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『夢渡り』と失われた記憶①
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翌日、いよいよ夢渡りの魔法を受けることとなった。
通された部屋はベッドと幾つかのソファーがあるだけの部屋だった。
お父様と私、アレン様、ゲラン様、イルギアス様、そしてダリス魔術師団長の6人が集まった。
ダリスは昨日より表情が険しく、目の下のくまがくっきりと見える。
(私のせいで徹夜になったのかしら。迷惑をかけて申し訳ないわ)
この時、私はまだダリスの苦悩を分かっていなかった。
「皆様、お集まりいただいたようですので、そろそろ『夢渡り』を開始いたします。アーリス様、こちらへお越しください。」
イルギアス様に誘導され、ベッドへ腰を掛ける。
「『夢渡り』について説明いたします。人は意識が無い状態でも、脳は休みなく動いています。特に魔術で強制的に意識を奪われた場合は、目覚めることはできなくても匂いや聴覚、触覚などが無意識下に動いていることがあります。
脳に記憶が残っているのにも関わらず、本人には意識が無かった=記憶が無いと認識されて思い出せないことがあるのです。アーリス様の脳に記憶が残っているかは分かりませんが、私が『夢渡り』にてアーリス様の意識に入り、失われた記憶を呼び起こすお手伝いをいたします。」
「分かりました。あの・・・『夢渡り』中はどんな状態になるんでしょうか?何かが見えるのでしょうか?」
「『夢渡り』で見える光景は掛けられた相手によって異なります。人によっては真っ白な空間にいて情景が次々と変わって見えたり、道や扉が見えたりするようです。・・・何が見えても私がついていますのでご安心ください。」
穏やかなイルギアス様の言葉を聞いていると、不思議と心の不安が消えていった。
イルギアス様は私が頷いたのを見て、ベッドの傍らのチェストを指さした。
「アーリス様、この香油を額と、手足の甲にそれぞれお塗り下さい」
ベッドの傍らのチェストには平皿とタオルが置いてあった。平皿に灰色の香油が浸されていた。触れた手で触って見たが、サラリとしていて微かにアーモンドの様な匂いがした。
私が香油を塗る間に、部屋のカーテンは全て閉められ、部屋の四隅にある燭台のロウソクが僅かな光を放っていた。薄暗くなった部屋の中でイルギアス様の声だけが響く。
「皆様、『夢渡り』は繊細な魔法です。できるだけお静かにお願いします。ご質問がある場合はアーリス様にではなく、私に仰ってください。決してアーリス様ご本人に直接お声をかけたり触れたりされませんようにお願いします。」
皆、神妙な顔で黙って頷いた。
イルギアス様は、私の傍らに戻ってくると、ベッドに横たわるよう促した。右腕を上掛けのベッドシーツの上に出して掌を上になるよう置く。
イルギアス様は自分の左掌に香油を塗ると、私の右手を握った。
「アーリス様、私の両眼を見てください。じっと見つめるとゆっくり瞼が落ちていきます。ゆっくりゆっくり・・・」
イルギアス様の両眼を見つめると、まるでその中に吸い込まれていくような感覚におそわれた。ゆっくりとその中を歩いて行く・・・。気づいたら真っ黒な空間にいた。
ーーーーーーーーーーーーーー
「アーリス様、こちらです。」
ボッと灯りが点るとイルギアス様がカンテラを持って立っていた。
カンテラに照らされた部屋には木の扉があった。
「では、行きましょうか。」
イルギアス様と一緒に扉を開けすすんでいく。扉の先には白い細長い道があった。しばらく進むと道の両側に数えきれない扉が現れた。
扉は色や形は様々で、真っ白な物、扉が歪んで開けられるのか不思議な形の物、禍々しい感じがする物などが混在していた。
どうしたらいいかわからず、キョロキョロと辺りを見廻す。
「アーリス様、全ての扉を開ける必要はありません。この扉はアーリス様の今までの人生で起こった出来事で感じた感情が仕舞われているのです。開けたいと感じた扉だけ開いてみてください。」
その言葉を聞いて何か感じる物がないか、扉に触れながら進んで行った。
蒼い濃い色の小さな扉の前で立ち止まる。扉の向こう側で子供の泣き声が聞こえてくる・・・。何故か分からないがこの扉を開けたくて堪らなくなり、その場から動けなくなってしまった。
「アーリス様、扉を開けたくなったらご遠慮なくお入りください。私も御一緒いたします。」
その言葉に安心して小さな扉を開いた。
屈まないと入れない小さな扉の先には、真っ青な部屋があった。部屋の隅には、座り込んで泣いている小さな私が居た。
「どうしたの?何故泣いているの?」
声を掛けるとピタッと泣き声が止んだ。
「お姉さん誰?」
「私?・・・私はアーリスよ。」
「私と同じ名前なの?おっきいアーリス?」
小さな私にはイルギアス様は見えていないようだった。
「そう・・・おっきいアーリスよ。どうしたの?誰かにいじめられたの?」
「ううん。・・・違うのお母様が死んじゃったの・・・だから。寂しいの。ひとりぼっちで寂しくて仕方がないの。」
小さなアーリスの瞳から、また涙がこぼれ落ちて行った。その涙を見て胸が締め付けられた。
(そうだった。お母様が死んで、お父様がすぐに再婚して・・・世界中でたった1人に・・・ひとりぼっちになってしまった気がした。でも私は感情を押し殺してしまった。悪役令嬢になるきっかけにはならなかったが、寂しくなかった訳じゃない・・・平気なフリをしただけだった。)
意識の底には、小さなアーリスがずっと泣いていたのだ。小さなアーリスが可哀想で居た堪れない気持ちになった。
驚かさないようにそっと抱き寄せて、小さな体をギュッと抱きしめた。
「お姉さんどうしたの・・・泣いているの?」
「私も寂しかったの。一緒に泣いていい?」
自分はただ、抱きしめて欲しかった。傍にいて欲しかった。かつてお母様がしてくれたように・・・。
しばらく一緒に泣いていたが、泣き疲れたのかいつの間にか小さなアーリスから泣き声が止んだ。逆に泣き続けるアーリスを慰めるように小さな手でヨシヨシと頭を撫でてくれる。
「泣かないでおっきいアーリス。一緒に泣いてくれてありがとうね。私ね。ずっと誰かに抱っこして欲しかったの。」
小さなアーリスが満面の笑顔で微笑んだ。
笑顔に応えようとした時、小さなアーリスの身体がサラサラと金色の砂になって消えていった。最後に小さなアーリスが何かを囁いていた。声は聞こえなかったが、ありがとうと聞こえた気がした・・・。
気づいたら、白い細長い道に戻っていた。
無数の扉が見えるが、先程の蒼い濃い色の小さな扉は見つけることが出来なかった。いつの間にか隣に立っていたイルギアス様に、小さなアーリスがどうなったのか尋ねてみた。
「恐らく、悲しみから解放されて昇華したのだと思います。小さなアーリス様は貴女のおかげで悲しみから立ち直ることが出来たのです。きっと同じ扉はもう現れないでしょう。」
悲しみから解放されたと言う言葉にホッとした。安堵して再び白い細長い道を歩き出した。
数えきれない程の扉の前を通り過ぎていくと・・・ふと、赤い禍々しい扉の前で足が止まった。反射的に「怖い」と呟いていた。これは私にとって良くない物だ。何があるかは分からないが、恐ろしさに身が竦む。立ち去ろうとするが足が動かない!
「アーリス様、この扉に入られますか?」
「入りたくないのですが、扉の前から足が動かなくなってしまって・・・」自分の脚を両手で持ち、方向を変えようとするがビクともしない。イルギアス様が赤い禍々しい扉に触れる。
「アーリス様、この扉は貴女様の怒りの感情が込められているようです。怒りや憎しみは人の心を蝕みます。その扉の前から離れられないのなら、向き合って解放すべきなのかもしれません。」
怒りや憎しみ・・・向き合いたくなくて押し殺した感情がこの扉の奥に有る・・・思わずイルギアス様を見ると安心させるように頷いてくださった。その姿に勇気をもらい、赤い扉を開けた。
扉を開くと、真っ赤な部屋だった。所々に黒く濁ったようなシミが出来ている。気持ち悪くて長居したくないような部屋だった。部屋の奥から女同士が言い争うような声が聞こえてきた。声のする方へ近寄っていくと私が2人いた。
2人は学園の制服を着ていた。
よく見ると1人は床に蹲り、もう1人がその姿を見下ろして一方的に責め立てているようだった。
「いつもいい子な振りをして、随分と立派な偽善者だこと。ナターシャが死ぬほど嫌いな癖に。嫌いなら反撃すればいいじゃない!」
「そんな、そんなことできないわ!だってナターシャはヒロインなのよ!悪役令嬢の私がそんなことできないわ!」
「そんなの関係ないわ!クリス様が好きなら戦えば良いじゃない!この弱虫が!」
ああ、この2人は学園時代の私だ。
学園では乙女ゲームと分かっていたから、何もかもを諦めていたけれど・・・押し殺した感情の中で、私は怒りを感じていたのだ。
ナターシャにではなく──諦めてしまった自分自身に強い怒りと憎しみを感じていた。
・・・勿論、ナターシャが嫌いだし怒りを感じないわけでは無いけれど・・・私はいつも学園で気にしていない振りをした。でもそれは平気なフリをしただけ・・・意識の底では、そんな自分自身を許せなかった・・・
勇気を振り絞って2人に声を掛ける。
「あの・・・ちょっとよろしくて?」
2人が同じタイミングで私を見た。やはり2人にはイルギアス様の姿は見えていないようだった。
「何か用?同じ顔だけどもう1人のアーリスなの?」責めていた方の私が睨むように見つめてくる。蹲っている私は無言で見つめ返して来た。
「私は未来から来たアーリスよ。貴女達が知らないことがあるの。お願いだから話を聞いて。」
2人が了承する前に、今まで起きた出来事を話し出した。
「「ナターシャが処刑された・・・ヒロインなのに!」」
驚愕して2人は一斉に叫んだ。
「クリス様は今、どうなされているのかしら」
蹲っている私が心配そうに呟いた。
「まだ、クリス様にお会いできていないの・・・でも、もうあの時のように逃げたりしない。ちゃんと向き合うわ。約束する・・・だから・・・だから・・・もうアーリスを許してあげて・・・お願いよ・・・」
私の言葉に2人の私が顔を見合わせた。
「わかったわ未来のアーリス。これからは逃げないと言うその言葉、信じて見るわ。」
「頑張ってね。未来のアーリス。」
2人は晴れ晴れしたような顔でそういうと笑った。
その直後、2人の身体がサラサラと金色の砂になって消えていった。最後に2人ともサムズアップをして消えていった・・・
気づいたら、また白い細長い道に戻っていた。
赤い禍々しい扉は、もう見つけることが出来なくなっていた。
不思議と、先程より心が軽くなった気がする。
「さあアーリス様、参りましょうか。私の感覚だと、目的の扉にはもうすぐ到着いたします。」
イルギアス様はそういうと白い細長い道を先達するように歩き出した。
通された部屋はベッドと幾つかのソファーがあるだけの部屋だった。
お父様と私、アレン様、ゲラン様、イルギアス様、そしてダリス魔術師団長の6人が集まった。
ダリスは昨日より表情が険しく、目の下のくまがくっきりと見える。
(私のせいで徹夜になったのかしら。迷惑をかけて申し訳ないわ)
この時、私はまだダリスの苦悩を分かっていなかった。
「皆様、お集まりいただいたようですので、そろそろ『夢渡り』を開始いたします。アーリス様、こちらへお越しください。」
イルギアス様に誘導され、ベッドへ腰を掛ける。
「『夢渡り』について説明いたします。人は意識が無い状態でも、脳は休みなく動いています。特に魔術で強制的に意識を奪われた場合は、目覚めることはできなくても匂いや聴覚、触覚などが無意識下に動いていることがあります。
脳に記憶が残っているのにも関わらず、本人には意識が無かった=記憶が無いと認識されて思い出せないことがあるのです。アーリス様の脳に記憶が残っているかは分かりませんが、私が『夢渡り』にてアーリス様の意識に入り、失われた記憶を呼び起こすお手伝いをいたします。」
「分かりました。あの・・・『夢渡り』中はどんな状態になるんでしょうか?何かが見えるのでしょうか?」
「『夢渡り』で見える光景は掛けられた相手によって異なります。人によっては真っ白な空間にいて情景が次々と変わって見えたり、道や扉が見えたりするようです。・・・何が見えても私がついていますのでご安心ください。」
穏やかなイルギアス様の言葉を聞いていると、不思議と心の不安が消えていった。
イルギアス様は私が頷いたのを見て、ベッドの傍らのチェストを指さした。
「アーリス様、この香油を額と、手足の甲にそれぞれお塗り下さい」
ベッドの傍らのチェストには平皿とタオルが置いてあった。平皿に灰色の香油が浸されていた。触れた手で触って見たが、サラリとしていて微かにアーモンドの様な匂いがした。
私が香油を塗る間に、部屋のカーテンは全て閉められ、部屋の四隅にある燭台のロウソクが僅かな光を放っていた。薄暗くなった部屋の中でイルギアス様の声だけが響く。
「皆様、『夢渡り』は繊細な魔法です。できるだけお静かにお願いします。ご質問がある場合はアーリス様にではなく、私に仰ってください。決してアーリス様ご本人に直接お声をかけたり触れたりされませんようにお願いします。」
皆、神妙な顔で黙って頷いた。
イルギアス様は、私の傍らに戻ってくると、ベッドに横たわるよう促した。右腕を上掛けのベッドシーツの上に出して掌を上になるよう置く。
イルギアス様は自分の左掌に香油を塗ると、私の右手を握った。
「アーリス様、私の両眼を見てください。じっと見つめるとゆっくり瞼が落ちていきます。ゆっくりゆっくり・・・」
イルギアス様の両眼を見つめると、まるでその中に吸い込まれていくような感覚におそわれた。ゆっくりとその中を歩いて行く・・・。気づいたら真っ黒な空間にいた。
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「アーリス様、こちらです。」
ボッと灯りが点るとイルギアス様がカンテラを持って立っていた。
カンテラに照らされた部屋には木の扉があった。
「では、行きましょうか。」
イルギアス様と一緒に扉を開けすすんでいく。扉の先には白い細長い道があった。しばらく進むと道の両側に数えきれない扉が現れた。
扉は色や形は様々で、真っ白な物、扉が歪んで開けられるのか不思議な形の物、禍々しい感じがする物などが混在していた。
どうしたらいいかわからず、キョロキョロと辺りを見廻す。
「アーリス様、全ての扉を開ける必要はありません。この扉はアーリス様の今までの人生で起こった出来事で感じた感情が仕舞われているのです。開けたいと感じた扉だけ開いてみてください。」
その言葉を聞いて何か感じる物がないか、扉に触れながら進んで行った。
蒼い濃い色の小さな扉の前で立ち止まる。扉の向こう側で子供の泣き声が聞こえてくる・・・。何故か分からないがこの扉を開けたくて堪らなくなり、その場から動けなくなってしまった。
「アーリス様、扉を開けたくなったらご遠慮なくお入りください。私も御一緒いたします。」
その言葉に安心して小さな扉を開いた。
屈まないと入れない小さな扉の先には、真っ青な部屋があった。部屋の隅には、座り込んで泣いている小さな私が居た。
「どうしたの?何故泣いているの?」
声を掛けるとピタッと泣き声が止んだ。
「お姉さん誰?」
「私?・・・私はアーリスよ。」
「私と同じ名前なの?おっきいアーリス?」
小さな私にはイルギアス様は見えていないようだった。
「そう・・・おっきいアーリスよ。どうしたの?誰かにいじめられたの?」
「ううん。・・・違うのお母様が死んじゃったの・・・だから。寂しいの。ひとりぼっちで寂しくて仕方がないの。」
小さなアーリスの瞳から、また涙がこぼれ落ちて行った。その涙を見て胸が締め付けられた。
(そうだった。お母様が死んで、お父様がすぐに再婚して・・・世界中でたった1人に・・・ひとりぼっちになってしまった気がした。でも私は感情を押し殺してしまった。悪役令嬢になるきっかけにはならなかったが、寂しくなかった訳じゃない・・・平気なフリをしただけだった。)
意識の底には、小さなアーリスがずっと泣いていたのだ。小さなアーリスが可哀想で居た堪れない気持ちになった。
驚かさないようにそっと抱き寄せて、小さな体をギュッと抱きしめた。
「お姉さんどうしたの・・・泣いているの?」
「私も寂しかったの。一緒に泣いていい?」
自分はただ、抱きしめて欲しかった。傍にいて欲しかった。かつてお母様がしてくれたように・・・。
しばらく一緒に泣いていたが、泣き疲れたのかいつの間にか小さなアーリスから泣き声が止んだ。逆に泣き続けるアーリスを慰めるように小さな手でヨシヨシと頭を撫でてくれる。
「泣かないでおっきいアーリス。一緒に泣いてくれてありがとうね。私ね。ずっと誰かに抱っこして欲しかったの。」
小さなアーリスが満面の笑顔で微笑んだ。
笑顔に応えようとした時、小さなアーリスの身体がサラサラと金色の砂になって消えていった。最後に小さなアーリスが何かを囁いていた。声は聞こえなかったが、ありがとうと聞こえた気がした・・・。
気づいたら、白い細長い道に戻っていた。
無数の扉が見えるが、先程の蒼い濃い色の小さな扉は見つけることが出来なかった。いつの間にか隣に立っていたイルギアス様に、小さなアーリスがどうなったのか尋ねてみた。
「恐らく、悲しみから解放されて昇華したのだと思います。小さなアーリス様は貴女のおかげで悲しみから立ち直ることが出来たのです。きっと同じ扉はもう現れないでしょう。」
悲しみから解放されたと言う言葉にホッとした。安堵して再び白い細長い道を歩き出した。
数えきれない程の扉の前を通り過ぎていくと・・・ふと、赤い禍々しい扉の前で足が止まった。反射的に「怖い」と呟いていた。これは私にとって良くない物だ。何があるかは分からないが、恐ろしさに身が竦む。立ち去ろうとするが足が動かない!
「アーリス様、この扉に入られますか?」
「入りたくないのですが、扉の前から足が動かなくなってしまって・・・」自分の脚を両手で持ち、方向を変えようとするがビクともしない。イルギアス様が赤い禍々しい扉に触れる。
「アーリス様、この扉は貴女様の怒りの感情が込められているようです。怒りや憎しみは人の心を蝕みます。その扉の前から離れられないのなら、向き合って解放すべきなのかもしれません。」
怒りや憎しみ・・・向き合いたくなくて押し殺した感情がこの扉の奥に有る・・・思わずイルギアス様を見ると安心させるように頷いてくださった。その姿に勇気をもらい、赤い扉を開けた。
扉を開くと、真っ赤な部屋だった。所々に黒く濁ったようなシミが出来ている。気持ち悪くて長居したくないような部屋だった。部屋の奥から女同士が言い争うような声が聞こえてきた。声のする方へ近寄っていくと私が2人いた。
2人は学園の制服を着ていた。
よく見ると1人は床に蹲り、もう1人がその姿を見下ろして一方的に責め立てているようだった。
「いつもいい子な振りをして、随分と立派な偽善者だこと。ナターシャが死ぬほど嫌いな癖に。嫌いなら反撃すればいいじゃない!」
「そんな、そんなことできないわ!だってナターシャはヒロインなのよ!悪役令嬢の私がそんなことできないわ!」
「そんなの関係ないわ!クリス様が好きなら戦えば良いじゃない!この弱虫が!」
ああ、この2人は学園時代の私だ。
学園では乙女ゲームと分かっていたから、何もかもを諦めていたけれど・・・押し殺した感情の中で、私は怒りを感じていたのだ。
ナターシャにではなく──諦めてしまった自分自身に強い怒りと憎しみを感じていた。
・・・勿論、ナターシャが嫌いだし怒りを感じないわけでは無いけれど・・・私はいつも学園で気にしていない振りをした。でもそれは平気なフリをしただけ・・・意識の底では、そんな自分自身を許せなかった・・・
勇気を振り絞って2人に声を掛ける。
「あの・・・ちょっとよろしくて?」
2人が同じタイミングで私を見た。やはり2人にはイルギアス様の姿は見えていないようだった。
「何か用?同じ顔だけどもう1人のアーリスなの?」責めていた方の私が睨むように見つめてくる。蹲っている私は無言で見つめ返して来た。
「私は未来から来たアーリスよ。貴女達が知らないことがあるの。お願いだから話を聞いて。」
2人が了承する前に、今まで起きた出来事を話し出した。
「「ナターシャが処刑された・・・ヒロインなのに!」」
驚愕して2人は一斉に叫んだ。
「クリス様は今、どうなされているのかしら」
蹲っている私が心配そうに呟いた。
「まだ、クリス様にお会いできていないの・・・でも、もうあの時のように逃げたりしない。ちゃんと向き合うわ。約束する・・・だから・・・だから・・・もうアーリスを許してあげて・・・お願いよ・・・」
私の言葉に2人の私が顔を見合わせた。
「わかったわ未来のアーリス。これからは逃げないと言うその言葉、信じて見るわ。」
「頑張ってね。未来のアーリス。」
2人は晴れ晴れしたような顔でそういうと笑った。
その直後、2人の身体がサラサラと金色の砂になって消えていった。最後に2人ともサムズアップをして消えていった・・・
気づいたら、また白い細長い道に戻っていた。
赤い禍々しい扉は、もう見つけることが出来なくなっていた。
不思議と、先程より心が軽くなった気がする。
「さあアーリス様、参りましょうか。私の感覚だと、目的の扉にはもうすぐ到着いたします。」
イルギアス様はそういうと白い細長い道を先達するように歩き出した。
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