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第8章 想いに×砂糖は清らかであれ5%

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 放心状態で床に座り込む郁哉は、尾鷹が近付いて来ても微動だにできずにいた。
 室内は先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返っている。
 視線の高さに尾鷹はしゃがみ込むと、躊躇いがちにそっと郁哉の頬に触れてきた。

「郁哉……遅くなって悪かった」

 これは現実なのだろうか。
 この手のぬくもりは死んだ人間が持つものではない。
 目頭が熱くなると、鼻の奥がツーンと痛くなる。様々な感情が頭に、胸に、雪崩のように流れ込んでくる。
 それらを抱え切れずに止めていた呼吸に目眩を起こすと、瞼を伏せ尾鷹の胸にコツンと額を預けた。

「……本当に……遅いよ……馬鹿ッ」
「馬鹿は酷いな……少しは郁哉の役に立った?」
「……嫌なセリフだね」
「そう?」

 包み込むように尾鷹は郁哉を抱き締めた。郁哉も自然と尾鷹の背中に腕を回すと強く引き寄せた。
 それ以上は互いに言葉が出てこなかった。

 尾鷹は着ていた上着を郁哉の肩に掛けると、膝裏に腕を差し込み軽々と抱き上げた。女でもあるまいし自ら歩くと申し出たが、尾鷹はなにも言わず壊れものでも扱うように郁哉を抱え外へと足を進めた。

 繁華街は夜の景色から色を変え、すっかり朝日を浴びている。カラスが道端のゴミを漁り、酒のすえた匂いが夜の活気を物語っていた。
 朝日は燦々と輝き、暗がりから出たばかりの郁哉は眩しさに尾鷹の首筋に顔を埋めていた。

「ご無事でしたか?」
「ああ……なんとか」
「そうですか……良かった……」

 聞き馴染んだ声に郁哉は顔を上げると、路肩に停められた車の側に北島が佇み、ホッとした様子で後部座席の扉を開けた。

「店の戸締まりを頼める?」
「はい! すぐに戻ります!」
「ああ……北島、待ってくれ。礼を言いたい。お前がいなかったら、郁哉を守ることができなかった。ありがとう」
「先ほどは失礼なことを……申し訳ございませんでしたッ!」
「いや、構わないさ。これからもよろしく頼むよ」

 北島は尾鷹の言葉に今にも泣きそうになりながら一礼すると、駆け足で店へと向かっていった。

 そっとシートに腰を降ろされると、車外で跪く尾鷹の膝に足を乗せられ傷付いた爪先に触れられた。

「……痛む?」

 黒いストッキングは所々破け、爪先から仄かに血が滲み出ていた。ジンジンと痛むのは慣れないヒールで靴擦れし、抵抗に暴れたせいだ。
 爪先を包み込む尾鷹の掌に仄かな力が加わる。
 痛みに眉を歪めビクンッと肩を震わせると、ハッとしたように尾鷹は郁哉の脚を優しく撫で上げた。
 
「……平気……那津……怒ってる?」
「ああ……こんな格好をしていることも、宮下に触れさせたことも……辛い思いをさせてしまった自分の不甲斐なさにも」
「そっか……俺も、怒っているよ。目覚めたことを教えてくれなかったことも、全然元気そうなことも……カズ君に身体を明け渡しそうになってしまったことも……なにより……那津に傷を負わせてしまった自分の浅はかな感情にも」

 尾鷹は苦笑いを浮かべると、郁哉を車に押し込みドアを閉めた。
 逆側から後部座席に尾鷹が腰掛けると、タイミングを見計らったように北島が運転席に乗り込み、車はその場を走り去っていった。
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