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第五章

夏乃

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「あははははは」

 明るい笑い声が部屋に響く。部屋の片隅では瑞葵が涼風のこめかみに拳骨を押し付け、ぐりぐりしていた。

「いてっ!いてっ!」

 ダークスーツ姿の瑞葵が自分のこめかみには青筋を浮かべている。

「お前はっ!あれほど!行儀良くしろと!」
「いてっ!も、いてって!」

 車で騒動が起こっていると瑞葵が気が付き、助けに来てくれた。匠はともかく、医者として仕事で来ている喜屋には迷惑だったかもしれない。
 喜屋は有川に患者の所に連れて行ってもらっている。違う建物らしいが外廊下で繋がっているらしい。
 匠は部屋を見回した。
 屋敷一つを竹内が使っている様子だった。人の気配がないが……とにかく立派だ。
 おもしろいことに、畳の上に分厚い絨毯が敷かれ、その上に大きな皮張りのソファセットがある。
 部屋にある調度品も立派だが、どこか時代を感じさせる。窓の外には車できた庭園とはまた違う庭が見えた。こちらには池がある。
 おそらく匠には想像することができないぐらい広い敷地だ。そして、それに全て手がかけられている。
 金持ち……それも、歴史のある金持ち……。匠の貧相な想像力ではそこまでが限界だった。
 ソファの対面に朗らかに笑う……匠と同じ年ぐらいの青年と、涼風達をはらはらした顔で見ている十歳ぐらいの子供がいた。
 長の子供と言ったか?涼風の甥っ子。だが、匠が自分と同じくらいの年の青年を見る。もしかして……十代のころの子供だろうか。
 匠の視線に気が付いたのか、青年は笑うことをやめたが、柔らかい笑みを浮かべたまま匠を見た。

「今日は来てくれてありがとう。迎えに行ければよかったのだが、迷惑じゃなかったかい?」
「いえ」

 実際、喜屋と二人で来れたことの方が匠はありがたかった。一人だと……涼風がいるとしても心細かっただろう。
 匠の言葉にまた青年が笑う。
 大きい体の男だった。筋肉質……というわけではない。背も匠と同じぐらいだが、全体的にバランスが取れた体をしている。
 偉丈夫……?そんな古めかしい言葉が出てくる。柔らかい物腰なのに……強そうだ。
 顔は涼風に似ていた。涼風も大人になればこういう顔になるのだろう。面白いことに、髪も長い。涼風は前髪は眉で揃えているが、この青年は前髪も長かった。

「瑞葵から話があって、すぐ、いつもは呼んでも帰ってこない涼風が飛んで帰ってきてくれた。びっくりしたよ」

 そして、また、楽しそうに笑う。隣の少年もようやく匠を見て、にこりと笑った。
 この子は瑞葵に似ているか?でも、髪の色が明るく、少し癖っ毛のようだ。
 匠はソファの上で居住まいを直した。ここに通されて座らされたが、涼風と瑞葵の喧嘩に挨拶すらできていない。

「内藤匠です。涼風の学校の隣の病院で勤務薬剤師をしてます」

 そう言って、ちょっと考えたが腹を決めた。だから、ここにいる。

「涼風とお付き合いをさせて頂いています」

 殴られるかとちょっと身構えてしまう。瑞葵には蹴られた。
 だが、匠の自己紹介に返すように、対面に座る青年も綺麗に頭を下げた。隣の子供も丁寧に頭を下げる。

「丁寧にありがとうございます。私は竹内の現当主に当たるもので、瑞葵、涼風の兄でございます。そして、こちらが私の息子でございます」
「竹内夏乃です。今日はわざわざ遠い所までお越しいただき、ありがとうございます。父共々お礼を申し上げます」
「……う」

 うっわ……と言いかけて慌てて飲み込んだ。夏乃がなんだろううと可愛らしく頭を傾げるが、部屋の隅でこめかみを撫でる涼風と夏乃を見比べる。

「涼風」
「なんだよ」

 ぶすくれた声に、まぁ、涼風はこうなんだがと思いながら、一応は言う。

「お前、本当に夏乃君に行儀ならえ」
「うっせぇ!」
「うるさい!」

 歯をむき出しに怒鳴った涼風に隣にいた瑞葵が拳骨を落とす。涼風がさすがにうーっと呻いてしゃがみこんだ。
 夏乃はハラハラしているが、当主とやらはまた笑っている。
 匠はふと、この男のの名前を聞いたか?と自問した。
 いや……名乗らなかった。なぜだ?……いや別に、言いたくないのなら構わないが。

「えーと……夏乃君はいくつ?」
「あ、夏乃で構いません。八歳です。もうすぐ九つになります」

 涼風と八つ違うだけか!さすがに驚く。兄弟で通じるのに甥っ子か。

「ええと、涼風の甥っ子……」
「はい!涼兄さまの甥っ子です!」

 嬉しそうな夏乃に、ああ、と思う。涼風と仲がいいのだろう。

「なら……ええと瑞葵……」

 あ、と瑞葵が慌てたのが見えた。なんだ?と匠がそちらを向こうとして、夏乃がニコパとお日様のように笑う。

「ちぃおじさまです!」
「……ちぃ」

 なんか、可愛い。ぐふっと涼風が笑いをこらえて、慌てて両手で頭を庇った。長はソファの上で腹を押さえている。
 笑い上戸なんだろうか。いや、でも、匠も口元を押さえながら、もう一度言ってみる。

「……ちぃ」
「あんたも!うるさい!」

 怒鳴られた時に、有川に連れられた喜屋が部屋に入ってきた。
 なんの騒ぎだとそれぞれの顔を見回し、真っ赤になった瑞葵の所で視線を止める。

「クールビューティー?」
「あああああああっ!!!」

 これは……もう。
 涼風が爆発するように笑い出し、長はソファの上で腹を抱えて笑い出した。
 匠も瑞葵には悪いと思ったが、久しぶりに腹の底から笑わせてもらった。

 ◇

 不本意だろうが、瑞葵のおかげで場が和んだ。匠と喜屋は並んで座り、低いテーブルの両端の一人掛けのソファに瑞葵と涼風が座る。
 長がそれでと喜屋に顔を向けた。

「もう間もなくかと思いますが」
「……はい」

 喜屋がぎこちないが小さく頷いた。やはり……誰かが亡くなるのか。匠も気を引き締める。
 有川が書類みたいなものを瑞葵に渡した。

「来ていらっしゃる方々です。増減ありません」
「うん。術場は?」
「はい。主術場は前に。佐倉様が特に気に掛けておられたお孫様達の後ろに、瑞葵様の席をご用意しております」

 匠にはちんぷんかんぷんだったが、喜屋が長を見て、有川を見た。

「あれは……術場って言うんですか?」

 術場?なんだ?

「ああ、そうか。あれは目につきますね」

 長が言われて気が付いたと喜屋に向かって笑う。

「目隠しか、仕切りみたいなものかと……」

 なんの目隠しだ?なにを……隠す?

「その為の物でもあります」

 何のことだろうと匠が長を見て、涼風を見た。涼風は匠の視線に気が付いたのか、ソファからよっと立ち上がり、ドアを指した。

「百聞は一見だろ?有川。まだ、誰も入ってないな?」

 一見にしかずですよと涼風に言いながら、有川が長を見る。

「佐倉様と看護師だけでございます」
「夏乃は見たか?」

 名前を呼ばれ、夏乃もソファから立ち上がった。目がキラキラしている。

「はい!でも、もう一度見たいです!」

 子供らしい好奇心に涼風がふんと鼻を鳴らして、おいでと手招きした。

「なら、行こう」

 なら、行こうと言ったか?
 いいのか?と長を見るが、長も苦笑いを浮かべ、ソファから立ち上がった。

「私は支度をしないといけないので、一緒にはいけないが。瑞葵」
「はい」

 本当にいやそうな返事に喜屋がへぇという顔をする。

「術場に涼風を触らせるな。壊されると時間がない」
「触らねぇよっ!」

 本当に信用がないんだな、とある意味感心する。よほど、家でもやんちゃなのだろう。

「先生はどうされます?ここに……」

 長がそう言いかけて、おや?と口を閉じた。

「いや、先生には部屋がご用意されていたと思いますが」
「あ、俺がこちらがいいとお願いしたんです。それに、俺もあれが何か教えてほしい」

 喜屋も気になるのだろう。だが、いいのか?と匠が涼風を見たが、涼風が答えるより先に長が頷いた。

「ああ、構いません。瑞葵、先生をご案内しろ」

 いやそうな顔をしながらも、はいと返事をしてソファから立ち上がった瑞葵のそばに、すっと喜屋が立った。瑞葵が一歩逃げる。

「俺も瑞葵ってよんでいい?」

 ぐっ、と変な音が瑞葵の喉から聞こえた。匠が懲りないなと喜屋を見上げる。

「いや、クールビューティーでも俺は構わないんだけど」

 しれっと喜屋が二択をせまる。だが、そこにもう一つ選択肢を差し出したのがいた。
 外廊下に続く扉を開けてくれた有川の横で、にやりと涼風が笑う。

「ちぃちゃんでもいいよな」

 あの馬鹿。瑞葵の拳骨が届かないと見切っている。その横で夏乃がまたにっこりと笑う。

「ちぃおじさまです!」
「……ちぃ」

 ぐっ、と今度は喜屋の喉から変な音が聞こえた。同じパターンになりそうだと匠が首を竦めて……。
 ふと、視線を感じた。
 立ち上がった長がじっと匠を見下ろしていた。
 失礼だったかと匠も慌ててソファから立ち上がる。

「あ、じゃあ。俺も……」

 扉から出ていく涼風達の後を追おうとして、声をかけられた。

「……君とは、どこかで会ったか?」

 匠が一度動きを止め……そして、長を見た。また、それか。

「それ、同じことを瑞葵にも聞かれました」
「ああ。瑞葵も言っていた」

 長が匠の正面に立つ。匠も長をまっすぐに見た。
 やはり独特な雰囲気がある。長と呼ぶのに相応しいという物なのだろうか。朗らかに笑うだけの人間かと思えば、どこか底知れぬ冷たさがある気がする。

「俺、会ってますか?」
「いや。私にも記憶がない」

 長がそれでも何かが引っ掛かると顎に手を当て考え込む。

「私は仕事柄、顔と気を合わせて覚える。顔は整形で変えられても、気はその人間、固有の物だ。変えられるものではない」

 そうなのか。匠が静かに長の話を聞く。

「指紋みたいなものなんだよ。変わらない。そして、私は君の気にも記憶がない。会ったことはないはずなんだ」
「だと……思いますが」

 その通りだ。瑞葵と同じで、涼風に出会わなければ、一生縁がなかっただろう。
 長がふと匠に聞いた。

「私の名前を知っているかい?」

 ん?となる。先程、匠も思ったことだ。

「教えてもらってないですよね?」

 聞いてない。そして、おそらく、先程も言わなかった。

「涼風からも聞いてないか?」

 少し考えたが、匠は首を横に振った。

「涼風は『長』と言ってましたし……俺は長は涼風の父親かと思ってましたから」

 そうだ。長が涼風の兄だと教えたのは瑞葵だ。だが……やはり、瑞葵も『長』だ。

「涼風も瑞葵もあなたの事を『長』と呼んでますよね?」

 それ以外の呼び方を匠は聞いたことがない。

「うん……」

 長もその通りだと頷きながら、それでもと顔をしかめる。

「私の名前は珍しい。当てずっぽうで当たるような名前でもない。それに、その名前を使わなくなって、八年になる」

 八年?……夏乃が生まれた頃からだろうか。

「匠!」

 いきなり呼ばれて飛び上がった。振り返れば、先に出た涼風が戻ってきていた。小走りに匠のもとに来て、匠の腕を自分の胸に抱き込む。

「時間がない。何してんだ」
「いや、今、お前の兄ちゃんと……」

 話をしている途中だったんだが、と言いかけて涼風が長を睨んだ。

「後でいいだろ!」

 それが兄ちゃんに対する態度か?さすがに、お前ねと言おうとして……。

「後でと言ったな」

 静かな声だった。だが、その声の重さになぜか背中に冷たいものがすっと走った。思わず長を振り返る。
 今の声は一体なんだ?
 匠の腕を抱き込んだ涼風もきゅっと唇を噛み、長を見上げた。
 先ほどまでの雰囲気とは異なった長がいた。
 長は少し目を細め、じっと涼風を見据えている。

「逃げるなよ」

 それだけ言い、長は踵を返した。屋敷の奥に続く襖を有川が開けて長を待つ。同じ空間にいたはずなのに、匠は有川がいると気が付かなかった。長と匠の話の邪魔にならないように気配を消していたのだろうか。
 匠が髪をかき上げる。
 何が起こった?何が……どうした?
 ぎゅっと腕が重くなり、だったと涼風を見下ろす。涼風の顔も険しい。

「どうした?」

 一体、なんだったのだろうか。だが、涼風も口を閉じたまま何も言わなかった。
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