令嬢諮問魔術師の事件簿

真魚

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第一話 グリムズロックの護符事件

第六章 怠惰な恋の花 3

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「なあエレンよ、次に捜すのはあの赤い魔の花であろう?」と、肩の上の火蜥蜴が得意そうに言う。「どうせ森じゃろう。ひとつ捜してきてやろうか?」
「ありがたいけどサラ、あなたじゃ目立ち過ぎちゃう」
 エレンはしばらく考えてから、サラを肩に乗せたままカーテンを開けて窓を開いた。
 途端、身を切るように寒い夜気がどっと流れ込んでくる。
「おおう」
 火蜥蜴が低く唸るなりカッと焔を増した。エレンの全身を暖気が包む。

「豊かな土地じゃのう――」と、サラが感嘆した。「あの湖水は間違いなく水妖ウンディーネの小世界と通じておるぞ。主は眠っているようじゃが」
「あなただって私が呼ぶとき以外は眠っているのでしょう?」
「今だって眠っているようなものじゃよ。そなたは儂の夢じゃ。醒めれば消えてしまう」と、火蜥蜴はちょっと寂しそうに言った。
 エレンはそれ以上は何も訊かず、夜風を抱きとめるように腕を広げて命じた。
空気精霊エアリアル。わが魔力グラマーを与える。夜明けまで顕現しなさい」
 途端、淡いあわい金色の光が腕のなかで瞬き、おぼろに透き通る人のような形の輪郭が現れた。


 ――お呼びか女主人ミストレス……


 夜風に混じってごく微かな声が震える。
 エレンは頷いた。
「月光のなかを飛びなさい。この渓間のどこかに深紅の三色スミレが咲いていたら報せに戻ってくること」


 ――承った……


 微かな声が応じるなり、ごく淡い光の輪郭が、月光の帯のなかを泳ぐように遠ざかっていった。ごく低い位置を薄雲が流れているようだ。
「エレンよ――」
 肩の上の火蜥蜴が心配そうに呼んでくる。
「魔力は足りているのか? こうして儂を呼び出している上、土地に宿る人型の魔を使役するのは相当の力が必要であろう?」
「大丈夫よ、一晩くらい」
 エレンは強がった。


「儂はなエレン、そなたの健康が気がかりなのじゃ」と、小さな火蜥蜴サラマンダーは肩でがみがみ言った。「気がかりだから寝付くまで傍で見ていたいが、儂がいるとそなたはますます弱る。ジレンマじゃ。やはりこういうときのためにこそ人間の伴侶をだな――」
「はいはいはいはい分かりました」と、エレンは雑に答えた。「どう考えたってその話は今することじゃないでしょ? わたくしはいい子でベッドに入りますから、あなたも輝かしい火蜥蜴の小世界で穏やかな眠りに戻ってくださいな」
「空気精霊が戻るのを待って窓を開けたまま一晩中起きているでないぞ? そんなことをしたら肺炎になる。中身に空気しか詰まっていないあの虚ろな能無しであれ、戻って女主人が寝ていたら窓枠を揺らして起こす程度の知恵は回るはずじゃからな? きちんと窓とカーテンを閉め、ベッドに入って夜明けまでぐっすり眠るのだぞ?」
 火蜥蜴は最期までくどくど言いながらエレンの掌ごしにどこかへ沈んでいった。

 途端に室内が寒くなる。
 エレンはぶるっと震えると、口やかましい火蜥蜴に命じられた通り、窓とカーテンを閉めてベッドに潜り込んだ。
 そして夜明け近くに、がたがたなる窓枠の音に起こされた。

 空気精霊エアリアルが戻ってきたようだ。
 エレンは慌てて跳び起きると、カーテンを開けて窓を開いた。途端に冴えた冷気が流れこんでくる。一緒に殆ど見えないほど淡くなってしまった空気精霊も滑り込む。


 ――花を見つけた。森の奥。古いオークの根元……


 ビブラートのかかった微かな声が耳元で震える。
 空気精霊はそれきり見えなくなった。

 名残のようにくるくると小さなつむじ風が渦巻く。

 その中心で深紅の花びらが一枚だけ踊っていた。

 エレンはそっと手を伸ばすと、小さな蝶を捕らえるようにそっと手にとった。
 途端、花弁は水気を失い、皴をよせて茶色く乾いてしまった。

「――本物みたいね」
 エレンは思わず呟いた。

 上古、この世にまだ上位精霊エルフたちが存在していた時代の花である『怠惰な恋の花』は死すべき定めの人間の体温には耐えられない。
 これを摘み取ってしぼり汁を抽出するためには、どうしたってある程度の器用さを備えた使役魔か契約魔を使う必要がある。

 
 エレンは完全に萎れた花弁を日記帳のあいだに挟むと、「分離ディアスポラ羊皮紙ヴェラムを広げてニーダムへの連絡をしたためた。


 ――ミスター・ニーダム。吉報です。クルーニー家の地所の森で、魅了魔術チャームに用いる魔術性の植物を発見しました。深紅の三色スミレ、あるいは『怠惰な恋の花』です。ジョン・クルーニーはこの植物から製する魔術薬を定期的に飲まされている様子です。取り急ぎ報告を。
 E・ディグビー。



 しばらくまっていてもニーダムからの返事は浮かんでこなかった。

 夜明け前だから当たり前だ。
 エレンは諦めてもう一度ベッドに戻った。

 もうじきにメイドのヘスターがやってきて、洗顔用の熱いお湯と新しい薪を持ってきてくれるだろう。
 まだ少し頭がくらくらする。
 


 ヘスターはお湯と薪を運んだあとで、朝食まで部屋に運んできてくれた。

 薄切りトーストとバターとマーマレード。
 スクランブルエッグとベーコンと焼きマッシュルーム。
 新鮮なミルクをたっぷり入れた熱々の紅茶が銀のポットにいっぱいついている。

 大都市では滅多にありつけない新鮮な食材をどっさり使った素敵にボリュームのある田舎風の朝食だ。
 エレンは嬉しくなった。
 朝食というものはこれでなければいけない。
 温かい美味しい朝食をお腹いっぱい食べると、ずっと続いていた頭痛もだいぶ良くなってくれた。

 エレンは着替えを済ませ、赤みがかった金髪をことさらタイトなシニヨンに結い直しながら自分に活を入れた。
 これからいよいよあの無礼な小童こわっぱとの一騎打ちである。
 スカートはいくらでも汚される覚悟はできている。
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