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#4 Tunrning Point
ep.28 酔っ払い
しおりを挟む#4 Tunrning Point
――俺は時代に置いていかれたのか?
自問自答しながら苦笑する。
足下に綿埃が溜まったままの、立ち飲み酒場の一角。
どうせ汚れた作業靴だからと特に気にすることもなく、埃を踏みつけていた。
鳥打帽を深くかぶり、よれよれになった作業着姿の若い男がカウンターにもたれかかって、店内に流れるラジオ放送に耳を傾けていた。
定時のニュース放送には興味はないが、もうしばらくするとはじまる特別中継が気になって、今日だけは仕事を切り上げ、早い時間から酒にありついている。
視線がカウンターテーブルの上に粗末に置かれた鉄道輸送管理官のバッチに注がれていた。車輪に羽ペン。このバッジをこうやってじっくり見つめるのも久しぶりだ。手に入れた当初は誇らしく思って、同じ様に見つめていたと懐かしむ。いつからか業務は多忙をきわめ、紋章を見つめる機会はなくなった。
幸せな時間だったとつぶやいて、一人で苦笑い。
木製のジョッキの中身はすでに半分になっていた。
皿の上の薫製肉をつかみ、口に放り込む。塩分がきつく、合わせてビールをかきこむ。
かつての鉄道輸送管理官であったカート=シーリアスはどこにでもいるほろ酔い荷役として店内のラジオ放送に耳を傾けている。
――時間だな。
時計の針の動きよりわずかに遅れて時報が鳴り、番組が切り替わった。
雑音混じりのファンファーレ。
そして、男の声が聞こえてくる。
「帝国の復古を待ち望むみなさん! この放送は記念すべき中継となります。今ここに、レコンキスタ・メンバーズの代表として、演台に立っていらっしゃるのは、幾多の危機を乗り越えてきたスカイブループリンセスことマリアヴェール皇女殿下であります。そのお声を電波を借りまして、みなさまにお届けいたします!」
はりきった実況アナウンサー。背後に群衆のがやがやとした声も響いている。
歴史的放送になるだろう。ヒゲ面の中年マスターは腕を組みながら、得意顔でそう言った。最新式のいかついラジオ受信機を大枚をはたいて購入した甲斐があったと、マスターは終始ご機嫌だ。
もっとも、肝心の客はそんなことよりビールを寄越せとせっかちに催促したり、いまにも穴の開きそうな床やヒビだらけの窓を直せと怒鳴っている。うるせえぞ、聞こえねえだろとマスターは怒鳴り返す。この酒場はまだ夕方だというのにやかましい。
そんな喧噪をよそにカートは帽子をかぶったまま、じっとラジオを睨んでいた。
やがて、ラジオから幼なさ残る若い女の声が流れてくる。
聞き覚えのある声にカートの意識が集中する。
「私は、再び帝都に凱旋する日まで、決して倒れることなく、歩み続けることをここに宣言します! 帝都をこの手に取り戻すのです!」
レコンキスタ・メンバーズの代表として、結成を宣言。
同時に革命政府に対決する姿を鮮明にうちだす。
凛として演説するメリー。
カートが預かっていた生意気な少女とは思えない荘厳な雰囲気であった。つい最近まで、一緒に過ごしていたという感覚がもう、はるか昔に感じる。
待遇に不満を感じてふてくされたり、唇をとがらせている少女はどこにもいなかった。強い気持ちで挑んでいるのだろう。堂々とはっきりした言葉。多少は緊張しているのだろうが、大舞台に慣れていることを思わせる貫禄のスピーチ。
――無理をしているな。
なぜそう思ったか、わからない。理屈ではなく、直感。
たかだか数日をともにしただけだというのにそう感じてしまう。
彼女の演説に続くのは地鳴りのような群衆の声。あまりにも大音響で放送のノイズと混じって、なにが起こっているのか、まったくわからない。
会場の様子を伝えようとするアナウンサーも淡々とあります調で話していたものの、群衆の声に負け、もはや声がかき消されている状態だった。声を張っているようだが、かすかに聞こえてくる程度で、何を言っているのか、さっぱりわからない。
酒場の客たちはこの放送は失敗だとか、実況がだらしないとか口々に評価する。
ただ、ある程度じっと聞いていると、実況の声がはっきりと聞こえてきた。
群衆の声がやや遠くなったようだ。放送局がうまく工夫しているのだろう。
「すごい熱気です。帝国の復活を期待する声がこのように大きいことがわかります!」
ようやく放送がまともになってきた、というところで、客たちはやればできるじゃねえかと勝手なことを言い合っていた。
その時だった、
「おっと、どうしたのでしょう……
なにか動きが? こ、これは、舞台に!? ぶ、舞台に男が……男が侵入しています!」
会場のざわめきが大きくなる。
「刃物を持っているようです!
男が殿下に襲いかかろうとしています!」
と、実況もわめきたてる。
背筋に冷たいものが走る。
音声だけではなにもわからない。
思わず天を仰ぐ。叫びたいという衝動に駆られ、手で口をふさぐ。
どうにも出来ない、もどかしさ。
――いや、あの二人がいるはずだ!
メリーの傍には片時も離れないだろうリュミエールと、メリーを擁立した仕掛け人のウィリアム。二人とも、要人護衛の知識も技術も実力もあるはずだ。
――俺のようになにもない男とは違う!
脈打つ自分の鼓動が鮮明に聞こえた。
ラジオから実況がなにか伝えようとしている。耳に入らない。
一瞬、長い一瞬だと思った。
胸を押さえながら、言い聞かせる。
――あいつらがいる……!
目を閉じれば、二人の男が必死に盾になっていた。
そうなっていればいい。
事実はまさしく、カートの思い描いたシーン通りだった。
リュミエールが盾となり、ウィリアムが剣となった。
男はすぐに取り押さえられた。というよりも、ウィリアムの放った弾丸で即死だそうだ。
危機は去った。
実況アナウンサー、会場の群衆、放送を聞いていた酒場の客もほっと胸をなでおろした。
冷ややかな表情でジョッキをあけるカート。
気づけば掌に汗をかいていた。
――気にしてるもんなんだな。
危ない目にばかり会わせてしまった。
――でも、もう俺には関係ないことだ。
そのはずだった。
――俺はもうトランスポーターじゃないんだからな。
旧帝都から南西に位置し、交通の要所であり、衛星都市として栄えた街シャーリーハイツ。
帝都に向かう、交易の玄関口として栄えた経歴もあって、今でも鉄道輸送のターミナルとして名高い。積み荷の入れ替えが頻繁にあるため、荷役は仕事に事欠かさない。
鉄道ですぐに運搬させるため、効率を考え、近隣に工場も多く建設されている。近隣の労働者はもちろん、遠方からの出稼ぎも多い。また、同時に、そういった労働者のための大衆的な酒場も多い。
この街で荷役の仕事で汗をかいたあと、酒を飲んで、あとは寝るだけ。どこにでもいる、その日暮らしの労働者。
放送が終わって間もなく、酒場は落ち着きを取り戻していた。
カートが二杯目のジョッキを空けた時、白髪交じりの男が肩を叩いてきた。毛むくじゃらの手、角張ったごつい顔つき、背は低い。大きな目がぎょろりと動いた。赤ら顔で、酒臭い。酔っぱらっているのだろう。
「カート=シーリアスてのはあんたか」
荷捌き所で見たことがある顔だった。顔見知りというほど知らない。
「あんた、輸送管理官だったらしいじゃないか」
どこかで漏れたのか。
男の言い方には自信があり、適当に言いあてようとしているようではなかった。カートは揉め事の予感を感じ取り、顔をしかめる。
「だったらどうなんだ」
「管理官サマが俺たちと同じ仕事してるってのは、どういうことだ」
案の定、であった。だから、あまり前職について広めてほしくなかった。
「悪いことか」
「冗談じゃねえ。俺たちをコキつかっておいて、自分たちは高給取りにも関わらず、賄賂で甘い汁を吸ってたって話じゃねえか。お上にクビにされて、どの面下げて、俺たちと同じ仕事しようってんだ」
彼の言い分もあるだろうが、真実は違う。輸送管理官の印象を損なう報道があったのだ。少なくとも、当局はそういう言い分で輸送管理官を解雇した。だからといって、真実を話して、彼らは納得するだろうか。
「俺は不正をしていない」
「おまえがどうとかじゃねえんだよ、俺たちはおまえたちに使われ続けてきた。おまえらはクビになっても、俺たちの仕事を奪う気なのか? この仕事で明日の生活費を稼いでるやつは山ほどいるんだ」
「待ってくれ、俺はなにか問題になることをしたか」
「あんたのことを知ってる奴がな、気を遣って仕事回してんだよ、そんなことも気づかねえのか」
「そんな気遣いはいらない!」
「うるせえよ、おまえはそういっても、周りはそうおもわねんだ」
カートが気にしていた内容とは違っていた。
そして、男の言い分にはまったく気がついていなかった。
「なんだ、本当に気づかなかったのか?」
バカにするように男はわざと声を大きくして言う。
つかみかかりたい衝動をこらえる。先に手を出すなと自分自身に念じる。
「このあんちゃんが輸送管理官だったてのか。で、仕事がなくなって、俺たちと同じように荷役の仕事で日銭を稼いでいるってのか?」
他の男がやりとりを聞きつけて、首をつっこんでくる。
「きっとこのあんちゃんは真面目なんだよ。商売人とグルになって賄賂もらってたやつらとは関係ないんだろう。なあ、そうだろ?」
「そうかあ、人生間違えちゃったのか。悪知恵利く奴はこんなところで汗水なんか垂らしてないだろうしな」
そんなやりとりをただ黙って聞いていた。
輸送管理官の仲間に不正を働いていた者なんて、いるはずがない。
カートの主張と、実際のところはわからない。
一人くらいはいたかもしれない。
逆にそういういことをしているのが当たり前として、解体に踏み切ったと報道されてしまえば、事情を知らない人は「あいつらはずるい奴らだった」と思いこむのも無理はない。
ただ、一緒に働いていた荷役たちからも信頼をされていなかったとは思わなかった。
だから、一言だけは伝えたい。
「俺はあんたたちの力に支えられてきた。輸送管理官は一人ではなにもできない。貨物を運ぶことであんたたちと一緒に物流の世界を支えてきたつもりだったんだ」
「感動的な御託はいいんだよ。
実際は俺たちから巻き上げてたのはおまえたちだろうが」
「それは事実と違う!」
「お上に逆らうってのか、おもしれえ。どこかで憲兵さんが聞いていらっしゃるかも知れないぞ」
当局発表とカートの主張が明らかに違う。
荷役の彼らがどちらを信じるか。
そして、市民憲兵がどこで目を光らせているか。シエロのような特務に見つかったら、どんな目に遭うかわからない。集団で帝国びいきのラジオを聴いていたなんていう事実そっちのけで、都合のいいところだけ、男は憲兵様と口にする。
カートの主張に同調しようとする者はこの酒場にはいなかった。
暴言の次は拳が飛んできた。
夜が更けた頃。カートだけはまだ店に残っていた。喧嘩を売ってきた男たちはとっくに帰路についている。
頬のアザをさすった。
もう物理的な痛みはない。
ただ、あそこまで憎まれていることに悲しさが胸をうつ。
荷役と心を通じ合えていたつもりになっていた。
現実はそんなに綺麗ではなかった。
ムキになって言い合いになってしまった。
意地張って、恰好つけて、殴られ損であった。
マスターが仲裁に入ってくれたおかげで大喧嘩になることはなかった。店内で暴れないでくれ、明日の酒はないぞとマスターが叫ぶと、男たちは静かになった。男たちにとって、行きつけの店で出入り禁止をくらうほどのことでもなかったようだ。男たちはマスターに騒ぎを詫びた。
その後、カートには目もくれず、余興が終わったことに満足して、何事もなかったように帰路につく。
「なあ、あんたにはすまないが、彼らを許してやってほしい」
マスターが静かに語りかけてきた。
「わかっていると思うが、輸送管理官制度がなくなって、新しい段取りがやけに面倒だといらだっているんだ」
「……わかってるさ」
だからといって、彼らの不満解消に付き合ってやるほど、落ちぶれていない自負がある。
ただ、問題はそこじゃない。
輸送管理官と荷役の信頼関係など、最初からなかったというところだ。
「なあ、俺の言ったことはキレイゴトなのか」
いいや、とマスターは首を振る。
「オレはあんたの味方だよ。輸送管理官なしでは地方はもちろん、この街だって、もっと言えば、この店だってパンも酒も手に入らなかったかもしれない。肉や魚を仕入れることができるのも鉄道輸送があったからだ。そこで働く人々は時代を変えていく力を自覚して、同じ思いを持ちながら働いていた」
ほっとした。
肯定してくれる人がいたのだということに心底ほっとした。だが、酒場のマスターらしからぬ言葉の使い方に少々違和感を覚える。
「半分は常連さんの言葉でな。その常連さん、カートっていう輸送管理官がいたら、声かけてくれって言っていたな」
ぎょっとした。
どういうつながりだろう。
周りに誰もいないことを確認して、その常連さんは誰かと尋ねる。
「明日あたりならまだ黄昏時に工場の見える丘に彼女はいるはずだ。訪ねてみてほしい」
彼女、といった。
こんな面倒くさいやり方をするのはすぐに見当がつく。
だが、それはまた新たな面倒事への入り口だ。
のんびりと荷役の仕事をしていても、今日のような厄介事がある。
どうせなら面倒事につきあっても同じことだと酔っぱらったアタマで、そう決めた。
マスターに代金を払い、店を出た。
あとから、礼を言うのを忘れたと頭を抱えた。
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