君と初恋をもう一度

さとのいなほ

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戸惑い

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 下腹部が濡れている気持ち悪さで目を覚ました。ベッタリと白い液体がパンツに付着している。
 なんという夢を見てしまったんだ、と休日の朝から気分が沈む。
 偶然とは言え瑞月の自慰を覗き見した上に、瑞月に口淫される夢まで見るとは……。
 朝陽も健全な男子高校生だからクラスメイトの間でそういう話題になることもある。だが朝陽は彼らほど性に熱心になることはなく、淡白な方だと思っていた。
 しかし、夢には願望が現れるという。あれが朝陽の願望なのだとしたら、自分は瑞月に対してそういう欲を持っていたということになる。
 いやいや、と朝陽は頭を振った。そんなはずある訳がない。相手は瑞月だ。年上で、男で、人をからかう奴だ。確かに綺麗な顔をしているし、体も華奢だし、昨日のあの姿も……と朝陽はそこで考えるのをやめた。思考が変な方向へ行こうとしている。
 朝陽は汚れてしまった下着を洗うため洗面室へ行った。ついでにシャワーも浴びたい。
 洗面室では瑞月が洗濯を回そうとしているところだった。

「おはよう朝陽。 洗濯物あるなら入れちゃって」

 いつもと変わらない綺麗な笑顔で瑞月が言う。
 朝陽は思わず固まってしまった。間が悪過ぎる。瑞月の顔をまともに見ることができないし、意味のある言葉を発することもできない。

「あ、いや……」
「なに? ほら、パンツ洗濯しちゃうからかして……あっ……」

 そう言って瑞月は朝陽の手から精液で汚れたパンツを奪い取った。パンツを見た瑞月は察してしまったようで気まずそうに謝ってきた。

「あー……その、ごめん。 これ、洗ってもらえたら一緒に洗濯回すから声かけて」

 瑞月は朝陽にパンツを返して申し訳なさそうに洗面室から出て行った。

(最悪だ……)

 朝陽は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。情けないし恥ずかしかった。
 パンツを洗って洗濯機に放り込みシャワーを浴びる。リビングに行くと瑞月が声をかけてくる。

「洗濯回しちゃっていい?」
「……うん」
「分かった。 トースト、そろそろ焼けるはずだから」
「トースター鳴ったら皿に出しておく」
「よろしく」

 やり取りこそ普段通りだが朝陽は瑞月と目を合わせられない。瑞月も少し気まずそうだった。
 チン、と軽い音を立てたトースターからトーストを取り出してテーブルに並べておく。程なくして瑞月が戻って来て朝食を二人で取った。食べ終わった頃に瑞月がそう言えばデザートがある、とキッチンへ行きバナナを持ってきた。

「なんでバナナが」

 嫌な予感がすると頬を引き攣らせながら瑞月に尋ねる。瑞月は俺もよくわからないんだけど、と前置きして答えた。

「おじさんが買ってきたの。 お酒入ってたしノリで買ったんじゃないかな」

 瑞月が皮を剥いてバナナを食べる。口に含む瞬間、赤い舌がチラリと見えて朝陽の全身が熱くなった。

「ん、熟してて美味しい。 おじさん、どこで買ってきたんだろ?」

 細い喉を動かして嚥下、また一口バナナを食べ、飲み込む。その度にちらちらと舌が見える。蠢く舌をもっと近くで見たいと思った。

「朝陽、食べないの……って近い近い」

 瑞月に顔を押し返されて自分がテーブルに身を乗り出していることに気がついた。

「わ、悪い!」
「俺の顔に何かついてた?」
「いや……」
「じゃあバナナでエッチなこと考えてた?」
 慌てて椅子に座り直し、一旦落ち着こうと麦茶を飲んでいる時にそんなことを言われて吹き出しかけた。外に噴射することはなんとか防いだが代わりに激しくむせてしまった。

「ちょっと、大丈夫?」

 瑞月は朝陽の様子に驚いたようで、背中をさすってくれた。優しく背中を上下するしなやかな手にむずむずとする。

「ごめんね。 まさか図星とは思わなかった」

 そう謝る瑞月の声には楽しそうな響きが乗っていた。

「思春期だから仕方ない。 でも朝陽もバナナなんかで妄想するんだ」

 半笑いでそう言われて朝陽は消えてしまいたかった。普段の朝陽ならこんなことにはならない。

「いつもはしない」
「へえ。 じゃあどうして今日はしちゃったの?」
「それはお前が……」
「俺が何?」

 きょとんとした瑞月にまずいことを口走りそうになったことに気がつき朝陽は言葉を飲み込んだ。

「なんでもない」
「ふうん?」

 まあいいけど、と瑞月はシンクで洗い物を始めた。オーバーサイズのスウェットを着ていても分かる線の細い体。私服で細身のパンツを履いていたが、腰のラインから臀部までは滑らな曲線を描いていた。触ったらどんな具合なのだろう。握ったことのある手はすべすべとしていたから、きっと体の他の箇所も滑らかで触り心地が良いに違いない。

(待て待て待て……)

 また思考が飛んでいたことに気がついた朝陽は部屋に戻ることにした。瑞月といたら良からぬ妄想をしてしまいそうだったからだ。
 悶々としたまま朝陽はベッドに寝っ転がる。勉強する気にもなれず携帯を触っていると不意に電話がかかってきた。洋介だった。

「もしもし?」
「よう朝陽。 なあ、今日は暇か?」
「暇だけど」
「よかった。 じゃあちょっと俺に付き合ってくれよ。 10時に駅前な」
「分かった」

 なんの用だ?と朝陽は疑問を持ったが出かけたい、というよりかは瑞月のいる家にいたくないと思っていたからちょうどよかった。
 まだ9時にもなっていないが、駅前なら開店している店がある。そこで勉強して洋介を待つことにしよう。
 部屋着から着替え、バッグを持った朝陽が階段を降りるとちょうど父親が起きてきたところだった。朝陽と瑞月の部屋は二階だが父親の部屋は一階にある。

「おはよう朝陽。 出かけるのか?」
「おはよ。 なんか洋介が用事あるって」
「そうか、気をつけるんだぞ」
「うん。 そうだ父さん」
「なんだ?」
「バナナはもう買ってくんな」

 疑問符を浮かべた父親だったが、じっとりと睨んでくる息子にああ、と答えるしか出来なかった。



 カフェで勉強をしていると洋介からメッセージが入った。集合場所に着いたらしい。今向かうと返信をして約束の場所へ行くと陽介が大きく手を振ってきた。

「朝陽ー!」
「よう。 どうしたんだよ」
「ちょっとお前に相談があってさ」
「電話じゃダメなのか?」
「まあ……」

 洋介は気恥ずかしそうに顔をかいた。その表情を見て朝陽はおや、と思った。

「明日茉莉と出かけるだろ? 格好とかちゃんとしとこうかなって思ってさ」 

 顔を赤くして照れる洋介に朝陽は目を丸くする。こいつもこんな顔ができたのか。

「いいんじゃないか? 付き合うよ」
「サンキュー」

 はにかむ洋介とファッションビルに移動した。
 それにしても、と朝陽は考える。洋介も茉莉もお互いが好きということになる。朝陽はむず痒い、甘酸っぱい気持ちになった。

「洋介は茉莉に告白はしないのか?」
「は!?」

 単刀直入に聞くと洋介は面白いくらい動揺した。

「告白って無理だろ。あいつ俺のことなんかなんとも思っちゃいないって」
「言ってみなきゃわかんないだろ?」
「いやいや玉砕するのが目に見えてるだろ! というかお前はどうなんだよ」
「俺? 別にそういうのないし」
「嘘つけ。 美人と手繋いで歩いてたって母さん言ってたぞ」
「は!?」

 次は朝陽が動揺する番だった。美人と手を繋いで歩くなんて心当たりが全くない。洋介の母親の見間違いじゃないだろうか。

「とぼけんなよ。 昨日の放課後、何してたんだよ」
「昨日……ああ、それ瑞月だ。 夕飯の買い物いってただけだよ」

 がっくりと力が抜けた。手を繋いでいたのではなく腕を引っ張っていただけだ。それでも知り合いに見られていたと思うと途端に恥ずかしくなってきた。

「なるほど。 で、瑞月さんと付き合ってんの?」
「なんでそうなる」
「だって母さん言ってたぜ? 『朝陽君、強気な顔して手を引っ張って美人さんの方も満更じゃなさそうだったわ。 あれはもう恋人しかない』 って」

 朝陽は思わず洋介の後頭を引っ叩いた。強気な顔をしているように見えたのはあの時焦っていたから顔が強張っていただけで、瑞月の様子は見えてなかったから知らないがそれもきっと勘違いに違いない。

「いってえ!」
「悪い手が滑った」
「お前なあ!」
「俺が瑞月と? ありえない」
「どうして」
「それは……」

 どうしてと言われると言葉が詰まる。瑞月のことは嫌いではない。しかしそういった対象として見れるかどうかはまた別問題のはず。
 だが、朝陽は瑞月をまた別の意味でそういう対象にしてしまった前科がある。夢を含めると二回。
 ありえないと思っているのは朝陽の思い込みで本当は瑞月をそう言う目で見ていたのだろうか。

「お、これ良くないか?」

またもやもやと悩み出した朝陽を放って洋介は服の物色を始めていた。声の方向へ顔を向けると、洋介が大きな龍
の刺繍のジャケットを持っていた。

「それはねえよ」



 洋介の服選びは混沌を極めた。洋介が手にする服手にする服がどれもヤンチャな人種が好んで着ていそうな物ばかりで、朝陽はよく見つけてくると呆れ、半ば感心していた。トゲトゲしたバッグを「強い!」と持ってきた時は朝陽も何かが切れてその場で爆笑してしまった。結局朝陽がその場で携帯でデートに相応しい服装を検索してやり、店員を捕まえて相談しながら購入させた。

「いやー助かった」
「ギンギラなジャケット持ってきた時どうしようかと思った」

 昼になり、二人はファミレスに入った。

「で、だ。 お前まじで瑞月さんとなんもねえの?」
「何もない。 逆に聞くがなんでなんかあると思ってるんだ」
「だってお前瑞月さん来てからちょっと変わったし」
「なんだそれ」
「具体的にどうっては言えないけどさ、腐れ縁の感ってやつだ」
「なんだよそれ」
「なんだろうなあ」

 笑う洋介に対して朝陽は呆れて言葉も出ない。

「お待たせいたしました。 こちらドリアとグラタンでございます」

 注文していた料理が運ばれてくる。
 目の前のドリアをつつく。熱くてなかなか食べることができない。それはグラタンを頼んだ洋介も同じようだった。スプーンで少し掬って食べ、を繰り返す。当たり前だが朝陽は洋介の食べる様子を見ても何も感じない。

「なんだ? グラタン食いたいのか?」

 見られていたことに気がついた洋介はそういってひと匙掬って朝陽の皿に乗せる。そうじゃないと思いながらありがとうと言って代わりにドリアを洋介にやった。
 朝陽達が案内されたのは窓際の席だった。ドリアも食べ終わってなんとなく外を眺めていると道路を挟んで向かい側を瑞月が男と歩いている様子が目に入った。
 瑞月から離れたくて外出したのにと恨みがましく見ていると瑞月は相手にしていないのに男がしつこく絡んでいるようで、付き纏われていると言った方が正確だった。

(まあ、あれくらい自分でどうにかできるだろ)

 瑞月がこちらに気づく様子も無いし、放っておけばいい。そう思って朝陽がドリンクバーにドリンクを取りに行こうと席を立った時、瑞月が男に腕を掴まれた。瞬間、出所の分からない怒りが朝陽の中に沸き立つ。
 無理矢理足を止められた瑞月は男の腕を振り解こうとしたが抵抗しきれず、そのままどこかへ連れて行かれようとしていた。

「……クソッ」
「どうした?」
「ちょっと行ってくる」
「は? あ、おい!」

 ファミレスを出て道路を渡り、二人に近づいていくに連れて男と瑞月のやりとりが聞こえてくる。

「ちょっとお茶してもらうだけでいいから」
「だから断るって言ってるだろ」
「いいじゃん、ちょっとだけ」
「やめろ、離せって」

 ナンパか悪質な勧誘か。どちらか分からないが朝陽は男の手を掴んで瑞月の腕から離させた。

「離せ、嫌がってるだろ」
「あ? なんだお前」
「朝陽……!」

 解放された瑞月はすぐに朝陽の後ろに周り、朝陽も庇うように一歩前に出る。

「嫌がる相手に付き纏ってダサいと思わないか?」
「ンだと!」

 男は腕を振りかぶり殴ろうとしてきたが、朝陽も携帯を取り出してこれみよがしに相手に見せつける。

「警察にも通報済みだ。 殴るなら殴れ」
「クソッ」

 警察は嘘だが、男には効いたらしい。朝陽を殴ろうと振り上げかけた拳を下ろし、男はその場から退散した。

「ありがとう朝陽」
「大したことはしてない。 お前、いつもああなのか?」
「いや、初めてだよ……はあ、怖かった」

 安堵した様子で朝陽の背後から出てきた瑞月は大きく溜め息をついた。

「朝陽が来てくれなきゃどうなってたことやら。 ありがとう」

 格好良かったよ、と瑞月によしよしと頭を撫でられる。恥ずかしいがそう悪い気はしなかった。恐怖で強張っていた瑞月にいつものふんわりとした笑顔が戻っていて朝陽もまたほっと胸を撫で下ろした。

「ところでどうしてここにいたの?」
「ああ、洋介の買い物に付き合って……」

 そこでファミレスに置いてきた洋介を思い出す。道路を挟み向かい側のファミレスを見ると洋介がにんまりとこちらを見ていた。
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