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第3章
かつて住んでいた町で 8
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*
彼が僕たちの先生の言葉を知っているとするならば、当然話したのは紗季なのだろう。
まさか、自分と同じ名前の同級生から、そんな言葉を聞くとは思わなかったが、紗季が伝えたのかを確かめる必要はないだろう。
僕が確かめたかったことは今日はもう確かめられた。もう帰ろう。そう思ったときだった。
「ねぇ、碧斗」
紗季が呼んだその名前に、同じ名前を持つ僕と彼が「え?」と反応する。
その反応のせいで紗季が苦笑する。
「いや、そっちの……もう走ってないほうの碧斗」
紗季が僕を指差す。間違えてはいないがいい気分はしない。
「結局……ちゃんと聞けてなかったけど、元気にはしてるんだね?」
「ああ……一応」
「それならよかった」
紗季が微笑んだ。
その笑顔は何気ない見慣れたものだったけれど、なんだか懐かしいものを感じた。懐かしいと言っても、4ヶ月ぐらい会わなかっただけなのだけど。
「紗季ー、碧斗ー、なにしてんのー? 集合時間」
スタンド側から声が聞こえた。階段から降りてきたのは二人と同じ紺色のジャージを着た女子二人だった。誰なのかは知らないが陸上部員なんだろう。
「あー、ごめーん、いま行くー」
紗季が声を返す。あっちの碧斗も手をあげていた。
当たり前のことだが、紗季や彼には、いまの高校での生活がある。僕の知らない関係性がある。
中学の時でも僕が知らない奴は何人もいたが、いまの紗季の生きている世界は、本当に僕にはわからないものなんだなと思った。
自分から富山を離れたくせに、紗季のいまいる世界がわからないことでどこかモヤッとした気持ちになる、そんな自分がすごくバカみたいだなと思った。自分で選んだ世界なんだ、何も未練なんて感じてはいけない。
紗季が僕を見た
「じゃ、せめて人に迷惑はかけないように」
「オマエはオレの母親か」
フッと笑うと紗季は同じ部活メンバーのもとへと小走りで向かっていった。
あっちの碧斗も僕を見ていた。
「あー……なんかさっき嫌な感じで言ったけどさ、オマエの言うとおり、オマエはオマエだと思うから、オレなんかの幻影に縛られずにやっていけば……いいと思うよ」
なるべく言葉を選んで僕は言ってみた。彼は少し微笑んで頷く。
「そう……だね。そっちも幻影に縛られないように」
「幻影? 誰の? まさかそっちの幻影に脅かされる日が来るってことか? あのな、紗季にも言ったけどオレの記録って一応それなりだから、いまの12秒台のオマエには……」
「僕の幻影じゃないよ」
僕の話を遮るように彼は言った。そっちの碧斗の幻影じゃなきゃ誰の幻影に縛られるって言うんだ。まさか増え自枝とでも言うんだろうか?
「貴方自身の幻影にって意味だよ」
オレ自身?
「それは、どういう……」
「僕が言ったわけじゃなく、紗季が言ってた。『あいつはあいつ自身の幻影に追いかけられ続けているんだ』って。細かい意味は割らないけど……僕も今日ほんの少しだけ会ってみて、少しわかった気がしました」
「な……」
「碧斗ー! 工藤先輩が走るよー?」
さっきの女子部員が碧斗を呼んだ。「じゃ、僕もこれで」と少し高い声をした碧斗は僕にお辞儀みたいに頭を下げるとスタンドのほうへと戻っていった。
紗季はもう階段の向こうに行ってしまったのか、後ろ姿すら見えなかった。
紺のジャージを着た青城南のメンバーがみんないなくなった後も、僕はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
スタンドから聞こえる100mのアナウンスの声がさっきよりも遠くに聞こえた。
あれは、もう僕のいる場所ではない。
彼が僕たちの先生の言葉を知っているとするならば、当然話したのは紗季なのだろう。
まさか、自分と同じ名前の同級生から、そんな言葉を聞くとは思わなかったが、紗季が伝えたのかを確かめる必要はないだろう。
僕が確かめたかったことは今日はもう確かめられた。もう帰ろう。そう思ったときだった。
「ねぇ、碧斗」
紗季が呼んだその名前に、同じ名前を持つ僕と彼が「え?」と反応する。
その反応のせいで紗季が苦笑する。
「いや、そっちの……もう走ってないほうの碧斗」
紗季が僕を指差す。間違えてはいないがいい気分はしない。
「結局……ちゃんと聞けてなかったけど、元気にはしてるんだね?」
「ああ……一応」
「それならよかった」
紗季が微笑んだ。
その笑顔は何気ない見慣れたものだったけれど、なんだか懐かしいものを感じた。懐かしいと言っても、4ヶ月ぐらい会わなかっただけなのだけど。
「紗季ー、碧斗ー、なにしてんのー? 集合時間」
スタンド側から声が聞こえた。階段から降りてきたのは二人と同じ紺色のジャージを着た女子二人だった。誰なのかは知らないが陸上部員なんだろう。
「あー、ごめーん、いま行くー」
紗季が声を返す。あっちの碧斗も手をあげていた。
当たり前のことだが、紗季や彼には、いまの高校での生活がある。僕の知らない関係性がある。
中学の時でも僕が知らない奴は何人もいたが、いまの紗季の生きている世界は、本当に僕にはわからないものなんだなと思った。
自分から富山を離れたくせに、紗季のいまいる世界がわからないことでどこかモヤッとした気持ちになる、そんな自分がすごくバカみたいだなと思った。自分で選んだ世界なんだ、何も未練なんて感じてはいけない。
紗季が僕を見た
「じゃ、せめて人に迷惑はかけないように」
「オマエはオレの母親か」
フッと笑うと紗季は同じ部活メンバーのもとへと小走りで向かっていった。
あっちの碧斗も僕を見ていた。
「あー……なんかさっき嫌な感じで言ったけどさ、オマエの言うとおり、オマエはオマエだと思うから、オレなんかの幻影に縛られずにやっていけば……いいと思うよ」
なるべく言葉を選んで僕は言ってみた。彼は少し微笑んで頷く。
「そう……だね。そっちも幻影に縛られないように」
「幻影? 誰の? まさかそっちの幻影に脅かされる日が来るってことか? あのな、紗季にも言ったけどオレの記録って一応それなりだから、いまの12秒台のオマエには……」
「僕の幻影じゃないよ」
僕の話を遮るように彼は言った。そっちの碧斗の幻影じゃなきゃ誰の幻影に縛られるって言うんだ。まさか増え自枝とでも言うんだろうか?
「貴方自身の幻影にって意味だよ」
オレ自身?
「それは、どういう……」
「僕が言ったわけじゃなく、紗季が言ってた。『あいつはあいつ自身の幻影に追いかけられ続けているんだ』って。細かい意味は割らないけど……僕も今日ほんの少しだけ会ってみて、少しわかった気がしました」
「な……」
「碧斗ー! 工藤先輩が走るよー?」
さっきの女子部員が碧斗を呼んだ。「じゃ、僕もこれで」と少し高い声をした碧斗は僕にお辞儀みたいに頭を下げるとスタンドのほうへと戻っていった。
紗季はもう階段の向こうに行ってしまったのか、後ろ姿すら見えなかった。
紺のジャージを着た青城南のメンバーがみんないなくなった後も、僕はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
スタンドから聞こえる100mのアナウンスの声がさっきよりも遠くに聞こえた。
あれは、もう僕のいる場所ではない。
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