が映っていた。
優良物件のアルファでしかない僕ではなく、三浦 楓という一人の人物が。
気づけば僕は彼の唇をふさぐようにキスを一つ落としていた。
「よくできたね」
そう口にしてから自分はなんてことをしたのだと思い直す。
動転していることが木崎にバレぬよう、今日は用事があるんだと嘘をついて早々に木崎と別れた。
そしてこの関係を辞めようとしてるのになにしてんだろうとその出来事を夜中悔やんだ。
会ったらどうにかして昨日のことを取り繕うことにしよう。
そう決めて登校すると、昨日の行動はとある方向へと動きだしていた。
どうやら放課後の教室で起こった出来事をどこかで見ていた生徒が噂を流したらしい。
『どうやら会長とあのベータはそういう関係らしい』
その関係が恋人という意味だったのならば俺が願った通りなのだが、噂の『そういう関係』というのはどうやら『性欲処理要員』という位置づけであるらしかった。
確かにそういう相手としてベータを確保するアルファがいないわけではない。
なにせベータ性の男はオメガや女性と違って孕まないのだ。学生の間だけにしても、今後も続けて行くにしても格好の相手なのだ。
けれどそんなことをするのはごく一部の人間だけである。
俺は木崎をそんな目で見たことは一度だってない。
その……はずだ。
あのベータはただの性欲処理だと耳にする度にわき上がるいらだちの意味を知らぬまま、木崎と顔を会わせることもなく夏休みに突入した。
夏休み期間だって生徒会長として何度か学園を訪れる用事はあった。
けれど一生徒でしかない木崎がわざわざ登校してくるはずがなく、だからといって連絡先を知らないからには適当な理由をつけて連絡をとることもできない。
それなのに彼は何とも迷惑なことに、僕の頭の中に居座り続けるのだ。
テキストを開けば、きっと木崎はここで躓くだろうとか、ここは教えたから出来るはずだとか。
ならばと気分転換に本を開けばきっと彼ならこう解釈するはずだなんて考えてしまう。
そして最後には必ず、頭にこびりついて離れてはくれないあの笑みがやってくるのだ。
僕だけを見つけるあの少年をどこかに隠すことができたらいいのにーー。
そう思い至るまで長い時間はかからなかった。だがそれは実行出来るはずもないことである。
だって彼は人間なのだ。
犬みたいに鎖で繋いで置くことは出来ないし、鳥みたいに籠に入れておくことも出来ない。
どうすれば彼を僕の元につなぎ止めていくことが出来るかなんて、どんなに考えてもわからなかった。
ーー僕だけの頭では。
「どうしたんだ、楓」
「兄さん」
この夏、兄さんの番は一時的に実家に帰省していた。
彼の実家はバース科のある大病院らしく、突然産気づいたとしても素早い対応が出来るのだという。
だから今日は珍しく一人っきりの兄さんに僕はつい悩み事を漏らした。
「実はどうしても手に入れたい人がいるんだ」
「そうか。楓にもそういう人が出来たんだな」
「うん……」
「なら絶対に逃がすな。父さんや母さんの言葉に耳を傾けてはいけない。……あのな、楓。今よりもずっと昔、人間にはバース性なんてものは存在しなかったらしい。けれど突如として新たな性が三つほど発生した。それはなぜだと思う?」
「新たな環境に対応するため?」
「人間は忘れかけていた動物としての片鱗を開花させたからさ。だからこそアルファやオメガは動物のように己の番を求める。それを運命なんて名前で呼ぶのってさ、きっと人間は優れた生き物であるって思いこみたいからだろうね」
「それは……」
ならば産まれてこの方、番を求めようとしてこなかった僕はやはりアルファとして劣っているということだろう。
「だけど番なんて、別に運命で結ばれた相手である必要性はないんだよ」
「兄さん、それは」
それはきっと兄さんが運命の相手を見つけられたから言えることでしょ、と続けるつもりだった。
けれど兄さんの次の言葉に僕は口をつぐむしかなかった。
「楓、よく覚えておきなさい。本能に従って望んだ相手こそが本当の番だ。見つけたからには何をしても逃がしてはいけないよ」
「え?」
そう話す兄さんの顔は逆光でよく見えなかった。
けれど普段決して弱み事なんて口にしない僕が、その日に限って兄さんにこぼしてしまったのはきっと何かしら意味のあることだったのだろう。
兄さんが番の元へ向かってからも、兄さんの言葉は僕の頭をグルグルと巡る。
何度も何度も繰り返されるその言葉に、僕は木崎 夕こそ僕の番なのだと納得せざるを得なかった。
ならあの子は僕が助けてあげなくちゃ。
そのためには秋には帰ってきてしまう彼の兄弟が邪魔だった。
きっと彼らさえ帰ってきてしまえばあの子は再び彼らを頼って、僕の事なんて見向きもしなくなってしまうことだろう。
それはなんとしても阻止しなければならなかった。
幸運にも彼らはまだ海外である。こちらに帰ってくるのは夏休みの終盤のことだ。
彼らが帰ってこないように、産まれて初めて三浦財閥の権力を使った。
何人ものオメガと彼らが憧れる学者も呼びつけて接触させて。
それでも彼らは帰国する意志を曲げることはなかった。あの兄弟は想像以上に木崎 夕という人間に固執しているらしかった。
それは昔から助けなければと、刷り込まれたにしては異様にも思えることだった。
少し引っかかりを覚えたものの、やがて憧れの学者との研究に靡いたらしい彼らは二人揃って留学を春にまで延ばした。
本当はあの子が卒業または留年して道に迷う時には不在でいて欲しかったが、春まで時間があれば十分である。
ーーそれまでに夕の番は僕であることを、彼自身と周りに思い知らせればいいのだから。
限られた時間の中で、僕は少しだけ強引な手段を取ることにした。
多額の寄付金をしているのをいいことに生徒会室の隣を改装して準備を整えた。そしてそこに夕を連れ込むため、そして同時に彼の逃げ場を少しでもなくすためにとある芝居を打った。
夏休み明けの初日。
わざわざ二年生の部屋で彼を待って、僕たちが恋人なのだと周りに信じ込ませるための種を蒔く。
目を大きく開いたかわいらしいその顔にキスをしてしまったのは僕の本心だけど。
「会いたかったよ、夕」と呟いてキスをすればその目は涙を貯めて、僕をとらえるのだ。
それがたまらなくて、周りのことなど忘れて彼の呼吸を貪り食らう。
息苦しくて僕の肩に捕まってもがく姿も愛らしい。
「ふふふ、必死に俺を求めてかわいいなぁ」
預けられた彼の頭をなでて、彼の口元に垂れたそれと全く同じものを自分の口は端から舐めとる。こんなの観衆に向けたアクションのつもりだったが、案外甘くて美味しい。
そう思えるのもきっと彼が僕の番だからだろう。
「コッチも寂しいだろうけど、それはあとで……ね?」
放課後の本番に向けての仕込みをすると、夕は僕の予想を遙かに越えて可愛く赤らんで見せた。
彼のこんな可愛い姿、本当は僕以外誰にも見せたくはない。
けれどこの学園で本気で僕から彼を取ろうとする者などいないのだ。
いるのは愚かにも邪魔をする者のみである。
それすらももうすぐいなくなることだろう。
待ち遠しくてたまらなかった放課後、帰り支度をする夕の手を引いて、用意した部屋へと連れ込む。
鍵を閉めるのも忘れない。
勉強会の時のように、途中で邪魔などされないように中からしか閉められないような鍵を設置したのだ。
そして夕にはこっち。
彼が万が一にでも逃げ出さないように、特注で手錠を作ったのだ。
鍵は僕が首に下げているものだけ。
これさえ壊してしまえばもう二度とその手錠は外れない。
だけど僕はまだその手錠も鍵も壊すわけにはいかないのだ。
これは僕の理性もつなぐ役割も担っているのだから。
「先輩、なにするんですか!」
「逃げられちゃ困ると思ってね。それにこういう趣向もたまにはいいでしょ」
「たまには、って!」
「あーあ、すっかりご無沙汰だったからふさがっちゃってるね」
初めてなのだろう、夕の穴に指を入れてその中で軽く指を折ると彼の身体は驚いたようにビクっとはねる。
「先輩、なにしてるんですか!」
声を上げて、抵抗するように身体をよじるその姿と連動するように手錠はジャラジャラと音を立てる。いやらしく思える夕の姿に僕の気持ちは高ぶっていく。
だが夕は状況を理解出来ずに泣き出してしまう。そんな姿を見ていると、ついついその手錠を外してしまいたい衝動に駆られる。
けれどそうしたらきっと二度とこの子は手には入らなくなってしまうだろう。
だって拒まれたら最後、止まるということを僕は頭の中の辞書から消し去ってしまうだろうから。
番というのは難儀なものである。
相手がオメガならただ首を噛んで、所有の証を刻めばそれですむ事なのに、ベータ相手だとその一番容易な手段は使えなくなってしまうのだから。
夕の目から伝い落ちる涙すら勿体なく思えて、掬い取るようになめてとる。
こっちはしょっぱい。
けれどどちらも夕から出たもので、美味しいことには変わりない。
本当は自分たちだけで楽しみたいところだけど、もう観衆たちは皆お揃いのようである。
声を潜めているつもりなのだろうが、人数が人数だけにその声は耳を澄ませればはっきりと聞こえてくる。
「相手はベータでしょ? やっぱり性欲処理のためだけの相手よ」
「でもあのキスに朝の会話は……」
「ちょっと静かにして聞こえないわ」
どれも予想通りの反応をしてくれる。
ならば声だけでもサービスしてやらなければならないな。
きっと明日には校内を噂が駆け回ることだろう。
今度はきっと『生徒会長はベータにご執心らしい』と流れてくれればいいのだが。
まぁそうでなければまた聞かせてやればいいし、それでわからないのならばソレ相応の対処をすればいいだけである。
この子を手に入れられるのなら、やすいものだ。
ーー初めて彼のナカに触れてからもう二ヶ月ほどが経った。
学園内の生徒及び教員への周知はもう完璧とも言える。
もとより夕に話しかける生徒などいないに等しいものだったが、今はもう嫉妬を孕んだ視線すらも向ける者はいない。
けれど僕はまだ夕の腕から手錠を外せないままでいる。
夕が抵抗したのは初めの数回だけで、それ以降はおとなしく抱かれてくれている。
けれどそれはまるで人形のようで、彼は僕ではない何かを無機物のような瞳で見つめている。
僕が欲しいのは僕だけを見つめて、笑いかけてくれる夕なのに。
いつになったら身体だけでなく、夕の心も手にはいるのだろうか。
彼の身体を壊してしまわないようにとつけているこの手錠も、そしてこの部屋も使えるのは春までである。
けれどそれまでに夕は僕のことを愛してくれるだろうか。
道に迷ったその時に、兄弟ではなく僕を頼ってくれるのだろうか。
「夕、愛してる。だから夕も同じだけ俺に溺れて?」
縋るようにそう囁くといつだって夕の身体はぴくりと動く。
その時の彼の瞳にはほんの少しだけ僕が映っているような気がした。
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