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本編 2
第五話 傍観を決め込んだ男
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「お父さん、遅いなぁ」
「おそいねぇ」
サロンの窓の下に置かれた長椅子に膝立ちになってジョンが窓の外を見ながら言った。ジョンの左右には同じ格好をしたリースとレオンハルトがいて、リースが兄の言葉に横顔を曇らせる。
窓の外はもう暗く、マヒロがまだ帰って来ていないジョシュアとレイの為に夕方に呪文を唱えて生み出した光の玉が門から屋敷へと続く白い石畳を照らしている。
平原で話題になっているエルフ族の双子を捕まえに行ったジョシュアとレイが、今日はなかなか帰って来ない。夕方、父宛に双子を無事に保護したと伝言を携えた小鳥が飛んで来たきり音沙汰はない。
夕食を終えて、サヴィラはジョンとレオンハルトとリースと一緒に風呂に入り、ここでジョンたちに付き合っているのだ。ルーカスもサロンの安楽椅子に座って、のんびりと植物図鑑を見ている。父はミアと入浴中で一路は夜のデートに出かけている。リックとエディはプリシラとクレアと共に夕食の後片付けを手伝っている。昼間に皿を十枚割ったアマーリアは手伝おうとしたが、リリーに言い包められて客室専用のお風呂で多分、入浴中だ。
サヴィラはソファ代わりになってくれているブランカの大きな鼻を撫でる。ロビンはルーカスの足元で腹を見せながら眠っていた。テディは火も入っていない暖炉の前で意地になって丸くなっている。サロンには長居をしないし、薪が勿体ないから火は入れないと言っているのにテディの背中は不満たらたらだ。
「ねえ、サヴィ、今夜はお父さん帰って来ないのかな?」
振り返ったジョンは寂しそうに眉を下げている。
「どうだろ。その双子とやらの処遇が決まれば、帰って来ると思うけど……」
「ジョンのお父上は、Aランクの凄い冒険者なんだろ?」
レオンハルトの問いにジョンが一気に顔を輝かせて、誇らしげに頷く。
「うん。お父さんはレイお兄ちゃんと同じAランクの冒険者だよ。でも、レイくんより強いんだよ」
「俺のお父様も前にお父上と手合わせをしたときに、負けてしまったと言っていたぞ。すごいんだな、ジョンとリースのお父上は」
レオンハルトの言葉に兄弟は誇らしげに、けれど、どこか照れくさそうに笑った。その笑い顔がジョシュアにそっくりでサヴィラとルーカスは、思わず笑ってしまう。瞳の色こそプリシラ譲りの色だが、それ以外は二人ともジョシュアにそっくりなのだ。
「何で笑ってるの?」
ジョンが不思議そうに首を傾げる。
「いやなに、ジョシュにそっくりだと思ってよ」
ルーカスがくすくすとまだ笑いを引きずったまま答える。リースが椅子から降りて、ルーカスの膝の上によじ登る。ルーカスは乗っかったリースを一度抱き上げて落ちないように抱えなおす。
「お母さんもおばあちゃんとかおじいちゃんにもよく言われるよ、ジョシュアにそっくりだーって」
「だろうね。まあローサもソニアにそっくりだし、ミアとノアもオルガによく似てるし、親子ってそういうもんだよ。レオンだって、領主様にそっくりだし」
「そうだろう! お母様もよくそう言って下さるんだ!」
レオンハルトは嬉しそうに顔を綻ばせる。サヴィラも何度か領主様には会ったことがある。休日の父に用事があって屋敷に来たのだ。休みの日には領主様のお願いすら聞かない父を一度、諭すべきか否か、サヴィラには答えが出せそうにない。
「オレの息子と娘は、どっちもクレアに似てるんだが、耳の形だけは二人ともオレと同じなんだよなぁ」
ルーカスがリースの耳を指で軽く引っ張りながら言った。リースが、くすぐったい、と首を竦めていやいやをすればぱっと手は離れる。
サヴィラは、なんとなく自分の顔に触れる。鱗の感触を辿りながら、記憶のページを捲る。父も母も有鱗族らしいが、サヴィラを産んですぐに屋敷を出て行った母の顔は知らない。父はどちらかと言えば、男らしい顔立ちで整ってはいるが一重の切れ長の目に少し鷲鼻だった。サヴィラは二重で鼻もすっと通っているし、正直、顔は全く似ていないから、顔も知らない母親似なのだろうか。父の鱗は、白銀に似た色だがサヴィラは蜥蜴らしい薄茶と茶の鱗で、髪の色も全く違うのによく親子だとあの父が認識していたものだと乾いた笑いが零れた。
「でもね、僕、サヴィくんはマヒロお兄ちゃんにそっくりだと思うよ」
「……は?」
思わずサヴィラは間抜けな声を漏らした。
「俺と父様は、血は繋がっていないから似てはいないと思うけど」
「いやいや、ジョンの言う通り、似ているとオレも思うぞ」
ルーカスまでそんなことを言い出した。お世辞かもしれないが、嬉しいことには違いなくて、勝手に上がりそうになる口角を誤魔化すように咳払いを一つした。サヴィラにとって父のマヒロは憧れであるし、一番、大好きな人だ。その父に似ていると言われて嬉しくない訳がない。
だが、サヴィラが先を続けようと口を開くよりも先にブランカが顔を上げ、ロビンが起き上がった。
「どうした?」
ロビンが、たたたっと窓に駆け寄り、後ろ足で立ち上がり外を見る。ジョンとレオンハルトが窓に顔を戻すと少しして、ジョンが「あ!」と嬉しそうな声を上げた。
「お父さん帰って来たみたい!」
「あ、本当だ」
レオンハルトがジョンの言葉を肯定する。
「お出迎えしてくる!」
「俺も行くぞ!」
「あ、こら!」
言うが早いかジョンとレオンハルトがサロンを飛び出していく。部屋の前にいたアイリスが慌てて追いかけていく足音が聞こえた。サヴィラとルーカスは、顔を見合わせてやれやれと肩を竦め、その背を追うために立ち上がる。ルーカスもリースを抱き上げて立ち上がった。
エントランスに近付くにつれて見知らぬにおいが混じっているのに気付いた。
サヴィラは、視覚と聴覚は人族と変わりないが嗅覚は人族よりずっと優れている。
「誰か、連れて来たのかな。ルーカス、先に行くよ」
ぽつりと呟き、ルーカスに声をかけて駆け出す。
玄関先は、少し賑やかだ。ジョシュアとレイでもジョンとレオンハルトでもアイリスでもない少女と少年の声が聞こえてくる。
エントランスホールに出れば、何時の間に迎えに出ていたのかリックが、見知らぬ銀髪の双子に詰め寄られている。アイリスがレオンハルトとジョンを近付かせないように背に庇っていた。
「ですから、私も護衛騎士としての立場があるのでまずは応接間に……」
「いいから、早く神父様を出しなさいよ!」
「そうだ、こっちは一刻を争うんだからな!」
「気持ちは分かるが、落ち着け!」
困り顔のリックと詰め寄る双子の間に入るようにレイがとりなす。だが、双子は余程、周りが見えていないのか焦っているのか、神父様を出せ、の一点張りである。
「ジョシュ、何の騒ぎ?」
「ああ、サヴィラ」
サヴィラが声を掛けるとジョシュアは困り顔でこちらを振り返った。すると何故か双子もぐるりとサヴィラに顔を向けた。エルフ族らしく整った顔立ちで、少女のほうが青紫、少年のほうは蒼色の瞳をしている。どちらもなんだか随分と草臥れて、まとうローブも薄汚れているが。
「あんた、今、サヴィラって言ったわよね?」
「なら、お前が神父の息子だな!」
「は? なっ!?」
リックに詰め寄っていた二人が今度はこちらにやって来る。
サヴィラと同い年くらいかもと前に誰かが言っていたが、少女は少しばかりサヴィラより大きいし、少年は一路くらいあって頭一つ大きい。サヴィラだって毎朝、一生懸命、ボヴァンのミルクを飲んでいるがまだ効果は出ていないのだ。
「ねえ、神父様に会わせて! 今すぐ呼んで来て!」
「今夜中には町を出るからそのつもりでな!」
矢継ぎ早に言われて、サヴィラが口を挟む隙もない。
とりあえず、神父を早く出せ、すぐに旅立つ、という自己中心で無礼極まりない要望だというのだけは伝わって来た。サヴィラはだんだんと頭が冷静になってくると同時にイライラしてきた。見下ろされているのもイライラしてくる。
「ちょっと、聞いてるの!? 返事くらいしなさいよ!」
「っていうか、お前、本当に神父様の息子かよ、女みたいな顔してるけど、娘か?」
「神父様の息子ってことは私たちと同い年でしょ? にしては小さくない? あ、妹のほう?」
好き勝手に喋る双子の向こうで、ジョシュアとレイが顔を引き攣らせているのが見えた。リックが何故か一生懸命「落ち着いて、落ち着いて、サヴィ!」と手振り身振りで伝えて来るがすっぱりと無視して、サヴィラは笑った。
「黙れ、礼儀も弁えないクソガキ共が」
「は?」
「え?」
双子が顔と言葉があってないサヴィラに固まったその一瞬の隙にサヴィラはエントランスの磨き抜かれた大理石の床の上で足を振り下ろした。ダァンと乾いた音が広いエントランスに反響する。
「《ヴァイン・バインド》!」
「うわっ」
「きゃー!」
彼らの足元から生えた蔓が瞬時に二人を捕まえて逆さ吊りにした。双子が暴れるがぐるぐると蔦が肩から足首まで隙間なく巻き付いて二人の動きを封じる。
「ば、ばかね! エルフ族に地の魔法なんて……うぇ? なんで?」
「ちょっ、無理! 乗っ取れない!」
逆さ吊りにされて尚、うるさい双子だとサヴィラは不愉快を隠しもせずに顔を顰めた。
「乗っ取る? ろくすっぽ魔法も使いこなせないクソガキがエルフ族という恩恵だけで俺の魔法を乗っ取れる訳がないだろ」
はっと鼻で笑ってサヴィラは腕を組んで二人を見上げる。
「ディナーの時間も過ぎ極々プライベートな時間だというのに先ぶれも出さず人の邸宅に押し入り、相手の都合も考えず、挙句、最低限の礼儀も弁えずにお前らの意見だけを通そうだなんて今すぐ門の外に放り投げられるか、騎士団に連行されても文句は言えないとは思わないか?」
人差し指を顎に当て、サヴィラは小首を傾げて問うた。
「こ、こっちだって止むに止まれぬ事情があんのよ!」
「そ、そうだそうだ!」
「だから人んちに押し掛けて、その上、勝手に旅立ちを早めてもいいと? 冒険者ギルドで神父様の出立は明後日の朝だと教わらなかったか? 我が父が昨夜、すぐに発たずにここに留まるのは、俺たちへの配慮もあるだろうが何より、この町と騎士団への配慮だ。お前たちに事情があるように、こちらにだって事情がある。責任を背負う人間は何でもかんでも、はいそうですか、と頷く訳にはいかないんだ。それに人にものを頼む時にはそれ相応の態度ってものがあんだろうが。あ?」
薄っすらと笑ったまま目を細めると双子が遂に口を噤んだ。
「俺が指を振れば、そこの開けっ放しの扉からお前たちを放り出すことは至極簡単だが、どうする?」
ふふっと笑うと、二人がガタガタと震えだして同時に口を開いた。
「……め、さい」
「声が小さい!」
「ご、ごめんなさぁぁい!!」
「何に対して?」
「夜、いき、いきなり来てっ」
「無茶言って、ごめんなさい!」
「他には?」
双子の泣きの入った謝罪の言葉が広いエントランスに響き渡るのを聞きながら、サヴィラは双子が「皆さんの都合も考えずに押しかけて我が儘を通そうとした上、サヴィラ様を貶めてしまい、申し訳ありませんでした」と全てを反省したのを見届けてから仕方がないと肩を竦めて魔法を解くのだった。
「……お父さん、サヴィくんは自覚ないみたいだけど、マヒロお兄ちゃんにそっくりだよね、ああいうとこ」
「……親子っていうのは顔も似るが、ああいうところのほうが似ちゃうものなんだ」
息子が遠い目をして言った言葉にジョシュアは、しみじみと頷く。周りにいた大人たちも、うんうんと深く頷くのだった。
双子は、姉のほうがティリア、弟のほうがフィリアでリックの言っていた通り、樹胎生のエルフ族の双子だそうだ。
仁王立ちするサヴィラの背後に正座して、ぐすぐすと鼻を啜りながら双子は丁寧に教えてくれた。
風呂から上がった真尋は「来客です」とリックに言われて応接間へと向かった。その応接間のソファに腰を落ち着けた真尋だが流石に困惑していた。何ゆえ、真尋の息子はこんなにも双子に畏れられているのかさっぱりと分からない。教育に悪かったのでミアはアマーリアたちの部屋で預かってもらっている。
「それで、サヴィ、何があったんだ?」
「教育的指導をいれただけ。ね?」
にっこりと笑ったサヴィラが後ろを振り返れば、双子はぶんぶんと首を縦に振って頷いた。双子の長い銀髪がばさばさと跳ねる。真尋はますます訳が分からず、背後に立つリックや、双子の傍のソファに座るジョシュアとレイに顔を向けるが三人とも遠い目をしているだけで返事はくれなかった。
「礼儀礼節は弁えろよ。いいな。じゃあ、父様、俺は自分の部屋に戻ってるから。テディ、おいで」
「ぐー」
暖炉の前で丸くなっていたテディが起き上がると双子は驚きに口をぽかんと開けて固まった。多分、サヴィラが怖くて気付いていなかったんだろうなと思いながらテディとサヴィが出て行くのを見送る。
静かになった部屋に双子が鼻を啜る音がぐずぐずと落ちる。
真尋の息子は本当に何をしたのだろうか。後でリックにでも聞こう。それよりも今は、この双子に話を聞かねばならない。
「とりあえず、ティリア、フィリア、そこのソファに座れ。床では足も痛いし、冷えるだろう?」
顔を見合わせてから真尋を見上げた双子にソファを手で示しながら頷けば、双子はおずおずと立ち上がってソファに座り直した。
日本に住んでいた頃は、彫りが深く鼻の高い西洋系の顔立ちは、年齢よりも大人びて見えたがブランレトゥで過ごしたこの数か月で、年相応の見方が出来るようになった。この双子は弟のほうは平均より少し背が高いかもしれないが、それでも十三歳という見た目をしていた。
「そう言えばまだ名乗っていなかったな。ティーンクトゥス教の神父の真尋だ」
「し、知ってます」
弟のフィリアが鼻を啜りながら答えた。
「どこで、知ったのですか?」
リックが問いかけるとフィリアが続けて答える。
「エルフ族の族長様と妖精族の族長様が話しているのを聞いたんです。領都がインサニアに襲われたけど、神父様がそれを救ったって……妖精族の族長様が、可愛い孫娘が神父様と縁を結びそうで、禿げそうって騒いでて、それで……」
親友は向こうに行っても無事なのだろうか、と考えて無駄な心配だと首を横に振った。
一路は一見、人畜無害そうな顔をしているが人を丸め込むことに関しては真尋より上だ。あの幼く少女みたいな顔立ちを前にすると皆、隙が出来る。一路はそこを上手く利用して相手の懐に潜り込むのだ。きっと帰ることには「イチロ君になら孫娘を任せられる!」とか言われているに違いなかった。なんといっても既にブランレトゥで外堀は埋めきっている男だ。
「ブランレトゥに住むエルフ族が家族に手紙を送ったから、皆、インサニアのことは知ってるんです」
フィリアが続けた言葉になるほど、と納得する。そうなると王都でも話題になっているのだろうか、と首を捻る。後々面倒なことになりそうだと零れそうになるため息をぐっと堪えた。ある程度は予想していたことであるし、あの規模の事件を隠し通すことは不可能な話だ。それに向こうも馬鹿ではない。手の者を領内に送り込んで情報の把握は逐一しているだろう。
「それで里を抜け出して来たんですか?」
リックが問いを投げる。
双子は、揃って小さく頷いた。
「神父様なら母様を助けられるって母様が教えてくれたんだ」
フィリアが言った。
「母様……というと精霊樹をか? それが目的で里を抜け出して俺に会いに来たのか?」
二人はまた揃って頷いた。
「あたしとフィーの母様は樹齢二千年の大きくて立派な精霊樹なの」
今度は姉のティリアが話し始める。
確か前にリックが精霊樹の説明をしてくれたなぁと記憶のページを捲る。そもそも世界樹がどういった存在なのかは知らないが、その世界樹の魔力の恩恵を受けて長い年月を経た木が精霊樹になるのだ。そして精霊樹は数百年に一度、子を身籠り産む。それがティリアとフィリアという双子なのだろう。
「でも、二か月前に隣に生えていた精霊樹が枯れてしまったの……」
この場には、人族しかいないのでそれがどれほどの異常事態なのかは分からないが、双子の表情は悲痛そのものだった。
「精霊樹も植物だから寿命はあるの。でも、その精霊樹はまだようやく精霊樹になったばかりの若い樹で寿命なんてまだまだ先だったはずなのに……」
「病気とかではないのか?」
「精霊樹は病気になんてならないわ。でも、世界樹もおかしいの……その精霊樹が枯れる前からやけに葉っぱが落ちてくるようになって、少しずつ魔力が弱まってるって巫女様が言ってたわ」
「世界樹が?」
「そんなの、里の歴史上、なったことないってババ様も言ってた」
フィリアが、ぐすんと鼻を啜りながら言った。今度はジョシュアとレイまで深刻そうな顔をして双子を見ていた。
真尋は今一つ、事態が飲み込めずにリックを見上げる。リックが身を屈めて耳元に口を寄せる。
「世界樹は、アーテル王国の地の魔力を司る大切な樹なのです。世界樹が万が一枯れた場合、制御を喪った地の魔力が暴走すると言われています。もし暴走すれば、地震や地割れ、土砂崩れ、河川の氾濫、ありとあらゆる災害が起こると予想されます」
それはかなりの非常事態ではないか、と真尋はくしゃりを髪を掻き上げる。道理で領主様が、真尋たちを呼ぶわけだと納得する。原因がインサニアでなくとも規格外の魔力と能力を持つ真尋と一路の手を借りたいのだ。
「枯れてしまった精霊樹は、突然、葉をたくさん落とすようになってあっという間に枯れちゃったの。枯れる寸前にはもう葉っぱも真っ白になっちゃって……」
ティリアは、徐に肩にかけていた斜めがけの鞄から大きな瓶を取り出した。中には二十センチほどの枝が一本入っている。
「これ、村を出て来る時に母様がこれを神父様に見せなさいって……」
差し出された瓶を受け取り、中の枝に意識を向ける。太さは一番太い根元が二センチほどで先端に行くにつれ細くなっている。緑のはが主枝から伸びる小枝から生えていて青々として艶やかな葉がついている。
「これは二人の母親の一部か?」
双子が、うん、と頷いた。
真尋は。ふむ、と頷いて瓶を顔の高さにまで掲げる。
一見、何の変哲もない枝だが何か違和感のようなものがある。異質なものが枝の中に潜んでいるように感じるのだ。
「一路はまだ戻らないか?」
「マヒロさん?」
リックの表情が強張る。
「はいはい、お待たせー」
暢気な声がガチャリとドアの開く音と共に部屋に入って来る。顔を向ければ、丁度、一路が帰って来たところだった。彼の後ろにはティナもいる。エドワードは騎士団の方であれこれと準備をしてもらっているので、今夜は屋敷には帰って来ない。
「ティナ、帰って来たばかりのところすまないが、この双子の風呂と着替えの仕度をしておいてもらってもいいか?」
ティナは、はい、と頷くと一路に声を掛けて部屋に入らず、準備へと行ってくれる。その背に一路が礼を言い、部屋に入って来ると真尋の隣に立ち、瓶を覗き込んだ。森色の瞳が次第に険しい色を宿していく。
「……何か、いるね」
一路の呟きリックとレイ、ジョシュアが息を飲んだ。双子は不安そうにじっとこちらを見つめている。
一路は真尋が渡した魔道具でここでの会話を全て聞いている。故に説明は不要だった。
「ティリア、フィリア、ソファの後ろへ。リックも下がれ。レイとジョシュもだ」
真尋の言葉にそれぞれが従い、動き出す。レイとジョシュアが双子に自分達の後ろに行くように言った。双子は素直に従い、彼らの背後に隠れる。リックは三歩ほど後ろに下がり、腰の剣に手を掛けた態勢で待機する。
一路が光の魔力を込めて作り上げた即席の氷のテーブルの上に瓶を置く。蓋を開けて風の力で中身を取り出してテーブルの上に置いた。一路が更に呪文を唱え光のヴェールで真尋とテーブル、そして自分を取り囲んだ。これで悪しきものはヴェールの外には出られない。淡い金の光を帯びるヴェールは外からも中の様子が窺えるので、何かが起きたとすれば彼らもその目で見ることが出来る。
神父の手袋をアイテムボックスから取り出して両手に嵌め、その手を枝の上に翳す。意識を集中させ、呼吸を整え、呪文を唱えた。
「……《解読》、《隠匿解除》」
柔らかなエメラルドグリーンの魔力が枝を包み込んだが、それはほんの一瞬の出来事で次の瞬間には、いつぞやのハンカチとは比ではないほどの勢いで黒い霧がぶわりと溢れ出した。それは風の魔法で集めるより早く光のヴェールの中で巨大に膨れ上がり、そして、形を変えていく。
体が形成され、長い首と小さな頭が生えて来る。太く短い後脚とそれに比べると少し細い前脚はどちらも鋭い爪が形作られ、長い尻尾が生えると最後には蝙蝠のような漆黒の翼がその背に生えた。
「……ドラゴン?」
一路が訝しむように首を傾げながらぽつりと呟いた。
浮かび上がったそれは、彼の言う通り一対の翼を持った小さなドラゴンへと姿を変えたのだ。
「インサニア、なのか?」
ジョシュアが躊躇いがちに問いかけてくる言葉に首を横に振る。
「分からない。だが、これは……ザラームのインサニアではない。あの馬鹿の作り上げたインサニアは命を吸う特性からか酷く恐ろしく禍々しいものだと肌で感じるんだが……」
「なら、無害なのか?」
レイが言った。それにも真尋は、いや、と否定を返す。
「確実に無害ではない。漠然と、まるで自然災害を目の前にしたかのような畏怖を感じる。……見てろ」
真尋は指先に光の魔力を溜めて浄化の呪文を付加する。そして、それでドラゴンの右の翼をつついた。
すると漆黒の翼は浄化の力を受け溶けるように消えていく。息を飲む音が三人分、聞こえて来た。双子は話が見えないのだろう、不安そうにジョシュアとレイの服をそれぞれ掴んでこちらの様子を窺っている。
「……水の月にブランレトゥを襲ったのは、人工的に作られたインサニアだ」
「なら、それは……」
リックが呆然と呟く。
「この国に周期的に発生し、猛威を振るってきた本物のインサニアの可能性がある」
「まさか、それで世界樹に異変が?」
ジョシュアが言った。
「分からん。そもそも自然発生したインサニアだと仮定し精霊樹が枯れ、世界樹に異変を来たした時期を鑑みれば発生から既に二か月が経ち、既に自然消滅している筈だ。自然発生の場合、儚い性質を持つインサニアは長くは持たん。ザラームが生み出すインサニアは、命を奪いその存在を維持していたからな」
真尋は説明をしながら、それをアイテムボックスから取り出した別の瓶に風の魔法を操って押し込み、封をする。片翼を喪ったドラゴンは瓶の底に降り立ち溶けるようにその姿をただの霧へと変えて底に溜まる。
「母様が……」
ティリアの呆然とした声に視線を下に向ければ、先ほどまで青々と生い茂っていた葉が色を喪いしおれて、枝が干からび完全に枯れたのが見て取れた。一路が手袋を嵌めた手で持ち上げると、ひらひらと色を喪った葉が落ちた。
「リック、閣下とキースとアンナ、それとクロードを大至急、呼んでくれ」
「はい」
リックは、しかと頷くとすぐに部屋を出て行く。真尋が瓶をアイテムボックスにしまうと一路が手を振って、光のヴェールを消した。
「何で、ドラゴンだったんだろうな?」
ジョシュアが眉を寄せた険しい顔のまま小首を傾げる。
「分からんが……あの黒い物とは別の魔力を感じた」
「あの色は、母様の魔力の色だ」
フィリアが鼻を啜りながら言った。
なるほど、と真尋は頷く。二人の母親は、人間ではなく精霊樹だ。だとすればその魔力の根源も魔法の使い方も真尋たちとは異なるのかもしれない。あの黒いものがインサニアかどうかというのは今の段階では断定できないが、双子の母親が何らかの魔法を用いて、あの黒い霧をドラゴンの形になるように仕掛けていた可能性もある。
「なんでドラゴンか心当たりはねえのか?」
レイが自分の後ろにいる双子を振り返った。双子は、泣きそうな顔で首を横に降った。
「里にはドラゴンなんていないもん」
フィリアが首を横に振る。レイが、泣きそうな少年の頭をぽんぽんと撫でた。
「ドラゴンは大体、あんな形してるから、形だけじゃ判断がつかないし……」
ジョシュアが顎を撫でながら言った。
ティーンクトゥスがくれた魔獣図鑑にもドラゴンは載っているが、ジョシュアの言う通り、大体があんな感じの形をしているし、元が魔力と黒い霧のようなもので出来ていたので細部まで事細かに表現はされていなかった。そもそも色が黒なのかどうかも分からない上、本来の大きさも分からないので判断のしようがない。
「……神父様、母様、死んじゃうの?」
ティリアが、鼻を啜りながらジョシュアの背後から出て来る。するとレイにしがみついていたフィリアも前に出て来て、ティリアの手を取った。真尋の目の前でお互いの手を握り合う双子は、サヴィラよりも幾分か幼く見えた。閉鎖的な里で育つ故か、長命が故に精神的な発達が他の種族よりもゆっくりなのかもしれない。
真尋は、双子の頭に手を伸ばして優しく撫でる。
「俺なら助けられるとお前たちの母親は言ったのだろう?」
「……うん」
「なら、大丈夫。お前たちの母親は、俺たちなんかよりずっと長い時を生きている精霊樹だ。俺たちがエルフ族の里に行くまでは持ちこたえられるからそう言ったんだ」
双子は、こらえきれなくなったのか大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。真尋は、苦笑を零して二人を抱き締めた。双子は真尋のシャツをぎゅうと破りそうな勢いで握りしめる。一路とそう変わらない身長でもまだ十三歳の子どもだ。あのサヴィラも真尋が風邪で寝込んだ時には不安そうにしていたのだ。親の死というものは、子どもにとって自然災害よりも、戦争よりも怖い話だろう。
「俺はこの町の防衛の一手を担っているからな。今すぐに出立は出来ない。だが明後日の早朝、或は、夜明けと同時には出立する予定だ。だから二人も明日はゆっくり体を休めて長旅に備えるんだ。お前たちが怪我をしたり、病気になったらお前たちの母親が誰より悲しむだろう?」
真尋の胸に顔を埋めたまま、双子は首肯した。銀色の髪をもう一度優しく撫でる。真尋くん、と小声で呼ばれて振り返れば仕度が出来たのかティナが一路の隣に立っていた。分かった、と頷いて真尋は双子をぎゅうと抱き締める。
「ほら、妖精族の族長の孫娘のティナだ。彼女について行って、ゆっくり湯につかって、体を休めろ。腹が減ったらそれもティナに言え」
双子がゆっくりと顔を上げる。ティナがこちらにやって来ると柔らかに微笑んだ。
「初めまして、妖精族のティナです。族長のキーファーの孫なんですよ、よろしくね」
ティナから零れ落ちる花びらを目で追いながら、双子は袖で涙を拭って真尋から離れる。するとティナの髪に隠れていたピオンとプリムがぴょんと顔を出して、それぞれ双子の肩に飛び乗った。
「ブレッドだ」
エルフ族の里にも住んでいるというから、馴染みがあるのだろう。双子の表情がだんだんと緩んでいく。人見知りのプリムとピオンだがエルフ族で尚且つ、樹胎生の双子は好ましい存在のようだ。
「私の家族なんですよ。白いほうがピオン、ピンクの方はプリムで恋人同士なんです」
ピオンとプリムが頬ずりをすれば双子はぎこちなくも嬉しそうに笑って、小さな頭を細い指で撫でた。
「さ、行きましょう」
ティナの言葉に頷くと二人は、一度真尋を振り返って手を振るとその背に続いて出て行った。その背が出て行くのを見送って、ドアが閉まると同時にため息を零して、煙草を取り出し火を点ける。
「一路、ダイニングで会議をするから整えておいてくれ。レイ、お前も手伝え」
「はいはい」
「ったく、人使いの荒い奴だな。どうせ集まるまで時間があんだろ? シャワーだけ浴びて来るからな」
好きにしろ、と返せばレイはひょいと肩を竦めて一路と共に部屋を出て行った。
真尋は、どかりとソファに腰を下ろし、紫煙を吐き出す。ジョシュアが双子が座っていた向かいのソファに座ったのを見計らい、口を開く。
「あの双子はなんで人様の獲物を横取りしてたんだ?」
「騒ぎを起こせば、神父様が出て来ると思ったらしい。それと食料代わりだな。エルフ族は狩猟を主な生活の糧にしているから、あの年齢でも小型の魔獣なら上手く捌くし……自分たちが内緒で出てきた負い目もあるし、町に入るにはギルドカードを提示するからどっちみち正体がバレるのを懸念していたんだろう」
「成程な。知識があれば、あの双子は外にいる筈のない子供だからすぐにばれるか……ふたりはどうやってここまで来たんだ? 路銀だってかなり必要だろう?」
「エルフ族、とくに樹胎生の双子は森が好む存在だから、森に護られながら、あとは道行く商人や農夫に声を掛けて荷車に乗せてもらって来たらしい」
「無事にここまで辿り着いたのは奇跡だな」
背凭れから体を起してテーブルの上に置かれていた灰皿に煙草の灰を落とす。
ジョシュアは、全くだ、と苦笑交じりに頷いた。
「確かにアルゲンテウス領内は、他に比べれば格段に治安は良い。騎士たちが各地に配属されているからな。それでも盗賊や奴隷商がいないわけじゃない。あの見た目で希少なエルフの双子となれば、かなりの値で売れる。双子が無事だったのは森の加護が何より大きいだろう。森の木々たちが、あの農夫なら安全だとかあの商人なら安全だと教えたり、盗賊たちから双子を隠したりしてくれたんだと」
「稀有な存在だな、エルフというのは」
「まあな。俺も冒険者になって王都に行ったり、各地へ行ったりしたが王都にエルフ族はちらほらいたが他では殆ど見かけなかったな。俺はこの町の生まれで身近に当たり前にいたから驚いたよ。妖精族なんてそれこそ全く見かけなかった。王城とか国立の機関にはナルキーサス様みたいな優秀な人たちがいたかもしれないが、俺たちには関りのないことだったしな」
へぇ、と感心の声を漏らす。
ブランレトゥにはエルフ族も妖精族も当たり前のようにいるので、全国各地に存在するものだと思っていた。
「妖精族は奴隷商に目を付けられやすいし、エルフ族は基本、自然豊かな場所が好きだし故郷を大事に想う一族だからあんまり遠くには行きたくないのかもな」
「ふーん。……それで、俺の息子はなんであの双子にあんなに恐がられていたんだ?」
それまでぺらぺらと喋っていたのにジョシュアは、急に口を噤むと立ち上がった。おい、と声を掛ければ胡乱な目が向けられる。
「サヴィラは間違いなくマヒロの息子ってことだよ」
「そんなのは当たり前だろうが」
しかし、ジョシュアはそれだけ言うと「俺もシャワーを浴びて来る」とだけ言ってさっさと行ってしまった。
一人取り残された真尋は、一体息子は何をしたのだろうと首を傾げるのだった。
最後にダイニングにやってきたのは、ウィルフレッドとレベリオだった。それ以外の、アンナ、ナルキーサスは既に着席し、会議の始まりを待っている。クロードは別件で呼んでいるので別の場所である作業を頼んでいる。他にはリックと一路、ジョシュアとレイがいる。
二人が着席し、呼吸が整ったのを見計らい、真尋は口を開く。
「早速だが、時間も惜しい。すぐに本題に入りますが、よろしいですね?」
その言葉に一同が揃って頷いた。
真尋は、アイテムボックスから例の小瓶と枯れてしまった双子の母の枝を取り出して宙に浮かべた。
「最近、平原を騒がせていたエルフ族の双子が本日無事に保護された件については周知していると思います」
皆が揃って頷く。
「双子は、我々が思っていた通り、樹胎生のエルフ族で十三歳の姉弟です。二人の母親、つまり、精霊樹の具合が悪く、それを直せるのは私……つまり神父様だと言われて、私たちを尋ねてここまで来たそうです。二人の母親は樹齢二千年だというので、教会の存在意義や神父の能力について知っていてもおかしくはありません」
「教会が衰退したのは、千年程前のことだからな」
ナルキーサスが万年筆でコツコツとデスクを叩きながら言った。
真尋は、その言葉を首肯し、先を続ける。
「双子は、母親に託されたという母親の一部である枝をここまで運んできました。これがその枝です」
真尋は、枯れ果てて葉も完全に落ち切ってしまった枝を顔の高さに掲げた。
「ただの枯れ枝のように見えるが?」
ウィルフレッドが覗き込みながら首を傾げる。
真尋は、もう一つ例の瓶を取り出した。ダイニングの空気が一気に緊張に包まれたのを肌で感じる。
瓶の底の黒い霧は、先ほどに比べれば随分とその量を減らしていたがまだ底の方に沈んで、蜷局を撒いているようにも見えた。前もそうであったがアイテムボックス内は時間が止まる筈だが、インサニアに限っては適用外のようだ。
その恐ろしい黒は、あの悪夢を思い出せるには十分だったようで、皆の表情が一様に険しいものになっている。
「まさかまたあの忌々しい馬鹿共の仕業だと?」
ウィルフレッドが唸る。
「違います」
きっぱりと否定され、ウィルフレッドは片眉を上げた。
「これからはザラームの気配は一切しませんでしたし、そもそも根本的な部分が違うように感じました。ですが、浄化の魔法は適応されたので、これはおそらく周期的な違和感もないので、自然発生したインサニアの欠片のように思われます。これはこの……枝から出て来たんです。マイク騎士のハンカチに潜んでいたインサニアの欠片のように。精霊樹の魔力に包まれるようにして溢れ出し、瞬く間にこういったものに形を変えました」
立ち上がった一路が両手を前に差し出し、呪文を唱える。現れた水球が歪み、ドラゴンへと形を変えていく。真尋が凍り出す前に用意しておいたインクをそれに垂らした。真っ黒に染まったドラゴンはピキピキと音を立てて凍り付いた。
「実際はこれが素ですから、実体のない黒い気体でしたが、概ねこのような形のドラゴンに姿を変えたんです」
一路の魔力に護られ、溶けることのないドラゴンは、ウィルフレッドの手に渡され、順々に回されて行く。皆が色々な角度からドラゴンを見るが、それの品種に心当たりはなさそうだった。ギルマスになるまでに様々な魔獣と対峙してきた経験を踏まえ頼みの綱だったアンナも「流石にこれだけじゃ分からないわ」とお手上げだった。もっとドラゴンたちはそれぞれ個性を打ち出して欲しい所だ。
「上位種であることは多分、間違いないわ。下位種は、もっと蜥蜴とか蛇っぽいし、全体的に細いもの」
手の上に乗せたドラゴンをひっくり返しながらアンナが言った。
「エルフ族の里は、世界樹に護られているところだし、ドラゴンはもっと標高の高い所にいるからな」
ナルキーサスがアンナの手元を覗き込む。
「エルフ族もドワーフ族同様、竜人族は嫌いだ。あいつらは礼儀というものがなっていないからな。あいつらを連想させるドラゴンも忌々しいと捉える者も多いぞ?」
「なら、忌み嫌うものの象徴をイメージしたのかもしれないわねぇ。ただの黒い霧よりずっと恐ろしく忌まわしいものだもの、インサニアというものは」
アンナの言葉になるほどと頷く。ウィルフレッドが首をひねる。
「しかし、世界樹に護られる精霊樹が枯れるとはな」
「その世界樹にも異変が起こっているそうですよ。なんだかやけに葉が落ちると双子は言っていました」
「……嘘だろぉ……っ」
ついに胃腸の弱いウィルフレッドが右手で頭を抱え、左手で胃の辺りを擦りながらテーブルに突っ伏してしまった。エルフ族の血を引くナルキーサス、レベリオ、アンナは、信じられないという顔をしている。
「世界樹がインサニアに侵されてるとでもいうのか?」
切羽詰まったようにナルキーサスが立ち上がる。
「それが分かれば苦労はない。だが、世界樹の魔力により育つ精霊樹が二か月前に急に枯れたそうだ。まだ精霊樹になりたての樹だったらしいが、妖精族が魔力を喪いその身から零す花や葉の色を喪うようにその精霊樹も色を喪い、枯れ果てたと言っていた」
「もし、インサニアだとすればなんらかのバーサーカー化した魔獣が確認されるはずだ。エルフ族の里は深い森の中にあって周りには魔獣がうじゃうじゃしているんだからな」
「そういったことは双子は言っていない。そもそも双子は、母親に関しての情報以外はこれといって握っていないんだ。グラウに行って、族長とやらと話しをしないことには何がどうなっているのか詳細は分からん」
ナルキーサスは、むっと顔を顰めると何故か急に向かいに座る夫のレベリオに顔を向けた。
「駄目です」
ナルキーサスが口を開くより先にレベリオが言った。ナルキーサスがますます顔を顰めた。
「私もマヒロに同行する」
「は?」
「駄目だと散々、言いました。私はこの決定を覆す気は毛頭ありません」
寝耳に水とはこのことだ。真尋はナルキーサスが同行するなんて話は一切聞いていない。自分達四人が最低人数でグラウで族長とその他諸々が加わって何人になるかという話だと思っていた。一路やリックは知っていたのかと振り返るが、二人もぽかんとした表情を浮かべている。
「里の危機だ! 里には私の父がいるんだぞ!」
「それとこれとは話は別です! 貴女は女性で私の妻です! 男ばかりの旅に同行許可など出せる訳が無いでしょう!?」
レベリオが正論だな、と真尋は暫し夫婦喧嘩を眺めようと椅子に腰を下ろして煙草に火を点けた。一路とリック、ジョシュアはオロオロしているが、レイとアンナはあきれ果て、ウィルフレッドは止めようと試みているようだがいつ口を挟めばいいのかが分からないようだ。
「マヒロが私に欲情するとでも思ってるのか!? あいつは自分の妻にしか興味のない男だぞ!? 一路だって恋人にしか興味が無い上、二人は神父だ!! リックは馬鹿真面目だし、エディに至っては馬にしか興味はない!!」
「いや、エディさんの恋愛対象は女性ですけど……」
一路がそれとなくフォローを入れた。
「そんなことは私も知っています!! ですが、世間から見ればそんなことは分かりません!! 貴女はコシュマール子爵夫人なのですよ!?」
「今の私を見て女だと判断する人間の方が少ないだろうが!! なんだったら騎士の制服で変装していく!!」
「何を馬鹿なことを! 良く見れば女だと分かるに決まっています!! 貴女は間違いなく女性ですし」
「ごちゃごちゃうるさい!!」
ダンとナルキーサスが両手でテーブルを叩く。
「私は行くと言ったら、行く」
「治療院の患者はどうするのです?」
「生憎とインサニアの一件以降、私は魔導院院長としての仕事を優先している関係で、患者は抱えていない。それにアルトゥロは、私の味方だ! あれの許可は取った!」
「どうせ一方的なものでしょう!?」
オロオロして「待って下さいぃ、義姉上ぇ」と情けなく泣くアルトゥロの姿が容易く想像できた。真尋は紫煙を吐き出し、仲裁を諦めたウィルフレッドに顔を向ける。
「第一、いつもいつも私を女扱いするなと言っているだろうが!! 鬱陶しい!!」
「貴女は私の妻でしょうが!! 妻を女性として扱って何が悪いんですか!! そっちこそいい加減、その男装を止めたらどうです!?」
「うるさい! 腹黒陰険クソ野郎!!」
「なっ、何て言う言葉遣いですか!!」
口喧嘩はだんだんと脇道に逸れながらもヒートアップしていく。
「閣下、ブランレトゥでは夫婦喧嘩が流行っているんですか? 少しはクレアとルーカスとか、プリシラとジョシュを見習った方がいいですよ」
「私だって、そう思うが……こればっかりはなぁ。逮捕する訳にもいかないだろう?」
閣下もどうです、と煙草を勧めればウィルフレッドは、礼を言って一本受け取り火を点けた。
「私も婚約者のいる身で、向こうが成人したら結婚をする予定なのだが……兄夫婦と事務官夫婦がどうにもこうにもこんな調子では自信を無くす」
「前も言いましたが、大切なのは言葉でお互いの気持ちをきちんと確かめ合うことですよ。男の小さな矜持で隠し事をしても女性は見抜いて居ますからね。それが後々、軋轢を産むとああなるんです」
真尋は良い子には聞かせられない罵り合いを始めたナルキーサスとレベリオを顎でしゃくった。何故かナルキーサスは椅子を頭上に構えて、今にもぶん投げそうだし、レベリオは腰の剣に手をかけている。ウィルフレッドは群青の瞳でそちらをちらりと見た後、深々と紫煙と共にため息を吐き出した。
「リック、間違っても子どもたちが来ないように、廊下で見張っていてくれ」
「……分かりました」
苦笑交じりに頷いて、リックが出て行く。
アンナはつまらなそうに爪を弄っているし、ジョシュアとレイは剣の手入れを始めた。一路はやれやれと肩を竦めてあきれ果てた視線を夫婦に向けている。
「多少の発散は必要ですから、この煙草一本分だけ好きにさせましょう」
そう告げた瞬間、椅子が飛んでいき、真っ二つに切られてけたたましい音を立てた。真尋はその随分とアグレッシブな夫婦喧嘩を傍観することに決めたのだった。
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ここまで読んで下さって、ありがとうございました!!
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アグレッシブな夫婦喧嘩は、程々にお願いしたいところですよね!!
七月七日より、「偽りの幸福~記憶喪失になった侯爵様は奥様を溺愛する~」を連載開始しております! 恋愛カテゴリーなのですが、興味を少しでも持っていただけたらばご一読いただければと思います♪
また次のお話も楽しんで頂ければ幸いです<(_ _)>
「おそいねぇ」
サロンの窓の下に置かれた長椅子に膝立ちになってジョンが窓の外を見ながら言った。ジョンの左右には同じ格好をしたリースとレオンハルトがいて、リースが兄の言葉に横顔を曇らせる。
窓の外はもう暗く、マヒロがまだ帰って来ていないジョシュアとレイの為に夕方に呪文を唱えて生み出した光の玉が門から屋敷へと続く白い石畳を照らしている。
平原で話題になっているエルフ族の双子を捕まえに行ったジョシュアとレイが、今日はなかなか帰って来ない。夕方、父宛に双子を無事に保護したと伝言を携えた小鳥が飛んで来たきり音沙汰はない。
夕食を終えて、サヴィラはジョンとレオンハルトとリースと一緒に風呂に入り、ここでジョンたちに付き合っているのだ。ルーカスもサロンの安楽椅子に座って、のんびりと植物図鑑を見ている。父はミアと入浴中で一路は夜のデートに出かけている。リックとエディはプリシラとクレアと共に夕食の後片付けを手伝っている。昼間に皿を十枚割ったアマーリアは手伝おうとしたが、リリーに言い包められて客室専用のお風呂で多分、入浴中だ。
サヴィラはソファ代わりになってくれているブランカの大きな鼻を撫でる。ロビンはルーカスの足元で腹を見せながら眠っていた。テディは火も入っていない暖炉の前で意地になって丸くなっている。サロンには長居をしないし、薪が勿体ないから火は入れないと言っているのにテディの背中は不満たらたらだ。
「ねえ、サヴィ、今夜はお父さん帰って来ないのかな?」
振り返ったジョンは寂しそうに眉を下げている。
「どうだろ。その双子とやらの処遇が決まれば、帰って来ると思うけど……」
「ジョンのお父上は、Aランクの凄い冒険者なんだろ?」
レオンハルトの問いにジョンが一気に顔を輝かせて、誇らしげに頷く。
「うん。お父さんはレイお兄ちゃんと同じAランクの冒険者だよ。でも、レイくんより強いんだよ」
「俺のお父様も前にお父上と手合わせをしたときに、負けてしまったと言っていたぞ。すごいんだな、ジョンとリースのお父上は」
レオンハルトの言葉に兄弟は誇らしげに、けれど、どこか照れくさそうに笑った。その笑い顔がジョシュアにそっくりでサヴィラとルーカスは、思わず笑ってしまう。瞳の色こそプリシラ譲りの色だが、それ以外は二人ともジョシュアにそっくりなのだ。
「何で笑ってるの?」
ジョンが不思議そうに首を傾げる。
「いやなに、ジョシュにそっくりだと思ってよ」
ルーカスがくすくすとまだ笑いを引きずったまま答える。リースが椅子から降りて、ルーカスの膝の上によじ登る。ルーカスは乗っかったリースを一度抱き上げて落ちないように抱えなおす。
「お母さんもおばあちゃんとかおじいちゃんにもよく言われるよ、ジョシュアにそっくりだーって」
「だろうね。まあローサもソニアにそっくりだし、ミアとノアもオルガによく似てるし、親子ってそういうもんだよ。レオンだって、領主様にそっくりだし」
「そうだろう! お母様もよくそう言って下さるんだ!」
レオンハルトは嬉しそうに顔を綻ばせる。サヴィラも何度か領主様には会ったことがある。休日の父に用事があって屋敷に来たのだ。休みの日には領主様のお願いすら聞かない父を一度、諭すべきか否か、サヴィラには答えが出せそうにない。
「オレの息子と娘は、どっちもクレアに似てるんだが、耳の形だけは二人ともオレと同じなんだよなぁ」
ルーカスがリースの耳を指で軽く引っ張りながら言った。リースが、くすぐったい、と首を竦めていやいやをすればぱっと手は離れる。
サヴィラは、なんとなく自分の顔に触れる。鱗の感触を辿りながら、記憶のページを捲る。父も母も有鱗族らしいが、サヴィラを産んですぐに屋敷を出て行った母の顔は知らない。父はどちらかと言えば、男らしい顔立ちで整ってはいるが一重の切れ長の目に少し鷲鼻だった。サヴィラは二重で鼻もすっと通っているし、正直、顔は全く似ていないから、顔も知らない母親似なのだろうか。父の鱗は、白銀に似た色だがサヴィラは蜥蜴らしい薄茶と茶の鱗で、髪の色も全く違うのによく親子だとあの父が認識していたものだと乾いた笑いが零れた。
「でもね、僕、サヴィくんはマヒロお兄ちゃんにそっくりだと思うよ」
「……は?」
思わずサヴィラは間抜けな声を漏らした。
「俺と父様は、血は繋がっていないから似てはいないと思うけど」
「いやいや、ジョンの言う通り、似ているとオレも思うぞ」
ルーカスまでそんなことを言い出した。お世辞かもしれないが、嬉しいことには違いなくて、勝手に上がりそうになる口角を誤魔化すように咳払いを一つした。サヴィラにとって父のマヒロは憧れであるし、一番、大好きな人だ。その父に似ていると言われて嬉しくない訳がない。
だが、サヴィラが先を続けようと口を開くよりも先にブランカが顔を上げ、ロビンが起き上がった。
「どうした?」
ロビンが、たたたっと窓に駆け寄り、後ろ足で立ち上がり外を見る。ジョンとレオンハルトが窓に顔を戻すと少しして、ジョンが「あ!」と嬉しそうな声を上げた。
「お父さん帰って来たみたい!」
「あ、本当だ」
レオンハルトがジョンの言葉を肯定する。
「お出迎えしてくる!」
「俺も行くぞ!」
「あ、こら!」
言うが早いかジョンとレオンハルトがサロンを飛び出していく。部屋の前にいたアイリスが慌てて追いかけていく足音が聞こえた。サヴィラとルーカスは、顔を見合わせてやれやれと肩を竦め、その背を追うために立ち上がる。ルーカスもリースを抱き上げて立ち上がった。
エントランスに近付くにつれて見知らぬにおいが混じっているのに気付いた。
サヴィラは、視覚と聴覚は人族と変わりないが嗅覚は人族よりずっと優れている。
「誰か、連れて来たのかな。ルーカス、先に行くよ」
ぽつりと呟き、ルーカスに声をかけて駆け出す。
玄関先は、少し賑やかだ。ジョシュアとレイでもジョンとレオンハルトでもアイリスでもない少女と少年の声が聞こえてくる。
エントランスホールに出れば、何時の間に迎えに出ていたのかリックが、見知らぬ銀髪の双子に詰め寄られている。アイリスがレオンハルトとジョンを近付かせないように背に庇っていた。
「ですから、私も護衛騎士としての立場があるのでまずは応接間に……」
「いいから、早く神父様を出しなさいよ!」
「そうだ、こっちは一刻を争うんだからな!」
「気持ちは分かるが、落ち着け!」
困り顔のリックと詰め寄る双子の間に入るようにレイがとりなす。だが、双子は余程、周りが見えていないのか焦っているのか、神父様を出せ、の一点張りである。
「ジョシュ、何の騒ぎ?」
「ああ、サヴィラ」
サヴィラが声を掛けるとジョシュアは困り顔でこちらを振り返った。すると何故か双子もぐるりとサヴィラに顔を向けた。エルフ族らしく整った顔立ちで、少女のほうが青紫、少年のほうは蒼色の瞳をしている。どちらもなんだか随分と草臥れて、まとうローブも薄汚れているが。
「あんた、今、サヴィラって言ったわよね?」
「なら、お前が神父の息子だな!」
「は? なっ!?」
リックに詰め寄っていた二人が今度はこちらにやって来る。
サヴィラと同い年くらいかもと前に誰かが言っていたが、少女は少しばかりサヴィラより大きいし、少年は一路くらいあって頭一つ大きい。サヴィラだって毎朝、一生懸命、ボヴァンのミルクを飲んでいるがまだ効果は出ていないのだ。
「ねえ、神父様に会わせて! 今すぐ呼んで来て!」
「今夜中には町を出るからそのつもりでな!」
矢継ぎ早に言われて、サヴィラが口を挟む隙もない。
とりあえず、神父を早く出せ、すぐに旅立つ、という自己中心で無礼極まりない要望だというのだけは伝わって来た。サヴィラはだんだんと頭が冷静になってくると同時にイライラしてきた。見下ろされているのもイライラしてくる。
「ちょっと、聞いてるの!? 返事くらいしなさいよ!」
「っていうか、お前、本当に神父様の息子かよ、女みたいな顔してるけど、娘か?」
「神父様の息子ってことは私たちと同い年でしょ? にしては小さくない? あ、妹のほう?」
好き勝手に喋る双子の向こうで、ジョシュアとレイが顔を引き攣らせているのが見えた。リックが何故か一生懸命「落ち着いて、落ち着いて、サヴィ!」と手振り身振りで伝えて来るがすっぱりと無視して、サヴィラは笑った。
「黙れ、礼儀も弁えないクソガキ共が」
「は?」
「え?」
双子が顔と言葉があってないサヴィラに固まったその一瞬の隙にサヴィラはエントランスの磨き抜かれた大理石の床の上で足を振り下ろした。ダァンと乾いた音が広いエントランスに反響する。
「《ヴァイン・バインド》!」
「うわっ」
「きゃー!」
彼らの足元から生えた蔓が瞬時に二人を捕まえて逆さ吊りにした。双子が暴れるがぐるぐると蔦が肩から足首まで隙間なく巻き付いて二人の動きを封じる。
「ば、ばかね! エルフ族に地の魔法なんて……うぇ? なんで?」
「ちょっ、無理! 乗っ取れない!」
逆さ吊りにされて尚、うるさい双子だとサヴィラは不愉快を隠しもせずに顔を顰めた。
「乗っ取る? ろくすっぽ魔法も使いこなせないクソガキがエルフ族という恩恵だけで俺の魔法を乗っ取れる訳がないだろ」
はっと鼻で笑ってサヴィラは腕を組んで二人を見上げる。
「ディナーの時間も過ぎ極々プライベートな時間だというのに先ぶれも出さず人の邸宅に押し入り、相手の都合も考えず、挙句、最低限の礼儀も弁えずにお前らの意見だけを通そうだなんて今すぐ門の外に放り投げられるか、騎士団に連行されても文句は言えないとは思わないか?」
人差し指を顎に当て、サヴィラは小首を傾げて問うた。
「こ、こっちだって止むに止まれぬ事情があんのよ!」
「そ、そうだそうだ!」
「だから人んちに押し掛けて、その上、勝手に旅立ちを早めてもいいと? 冒険者ギルドで神父様の出立は明後日の朝だと教わらなかったか? 我が父が昨夜、すぐに発たずにここに留まるのは、俺たちへの配慮もあるだろうが何より、この町と騎士団への配慮だ。お前たちに事情があるように、こちらにだって事情がある。責任を背負う人間は何でもかんでも、はいそうですか、と頷く訳にはいかないんだ。それに人にものを頼む時にはそれ相応の態度ってものがあんだろうが。あ?」
薄っすらと笑ったまま目を細めると双子が遂に口を噤んだ。
「俺が指を振れば、そこの開けっ放しの扉からお前たちを放り出すことは至極簡単だが、どうする?」
ふふっと笑うと、二人がガタガタと震えだして同時に口を開いた。
「……め、さい」
「声が小さい!」
「ご、ごめんなさぁぁい!!」
「何に対して?」
「夜、いき、いきなり来てっ」
「無茶言って、ごめんなさい!」
「他には?」
双子の泣きの入った謝罪の言葉が広いエントランスに響き渡るのを聞きながら、サヴィラは双子が「皆さんの都合も考えずに押しかけて我が儘を通そうとした上、サヴィラ様を貶めてしまい、申し訳ありませんでした」と全てを反省したのを見届けてから仕方がないと肩を竦めて魔法を解くのだった。
「……お父さん、サヴィくんは自覚ないみたいだけど、マヒロお兄ちゃんにそっくりだよね、ああいうとこ」
「……親子っていうのは顔も似るが、ああいうところのほうが似ちゃうものなんだ」
息子が遠い目をして言った言葉にジョシュアは、しみじみと頷く。周りにいた大人たちも、うんうんと深く頷くのだった。
双子は、姉のほうがティリア、弟のほうがフィリアでリックの言っていた通り、樹胎生のエルフ族の双子だそうだ。
仁王立ちするサヴィラの背後に正座して、ぐすぐすと鼻を啜りながら双子は丁寧に教えてくれた。
風呂から上がった真尋は「来客です」とリックに言われて応接間へと向かった。その応接間のソファに腰を落ち着けた真尋だが流石に困惑していた。何ゆえ、真尋の息子はこんなにも双子に畏れられているのかさっぱりと分からない。教育に悪かったのでミアはアマーリアたちの部屋で預かってもらっている。
「それで、サヴィ、何があったんだ?」
「教育的指導をいれただけ。ね?」
にっこりと笑ったサヴィラが後ろを振り返れば、双子はぶんぶんと首を縦に振って頷いた。双子の長い銀髪がばさばさと跳ねる。真尋はますます訳が分からず、背後に立つリックや、双子の傍のソファに座るジョシュアとレイに顔を向けるが三人とも遠い目をしているだけで返事はくれなかった。
「礼儀礼節は弁えろよ。いいな。じゃあ、父様、俺は自分の部屋に戻ってるから。テディ、おいで」
「ぐー」
暖炉の前で丸くなっていたテディが起き上がると双子は驚きに口をぽかんと開けて固まった。多分、サヴィラが怖くて気付いていなかったんだろうなと思いながらテディとサヴィが出て行くのを見送る。
静かになった部屋に双子が鼻を啜る音がぐずぐずと落ちる。
真尋の息子は本当に何をしたのだろうか。後でリックにでも聞こう。それよりも今は、この双子に話を聞かねばならない。
「とりあえず、ティリア、フィリア、そこのソファに座れ。床では足も痛いし、冷えるだろう?」
顔を見合わせてから真尋を見上げた双子にソファを手で示しながら頷けば、双子はおずおずと立ち上がってソファに座り直した。
日本に住んでいた頃は、彫りが深く鼻の高い西洋系の顔立ちは、年齢よりも大人びて見えたがブランレトゥで過ごしたこの数か月で、年相応の見方が出来るようになった。この双子は弟のほうは平均より少し背が高いかもしれないが、それでも十三歳という見た目をしていた。
「そう言えばまだ名乗っていなかったな。ティーンクトゥス教の神父の真尋だ」
「し、知ってます」
弟のフィリアが鼻を啜りながら答えた。
「どこで、知ったのですか?」
リックが問いかけるとフィリアが続けて答える。
「エルフ族の族長様と妖精族の族長様が話しているのを聞いたんです。領都がインサニアに襲われたけど、神父様がそれを救ったって……妖精族の族長様が、可愛い孫娘が神父様と縁を結びそうで、禿げそうって騒いでて、それで……」
親友は向こうに行っても無事なのだろうか、と考えて無駄な心配だと首を横に振った。
一路は一見、人畜無害そうな顔をしているが人を丸め込むことに関しては真尋より上だ。あの幼く少女みたいな顔立ちを前にすると皆、隙が出来る。一路はそこを上手く利用して相手の懐に潜り込むのだ。きっと帰ることには「イチロ君になら孫娘を任せられる!」とか言われているに違いなかった。なんといっても既にブランレトゥで外堀は埋めきっている男だ。
「ブランレトゥに住むエルフ族が家族に手紙を送ったから、皆、インサニアのことは知ってるんです」
フィリアが続けた言葉になるほど、と納得する。そうなると王都でも話題になっているのだろうか、と首を捻る。後々面倒なことになりそうだと零れそうになるため息をぐっと堪えた。ある程度は予想していたことであるし、あの規模の事件を隠し通すことは不可能な話だ。それに向こうも馬鹿ではない。手の者を領内に送り込んで情報の把握は逐一しているだろう。
「それで里を抜け出して来たんですか?」
リックが問いを投げる。
双子は、揃って小さく頷いた。
「神父様なら母様を助けられるって母様が教えてくれたんだ」
フィリアが言った。
「母様……というと精霊樹をか? それが目的で里を抜け出して俺に会いに来たのか?」
二人はまた揃って頷いた。
「あたしとフィーの母様は樹齢二千年の大きくて立派な精霊樹なの」
今度は姉のティリアが話し始める。
確か前にリックが精霊樹の説明をしてくれたなぁと記憶のページを捲る。そもそも世界樹がどういった存在なのかは知らないが、その世界樹の魔力の恩恵を受けて長い年月を経た木が精霊樹になるのだ。そして精霊樹は数百年に一度、子を身籠り産む。それがティリアとフィリアという双子なのだろう。
「でも、二か月前に隣に生えていた精霊樹が枯れてしまったの……」
この場には、人族しかいないのでそれがどれほどの異常事態なのかは分からないが、双子の表情は悲痛そのものだった。
「精霊樹も植物だから寿命はあるの。でも、その精霊樹はまだようやく精霊樹になったばかりの若い樹で寿命なんてまだまだ先だったはずなのに……」
「病気とかではないのか?」
「精霊樹は病気になんてならないわ。でも、世界樹もおかしいの……その精霊樹が枯れる前からやけに葉っぱが落ちてくるようになって、少しずつ魔力が弱まってるって巫女様が言ってたわ」
「世界樹が?」
「そんなの、里の歴史上、なったことないってババ様も言ってた」
フィリアが、ぐすんと鼻を啜りながら言った。今度はジョシュアとレイまで深刻そうな顔をして双子を見ていた。
真尋は今一つ、事態が飲み込めずにリックを見上げる。リックが身を屈めて耳元に口を寄せる。
「世界樹は、アーテル王国の地の魔力を司る大切な樹なのです。世界樹が万が一枯れた場合、制御を喪った地の魔力が暴走すると言われています。もし暴走すれば、地震や地割れ、土砂崩れ、河川の氾濫、ありとあらゆる災害が起こると予想されます」
それはかなりの非常事態ではないか、と真尋はくしゃりを髪を掻き上げる。道理で領主様が、真尋たちを呼ぶわけだと納得する。原因がインサニアでなくとも規格外の魔力と能力を持つ真尋と一路の手を借りたいのだ。
「枯れてしまった精霊樹は、突然、葉をたくさん落とすようになってあっという間に枯れちゃったの。枯れる寸前にはもう葉っぱも真っ白になっちゃって……」
ティリアは、徐に肩にかけていた斜めがけの鞄から大きな瓶を取り出した。中には二十センチほどの枝が一本入っている。
「これ、村を出て来る時に母様がこれを神父様に見せなさいって……」
差し出された瓶を受け取り、中の枝に意識を向ける。太さは一番太い根元が二センチほどで先端に行くにつれ細くなっている。緑のはが主枝から伸びる小枝から生えていて青々として艶やかな葉がついている。
「これは二人の母親の一部か?」
双子が、うん、と頷いた。
真尋は。ふむ、と頷いて瓶を顔の高さにまで掲げる。
一見、何の変哲もない枝だが何か違和感のようなものがある。異質なものが枝の中に潜んでいるように感じるのだ。
「一路はまだ戻らないか?」
「マヒロさん?」
リックの表情が強張る。
「はいはい、お待たせー」
暢気な声がガチャリとドアの開く音と共に部屋に入って来る。顔を向ければ、丁度、一路が帰って来たところだった。彼の後ろにはティナもいる。エドワードは騎士団の方であれこれと準備をしてもらっているので、今夜は屋敷には帰って来ない。
「ティナ、帰って来たばかりのところすまないが、この双子の風呂と着替えの仕度をしておいてもらってもいいか?」
ティナは、はい、と頷くと一路に声を掛けて部屋に入らず、準備へと行ってくれる。その背に一路が礼を言い、部屋に入って来ると真尋の隣に立ち、瓶を覗き込んだ。森色の瞳が次第に険しい色を宿していく。
「……何か、いるね」
一路の呟きリックとレイ、ジョシュアが息を飲んだ。双子は不安そうにじっとこちらを見つめている。
一路は真尋が渡した魔道具でここでの会話を全て聞いている。故に説明は不要だった。
「ティリア、フィリア、ソファの後ろへ。リックも下がれ。レイとジョシュもだ」
真尋の言葉にそれぞれが従い、動き出す。レイとジョシュアが双子に自分達の後ろに行くように言った。双子は素直に従い、彼らの背後に隠れる。リックは三歩ほど後ろに下がり、腰の剣に手を掛けた態勢で待機する。
一路が光の魔力を込めて作り上げた即席の氷のテーブルの上に瓶を置く。蓋を開けて風の力で中身を取り出してテーブルの上に置いた。一路が更に呪文を唱え光のヴェールで真尋とテーブル、そして自分を取り囲んだ。これで悪しきものはヴェールの外には出られない。淡い金の光を帯びるヴェールは外からも中の様子が窺えるので、何かが起きたとすれば彼らもその目で見ることが出来る。
神父の手袋をアイテムボックスから取り出して両手に嵌め、その手を枝の上に翳す。意識を集中させ、呼吸を整え、呪文を唱えた。
「……《解読》、《隠匿解除》」
柔らかなエメラルドグリーンの魔力が枝を包み込んだが、それはほんの一瞬の出来事で次の瞬間には、いつぞやのハンカチとは比ではないほどの勢いで黒い霧がぶわりと溢れ出した。それは風の魔法で集めるより早く光のヴェールの中で巨大に膨れ上がり、そして、形を変えていく。
体が形成され、長い首と小さな頭が生えて来る。太く短い後脚とそれに比べると少し細い前脚はどちらも鋭い爪が形作られ、長い尻尾が生えると最後には蝙蝠のような漆黒の翼がその背に生えた。
「……ドラゴン?」
一路が訝しむように首を傾げながらぽつりと呟いた。
浮かび上がったそれは、彼の言う通り一対の翼を持った小さなドラゴンへと姿を変えたのだ。
「インサニア、なのか?」
ジョシュアが躊躇いがちに問いかけてくる言葉に首を横に振る。
「分からない。だが、これは……ザラームのインサニアではない。あの馬鹿の作り上げたインサニアは命を吸う特性からか酷く恐ろしく禍々しいものだと肌で感じるんだが……」
「なら、無害なのか?」
レイが言った。それにも真尋は、いや、と否定を返す。
「確実に無害ではない。漠然と、まるで自然災害を目の前にしたかのような畏怖を感じる。……見てろ」
真尋は指先に光の魔力を溜めて浄化の呪文を付加する。そして、それでドラゴンの右の翼をつついた。
すると漆黒の翼は浄化の力を受け溶けるように消えていく。息を飲む音が三人分、聞こえて来た。双子は話が見えないのだろう、不安そうにジョシュアとレイの服をそれぞれ掴んでこちらの様子を窺っている。
「……水の月にブランレトゥを襲ったのは、人工的に作られたインサニアだ」
「なら、それは……」
リックが呆然と呟く。
「この国に周期的に発生し、猛威を振るってきた本物のインサニアの可能性がある」
「まさか、それで世界樹に異変が?」
ジョシュアが言った。
「分からん。そもそも自然発生したインサニアだと仮定し精霊樹が枯れ、世界樹に異変を来たした時期を鑑みれば発生から既に二か月が経ち、既に自然消滅している筈だ。自然発生の場合、儚い性質を持つインサニアは長くは持たん。ザラームが生み出すインサニアは、命を奪いその存在を維持していたからな」
真尋は説明をしながら、それをアイテムボックスから取り出した別の瓶に風の魔法を操って押し込み、封をする。片翼を喪ったドラゴンは瓶の底に降り立ち溶けるようにその姿をただの霧へと変えて底に溜まる。
「母様が……」
ティリアの呆然とした声に視線を下に向ければ、先ほどまで青々と生い茂っていた葉が色を喪いしおれて、枝が干からび完全に枯れたのが見て取れた。一路が手袋を嵌めた手で持ち上げると、ひらひらと色を喪った葉が落ちた。
「リック、閣下とキースとアンナ、それとクロードを大至急、呼んでくれ」
「はい」
リックは、しかと頷くとすぐに部屋を出て行く。真尋が瓶をアイテムボックスにしまうと一路が手を振って、光のヴェールを消した。
「何で、ドラゴンだったんだろうな?」
ジョシュアが眉を寄せた険しい顔のまま小首を傾げる。
「分からんが……あの黒い物とは別の魔力を感じた」
「あの色は、母様の魔力の色だ」
フィリアが鼻を啜りながら言った。
なるほど、と真尋は頷く。二人の母親は、人間ではなく精霊樹だ。だとすればその魔力の根源も魔法の使い方も真尋たちとは異なるのかもしれない。あの黒いものがインサニアかどうかというのは今の段階では断定できないが、双子の母親が何らかの魔法を用いて、あの黒い霧をドラゴンの形になるように仕掛けていた可能性もある。
「なんでドラゴンか心当たりはねえのか?」
レイが自分の後ろにいる双子を振り返った。双子は、泣きそうな顔で首を横に降った。
「里にはドラゴンなんていないもん」
フィリアが首を横に振る。レイが、泣きそうな少年の頭をぽんぽんと撫でた。
「ドラゴンは大体、あんな形してるから、形だけじゃ判断がつかないし……」
ジョシュアが顎を撫でながら言った。
ティーンクトゥスがくれた魔獣図鑑にもドラゴンは載っているが、ジョシュアの言う通り、大体があんな感じの形をしているし、元が魔力と黒い霧のようなもので出来ていたので細部まで事細かに表現はされていなかった。そもそも色が黒なのかどうかも分からない上、本来の大きさも分からないので判断のしようがない。
「……神父様、母様、死んじゃうの?」
ティリアが、鼻を啜りながらジョシュアの背後から出て来る。するとレイにしがみついていたフィリアも前に出て来て、ティリアの手を取った。真尋の目の前でお互いの手を握り合う双子は、サヴィラよりも幾分か幼く見えた。閉鎖的な里で育つ故か、長命が故に精神的な発達が他の種族よりもゆっくりなのかもしれない。
真尋は、双子の頭に手を伸ばして優しく撫でる。
「俺なら助けられるとお前たちの母親は言ったのだろう?」
「……うん」
「なら、大丈夫。お前たちの母親は、俺たちなんかよりずっと長い時を生きている精霊樹だ。俺たちがエルフ族の里に行くまでは持ちこたえられるからそう言ったんだ」
双子は、こらえきれなくなったのか大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。真尋は、苦笑を零して二人を抱き締めた。双子は真尋のシャツをぎゅうと破りそうな勢いで握りしめる。一路とそう変わらない身長でもまだ十三歳の子どもだ。あのサヴィラも真尋が風邪で寝込んだ時には不安そうにしていたのだ。親の死というものは、子どもにとって自然災害よりも、戦争よりも怖い話だろう。
「俺はこの町の防衛の一手を担っているからな。今すぐに出立は出来ない。だが明後日の早朝、或は、夜明けと同時には出立する予定だ。だから二人も明日はゆっくり体を休めて長旅に備えるんだ。お前たちが怪我をしたり、病気になったらお前たちの母親が誰より悲しむだろう?」
真尋の胸に顔を埋めたまま、双子は首肯した。銀色の髪をもう一度優しく撫でる。真尋くん、と小声で呼ばれて振り返れば仕度が出来たのかティナが一路の隣に立っていた。分かった、と頷いて真尋は双子をぎゅうと抱き締める。
「ほら、妖精族の族長の孫娘のティナだ。彼女について行って、ゆっくり湯につかって、体を休めろ。腹が減ったらそれもティナに言え」
双子がゆっくりと顔を上げる。ティナがこちらにやって来ると柔らかに微笑んだ。
「初めまして、妖精族のティナです。族長のキーファーの孫なんですよ、よろしくね」
ティナから零れ落ちる花びらを目で追いながら、双子は袖で涙を拭って真尋から離れる。するとティナの髪に隠れていたピオンとプリムがぴょんと顔を出して、それぞれ双子の肩に飛び乗った。
「ブレッドだ」
エルフ族の里にも住んでいるというから、馴染みがあるのだろう。双子の表情がだんだんと緩んでいく。人見知りのプリムとピオンだがエルフ族で尚且つ、樹胎生の双子は好ましい存在のようだ。
「私の家族なんですよ。白いほうがピオン、ピンクの方はプリムで恋人同士なんです」
ピオンとプリムが頬ずりをすれば双子はぎこちなくも嬉しそうに笑って、小さな頭を細い指で撫でた。
「さ、行きましょう」
ティナの言葉に頷くと二人は、一度真尋を振り返って手を振るとその背に続いて出て行った。その背が出て行くのを見送って、ドアが閉まると同時にため息を零して、煙草を取り出し火を点ける。
「一路、ダイニングで会議をするから整えておいてくれ。レイ、お前も手伝え」
「はいはい」
「ったく、人使いの荒い奴だな。どうせ集まるまで時間があんだろ? シャワーだけ浴びて来るからな」
好きにしろ、と返せばレイはひょいと肩を竦めて一路と共に部屋を出て行った。
真尋は、どかりとソファに腰を下ろし、紫煙を吐き出す。ジョシュアが双子が座っていた向かいのソファに座ったのを見計らい、口を開く。
「あの双子はなんで人様の獲物を横取りしてたんだ?」
「騒ぎを起こせば、神父様が出て来ると思ったらしい。それと食料代わりだな。エルフ族は狩猟を主な生活の糧にしているから、あの年齢でも小型の魔獣なら上手く捌くし……自分たちが内緒で出てきた負い目もあるし、町に入るにはギルドカードを提示するからどっちみち正体がバレるのを懸念していたんだろう」
「成程な。知識があれば、あの双子は外にいる筈のない子供だからすぐにばれるか……ふたりはどうやってここまで来たんだ? 路銀だってかなり必要だろう?」
「エルフ族、とくに樹胎生の双子は森が好む存在だから、森に護られながら、あとは道行く商人や農夫に声を掛けて荷車に乗せてもらって来たらしい」
「無事にここまで辿り着いたのは奇跡だな」
背凭れから体を起してテーブルの上に置かれていた灰皿に煙草の灰を落とす。
ジョシュアは、全くだ、と苦笑交じりに頷いた。
「確かにアルゲンテウス領内は、他に比べれば格段に治安は良い。騎士たちが各地に配属されているからな。それでも盗賊や奴隷商がいないわけじゃない。あの見た目で希少なエルフの双子となれば、かなりの値で売れる。双子が無事だったのは森の加護が何より大きいだろう。森の木々たちが、あの農夫なら安全だとかあの商人なら安全だと教えたり、盗賊たちから双子を隠したりしてくれたんだと」
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「まあな。俺も冒険者になって王都に行ったり、各地へ行ったりしたが王都にエルフ族はちらほらいたが他では殆ど見かけなかったな。俺はこの町の生まれで身近に当たり前にいたから驚いたよ。妖精族なんてそれこそ全く見かけなかった。王城とか国立の機関にはナルキーサス様みたいな優秀な人たちがいたかもしれないが、俺たちには関りのないことだったしな」
へぇ、と感心の声を漏らす。
ブランレトゥにはエルフ族も妖精族も当たり前のようにいるので、全国各地に存在するものだと思っていた。
「妖精族は奴隷商に目を付けられやすいし、エルフ族は基本、自然豊かな場所が好きだし故郷を大事に想う一族だからあんまり遠くには行きたくないのかもな」
「ふーん。……それで、俺の息子はなんであの双子にあんなに恐がられていたんだ?」
それまでぺらぺらと喋っていたのにジョシュアは、急に口を噤むと立ち上がった。おい、と声を掛ければ胡乱な目が向けられる。
「サヴィラは間違いなくマヒロの息子ってことだよ」
「そんなのは当たり前だろうが」
しかし、ジョシュアはそれだけ言うと「俺もシャワーを浴びて来る」とだけ言ってさっさと行ってしまった。
一人取り残された真尋は、一体息子は何をしたのだろうと首を傾げるのだった。
最後にダイニングにやってきたのは、ウィルフレッドとレベリオだった。それ以外の、アンナ、ナルキーサスは既に着席し、会議の始まりを待っている。クロードは別件で呼んでいるので別の場所である作業を頼んでいる。他にはリックと一路、ジョシュアとレイがいる。
二人が着席し、呼吸が整ったのを見計らい、真尋は口を開く。
「早速だが、時間も惜しい。すぐに本題に入りますが、よろしいですね?」
その言葉に一同が揃って頷いた。
真尋は、アイテムボックスから例の小瓶と枯れてしまった双子の母の枝を取り出して宙に浮かべた。
「最近、平原を騒がせていたエルフ族の双子が本日無事に保護された件については周知していると思います」
皆が揃って頷く。
「双子は、我々が思っていた通り、樹胎生のエルフ族で十三歳の姉弟です。二人の母親、つまり、精霊樹の具合が悪く、それを直せるのは私……つまり神父様だと言われて、私たちを尋ねてここまで来たそうです。二人の母親は樹齢二千年だというので、教会の存在意義や神父の能力について知っていてもおかしくはありません」
「教会が衰退したのは、千年程前のことだからな」
ナルキーサスが万年筆でコツコツとデスクを叩きながら言った。
真尋は、その言葉を首肯し、先を続ける。
「双子は、母親に託されたという母親の一部である枝をここまで運んできました。これがその枝です」
真尋は、枯れ果てて葉も完全に落ち切ってしまった枝を顔の高さに掲げた。
「ただの枯れ枝のように見えるが?」
ウィルフレッドが覗き込みながら首を傾げる。
真尋は、もう一つ例の瓶を取り出した。ダイニングの空気が一気に緊張に包まれたのを肌で感じる。
瓶の底の黒い霧は、先ほどに比べれば随分とその量を減らしていたがまだ底の方に沈んで、蜷局を撒いているようにも見えた。前もそうであったがアイテムボックス内は時間が止まる筈だが、インサニアに限っては適用外のようだ。
その恐ろしい黒は、あの悪夢を思い出せるには十分だったようで、皆の表情が一様に険しいものになっている。
「まさかまたあの忌々しい馬鹿共の仕業だと?」
ウィルフレッドが唸る。
「違います」
きっぱりと否定され、ウィルフレッドは片眉を上げた。
「これからはザラームの気配は一切しませんでしたし、そもそも根本的な部分が違うように感じました。ですが、浄化の魔法は適応されたので、これはおそらく周期的な違和感もないので、自然発生したインサニアの欠片のように思われます。これはこの……枝から出て来たんです。マイク騎士のハンカチに潜んでいたインサニアの欠片のように。精霊樹の魔力に包まれるようにして溢れ出し、瞬く間にこういったものに形を変えました」
立ち上がった一路が両手を前に差し出し、呪文を唱える。現れた水球が歪み、ドラゴンへと形を変えていく。真尋が凍り出す前に用意しておいたインクをそれに垂らした。真っ黒に染まったドラゴンはピキピキと音を立てて凍り付いた。
「実際はこれが素ですから、実体のない黒い気体でしたが、概ねこのような形のドラゴンに姿を変えたんです」
一路の魔力に護られ、溶けることのないドラゴンは、ウィルフレッドの手に渡され、順々に回されて行く。皆が色々な角度からドラゴンを見るが、それの品種に心当たりはなさそうだった。ギルマスになるまでに様々な魔獣と対峙してきた経験を踏まえ頼みの綱だったアンナも「流石にこれだけじゃ分からないわ」とお手上げだった。もっとドラゴンたちはそれぞれ個性を打ち出して欲しい所だ。
「上位種であることは多分、間違いないわ。下位種は、もっと蜥蜴とか蛇っぽいし、全体的に細いもの」
手の上に乗せたドラゴンをひっくり返しながらアンナが言った。
「エルフ族の里は、世界樹に護られているところだし、ドラゴンはもっと標高の高い所にいるからな」
ナルキーサスがアンナの手元を覗き込む。
「エルフ族もドワーフ族同様、竜人族は嫌いだ。あいつらは礼儀というものがなっていないからな。あいつらを連想させるドラゴンも忌々しいと捉える者も多いぞ?」
「なら、忌み嫌うものの象徴をイメージしたのかもしれないわねぇ。ただの黒い霧よりずっと恐ろしく忌まわしいものだもの、インサニアというものは」
アンナの言葉になるほどと頷く。ウィルフレッドが首をひねる。
「しかし、世界樹に護られる精霊樹が枯れるとはな」
「その世界樹にも異変が起こっているそうですよ。なんだかやけに葉が落ちると双子は言っていました」
「……嘘だろぉ……っ」
ついに胃腸の弱いウィルフレッドが右手で頭を抱え、左手で胃の辺りを擦りながらテーブルに突っ伏してしまった。エルフ族の血を引くナルキーサス、レベリオ、アンナは、信じられないという顔をしている。
「世界樹がインサニアに侵されてるとでもいうのか?」
切羽詰まったようにナルキーサスが立ち上がる。
「それが分かれば苦労はない。だが、世界樹の魔力により育つ精霊樹が二か月前に急に枯れたそうだ。まだ精霊樹になりたての樹だったらしいが、妖精族が魔力を喪いその身から零す花や葉の色を喪うようにその精霊樹も色を喪い、枯れ果てたと言っていた」
「もし、インサニアだとすればなんらかのバーサーカー化した魔獣が確認されるはずだ。エルフ族の里は深い森の中にあって周りには魔獣がうじゃうじゃしているんだからな」
「そういったことは双子は言っていない。そもそも双子は、母親に関しての情報以外はこれといって握っていないんだ。グラウに行って、族長とやらと話しをしないことには何がどうなっているのか詳細は分からん」
ナルキーサスは、むっと顔を顰めると何故か急に向かいに座る夫のレベリオに顔を向けた。
「駄目です」
ナルキーサスが口を開くより先にレベリオが言った。ナルキーサスがますます顔を顰めた。
「私もマヒロに同行する」
「は?」
「駄目だと散々、言いました。私はこの決定を覆す気は毛頭ありません」
寝耳に水とはこのことだ。真尋はナルキーサスが同行するなんて話は一切聞いていない。自分達四人が最低人数でグラウで族長とその他諸々が加わって何人になるかという話だと思っていた。一路やリックは知っていたのかと振り返るが、二人もぽかんとした表情を浮かべている。
「里の危機だ! 里には私の父がいるんだぞ!」
「それとこれとは話は別です! 貴女は女性で私の妻です! 男ばかりの旅に同行許可など出せる訳が無いでしょう!?」
レベリオが正論だな、と真尋は暫し夫婦喧嘩を眺めようと椅子に腰を下ろして煙草に火を点けた。一路とリック、ジョシュアはオロオロしているが、レイとアンナはあきれ果て、ウィルフレッドは止めようと試みているようだがいつ口を挟めばいいのかが分からないようだ。
「マヒロが私に欲情するとでも思ってるのか!? あいつは自分の妻にしか興味のない男だぞ!? 一路だって恋人にしか興味が無い上、二人は神父だ!! リックは馬鹿真面目だし、エディに至っては馬にしか興味はない!!」
「いや、エディさんの恋愛対象は女性ですけど……」
一路がそれとなくフォローを入れた。
「そんなことは私も知っています!! ですが、世間から見ればそんなことは分かりません!! 貴女はコシュマール子爵夫人なのですよ!?」
「今の私を見て女だと判断する人間の方が少ないだろうが!! なんだったら騎士の制服で変装していく!!」
「何を馬鹿なことを! 良く見れば女だと分かるに決まっています!! 貴女は間違いなく女性ですし」
「ごちゃごちゃうるさい!!」
ダンとナルキーサスが両手でテーブルを叩く。
「私は行くと言ったら、行く」
「治療院の患者はどうするのです?」
「生憎とインサニアの一件以降、私は魔導院院長としての仕事を優先している関係で、患者は抱えていない。それにアルトゥロは、私の味方だ! あれの許可は取った!」
「どうせ一方的なものでしょう!?」
オロオロして「待って下さいぃ、義姉上ぇ」と情けなく泣くアルトゥロの姿が容易く想像できた。真尋は紫煙を吐き出し、仲裁を諦めたウィルフレッドに顔を向ける。
「第一、いつもいつも私を女扱いするなと言っているだろうが!! 鬱陶しい!!」
「貴女は私の妻でしょうが!! 妻を女性として扱って何が悪いんですか!! そっちこそいい加減、その男装を止めたらどうです!?」
「うるさい! 腹黒陰険クソ野郎!!」
「なっ、何て言う言葉遣いですか!!」
口喧嘩はだんだんと脇道に逸れながらもヒートアップしていく。
「閣下、ブランレトゥでは夫婦喧嘩が流行っているんですか? 少しはクレアとルーカスとか、プリシラとジョシュを見習った方がいいですよ」
「私だって、そう思うが……こればっかりはなぁ。逮捕する訳にもいかないだろう?」
閣下もどうです、と煙草を勧めればウィルフレッドは、礼を言って一本受け取り火を点けた。
「私も婚約者のいる身で、向こうが成人したら結婚をする予定なのだが……兄夫婦と事務官夫婦がどうにもこうにもこんな調子では自信を無くす」
「前も言いましたが、大切なのは言葉でお互いの気持ちをきちんと確かめ合うことですよ。男の小さな矜持で隠し事をしても女性は見抜いて居ますからね。それが後々、軋轢を産むとああなるんです」
真尋は良い子には聞かせられない罵り合いを始めたナルキーサスとレベリオを顎でしゃくった。何故かナルキーサスは椅子を頭上に構えて、今にもぶん投げそうだし、レベリオは腰の剣に手をかけている。ウィルフレッドは群青の瞳でそちらをちらりと見た後、深々と紫煙と共にため息を吐き出した。
「リック、間違っても子どもたちが来ないように、廊下で見張っていてくれ」
「……分かりました」
苦笑交じりに頷いて、リックが出て行く。
アンナはつまらなそうに爪を弄っているし、ジョシュアとレイは剣の手入れを始めた。一路はやれやれと肩を竦めてあきれ果てた視線を夫婦に向けている。
「多少の発散は必要ですから、この煙草一本分だけ好きにさせましょう」
そう告げた瞬間、椅子が飛んでいき、真っ二つに切られてけたたましい音を立てた。真尋はその随分とアグレッシブな夫婦喧嘩を傍観することに決めたのだった。
――――――――――
ここまで読んで下さって、ありがとうございました!!
いつも閲覧、感想、お気に入り登録、励みになっております!
アグレッシブな夫婦喧嘩は、程々にお願いしたいところですよね!!
七月七日より、「偽りの幸福~記憶喪失になった侯爵様は奥様を溺愛する~」を連載開始しております! 恋愛カテゴリーなのですが、興味を少しでも持っていただけたらばご一読いただければと思います♪
また次のお話も楽しんで頂ければ幸いです<(_ _)>
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