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第一話 グリムズロックの護符事件
第四章 海軍士官のダンスパーティー
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三日後の日曜日である。
エレンはニーダムと連れ立ってまたしても辻馬車に乗っていた。
本日の行き先は市庁舎。
今日はその大広間で、この頃、対コルレオン戦争に従事して外洋で戦っている海軍士官たちを労うための、タメシス市長主催のダンスパーティーが開催されているのだ。
長兄のコーネリアス・ディグビーが若き勅任艦長である関係で、エレンは海軍関係者とはそれなりに伝手がある。直前になって招待状を入手するのはそれほど難しくなかった。
そんなわけで、エレンは今日は深いワインレッドの天鵞絨のドレス姿で、赤みがかったブロンドをふわりと膨らませて結い、雫型のルビーのイヤリングを飾って、雪みたいに白いオコジョの毛皮で縁取りをした真っ白なコートを羽織っている。
向かい合って坐るニーダムも、光沢のある藍色のウェストコートに白いクラバットという小ぎれいな格好で、癖のある栗毛をきちんと撫でつけて額をすっきり見せている。
「ねえミス・ディグビー……」
ニーダムは不安そうに言った。「これ、本当に僕がご一緒しちゃっていいんですか? お知り合いの方々に誤解されませんか?」
「大丈夫ですよミスター・ニーダム」と、この種の催しに馴れたエレンは気楽に請け合った。「わたくし、こういう集まりには大抵兄か従兄弟と参加いたしますの。あなたもたぶん従弟の誰かだと思われるはずです。ディグビー家とそんなに親しくない方なら、もしかしたら若い弟だと思うかも」
「弟ですか」と、ニーダムは苦笑した。「僕はあなたよりそんなに年下でもないと思うのですがね」
やがて着いた市庁舎の前は馬車だらけだった。
ほとんどが二頭立ての個人所有の瀟洒なクーペだ。
馬型の自動機械人形に引かせたガタピシなる箱馬車からまずニーダムが降り、その介添えを受けてエレンが降り立つなり、紋章入りの美しい馬車から降りてきたばかりの華やかなローズピンクのドレスの御令嬢が
「あら、まさかミス・ディグビー?」
と、大仰に目を瞠って話しかけてきた。黒髪を派手に縮らせたコロコロ肥った令嬢である。傍に青い上着の金髪の海軍士官を大型犬みたいに引っ付けている。
エレンはどうにか相手の名を思い出して笑った。
「ええミス・リンジー。レディ・アメリアのところの御茶会以来でした?」
「そうでしたっけ? お久しぶりねえ! ね、ね、あなた今お一人で事務所を開いているんですってね? どうなのお仕事は? お客様は毎日たくさん来るの? みんな女の方? 男の方もやっぱりいらっしゃるの?」
御令嬢がきゃあきゃあ言いながらエレンの腕を引っ張る。
後ろに呆然と立っているニーダムには一瞥もくれない。
御令嬢の後ろの背後霊みたいな海軍士官が目だけで微笑んでくれた。
ニーダムも目だけで微笑み返した。
そうして何となく合流したもう一組と一緒に大広間へ入る。
ここは外以上の混雑だった。
冬だというのにむっとするほど熱い。よく見ると虚空にふわふわと焔の珠のようなものが浮かんでいた。
エレンはしゃんと背筋を伸ばすと、内心で気合を入れ直した。
勝負はダンスが始まるまでだ。
それまでに、できるかぎりの情報収集をしなければならない。
知りたいことは一つ。
この頃、不自然な相手と不自然に婚約、あるいは婚姻を結んだ財産家の若者がタメシス周辺にいたかどうかだ。
――あの護符をマダム・ヴァリエから買った誰かは、きっと自分が誰かから魅了魔術をかけられていて、身近な人間さえも信用できないと思っていたはず。だからわざわざ内密に、誰とも何のゆかりもない亡命者の「魔女」を選んだのだろう。
それがエレンの推理だった。
その護符がどういう経緯でかサウスエンドの娼婦の部屋に遺されていた以上、もともとの買い手は不本意な魅了魔術をかけられている可能性が高い。
連合王国において魅了魔術は完全に違法だ。
取り締まっているのは、王室つき魔術師の通称「魔術卿」が統括する月室庁裁判所で、使ったことが露見したら貴族でさえ一生幽閉は免れない。地主階級レベルだったら、依頼者も行使者も確実に死刑だろう。
それだけの危険を冒して魅了魔術を用いるからには、相応の利益がなければ不自然である。
すなわち莫大な財産目当て。
タメシス近郊で、この頃不自然に性急な結婚か婚約をした財産家の子息がいたら、その人物が護符を買った――あるいは誰かに依頼して買おうとしていた当事者である可能性が高い。
エレンはそう考えている。
「――ねえミス・リンジー、そういえば知っています?」
ゴシップ好きの御令嬢にそれとなく水を向けてみる。
「え、何を? 何を?」
ミス・リンジーは案の定きらきらと目を輝かせて訪ねてくる。
「ほら、この頃、急に婚約を破棄されたっていう、あのお気の毒な――」
そんな話は何ひとつ知らないが、いかにも知っているような口ぶりで言葉尻を濁す。
するとミス・リンジーは、燃え盛る石炭みたいに黒い眸を爛々と輝かせながら頷いた。
「ええ勿論知っていますとも! あの可哀そうな牧師の娘のシシー・エヴァンスでしょう? 子供のころから恋仲だったクルーニー家のご嫡男が急に心変わりして、隣村の準男爵の御令嬢のミス・キャサリン・パーシーと急に婚約してしまったって、あの話でしょう?」
「え、ええ!」
一人目からのいきなりの当たりだ。
エレンは万感の感謝を込めて叫んだ。「まさにその話です。ミス・リンジー、あなたはわたくしの守護天使だわ!」
「あらそう? ありがとう」
脈絡のない賛辞をミス・リンジーは無邪気に聞き流した。
情報収集が終わったあとにも当然ダンスはあった。
エレンはニーダムと踊りながら、今しがた仕入れたばかりの情報を教えた。
「ミスター・ニーダム、次に行くべき場所が決まりましたよ」
「どこです?」
「グリムズロック村のクルーニー家です。あるいは、その隣村のカルアッハのパーシー家。クルーニーの嫡男がパーシーの娘ときわめて不自然な婚約をしているようです」
「なるほどーー」と、ニーダムがいつものように感心した。「そちらにはどのように訪問しましょうか?」
「それを今考えています。諮問魔術師として訪ねるのは、やはりまずいでしょうねーー」
「もちろん論外ですよ」と、ニーダムが慌てて止めた。「相手は違法魔術を使っている悪党かもしれないのですからね? 探りを入れているなんて分かったら何をされるか分かりません。しかし、そういうご立派なお邸への私的な訪問となると、僕が同行するのはちょっと難しいですよね?」
「そうね。どちらもセルカークからはそう遠くないし、共通の知り合いは捜せばいるでしょうから、あなたを一緒に連れて行かない方法だったら、たぶん思いつけるでしょうけれど」と、エレンは忌憚なく告げた。
ニーダムは眉間に皴をよせた。
「ミス・ディグビー、じゃ、お一人で行かれるつもりなんですね?」
「サラも一緒よ」
「もちろん彼は一緒でしょうけれど。できればやめたほうがいい――といっても、聞いては貰えないのですよね?」
「ええ。あなたにはお気の毒ながら」
エレンはつんと顎をそびやかして答えてしまってから反省した。
ニーダムを前にしていると、ついつい高飛車な態度をとってしまう。
――厭な女だと思われないかしら?
急に不安になって相手の表情をうかがう。
ニーダムは純粋に心配そうな顔をしていた。
エレンは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「ミスター・ニーダムーー」
「なんでしょう?」
「あなたはいい人ね」
心の底から告げると、ニーダムは情けなさそうな表情で笑った。
「ありがとうございます」
エレンはニーダムと連れ立ってまたしても辻馬車に乗っていた。
本日の行き先は市庁舎。
今日はその大広間で、この頃、対コルレオン戦争に従事して外洋で戦っている海軍士官たちを労うための、タメシス市長主催のダンスパーティーが開催されているのだ。
長兄のコーネリアス・ディグビーが若き勅任艦長である関係で、エレンは海軍関係者とはそれなりに伝手がある。直前になって招待状を入手するのはそれほど難しくなかった。
そんなわけで、エレンは今日は深いワインレッドの天鵞絨のドレス姿で、赤みがかったブロンドをふわりと膨らませて結い、雫型のルビーのイヤリングを飾って、雪みたいに白いオコジョの毛皮で縁取りをした真っ白なコートを羽織っている。
向かい合って坐るニーダムも、光沢のある藍色のウェストコートに白いクラバットという小ぎれいな格好で、癖のある栗毛をきちんと撫でつけて額をすっきり見せている。
「ねえミス・ディグビー……」
ニーダムは不安そうに言った。「これ、本当に僕がご一緒しちゃっていいんですか? お知り合いの方々に誤解されませんか?」
「大丈夫ですよミスター・ニーダム」と、この種の催しに馴れたエレンは気楽に請け合った。「わたくし、こういう集まりには大抵兄か従兄弟と参加いたしますの。あなたもたぶん従弟の誰かだと思われるはずです。ディグビー家とそんなに親しくない方なら、もしかしたら若い弟だと思うかも」
「弟ですか」と、ニーダムは苦笑した。「僕はあなたよりそんなに年下でもないと思うのですがね」
やがて着いた市庁舎の前は馬車だらけだった。
ほとんどが二頭立ての個人所有の瀟洒なクーペだ。
馬型の自動機械人形に引かせたガタピシなる箱馬車からまずニーダムが降り、その介添えを受けてエレンが降り立つなり、紋章入りの美しい馬車から降りてきたばかりの華やかなローズピンクのドレスの御令嬢が
「あら、まさかミス・ディグビー?」
と、大仰に目を瞠って話しかけてきた。黒髪を派手に縮らせたコロコロ肥った令嬢である。傍に青い上着の金髪の海軍士官を大型犬みたいに引っ付けている。
エレンはどうにか相手の名を思い出して笑った。
「ええミス・リンジー。レディ・アメリアのところの御茶会以来でした?」
「そうでしたっけ? お久しぶりねえ! ね、ね、あなた今お一人で事務所を開いているんですってね? どうなのお仕事は? お客様は毎日たくさん来るの? みんな女の方? 男の方もやっぱりいらっしゃるの?」
御令嬢がきゃあきゃあ言いながらエレンの腕を引っ張る。
後ろに呆然と立っているニーダムには一瞥もくれない。
御令嬢の後ろの背後霊みたいな海軍士官が目だけで微笑んでくれた。
ニーダムも目だけで微笑み返した。
そうして何となく合流したもう一組と一緒に大広間へ入る。
ここは外以上の混雑だった。
冬だというのにむっとするほど熱い。よく見ると虚空にふわふわと焔の珠のようなものが浮かんでいた。
エレンはしゃんと背筋を伸ばすと、内心で気合を入れ直した。
勝負はダンスが始まるまでだ。
それまでに、できるかぎりの情報収集をしなければならない。
知りたいことは一つ。
この頃、不自然な相手と不自然に婚約、あるいは婚姻を結んだ財産家の若者がタメシス周辺にいたかどうかだ。
――あの護符をマダム・ヴァリエから買った誰かは、きっと自分が誰かから魅了魔術をかけられていて、身近な人間さえも信用できないと思っていたはず。だからわざわざ内密に、誰とも何のゆかりもない亡命者の「魔女」を選んだのだろう。
それがエレンの推理だった。
その護符がどういう経緯でかサウスエンドの娼婦の部屋に遺されていた以上、もともとの買い手は不本意な魅了魔術をかけられている可能性が高い。
連合王国において魅了魔術は完全に違法だ。
取り締まっているのは、王室つき魔術師の通称「魔術卿」が統括する月室庁裁判所で、使ったことが露見したら貴族でさえ一生幽閉は免れない。地主階級レベルだったら、依頼者も行使者も確実に死刑だろう。
それだけの危険を冒して魅了魔術を用いるからには、相応の利益がなければ不自然である。
すなわち莫大な財産目当て。
タメシス近郊で、この頃不自然に性急な結婚か婚約をした財産家の子息がいたら、その人物が護符を買った――あるいは誰かに依頼して買おうとしていた当事者である可能性が高い。
エレンはそう考えている。
「――ねえミス・リンジー、そういえば知っています?」
ゴシップ好きの御令嬢にそれとなく水を向けてみる。
「え、何を? 何を?」
ミス・リンジーは案の定きらきらと目を輝かせて訪ねてくる。
「ほら、この頃、急に婚約を破棄されたっていう、あのお気の毒な――」
そんな話は何ひとつ知らないが、いかにも知っているような口ぶりで言葉尻を濁す。
するとミス・リンジーは、燃え盛る石炭みたいに黒い眸を爛々と輝かせながら頷いた。
「ええ勿論知っていますとも! あの可哀そうな牧師の娘のシシー・エヴァンスでしょう? 子供のころから恋仲だったクルーニー家のご嫡男が急に心変わりして、隣村の準男爵の御令嬢のミス・キャサリン・パーシーと急に婚約してしまったって、あの話でしょう?」
「え、ええ!」
一人目からのいきなりの当たりだ。
エレンは万感の感謝を込めて叫んだ。「まさにその話です。ミス・リンジー、あなたはわたくしの守護天使だわ!」
「あらそう? ありがとう」
脈絡のない賛辞をミス・リンジーは無邪気に聞き流した。
情報収集が終わったあとにも当然ダンスはあった。
エレンはニーダムと踊りながら、今しがた仕入れたばかりの情報を教えた。
「ミスター・ニーダム、次に行くべき場所が決まりましたよ」
「どこです?」
「グリムズロック村のクルーニー家です。あるいは、その隣村のカルアッハのパーシー家。クルーニーの嫡男がパーシーの娘ときわめて不自然な婚約をしているようです」
「なるほどーー」と、ニーダムがいつものように感心した。「そちらにはどのように訪問しましょうか?」
「それを今考えています。諮問魔術師として訪ねるのは、やはりまずいでしょうねーー」
「もちろん論外ですよ」と、ニーダムが慌てて止めた。「相手は違法魔術を使っている悪党かもしれないのですからね? 探りを入れているなんて分かったら何をされるか分かりません。しかし、そういうご立派なお邸への私的な訪問となると、僕が同行するのはちょっと難しいですよね?」
「そうね。どちらもセルカークからはそう遠くないし、共通の知り合いは捜せばいるでしょうから、あなたを一緒に連れて行かない方法だったら、たぶん思いつけるでしょうけれど」と、エレンは忌憚なく告げた。
ニーダムは眉間に皴をよせた。
「ミス・ディグビー、じゃ、お一人で行かれるつもりなんですね?」
「サラも一緒よ」
「もちろん彼は一緒でしょうけれど。できればやめたほうがいい――といっても、聞いては貰えないのですよね?」
「ええ。あなたにはお気の毒ながら」
エレンはつんと顎をそびやかして答えてしまってから反省した。
ニーダムを前にしていると、ついつい高飛車な態度をとってしまう。
――厭な女だと思われないかしら?
急に不安になって相手の表情をうかがう。
ニーダムは純粋に心配そうな顔をしていた。
エレンは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「ミスター・ニーダムーー」
「なんでしょう?」
「あなたはいい人ね」
心の底から告げると、ニーダムは情けなさそうな表情で笑った。
「ありがとうございます」
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