53 / 94
第八章 サボテン岩の戦い
4
しおりを挟む
気絶したエバーが目を覚ますまで、さほど時間は掛からなかった。
「うう……」
「悪いことしたね」
ヒカルが差し出した手を掴んで、エバーはゆっくりと起き上がる。
「イテテ……って、お前は!?」
掴んでいた手の正体に気づいたエバーは、勢い良く振り払った。
パピー姿のヒカル。姿を変える呪いをかけた、無礼な元人間のパピーの手だ。
「お前は……奴隷兵士に命じたはずなのに、なぜここにいる!」
飛びかかりそうなエバーよりも先に、彼に飛びついたのは、ボルボルの少女と話していたカリンダであった。
「ヒカルを人間に戻して!」
「な!?」
肩をがっしりと掴まれ、面を喰らったエバー。
「何を言う! 無礼なそいつを元の姿に戻すわけなかろう!」
カリンダの力強い黄色い眼差しを振り払い、それでも飛びかかるエバーを制したのは、小さな小さなボルボルの少女であった。
「やめて!」
「ザラ……?」
ヒカルの目の前に、ザラと呼ばれたボルボルの少女が立つ。両手をめいいっぱいに広げ、あたかもエバーから守ってくれてるかのように。
「このパピーさんは……悪いパピーさんじゃないの。エバーさんのお友だちで、竜神たまにつかえてるんだって」
「竜神……?」
確かめるようにして、彼はカリンダの瞳をチラリと見た。
黄色い瞳。きっと、エバーはカリンダの目の色で気がついたのだろう。
「けっ! 今の時代にも、竜神の使いなんかいるんだな」
「竜神様を侮辱するつもり?」
「竜神様、竜神様。これだから人間は時代遅れなのだ」
明らかな挑発に、カリンダの白い顔がみるみる赤くなっていく。
まずいな。このままじゃ、カリンダまで姿を変えられてしまう……。
手遅れになる前に、と、ヒカルはボルボル少女の横に並んで、エバーと向き合った。
目が合う。目線の高さが同じ。あらためて、自分は人間ではなくて、パピーになってしまったのだと実感した。
「俺たちは争いに来た訳じゃない」
「ふんっ、だったら何か? 止めにでも来たのか?」
「そうだよ」
「はぁ?」
挑発的な顔が陰った。バカな言葉だと思って怯んだのか、それとも一縷の希望を見てくれたのか。
「この娘こから聞いたよ。ボルボルとパピーのことも。どうして君が追放されてしまったのかも」
パピー一族とボルボル一族の関係。それは想像よりもずっと拗れた因果が隠されている。
昔、パピーはこの土地――魔の鳥籠の中腹の、サボテン岩のある草原にやってきた。
元々はボルボルの住みかであったが、パピーは彼らの土地を「侵略」したのだ。
だが、この昔のことを知る者は、年老いたパピーと、王族くらい。この地で生まれ、この地で育ったパピーは、隠蔽された真実を知らない。
「皆はエバー……さんを恐れたんだ。パピーの隠蔽したい歴史を知っているから」
――王族だからね。
「どうして、ボルボルの少女と仲良くなったの?」
エバーは黙って聞いていた。隣のボルボルの少女は、エバーの顔色を伺っている様子。
蝋燭が揺れると、エバーの顔にかかった影も揺れた。
「貴様らは……どうして我々パピーがこんなところで住んでいるのか知っているのか?」
重く、鉛のような声が、ヒカルの心に沈んでいく。
「黄金竜が、我々の住み家を奪っていったのだ」
黄金竜が、住み家を奪った。
エバーは、黄金竜が牙を剥きはじめた頃、このセカイは大きな混沌に巻き込まれていった、という。
竜保護派と竜討伐派――。
それまで続いていた大陸戦争は終わったものの、争いは黄金竜の豹変によって、ただ姿を変えただけに過ぎなかったのだ。
大国たちの皆は討伐派であるため、この争いはすぐに終わると思われていた。
「だけど、黄金竜は討伐派の国を集中的に狙いやがった」
討伐派は黄金竜の襲撃もあって、保護派を一掃するための余力がなかったのだ。
「ならどうするのか? そう、兵力が足りなければ、補充すれば良い。大国たち保護派の連中は、人間同士の争いに、人間以外の連中を引っ張ってきたのだ」
外が騒がしいのか。何か、巨大な物が倒れる大きな音が聞こえると、廊下の蝋燭が次々に消えていく。
サボテン岩の中を風が抜けていった。
「はい」
火の精霊であるボルボルの少女が、火を照らしてくれた。ヒカルは少女のその姿を見て、エバーの声よりも冷たくて重たい鉛の塊に、心を打たれた気持ちになった。
「分かっただろう? 我々がここに逃げてきた訳を」
「うん……」
「争いが好きな人間が、争いを止めるだと? 笑わせるな!
激しい剣幕に、隣のボルボルの少女が、ぎゅっ、とヒカルの足を掴んだ。ほのかな温かさと一緒に、少女の恐怖心まで伝わってくる気がした。
「でも、竜神様は!」
「カリンダ」
良いんだよ、と、彼女の方を向くと、頬はまだ紅潮していた。黄金竜を崇拝する「保護派」の彼女だからこそ言い返したいこともあるのだろう。
「ザラちゃん……で良いんだよね」
少女は上目遣いのまま、ゆっくりと頷く。
「おい、貴様」
エバーの問いかけを無視して、隣のザラに向かってなるべく優しい笑顔で話しかける。
「ザラちゃんは、争いが嫌いだよね? 傷ついたり傷つけたり、ね」
ザラは、今度は何度も大きく頷いて見せた。それが愛らしくて、ヒカルは思わず本当の笑みがこぼれる。
「今、外では争いが起きている。外だけじゃなく、このセカイ中のあちこちで。……ザラちゃんは、どうしたら、争いは終わると思う?」
ザラは真ん丸な目で、じっと見つめてきた。幼いながらも、しっかり考えている目だ。
「ごめんなさいをしたら……良いと思う」
的確な答えだ。
「そうだね」
ありがとう――そう言うと、黙って聞いてくれていたエバーの横を通り過ぎて、ここまで来た暗い坂道を見つめた。
「行こう。カリンダ」
「どこいくの?」
カリンダの声を背中で聞いて振り替える。
「争いを止めにいくんだよ」
ザラが照らしてくれる淡い光が、周囲をユラユラと照らしてくれていたけれど、エバーの顔には影がかかっていた。
「ふん! 貴様がいまさら足掻いたとのろで、何になると言うのだ!」
「わかんない。でもやるだけやってみるよ」
「な……! そ、そもそも、貴様にかけた呪いを解くことは出来ないのだぞ! 私だけではなく、いかなるパピーであっても。せっかくここまで来たのに、残念だったな。ただの骨折れ損だ!」
意地悪く言い放ったエバーであったが、言葉の矢はすり抜けていった。
ヒカルは「そっか」とだけ言うと、さっさと坂を下っていく。少し遅れてから、カリンダは慌てて彼の後ろを追いかけた。
残されたザラとエバーは、それ以上何も言うことはなく、ただただパピー姿のヒカルの背中を見つめることしか出来なかった。
「うう……」
「悪いことしたね」
ヒカルが差し出した手を掴んで、エバーはゆっくりと起き上がる。
「イテテ……って、お前は!?」
掴んでいた手の正体に気づいたエバーは、勢い良く振り払った。
パピー姿のヒカル。姿を変える呪いをかけた、無礼な元人間のパピーの手だ。
「お前は……奴隷兵士に命じたはずなのに、なぜここにいる!」
飛びかかりそうなエバーよりも先に、彼に飛びついたのは、ボルボルの少女と話していたカリンダであった。
「ヒカルを人間に戻して!」
「な!?」
肩をがっしりと掴まれ、面を喰らったエバー。
「何を言う! 無礼なそいつを元の姿に戻すわけなかろう!」
カリンダの力強い黄色い眼差しを振り払い、それでも飛びかかるエバーを制したのは、小さな小さなボルボルの少女であった。
「やめて!」
「ザラ……?」
ヒカルの目の前に、ザラと呼ばれたボルボルの少女が立つ。両手をめいいっぱいに広げ、あたかもエバーから守ってくれてるかのように。
「このパピーさんは……悪いパピーさんじゃないの。エバーさんのお友だちで、竜神たまにつかえてるんだって」
「竜神……?」
確かめるようにして、彼はカリンダの瞳をチラリと見た。
黄色い瞳。きっと、エバーはカリンダの目の色で気がついたのだろう。
「けっ! 今の時代にも、竜神の使いなんかいるんだな」
「竜神様を侮辱するつもり?」
「竜神様、竜神様。これだから人間は時代遅れなのだ」
明らかな挑発に、カリンダの白い顔がみるみる赤くなっていく。
まずいな。このままじゃ、カリンダまで姿を変えられてしまう……。
手遅れになる前に、と、ヒカルはボルボル少女の横に並んで、エバーと向き合った。
目が合う。目線の高さが同じ。あらためて、自分は人間ではなくて、パピーになってしまったのだと実感した。
「俺たちは争いに来た訳じゃない」
「ふんっ、だったら何か? 止めにでも来たのか?」
「そうだよ」
「はぁ?」
挑発的な顔が陰った。バカな言葉だと思って怯んだのか、それとも一縷の希望を見てくれたのか。
「この娘こから聞いたよ。ボルボルとパピーのことも。どうして君が追放されてしまったのかも」
パピー一族とボルボル一族の関係。それは想像よりもずっと拗れた因果が隠されている。
昔、パピーはこの土地――魔の鳥籠の中腹の、サボテン岩のある草原にやってきた。
元々はボルボルの住みかであったが、パピーは彼らの土地を「侵略」したのだ。
だが、この昔のことを知る者は、年老いたパピーと、王族くらい。この地で生まれ、この地で育ったパピーは、隠蔽された真実を知らない。
「皆はエバー……さんを恐れたんだ。パピーの隠蔽したい歴史を知っているから」
――王族だからね。
「どうして、ボルボルの少女と仲良くなったの?」
エバーは黙って聞いていた。隣のボルボルの少女は、エバーの顔色を伺っている様子。
蝋燭が揺れると、エバーの顔にかかった影も揺れた。
「貴様らは……どうして我々パピーがこんなところで住んでいるのか知っているのか?」
重く、鉛のような声が、ヒカルの心に沈んでいく。
「黄金竜が、我々の住み家を奪っていったのだ」
黄金竜が、住み家を奪った。
エバーは、黄金竜が牙を剥きはじめた頃、このセカイは大きな混沌に巻き込まれていった、という。
竜保護派と竜討伐派――。
それまで続いていた大陸戦争は終わったものの、争いは黄金竜の豹変によって、ただ姿を変えただけに過ぎなかったのだ。
大国たちの皆は討伐派であるため、この争いはすぐに終わると思われていた。
「だけど、黄金竜は討伐派の国を集中的に狙いやがった」
討伐派は黄金竜の襲撃もあって、保護派を一掃するための余力がなかったのだ。
「ならどうするのか? そう、兵力が足りなければ、補充すれば良い。大国たち保護派の連中は、人間同士の争いに、人間以外の連中を引っ張ってきたのだ」
外が騒がしいのか。何か、巨大な物が倒れる大きな音が聞こえると、廊下の蝋燭が次々に消えていく。
サボテン岩の中を風が抜けていった。
「はい」
火の精霊であるボルボルの少女が、火を照らしてくれた。ヒカルは少女のその姿を見て、エバーの声よりも冷たくて重たい鉛の塊に、心を打たれた気持ちになった。
「分かっただろう? 我々がここに逃げてきた訳を」
「うん……」
「争いが好きな人間が、争いを止めるだと? 笑わせるな!
激しい剣幕に、隣のボルボルの少女が、ぎゅっ、とヒカルの足を掴んだ。ほのかな温かさと一緒に、少女の恐怖心まで伝わってくる気がした。
「でも、竜神様は!」
「カリンダ」
良いんだよ、と、彼女の方を向くと、頬はまだ紅潮していた。黄金竜を崇拝する「保護派」の彼女だからこそ言い返したいこともあるのだろう。
「ザラちゃん……で良いんだよね」
少女は上目遣いのまま、ゆっくりと頷く。
「おい、貴様」
エバーの問いかけを無視して、隣のザラに向かってなるべく優しい笑顔で話しかける。
「ザラちゃんは、争いが嫌いだよね? 傷ついたり傷つけたり、ね」
ザラは、今度は何度も大きく頷いて見せた。それが愛らしくて、ヒカルは思わず本当の笑みがこぼれる。
「今、外では争いが起きている。外だけじゃなく、このセカイ中のあちこちで。……ザラちゃんは、どうしたら、争いは終わると思う?」
ザラは真ん丸な目で、じっと見つめてきた。幼いながらも、しっかり考えている目だ。
「ごめんなさいをしたら……良いと思う」
的確な答えだ。
「そうだね」
ありがとう――そう言うと、黙って聞いてくれていたエバーの横を通り過ぎて、ここまで来た暗い坂道を見つめた。
「行こう。カリンダ」
「どこいくの?」
カリンダの声を背中で聞いて振り替える。
「争いを止めにいくんだよ」
ザラが照らしてくれる淡い光が、周囲をユラユラと照らしてくれていたけれど、エバーの顔には影がかかっていた。
「ふん! 貴様がいまさら足掻いたとのろで、何になると言うのだ!」
「わかんない。でもやるだけやってみるよ」
「な……! そ、そもそも、貴様にかけた呪いを解くことは出来ないのだぞ! 私だけではなく、いかなるパピーであっても。せっかくここまで来たのに、残念だったな。ただの骨折れ損だ!」
意地悪く言い放ったエバーであったが、言葉の矢はすり抜けていった。
ヒカルは「そっか」とだけ言うと、さっさと坂を下っていく。少し遅れてから、カリンダは慌てて彼の後ろを追いかけた。
残されたザラとエバーは、それ以上何も言うことはなく、ただただパピー姿のヒカルの背中を見つめることしか出来なかった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
魔物集うダンスパーティー
夕霧
ファンタジー
配信企画で作った作品をこちらでも掲載しようと思います。
フリー台本なので、使用していただいて構いません。一言使いますと言っていただけると嬉しいです。
アレンジなどはセリフ改変ない限りOKです
さっさと離婚に応じてください
杉本凪咲
恋愛
見知らぬ令嬢とパーティー会場を後にする夫。
気になった私が後をつけると、二人は人気のない場所でキスをしていた。
私は二人の前に飛び出すと、声高に離婚を宣言する。
輝夜坊
行原荒野
BL
学生の頃、優秀な兄を自分の過失により亡くした加賀見亮次は、その罪悪感に苦しみ、せめてもの贖罪として、兄が憧れていた宇宙に、兄の遺骨を送るための金を貯めながら孤独な日々を送っていた。
ある明るい満月の夜、亮次は近所の竹やぶの中でうずくまる、異国の血が混ざったと思われる小さくて不思議な少年に出逢う。彼は何を訊いても一言も喋らず、身元も判らず、途方に暮れた亮次は、交番に預けて帰ろうとするが、少年は思いがけず、すがるように亮次の手を強く握ってきて――。
ひと言で言うと「ピュアすぎるBL」という感じです。
不遇な環境で育った少年は、色々な意味でとても無垢な子です。その設定上、BLとしては非常にライトなものとなっておりますが、お互いが本当に大好きで、唯一無二の存在で、この上なく純愛な感じのお話になっているかと思います。言葉で伝えられない分、少年は全身で亮次への想いを表し、愛を乞います。人との関係を諦めていた亮次も、いつしかその小さな存在を心から愛おしく思うようになります。その緩やかで優しい変化を楽しんでいただけたらと思います。
タイトルの読みは『かぐやぼう』です。
※表紙イラストは画像生成AIで作成して加工を加えたものです。
悪役女王に転生したので、悪の限りを尽くします。
月並
ファンタジー
友達がやっていた恋愛シュミレーションゲームの悪役女王に転生した、女子高校生のすみれ。自分が生き残るため、そして死に際に抱いた後悔のため、彼女は絶対的権力を使って悪政を強いる。
【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。
文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。
父王に一番愛される姫。
ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。
優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。
しかし、彼は居なくなった。
聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。
そして、二年後。
レティシアナは、大国の王の妻となっていた。
※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。
小説家になろうにも投稿しています。
エールありがとうございます!
イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~
美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。
貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。
そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。
紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。
そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!?
突然始まった秘密のルームシェア。
日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。
初回公開・完結*2017.12.21(他サイト)
アルファポリスでの公開日*2020.02.16
*表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる