141 / 161
第8章 想いに×砂糖は清らかであれ5%
20
しおりを挟む
放心状態で床に座り込む郁哉は、尾鷹が近付いて来ても微動だにできずにいた。
室内は先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返っている。
視線の高さに尾鷹はしゃがみ込むと、躊躇いがちにそっと郁哉の頬に触れてきた。
「郁哉……遅くなって悪かった」
これは現実なのだろうか。
この手のぬくもりは死んだ人間が持つものではない。
目頭が熱くなると、鼻の奥がツーンと痛くなる。様々な感情が頭に、胸に、雪崩のように流れ込んでくる。
それらを抱え切れずに止めていた呼吸に目眩を起こすと、瞼を伏せ尾鷹の胸にコツンと額を預けた。
「……本当に……遅いよ……馬鹿ッ」
「馬鹿は酷いな……少しは郁哉の役に立った?」
「……嫌なセリフだね」
「そう?」
包み込むように尾鷹は郁哉を抱き締めた。郁哉も自然と尾鷹の背中に腕を回すと強く引き寄せた。
それ以上は互いに言葉が出てこなかった。
尾鷹は着ていた上着を郁哉の肩に掛けると、膝裏に腕を差し込み軽々と抱き上げた。女でもあるまいし自ら歩くと申し出たが、尾鷹はなにも言わず壊れものでも扱うように郁哉を抱え外へと足を進めた。
繁華街は夜の景色から色を変え、すっかり朝日を浴びている。カラスが道端のゴミを漁り、酒のすえた匂いが夜の活気を物語っていた。
朝日は燦々と輝き、暗がりから出たばかりの郁哉は眩しさに尾鷹の首筋に顔を埋めていた。
「ご無事でしたか?」
「ああ……なんとか」
「そうですか……良かった……」
聞き馴染んだ声に郁哉は顔を上げると、路肩に停められた車の側に北島が佇み、ホッとした様子で後部座席の扉を開けた。
「店の戸締まりを頼める?」
「はい! すぐに戻ります!」
「ああ……北島、待ってくれ。礼を言いたい。お前がいなかったら、郁哉を守ることができなかった。ありがとう」
「先ほどは失礼なことを……申し訳ございませんでしたッ!」
「いや、構わないさ。これからもよろしく頼むよ」
北島は尾鷹の言葉に今にも泣きそうになりながら一礼すると、駆け足で店へと向かっていった。
そっとシートに腰を降ろされると、車外で跪く尾鷹の膝に足を乗せられ傷付いた爪先に触れられた。
「……痛む?」
黒いストッキングは所々破け、爪先から仄かに血が滲み出ていた。ジンジンと痛むのは慣れないヒールで靴擦れし、抵抗に暴れたせいだ。
爪先を包み込む尾鷹の掌に仄かな力が加わる。
痛みに眉を歪めビクンッと肩を震わせると、ハッとしたように尾鷹は郁哉の脚を優しく撫で上げた。
「……平気……那津……怒ってる?」
「ああ……こんな格好をしていることも、宮下に触れさせたことも……辛い思いをさせてしまった自分の不甲斐なさにも」
「そっか……俺も、怒っているよ。目覚めたことを教えてくれなかったことも、全然元気そうなことも……カズ君に身体を明け渡しそうになってしまったことも……なにより……那津に傷を負わせてしまった自分の浅はかな感情にも」
尾鷹は苦笑いを浮かべると、郁哉を車に押し込みドアを閉めた。
逆側から後部座席に尾鷹が腰掛けると、タイミングを見計らったように北島が運転席に乗り込み、車はその場を走り去っていった。
室内は先ほどの騒ぎが嘘のように静まり返っている。
視線の高さに尾鷹はしゃがみ込むと、躊躇いがちにそっと郁哉の頬に触れてきた。
「郁哉……遅くなって悪かった」
これは現実なのだろうか。
この手のぬくもりは死んだ人間が持つものではない。
目頭が熱くなると、鼻の奥がツーンと痛くなる。様々な感情が頭に、胸に、雪崩のように流れ込んでくる。
それらを抱え切れずに止めていた呼吸に目眩を起こすと、瞼を伏せ尾鷹の胸にコツンと額を預けた。
「……本当に……遅いよ……馬鹿ッ」
「馬鹿は酷いな……少しは郁哉の役に立った?」
「……嫌なセリフだね」
「そう?」
包み込むように尾鷹は郁哉を抱き締めた。郁哉も自然と尾鷹の背中に腕を回すと強く引き寄せた。
それ以上は互いに言葉が出てこなかった。
尾鷹は着ていた上着を郁哉の肩に掛けると、膝裏に腕を差し込み軽々と抱き上げた。女でもあるまいし自ら歩くと申し出たが、尾鷹はなにも言わず壊れものでも扱うように郁哉を抱え外へと足を進めた。
繁華街は夜の景色から色を変え、すっかり朝日を浴びている。カラスが道端のゴミを漁り、酒のすえた匂いが夜の活気を物語っていた。
朝日は燦々と輝き、暗がりから出たばかりの郁哉は眩しさに尾鷹の首筋に顔を埋めていた。
「ご無事でしたか?」
「ああ……なんとか」
「そうですか……良かった……」
聞き馴染んだ声に郁哉は顔を上げると、路肩に停められた車の側に北島が佇み、ホッとした様子で後部座席の扉を開けた。
「店の戸締まりを頼める?」
「はい! すぐに戻ります!」
「ああ……北島、待ってくれ。礼を言いたい。お前がいなかったら、郁哉を守ることができなかった。ありがとう」
「先ほどは失礼なことを……申し訳ございませんでしたッ!」
「いや、構わないさ。これからもよろしく頼むよ」
北島は尾鷹の言葉に今にも泣きそうになりながら一礼すると、駆け足で店へと向かっていった。
そっとシートに腰を降ろされると、車外で跪く尾鷹の膝に足を乗せられ傷付いた爪先に触れられた。
「……痛む?」
黒いストッキングは所々破け、爪先から仄かに血が滲み出ていた。ジンジンと痛むのは慣れないヒールで靴擦れし、抵抗に暴れたせいだ。
爪先を包み込む尾鷹の掌に仄かな力が加わる。
痛みに眉を歪めビクンッと肩を震わせると、ハッとしたように尾鷹は郁哉の脚を優しく撫で上げた。
「……平気……那津……怒ってる?」
「ああ……こんな格好をしていることも、宮下に触れさせたことも……辛い思いをさせてしまった自分の不甲斐なさにも」
「そっか……俺も、怒っているよ。目覚めたことを教えてくれなかったことも、全然元気そうなことも……カズ君に身体を明け渡しそうになってしまったことも……なにより……那津に傷を負わせてしまった自分の浅はかな感情にも」
尾鷹は苦笑いを浮かべると、郁哉を車に押し込みドアを閉めた。
逆側から後部座席に尾鷹が腰掛けると、タイミングを見計らったように北島が運転席に乗り込み、車はその場を走り去っていった。
0
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
あなたの魔法の秘密をすべて暴いてあげますよ
droit
恋愛
マジシャンだった貴族に婚約破棄されマジック業界からも追放されてしまった令嬢は、復讐のため貴族の商売道具だったマジックの種明かしをしまくり業界に復讐を試みるのであった
女勇者に婚約者を寝取られたけど、逆に彼女の恋人を奪ってやった
小倉みち
恋愛
ジュリアナは頭を抱えていた。
遠く離れた場所で旅をしているはずの婚約者――フランから、1通の手紙が届いたのだ。
内容は、
「自分の所属しているパーティの女勇者と一緒になることに決めた。君には申し訳ないが、俺と別れてくれ」
彼女は婚約者の信じられない行動に、呆れかえっていた。
彼女と婚約者は、数ヵ月後に結婚するはずだったのだ。
もうすでに式場の予約も式の内容も、ドレスだって注文済みである。
そのすべての費用は彼とその両親に請求するとして、ジョアンナにとって我慢ならないのは、婚約者を寝取った「女勇者」という存在だった。
彼女にも、恋人がいるはずだ。
しかも、10年以上の付き合いらしい。
ジョアンナは婚約者の手紙を握りしめたまま、その女勇者の恋人の元へと向かう。
――2人に復讐するために。
【R18】らぶえっち短編集
おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
調べたら残り2作品ありました、本日投稿しますので、お待ちくださいませ(3/31)
R18執筆1年目の時に書いた短編完結作品23本のうち商業作品をのぞく約20作品を短編集としてまとめることにしました。
※R18に※
※毎日投稿21時~24時頃、1作品ずつ。
※R18短編3作品目「追放されし奴隷の聖女は、王位簒奪者に溺愛される」からの投稿になります。
※処女作「清廉なる巫女は、竜の欲望の贄となる」2作品目「堕ちていく竜の聖女は、年下皇太子に奪われる」は商業化したため、読みたい場合はムーンライトノベルズにどうぞよろしくお願いいたします。
※これまでに投稿してきた短編は非公開になりますので、どうぞご了承くださいませ。
今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?
SKYTRICK
BL
冷酷無慈悲な戦争狂α×虐げられてきたΩ令息
ユリアン・マルトリッツ(18)は男爵の父に命じられ、国で最も恐れられる冷酷無慈悲な軍人、ロドリック・エデル公爵(27)と結婚することになる。若く偉大な軍人のロドリック公爵にこれまで貴族たちが結婚を申し入れなかったのは、彼に関する噂にあった。ロドリックの顔は醜悪で性癖も異常、逆らえばすぐに殺されてしまう…。
そんなロドリックが結婚を申し入れたのがユリアン・マルトリッツだった。
しかしユリアンもまた、魔性の遊び人として名高い。
それは弟のアルノーの影響で、よなよな男達を誑かす弟の汚名を着せられた兄のユリアンは、父の命令により着の身着のままで公爵邸にやってくる。
そこでロドリックに突きつけられたのは、《契約結婚》の条件だった。
一、契約期間は二年。
二、互いの生活には干渉しない——……
『俺たちの間に愛は必要ない』
ロドリックの冷たい言葉にも、ユリアンは歓喜せざるを得なかった。
なぜなら結婚の条件は、ユリアンの夢を叶えるものだったからだ。
☆感想、ブクマなどとても励みになります!
ドン引きするくらいエッチなわたしに年下の彼ができました
中七七三
恋愛
わたしっておかしいの?
小さいころからエッチなことが大好きだった。
そして、小学校のときに起こしてしまった事件。
「アナタ! 女の子なのになにしてるの!」
その母親の言葉が大人になっても頭から離れない。
エッチじゃいけないの?
でも、エッチは大好きなのに。
それでも……
わたしは、男の人と付き合えない――
だって、男の人がドン引きするぐらい
エッチだったから。
嫌われるのが怖いから。
【完結】A市男性誘拐監禁事件
若目
BL
1月某日19時頃、18歳の男性が行方不明になった。
男性は自宅から1.5㎞離れた場所に住む40歳の会社員の男に誘拐、監禁されていたのだ。
しかし、おかしな点が多々あった。
男性は逃げる機会はあったのに、まるで逃げなかったばかりか、犯人と買い物に行ったり犯人の食事を作るなどして徹底的に尽くし、逮捕時には減刑を求めた。
男性は犯人と共に過ごすうち、犯人に同情、共感するようになっていたのだ。
しかし、それは男性に限ったことでなかった…
誘拐犯×被害者のラブストーリーです。
性描写、性的な描写には※つけてます
作品内の描写には犯罪行為を推奨、賛美する意図はございません。
夜は嘘にふるえてる
小槻みしろ
現代文学
由衣には姉がいる。
病気がちで、家と病院を行ったりきたりで、なのにずっと静かに微笑んでいた。
そんな姉が、とうとう死ぬかもしれないと、由衣は母から告げられる。
由衣の16年には、望む望まないにかかわらず、ずっと姉の影が射していた。
生ぬるい感傷をもてあましながら、由衣は姉の見舞いに向かうことになる。
影を失くしても、人は生きていけるだろうか。
喪失の青春小説です。
死んで全ての凶運を使い果たした俺は異世界では強運しか残ってなかったみたいです。〜最強スキルと強運で異世界を無双します!〜
猫パンチ
ファンタジー
主人公、音峰 蓮(おとみね れん)はとてつもなく不幸な男だった。
ある日、とんでもない死に方をしたレンは気づくと神の世界にいた。
そこには創造神がいて、レンの余りの不運な死に方に同情し、異世界転生を提案する。
それを大いに喜び、快諾したレンは創造神にスキルをもらうことになる。
ただし、スキルは選べず運のみが頼り。
しかし、死んだ時に凶運を使い果たしたレンは強運の力で次々と最強スキルを引いてしまう。
それは創造神ですら引くほどのスキルだらけで・・・
そして、レンは最強スキルと強運で異世界を無双してゆく・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる