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勝負の行方 そのに。
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続けて口を開こうとしたその時、背後のドアが開き、カランコロン、とついさっきも聞いた軽やかな音が耳に入った。私の真正面、そこに座るリリーは顔を上げ、入ってきた人物に驚いたように目を見開く。
つられて私も振り向いて――そこにあった知っている顔にすぐさま立ち上がり、頭を下げる。後ろ隣ではリリーも同じようにして頭を下げていた。
貴族ならば、いや、貴族でなかろうと彼の顔を知っている者は誰もが皆同じように頭を下げることだろう。
「――ああ、顔を上げてくれ。すまないな、いきなり訪ねたのは私だというのに」
「いえ、お久しぶりでございます。このような形でのご拝謁となり、誠に申し訳ございません」
貴族令嬢に似つかわしくない今の格好を詫びてから顔を上げれば、そこにいたのは黒い髪に金色の瞳を持った背の高い男性。その色彩もさることながら、非常に整った顔立ちはどことなくシャルル・アデルを思わせる。
頭に浮かんだそんな感想に、それはそうだろう、とつい先日初めてアデルの顔を見た私は納得した。
目の前の彼とアデルは従兄弟同士なのだから。
ただ異なる点といえば、整ってることは整っているものの、アデルに『綺麗』と『中性的』、なんて言葉が似合うなら、目の前の彼には『格好いい』『男らしい』という言葉が似合う、という点だろうか。
彼もお忍びで来たようで、片腕には外套がかけられている。
「今日は私用で寄らせてもらっただけだ。そこまで畏まらないでくれ」
言って苦笑する彼、ジェルマン・ビューファル殿下に私もリリーも頷いた。まさか殿下が直接訪れるとは思わなかったらしく、リリーの笑みは若干、というか大分引き攣っている。
私用とはいえ、高位貴族――それも王族ともなれば普通は侍従に使いっ走りをさせるものだ。それがまさかの本人ご登場ともなれば驚くのも頷ける。
殿下は適当に隅に置かれた椅子を引っ張ってくると私と同じように椅子の背に外套をかけ、どっかりと腰を下ろす。それを見たリリーもハッと我にかえり、慌てて腰を下ろした。
「ようこそお越しくださいました、わたくし店主のリリー・スワルモと申します。本日はどういった御用向きでしょうか」
彼女は営業用お決まりの台詞を口にし、にっこりと、今度は完璧で綺麗な笑みを浮かべた。さすが。切り替えが早い。
この言葉にちらり、と殿下が私に目を向ける。その目が自分が先でいいのか、と語るので「私はちょっと今考え中で」と返しておく。
殿下は懐から封書を取り出すと、机に滑らせた。
「先日使いの者に頼んでおいたものを受け取りに来た。確認してくれ」
この店では魔術を依頼した客が後日取りに来なければならない場合が多い。数刻やそこらでできるものではないからだ。その時、依頼主に証明書としてリリーは封書を渡す。
客が受け取りに来た際代金と証明書、そして魔術を交換する形なのだとか。
封を開けて中の書類を確認し、
「――はい、確かに。ではこちらがご依頼のものになります。本数のご確認をお願いします」
言って机の下を漁り、リリーが取り出したのは小箱に収められた小さくて細長いガラス瓶。中には水のように透明な液体が入っている。
え……魔術、なの?これが?
実物を見るのが初めてな私は思わず二人の間に割って入ってしまう。
「これで魔術なの?薬じゃなくて?」
「あら、アタリーもしかして実物を見るの初めて?」
私の反応にリリーは目を丸くして、殿下は目を細める。私が頷くとリリーは迷うように殿下の様子を窺い、それに対して「構わない」と彼から一言承諾が下りてから居住まいを正してぴん、と指を立てた。
さっきから思っていたが彼女がこうして指を立てるのは何かを説明する時の癖なのかもしれない。
「さっき説明した中で魔術は怪我を痛くない、気にならないって思い込ませられるって言ったでしょ?聞いてて思わなかった?それって一種の薬みたいだ、って」
「そうやって言われてみるとそうかも……」
改めて言われると、確かに。
さっきはとにかく魔術をどう使えばアデルとの縁談を破棄できるのか、にしか考えがいかなくって全然気づかなかった。
「あながち間違いでもないのよ?魔術師は薬を作ることも仕事の一環なの。体内に取り込んだ方が効き目が高いから、なんて言われてるけど、それより何より目に見える形の方が怪我や病気の時に『ああ、これから楽になれる』って自分も周りも安心感を感じ取りやすいしね」
「昔から魔術師は医師や薬師に頼るより確実性が高いとされ、怪我や病気に関する薬の依頼が多かった。薬師たちが出す痛みや辛さを緩和してくれるものより、魔術師が出す痛みや辛さを気にさせないものの方が使う者からすると効き目が高かったんだ。そういった背景もあり、いつからか魔術師は薬のように、または薬に術を練り込んで魔術を提供するようになったという」
殿下も魔法が使えるからか、そっち系の知識が豊富そうだ。彼の言葉にリリーも深く頷いて、薬を扱うからこそ専門に勉強しなきゃいけないの、と注釈をつける。
私はまるで授業を受けているような気分になって、へえ、と相槌を打ち、一言一句聞き逃すまいと真剣に耳を傾けた。
「魔術は暗示、って言ったでしょ?これは魔術に限った話しじゃないんだけど、自分が直接口に含むようにすればこれから楽になれる、これから魔術にかかる、って無意識のうちに更に自分で自分に暗示をかける、ってわけ。そうなることでより強力に術にかかることができるよう計算されてるのよ」
リリーの話が終わる頃を見計らって隣で本数を確認していた殿下は間違いはない、と告げて代金を机に置いた。彼女はすぐさま体の向きを変え、営業用の笑顔に戻る。
「はい、確かに。ご利用ありがとうございました」
リリーが深々と頭を下げて代金を頂戴する。てっきりそれで帰るのかと思いきや、意外にも殿下は椅子に深く寄りかかって私の方を向いた。
「――そういえばアタリー、お前はここで何をしてるんだ?」
「えっ、……いや、その、リリーに用がありまして……」
不思議そうな顔で尋ねられ、反応に困る。
私と殿下はいわゆる幼馴染という間柄だ。偶々知り合う機会があって以来の仲で、昔からよく面倒を見てもらったし、相談にも乗ってくれた彼は私の中でいいお兄さん的存在。身分が上の彼にこう言うのはなんだが、私の知り合いや周りにいる男性の中で一番まともな人だ。
何より私がシャルル・アデルを避けるのに一役買ってくれたのも殿下だ。どの夜会や茶会に出席して欠席するのか、親切に教えてくれて手回しや手助けもしてくれていた。
だから信頼してるし、信用もしてる……が、今回ばかりは言うわけにはいかない。
しどろもどろに誤魔化していると、「まあちょうどよかった」と懐から取り出した手紙を差し出される。
受け取って宛名を見るも、何も書かれていない。
「なんですか、これ」
開けるのも躊躇われて聞いてみると、なんてことないように返される。
「シャルルからだ」
「――――」
「……そんな顔するな」
これよ、これ。今回の件を言うわけに行かないのは、殿下に話してあいつの耳に入らないとも限らないからだ。
従兄弟同士というのもあるんだろうけど、殿下とアデルはこれで意外と気が合うらしく、昔からよく一緒にいるんだと前から聞いている。
あっちは遊び人で、殿下は硬派なのに。
――いや、そのおかげで情報がもらえているわけだけれども!
開けなくてもいいかなこれ、なんて思うものの、殿下は私が封を開けるまで帰る気はないらしく、鋭い眼光にまるで見張られるように見据えられる。
誰だ、王子に使いっ走りさせた奴は。あいつか、あいつよね?……恨むからな。
できればこのまま捨ててしまいたいけど、無言で見つめられ続けるのはとても居心地が悪く、早く逃れたい一心で仕方なく封を開けた。
……兄として慕ってきた彼に私が弱いというのもある。
開けてみると入っていたのはたった一枚の簡素な便箋のみ。
『何をどうするかは君に任せるけど、仮に賭け事系を持ちかけるなら今日から四日後、あの広場で』
たったの数行だけが達筆で埋まったそんな簡素な文面は、今日の日付で締め括られている。
――そういえばあの日、あのまま飛び出してきたから今後についての予定は立てていなかったっけ。
ここにきて自分の迂闊さを思い出す。と同時になぜその手紙を殿下が持ってきたのかが分からず、私を見張る彼と視線を合わせると、ああ、と呟いて、
「そのままお前宛に出しても目を通さないことは明らかだからな。預かってきた」
「……」
否定できないところがなんとも情けない。穴があったら是非とも入らせて欲しい。
それにしても。
殿下がまさか自分から使いっ走りを任されてきたとは思わなかった。やはり昔から知った仲だと、行動はいとも簡単に読まれてしまうらしい。
「ん、そろそろ行かないといけないな。この辺で失礼させてもらおう」
懐中時計を確認して立ち上がり、殿下は外套を身に纏いながら苦笑する。
「あれは少し性格こそ悪いが、そこまで悪い奴ではない。そこまで邪険にしてやるな」
リリーに礼を言い、小箱を手に店を出て行くその背を見送りながら思う。
少しか?と。大分性格が悪い、の間違いだと思うけど。
そんなことを考えながら手紙の端をいじいじと弄る私の肩を、トントンとリリーが叩いて呼ぶ。
なに?と振り返れば勝ち気で綺麗なリリーの顔が予想以上に間近にあって、思わずうわっ、と声を上げてしまう。それに構わず私の顔を覗き込むリリーは目をパチパチさせ、
「私、アタリーが素で男性と話してるのは初めてみたわ」
「ま、まあね。殿下くらいじゃないかな、こんな風に話せるのは」
ああでも、嫌味と皮肉を込めてならシャルル・アデルにも同じような態度が取れてるかも。
頭の中でそんなことを語尾に付け足していると、驚いたように口元に手をやるリリーは私の返答にさらに目を丸くして、何度も瞬く。
「――ねえ、それなら殿下はアタリーの理想そのものじゃないの?」
「えっ?」
その言葉に今度は私が目を丸くする。手紙の端から手を離し、体ごと彼女に向き直った。
間近にある彼女の瞳に呆気にとられた私の間抜け顔が写っている。
「いや、まあダメ男ではないよね。条件には何一つ当てはまらないし」
「次代の国王陛下にその条件が当てはまったらそれもそれで嫌だけどね。……でも、そうならいいお相手なんじゃないの?」
頬杖をつくリリーの言葉を今ひとつ理解できなくて、頭の中で何度も反芻する。――相手?相手って、つまり伴侶ってこと?彼が?私の?…………、
「えっ、ないない。それは絶対ないわよ」
確かにダメ男たる条件には何一つ当てはまらないが、殿下をそういう目で見たことなんて一度もなかったし、これからだって到底考えられない。
慌てて否定するも、リリーは不思議そうに言葉を重ねてくる。
「なんで?条件はいいんでしょ?家格も釣り合ってるじゃないの」
「さすがにそれはない。そもそも殿下は私を妹を可愛がるような感じで接してくれてるのよ?私だって『兄様』のようにしか見てないわよ」
殿下は上に姉が二人いるものの、弟妹はいない。そのため歳の離れた私を実の妹のように可愛がってくれていた。
だから私も彼を兄のように思ってきて、幼い頃からずっとそういう風に見てきたのだからその考えが刷り込みきられた今、見方が変わることは万が一にもない。それはあっちだってそうだろう。
これだけは絶対の絶対に断言できる。
――それに。
興味津々、といった風に目を輝かせるリリーに内心ため息を吐く。
社交界に噂の一つも立っていないが、実は殿下はとある令嬢に片想い中なのだ。ちなみに相手は私も知らない。
昔から負の感情を表に出さない彼がごく稀にその感情を――落ち込みぶりを表に出すことがある。それが意中の人に振られたからだということを知ってしまったのは、子供ゆえの無邪気さで問いただしてしまってから。
それでもめげずに振られ続けて数年、最近はそんなやりとりにさえ楽しみを見出しているようで、あの殿下から意外なことにもよく惚気られる。その度にお相手のご令嬢を憐れんでしまう私はきっと普通の感性をしていると信じたい。というか、そもそも容姿も中身も完璧で、王子である殿下を振り続けるとはお相手の令嬢もなかなかどうして大したものだと最近では思うようになってきた。
彼から又聞きした話の客観的な意見を述べさせてもらうと、どこぞの誰かさんは殿下を煽っているようだし。……今思うとあいつは絶対楽しんでるとしか思えないんだけど。
と、それは一旦置いといて。
そんなに夢中なご令嬢がいるならば私なんぞ、というかそのご令嬢以外は皆眼中になどないだろう。
それを思うと、改めて恋とはすごいものなのだと実感させられる。あの堅物を絵に描いたような殿下でさえそうなってしまうのだし、私の両親の例にもあるとおり、好きになればそのダメさにも惹かれ魅力的に写ってしまうというのだから、いやはや素敵を通り越して恋とは恐ろしい。
しかしそれをリリーに言うわけにもいかない。いくら口が固いとはいえ、友人とはいえ、他人に言いふらされるのを殿下は望まないだろうし、私もしたくない。
――というわけで。
「話が逸れてたけど、そろそろ本題に入ってもいい?」
なあなあで済ますには話題を変えるに尽きる。そこでさっきふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「魔術薬、っていうの?ここがよくわからないんだけど、それは目的に応じて色々な種類を作り出せるもの?」
「できるわよ。でもそれは新しく魔術を作るってことになるわね。その複雑さにもよるけど、時間も料金も変わってくるわよ?従来の術式ならそれほどでもないけど、新しく作り出さなきゃならないとなると、特に金額は膨れ上がるわ」
「お金の心配はしないで、お小遣いはきちんと貯めてきたんだから」
あまり使う機会もなかったので、改めて金額を確認したところこれが意外と溜まっていたのだ。
もしかすると貯まったお小遣いでは足りないかもしれない。が、その時はその時。そこは分割払いにできないか相談させてもらおう。
「じゃあどんな魔術がいい?効能の希望は決まってる?」
問題はそこだ。
単純にシャルル・アデルが断るよう暗示をかけてもらうのは簡単。でもそこから簡単に物事が進まないだろうことはさっき考えた通り。そうならないためには両親が反対の声をあげにくいような、もっと明確で縁談が続けにくい理由が必要になる。
ならば、どうするのが最善か。
そもそも魔術を抜きにしたなら、どうすれば成功率が高くなるか。
今回の場合、あくまでも魔術は『仮にこんな現実だったなら周りも無理には進めないだろう』という「仮に」を補うものだと考えよう。そうした方が今回は都合がいい。……となると。
――いっそ、恋人を作るなんてどうだろう。
恋愛結婚が尊ばれる今、とっとと恋人を作ってしまえば簡単には縁談を進められなくなる。両家ともに恋仲の二人を無理やり引き裂いては、相手側からどんな噂を流されるか分からない。
噂は恐ろしい。一度煙が上ってしまうと火を消すのには相当な労力を要すことになり、お互いただでは済むまい。高位貴族とはいえ目に見える形で存在しない『噂』を揉み消すのは簡単なことではない。家名に甚大な被害を被る可能性と、利益もなにもない縁談。どちらを取るかは火を見るよりも明らか。
ただここで問題になるのは、そう思い通りに好きな人、ひいては恋人ができるか。
個人差はあるだろうが、普通なら時間をかけないと解決できないという致命的なまでのつまずきを起こすこの問題点。
それが、シャンタルが勧めてくれたようにリリーの力を頼るとたちまち解決できてしまう。
要は惚れ薬を使えばいいのだ。
こちらが想いを寄せていなくても相手が自分に好意を持ってくれている場合、リリーの作る惚れ薬を用いて自分も相手を好きになって、後は告白なりなんなりすればいい話。
しかし、それは相手が自分に好意を持っている、という前提がなければならない。
そして残念ながら私の周りには家格と将来性のみに目を向ける男が集まるばかりで、私自身へ好意を向ける者がおらず。……まあ、どのみちそのどちらもがなくなった私には彼らも必要性を見出さないだろうが。
自分を卑下するつもりはないが、かといって過大評価するつもりもない。
その事実を考慮すればいくらなんでもすぐに私に恋人ができる、というのは無理がある。相手に飲ませるのも一つの手ではあるが、「これ飲んでくれる?」なんて言われて飲む馬鹿はいないし、無理矢理飲ませたら最悪何か法に触れてしまう恐れもある。魔法も魔術も縁がなく、関係ないからと詳しくは覚えていないが、確か魔術に関する法律も存在したはずだ。感情を曲げる力を持つのだから、強制することが法律に触れる恐れは充分にある。
なにより例え好かれているとの前提があったとしても、相手がダメ男の条件を含んでいる限り私としては使いたくない手段だ。
そうすると、自ずと選択は一つに絞られる。
彼は自分から言ったのだ。悪評を流すでも、賭けを持ち込むも好きにしろ、と。言ったからには覚悟ができているはずだ。
なれば、その言葉に従わせてもらおうじゃない。
「惚れ薬の効能はどれくらい持続するの?あと、その効力の範囲はどこまで?」
この言葉に一瞬キョトン、とリリーは呆けたものの、すぐさまそうね、と口に手を当て、
「流石に一生は持続しないわ。ただ、定期的に使い続ける、もしくは長期間持続するものを使うと、その効果が切れても『自分はその相手を好きだ』って思い込みは一生なくならない。長くその感情に支配されてたからか、後遺症のようにその気持ちはずっと――それこそ死ぬまであり続けるわ。効力の範囲は術側で設定可能で、対象を一人に絞るのも、条件に当てはまる中から無作為に選択することも可能よ。――嫌がらせにしか使えないけど、もちろん性別の垣根も超えて、ね」
「なるほど。好きになれる人と、なれない人。それをこっちが決められるのは便利ね。じゃあ大雑把に未婚で恋人のいない妙齢の貴族令嬢の中から、もできるってことよね?」
「もちろん。逆に条件もなにもつけないで使うと危ないわよ~。だって、誰・で・も・好きになるんだから」
確かに条件もつけず、範囲も選定せずにいたら大惨事が起こること間違いなしだ。
だって、もし何の条件もない惚れ薬をシャルル・アデルが使い、選んだのが既婚女性なら? お婆さんだったら? はたまた侍女だったら? ――なまじ顔が良いだけに、泥沼の予感しかしない。
私は決して事を大きくすることを望んでるわけではないのだ。
「ねえ、リリー……」
とりあえずの疑問が解決したことで、私の頭の中には一つだけ、絶対に彼を負かせられる案が浮かび上がった。それをリリーに伝えれば、彼女は私の希望を紙に書き取っていく。そしてやがて筆を置くとふふ、と勝ち気なその目を細めて満足げに笑った。
「どうしたの?」
「こんなご時世だからねー、惚れ薬なんて知ってる人も少ないし、買いに来る人はもっと少ない。いえ、いないに等しいもの。腕がなるわぁ」
「でも買う人もいるんだね」
首を傾げるとそりゃあね、とリリーは頷き、
「個人情報だから詳しくは言えないけど、貴族に限らずほら、大恋愛して結婚したはいいものの実際には予想と違って~、とか、自分だけじゃお金が稼げなくて、でも子供と離れたくないから離婚できない、とか」
「へー」
喋りながら横から一枚書類を取り出し、紙束をめくって何かを確かめるように紙面に目を落とす。それと同時に器用にも横の書類に何かを書き込んでいき、少ししてよし、と呟き紙束を閉じる。
「これくらいならそこまで多くは取らないわ。――とはいえ惚れ薬自体が高いからなんとも言えないけど」
言って机の下から封筒を取り出し、折り畳んだ書類を丁寧に入れると封蝋を押した。青色の封蝋は商人用のもの。小瓶の形がくっきりと綺麗につけられている。
「どれくらいでできそう?希望を言えるなら四日以内がいいんだけど」
「そうねえ。この内容なら新しく術を作るわけじゃないし、元の術を応用する形でしょうから……ギリギリ四日ほどね」
「わかった。なら四日後に朝一番で来るわ」
「なに、急ぎなの?」
朝一番、に反応した彼女は眉をひそめ、それに私が苦笑いすると突然目を見開いてあっ!と大声を上げた。急なことに肩が跳ねる。
「そうそう!魔術薬は子供用に甘めとか、無味無臭とか味も選べるのよ。でもシャルル様用なら味はいらないわよね?」
最後の確認、と言うように確かめる彼女に頷きかけて――いや、待てよ、と思い直す。確かシャルル・アデルは――。
「ううん、とびっきり甘い味でお願い」
むしろ身を乗り出して言えば、そう?とのけ反りながらリリーは返す。
ふふふふふ。
思わぬところで思わぬ嫌がらせができそうで、ニヤリ、と意地悪く笑う。その私の顔を間近からリリーの手が鷲掴みにして、邪魔、とでも言いたげに強引に押し返された。
押し戻されたことでハッと正気を取り戻し、恥ずかしさから一つ咳払いをする。そんな私をリリーは生暖かい目で見てくるのがいたたまれない。ので、一つで終わらずゴホゴホわざとらしく咳を繰り返した。途中から本当にむせ出してしまい、馬鹿ね~と呆れられながらリリーに背中を叩いてもらう。
「それじゃあよろしくね」
「はいはい、気をつけて」
ようやく収まって立ち上がり、封筒を受け取って外套を羽織ると、リリーは座ったままひらひらと片手を振って見送る姿勢。それに促されて外に出る。
扉からニ、三歩離れ敷地から完全に出てしまうと、不思議とそれだけで一気に夢の中から現実へと引き戻された気がした。
思わず今出てきたばかりの店を振り返ってみる。
当たり前のことだけど、店はなくなったりしていない。変わらずそこには白と黒の花束が軒先に飾られた、周りと同じ造りの一見して店とは分からない店が佇んでいる。そのことに安堵して、一つ深呼吸をしてから迎えの馬車が待っているだろう大通りまで一人歩き出す。住宅街だというのに昼間の今はあまり人気を感じられない。皆働きに出たり、遊びに出かけたりしているのだろうか。
「っんー……」
細い路地だというのに案外日当たりはいい。空気も爽やかで、外だというのに思わず大きく伸びをしてしまう。誰も見ていないのだから、これくらいいいだろう。
ここはずっと同じ景観が続くせいか、身を置いていると一本道だというのに迷ってしまったような感覚を思わせる。それはどこかあの日あの森で迷った出来事と似通っていて、私はちょっと楽しくなってきてしまい、天気がいいことも合わさって来た時とは違い意識してゆっくり歩いて行くことにした。
自分の服や髪から時々香る甘いような爽やかなようなあの店独特の匂いが彼女との会話を思い起こさせ、それが四日後をも妄想させるから、私は散歩を楽しみながらニヤニヤと緩む頬が抑えられなかった。
つられて私も振り向いて――そこにあった知っている顔にすぐさま立ち上がり、頭を下げる。後ろ隣ではリリーも同じようにして頭を下げていた。
貴族ならば、いや、貴族でなかろうと彼の顔を知っている者は誰もが皆同じように頭を下げることだろう。
「――ああ、顔を上げてくれ。すまないな、いきなり訪ねたのは私だというのに」
「いえ、お久しぶりでございます。このような形でのご拝謁となり、誠に申し訳ございません」
貴族令嬢に似つかわしくない今の格好を詫びてから顔を上げれば、そこにいたのは黒い髪に金色の瞳を持った背の高い男性。その色彩もさることながら、非常に整った顔立ちはどことなくシャルル・アデルを思わせる。
頭に浮かんだそんな感想に、それはそうだろう、とつい先日初めてアデルの顔を見た私は納得した。
目の前の彼とアデルは従兄弟同士なのだから。
ただ異なる点といえば、整ってることは整っているものの、アデルに『綺麗』と『中性的』、なんて言葉が似合うなら、目の前の彼には『格好いい』『男らしい』という言葉が似合う、という点だろうか。
彼もお忍びで来たようで、片腕には外套がかけられている。
「今日は私用で寄らせてもらっただけだ。そこまで畏まらないでくれ」
言って苦笑する彼、ジェルマン・ビューファル殿下に私もリリーも頷いた。まさか殿下が直接訪れるとは思わなかったらしく、リリーの笑みは若干、というか大分引き攣っている。
私用とはいえ、高位貴族――それも王族ともなれば普通は侍従に使いっ走りをさせるものだ。それがまさかの本人ご登場ともなれば驚くのも頷ける。
殿下は適当に隅に置かれた椅子を引っ張ってくると私と同じように椅子の背に外套をかけ、どっかりと腰を下ろす。それを見たリリーもハッと我にかえり、慌てて腰を下ろした。
「ようこそお越しくださいました、わたくし店主のリリー・スワルモと申します。本日はどういった御用向きでしょうか」
彼女は営業用お決まりの台詞を口にし、にっこりと、今度は完璧で綺麗な笑みを浮かべた。さすが。切り替えが早い。
この言葉にちらり、と殿下が私に目を向ける。その目が自分が先でいいのか、と語るので「私はちょっと今考え中で」と返しておく。
殿下は懐から封書を取り出すと、机に滑らせた。
「先日使いの者に頼んでおいたものを受け取りに来た。確認してくれ」
この店では魔術を依頼した客が後日取りに来なければならない場合が多い。数刻やそこらでできるものではないからだ。その時、依頼主に証明書としてリリーは封書を渡す。
客が受け取りに来た際代金と証明書、そして魔術を交換する形なのだとか。
封を開けて中の書類を確認し、
「――はい、確かに。ではこちらがご依頼のものになります。本数のご確認をお願いします」
言って机の下を漁り、リリーが取り出したのは小箱に収められた小さくて細長いガラス瓶。中には水のように透明な液体が入っている。
え……魔術、なの?これが?
実物を見るのが初めてな私は思わず二人の間に割って入ってしまう。
「これで魔術なの?薬じゃなくて?」
「あら、アタリーもしかして実物を見るの初めて?」
私の反応にリリーは目を丸くして、殿下は目を細める。私が頷くとリリーは迷うように殿下の様子を窺い、それに対して「構わない」と彼から一言承諾が下りてから居住まいを正してぴん、と指を立てた。
さっきから思っていたが彼女がこうして指を立てるのは何かを説明する時の癖なのかもしれない。
「さっき説明した中で魔術は怪我を痛くない、気にならないって思い込ませられるって言ったでしょ?聞いてて思わなかった?それって一種の薬みたいだ、って」
「そうやって言われてみるとそうかも……」
改めて言われると、確かに。
さっきはとにかく魔術をどう使えばアデルとの縁談を破棄できるのか、にしか考えがいかなくって全然気づかなかった。
「あながち間違いでもないのよ?魔術師は薬を作ることも仕事の一環なの。体内に取り込んだ方が効き目が高いから、なんて言われてるけど、それより何より目に見える形の方が怪我や病気の時に『ああ、これから楽になれる』って自分も周りも安心感を感じ取りやすいしね」
「昔から魔術師は医師や薬師に頼るより確実性が高いとされ、怪我や病気に関する薬の依頼が多かった。薬師たちが出す痛みや辛さを緩和してくれるものより、魔術師が出す痛みや辛さを気にさせないものの方が使う者からすると効き目が高かったんだ。そういった背景もあり、いつからか魔術師は薬のように、または薬に術を練り込んで魔術を提供するようになったという」
殿下も魔法が使えるからか、そっち系の知識が豊富そうだ。彼の言葉にリリーも深く頷いて、薬を扱うからこそ専門に勉強しなきゃいけないの、と注釈をつける。
私はまるで授業を受けているような気分になって、へえ、と相槌を打ち、一言一句聞き逃すまいと真剣に耳を傾けた。
「魔術は暗示、って言ったでしょ?これは魔術に限った話しじゃないんだけど、自分が直接口に含むようにすればこれから楽になれる、これから魔術にかかる、って無意識のうちに更に自分で自分に暗示をかける、ってわけ。そうなることでより強力に術にかかることができるよう計算されてるのよ」
リリーの話が終わる頃を見計らって隣で本数を確認していた殿下は間違いはない、と告げて代金を机に置いた。彼女はすぐさま体の向きを変え、営業用の笑顔に戻る。
「はい、確かに。ご利用ありがとうございました」
リリーが深々と頭を下げて代金を頂戴する。てっきりそれで帰るのかと思いきや、意外にも殿下は椅子に深く寄りかかって私の方を向いた。
「――そういえばアタリー、お前はここで何をしてるんだ?」
「えっ、……いや、その、リリーに用がありまして……」
不思議そうな顔で尋ねられ、反応に困る。
私と殿下はいわゆる幼馴染という間柄だ。偶々知り合う機会があって以来の仲で、昔からよく面倒を見てもらったし、相談にも乗ってくれた彼は私の中でいいお兄さん的存在。身分が上の彼にこう言うのはなんだが、私の知り合いや周りにいる男性の中で一番まともな人だ。
何より私がシャルル・アデルを避けるのに一役買ってくれたのも殿下だ。どの夜会や茶会に出席して欠席するのか、親切に教えてくれて手回しや手助けもしてくれていた。
だから信頼してるし、信用もしてる……が、今回ばかりは言うわけにはいかない。
しどろもどろに誤魔化していると、「まあちょうどよかった」と懐から取り出した手紙を差し出される。
受け取って宛名を見るも、何も書かれていない。
「なんですか、これ」
開けるのも躊躇われて聞いてみると、なんてことないように返される。
「シャルルからだ」
「――――」
「……そんな顔するな」
これよ、これ。今回の件を言うわけに行かないのは、殿下に話してあいつの耳に入らないとも限らないからだ。
従兄弟同士というのもあるんだろうけど、殿下とアデルはこれで意外と気が合うらしく、昔からよく一緒にいるんだと前から聞いている。
あっちは遊び人で、殿下は硬派なのに。
――いや、そのおかげで情報がもらえているわけだけれども!
開けなくてもいいかなこれ、なんて思うものの、殿下は私が封を開けるまで帰る気はないらしく、鋭い眼光にまるで見張られるように見据えられる。
誰だ、王子に使いっ走りさせた奴は。あいつか、あいつよね?……恨むからな。
できればこのまま捨ててしまいたいけど、無言で見つめられ続けるのはとても居心地が悪く、早く逃れたい一心で仕方なく封を開けた。
……兄として慕ってきた彼に私が弱いというのもある。
開けてみると入っていたのはたった一枚の簡素な便箋のみ。
『何をどうするかは君に任せるけど、仮に賭け事系を持ちかけるなら今日から四日後、あの広場で』
たったの数行だけが達筆で埋まったそんな簡素な文面は、今日の日付で締め括られている。
――そういえばあの日、あのまま飛び出してきたから今後についての予定は立てていなかったっけ。
ここにきて自分の迂闊さを思い出す。と同時になぜその手紙を殿下が持ってきたのかが分からず、私を見張る彼と視線を合わせると、ああ、と呟いて、
「そのままお前宛に出しても目を通さないことは明らかだからな。預かってきた」
「……」
否定できないところがなんとも情けない。穴があったら是非とも入らせて欲しい。
それにしても。
殿下がまさか自分から使いっ走りを任されてきたとは思わなかった。やはり昔から知った仲だと、行動はいとも簡単に読まれてしまうらしい。
「ん、そろそろ行かないといけないな。この辺で失礼させてもらおう」
懐中時計を確認して立ち上がり、殿下は外套を身に纏いながら苦笑する。
「あれは少し性格こそ悪いが、そこまで悪い奴ではない。そこまで邪険にしてやるな」
リリーに礼を言い、小箱を手に店を出て行くその背を見送りながら思う。
少しか?と。大分性格が悪い、の間違いだと思うけど。
そんなことを考えながら手紙の端をいじいじと弄る私の肩を、トントンとリリーが叩いて呼ぶ。
なに?と振り返れば勝ち気で綺麗なリリーの顔が予想以上に間近にあって、思わずうわっ、と声を上げてしまう。それに構わず私の顔を覗き込むリリーは目をパチパチさせ、
「私、アタリーが素で男性と話してるのは初めてみたわ」
「ま、まあね。殿下くらいじゃないかな、こんな風に話せるのは」
ああでも、嫌味と皮肉を込めてならシャルル・アデルにも同じような態度が取れてるかも。
頭の中でそんなことを語尾に付け足していると、驚いたように口元に手をやるリリーは私の返答にさらに目を丸くして、何度も瞬く。
「――ねえ、それなら殿下はアタリーの理想そのものじゃないの?」
「えっ?」
その言葉に今度は私が目を丸くする。手紙の端から手を離し、体ごと彼女に向き直った。
間近にある彼女の瞳に呆気にとられた私の間抜け顔が写っている。
「いや、まあダメ男ではないよね。条件には何一つ当てはまらないし」
「次代の国王陛下にその条件が当てはまったらそれもそれで嫌だけどね。……でも、そうならいいお相手なんじゃないの?」
頬杖をつくリリーの言葉を今ひとつ理解できなくて、頭の中で何度も反芻する。――相手?相手って、つまり伴侶ってこと?彼が?私の?…………、
「えっ、ないない。それは絶対ないわよ」
確かにダメ男たる条件には何一つ当てはまらないが、殿下をそういう目で見たことなんて一度もなかったし、これからだって到底考えられない。
慌てて否定するも、リリーは不思議そうに言葉を重ねてくる。
「なんで?条件はいいんでしょ?家格も釣り合ってるじゃないの」
「さすがにそれはない。そもそも殿下は私を妹を可愛がるような感じで接してくれてるのよ?私だって『兄様』のようにしか見てないわよ」
殿下は上に姉が二人いるものの、弟妹はいない。そのため歳の離れた私を実の妹のように可愛がってくれていた。
だから私も彼を兄のように思ってきて、幼い頃からずっとそういう風に見てきたのだからその考えが刷り込みきられた今、見方が変わることは万が一にもない。それはあっちだってそうだろう。
これだけは絶対の絶対に断言できる。
――それに。
興味津々、といった風に目を輝かせるリリーに内心ため息を吐く。
社交界に噂の一つも立っていないが、実は殿下はとある令嬢に片想い中なのだ。ちなみに相手は私も知らない。
昔から負の感情を表に出さない彼がごく稀にその感情を――落ち込みぶりを表に出すことがある。それが意中の人に振られたからだということを知ってしまったのは、子供ゆえの無邪気さで問いただしてしまってから。
それでもめげずに振られ続けて数年、最近はそんなやりとりにさえ楽しみを見出しているようで、あの殿下から意外なことにもよく惚気られる。その度にお相手のご令嬢を憐れんでしまう私はきっと普通の感性をしていると信じたい。というか、そもそも容姿も中身も完璧で、王子である殿下を振り続けるとはお相手の令嬢もなかなかどうして大したものだと最近では思うようになってきた。
彼から又聞きした話の客観的な意見を述べさせてもらうと、どこぞの誰かさんは殿下を煽っているようだし。……今思うとあいつは絶対楽しんでるとしか思えないんだけど。
と、それは一旦置いといて。
そんなに夢中なご令嬢がいるならば私なんぞ、というかそのご令嬢以外は皆眼中になどないだろう。
それを思うと、改めて恋とはすごいものなのだと実感させられる。あの堅物を絵に描いたような殿下でさえそうなってしまうのだし、私の両親の例にもあるとおり、好きになればそのダメさにも惹かれ魅力的に写ってしまうというのだから、いやはや素敵を通り越して恋とは恐ろしい。
しかしそれをリリーに言うわけにもいかない。いくら口が固いとはいえ、友人とはいえ、他人に言いふらされるのを殿下は望まないだろうし、私もしたくない。
――というわけで。
「話が逸れてたけど、そろそろ本題に入ってもいい?」
なあなあで済ますには話題を変えるに尽きる。そこでさっきふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「魔術薬、っていうの?ここがよくわからないんだけど、それは目的に応じて色々な種類を作り出せるもの?」
「できるわよ。でもそれは新しく魔術を作るってことになるわね。その複雑さにもよるけど、時間も料金も変わってくるわよ?従来の術式ならそれほどでもないけど、新しく作り出さなきゃならないとなると、特に金額は膨れ上がるわ」
「お金の心配はしないで、お小遣いはきちんと貯めてきたんだから」
あまり使う機会もなかったので、改めて金額を確認したところこれが意外と溜まっていたのだ。
もしかすると貯まったお小遣いでは足りないかもしれない。が、その時はその時。そこは分割払いにできないか相談させてもらおう。
「じゃあどんな魔術がいい?効能の希望は決まってる?」
問題はそこだ。
単純にシャルル・アデルが断るよう暗示をかけてもらうのは簡単。でもそこから簡単に物事が進まないだろうことはさっき考えた通り。そうならないためには両親が反対の声をあげにくいような、もっと明確で縁談が続けにくい理由が必要になる。
ならば、どうするのが最善か。
そもそも魔術を抜きにしたなら、どうすれば成功率が高くなるか。
今回の場合、あくまでも魔術は『仮にこんな現実だったなら周りも無理には進めないだろう』という「仮に」を補うものだと考えよう。そうした方が今回は都合がいい。……となると。
――いっそ、恋人を作るなんてどうだろう。
恋愛結婚が尊ばれる今、とっとと恋人を作ってしまえば簡単には縁談を進められなくなる。両家ともに恋仲の二人を無理やり引き裂いては、相手側からどんな噂を流されるか分からない。
噂は恐ろしい。一度煙が上ってしまうと火を消すのには相当な労力を要すことになり、お互いただでは済むまい。高位貴族とはいえ目に見える形で存在しない『噂』を揉み消すのは簡単なことではない。家名に甚大な被害を被る可能性と、利益もなにもない縁談。どちらを取るかは火を見るよりも明らか。
ただここで問題になるのは、そう思い通りに好きな人、ひいては恋人ができるか。
個人差はあるだろうが、普通なら時間をかけないと解決できないという致命的なまでのつまずきを起こすこの問題点。
それが、シャンタルが勧めてくれたようにリリーの力を頼るとたちまち解決できてしまう。
要は惚れ薬を使えばいいのだ。
こちらが想いを寄せていなくても相手が自分に好意を持ってくれている場合、リリーの作る惚れ薬を用いて自分も相手を好きになって、後は告白なりなんなりすればいい話。
しかし、それは相手が自分に好意を持っている、という前提がなければならない。
そして残念ながら私の周りには家格と将来性のみに目を向ける男が集まるばかりで、私自身へ好意を向ける者がおらず。……まあ、どのみちそのどちらもがなくなった私には彼らも必要性を見出さないだろうが。
自分を卑下するつもりはないが、かといって過大評価するつもりもない。
その事実を考慮すればいくらなんでもすぐに私に恋人ができる、というのは無理がある。相手に飲ませるのも一つの手ではあるが、「これ飲んでくれる?」なんて言われて飲む馬鹿はいないし、無理矢理飲ませたら最悪何か法に触れてしまう恐れもある。魔法も魔術も縁がなく、関係ないからと詳しくは覚えていないが、確か魔術に関する法律も存在したはずだ。感情を曲げる力を持つのだから、強制することが法律に触れる恐れは充分にある。
なにより例え好かれているとの前提があったとしても、相手がダメ男の条件を含んでいる限り私としては使いたくない手段だ。
そうすると、自ずと選択は一つに絞られる。
彼は自分から言ったのだ。悪評を流すでも、賭けを持ち込むも好きにしろ、と。言ったからには覚悟ができているはずだ。
なれば、その言葉に従わせてもらおうじゃない。
「惚れ薬の効能はどれくらい持続するの?あと、その効力の範囲はどこまで?」
この言葉に一瞬キョトン、とリリーは呆けたものの、すぐさまそうね、と口に手を当て、
「流石に一生は持続しないわ。ただ、定期的に使い続ける、もしくは長期間持続するものを使うと、その効果が切れても『自分はその相手を好きだ』って思い込みは一生なくならない。長くその感情に支配されてたからか、後遺症のようにその気持ちはずっと――それこそ死ぬまであり続けるわ。効力の範囲は術側で設定可能で、対象を一人に絞るのも、条件に当てはまる中から無作為に選択することも可能よ。――嫌がらせにしか使えないけど、もちろん性別の垣根も超えて、ね」
「なるほど。好きになれる人と、なれない人。それをこっちが決められるのは便利ね。じゃあ大雑把に未婚で恋人のいない妙齢の貴族令嬢の中から、もできるってことよね?」
「もちろん。逆に条件もなにもつけないで使うと危ないわよ~。だって、誰・で・も・好きになるんだから」
確かに条件もつけず、範囲も選定せずにいたら大惨事が起こること間違いなしだ。
だって、もし何の条件もない惚れ薬をシャルル・アデルが使い、選んだのが既婚女性なら? お婆さんだったら? はたまた侍女だったら? ――なまじ顔が良いだけに、泥沼の予感しかしない。
私は決して事を大きくすることを望んでるわけではないのだ。
「ねえ、リリー……」
とりあえずの疑問が解決したことで、私の頭の中には一つだけ、絶対に彼を負かせられる案が浮かび上がった。それをリリーに伝えれば、彼女は私の希望を紙に書き取っていく。そしてやがて筆を置くとふふ、と勝ち気なその目を細めて満足げに笑った。
「どうしたの?」
「こんなご時世だからねー、惚れ薬なんて知ってる人も少ないし、買いに来る人はもっと少ない。いえ、いないに等しいもの。腕がなるわぁ」
「でも買う人もいるんだね」
首を傾げるとそりゃあね、とリリーは頷き、
「個人情報だから詳しくは言えないけど、貴族に限らずほら、大恋愛して結婚したはいいものの実際には予想と違って~、とか、自分だけじゃお金が稼げなくて、でも子供と離れたくないから離婚できない、とか」
「へー」
喋りながら横から一枚書類を取り出し、紙束をめくって何かを確かめるように紙面に目を落とす。それと同時に器用にも横の書類に何かを書き込んでいき、少ししてよし、と呟き紙束を閉じる。
「これくらいならそこまで多くは取らないわ。――とはいえ惚れ薬自体が高いからなんとも言えないけど」
言って机の下から封筒を取り出し、折り畳んだ書類を丁寧に入れると封蝋を押した。青色の封蝋は商人用のもの。小瓶の形がくっきりと綺麗につけられている。
「どれくらいでできそう?希望を言えるなら四日以内がいいんだけど」
「そうねえ。この内容なら新しく術を作るわけじゃないし、元の術を応用する形でしょうから……ギリギリ四日ほどね」
「わかった。なら四日後に朝一番で来るわ」
「なに、急ぎなの?」
朝一番、に反応した彼女は眉をひそめ、それに私が苦笑いすると突然目を見開いてあっ!と大声を上げた。急なことに肩が跳ねる。
「そうそう!魔術薬は子供用に甘めとか、無味無臭とか味も選べるのよ。でもシャルル様用なら味はいらないわよね?」
最後の確認、と言うように確かめる彼女に頷きかけて――いや、待てよ、と思い直す。確かシャルル・アデルは――。
「ううん、とびっきり甘い味でお願い」
むしろ身を乗り出して言えば、そう?とのけ反りながらリリーは返す。
ふふふふふ。
思わぬところで思わぬ嫌がらせができそうで、ニヤリ、と意地悪く笑う。その私の顔を間近からリリーの手が鷲掴みにして、邪魔、とでも言いたげに強引に押し返された。
押し戻されたことでハッと正気を取り戻し、恥ずかしさから一つ咳払いをする。そんな私をリリーは生暖かい目で見てくるのがいたたまれない。ので、一つで終わらずゴホゴホわざとらしく咳を繰り返した。途中から本当にむせ出してしまい、馬鹿ね~と呆れられながらリリーに背中を叩いてもらう。
「それじゃあよろしくね」
「はいはい、気をつけて」
ようやく収まって立ち上がり、封筒を受け取って外套を羽織ると、リリーは座ったままひらひらと片手を振って見送る姿勢。それに促されて外に出る。
扉からニ、三歩離れ敷地から完全に出てしまうと、不思議とそれだけで一気に夢の中から現実へと引き戻された気がした。
思わず今出てきたばかりの店を振り返ってみる。
当たり前のことだけど、店はなくなったりしていない。変わらずそこには白と黒の花束が軒先に飾られた、周りと同じ造りの一見して店とは分からない店が佇んでいる。そのことに安堵して、一つ深呼吸をしてから迎えの馬車が待っているだろう大通りまで一人歩き出す。住宅街だというのに昼間の今はあまり人気を感じられない。皆働きに出たり、遊びに出かけたりしているのだろうか。
「っんー……」
細い路地だというのに案外日当たりはいい。空気も爽やかで、外だというのに思わず大きく伸びをしてしまう。誰も見ていないのだから、これくらいいいだろう。
ここはずっと同じ景観が続くせいか、身を置いていると一本道だというのに迷ってしまったような感覚を思わせる。それはどこかあの日あの森で迷った出来事と似通っていて、私はちょっと楽しくなってきてしまい、天気がいいことも合わさって来た時とは違い意識してゆっくり歩いて行くことにした。
自分の服や髪から時々香る甘いような爽やかなようなあの店独特の匂いが彼女との会話を思い起こさせ、それが四日後をも妄想させるから、私は散歩を楽しみながらニヤニヤと緩む頬が抑えられなかった。
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