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第一章 黄色い目をした少女
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「中で待っています。大槻ヒカル様」
ドキリとした。
自分の名前が書かれているからではなく、この廃墟の中には誰かが居て、逃げてもきっと追いかけてくるに違いない、と確信できたからだ。
原付バイクのエンジンを切る。逃げられない――ヒカルは意を決して、ギイと嫌な音が鳴る鉄の玄関を開けたのだ。
廃墟の中は、外から見るより綺麗なままであった。
埃は積もっているけれど、家具や窓ガラスもそのままで、人が住めないような状態では決してない。玄関には、扉が一つと奥へと続く廊下がある。ヒカルは、箱を脇に抱えながら、
「すみません」
反応はない。ヒカルは腕時計をちらと見た。これも自分で拵えた自信作だ。美しい白の文字盤に、淡い青色の針が、ちょうど一一時を指していた。
南向きの窓が多いためか、廃墟の中は薄暗く肌寒い。影がいたるところに落ちていて、世界の色を奪っている。
「すみません!」
今度は少しだけ、ほんの少しだけ大きな声を出してみた。それでも、返事はなかった。
どうしよう。
玄関から身動きが取れなくなったヒカルは、いっそのこと箱を開けてしまおうかと考えてみた。じっと箱をみつめてみる。これがただのびっくり箱で、おじいちゃんおばあちゃんたちの悪戯だったら、と想像してみた。箱を振ってみると、カラカラと音がした。そして、チクチクチク、と音が聞こえ始めたではないか。
自動巻き時計の音だ、とヒカルはすぐに気が付いた。中には時計が入っている!
拳銃ではないと分かって、ヒカルの心の重りは半分くらい落とされた。でも、まだ安心できない。この時計を必ず届けなくては、と時計職人としての熱が出てきたのだ。慣れしたんできた時計がここにいる。それだけで、ヒカルはまるで最強の武器を手に入れたかのような、最強の助っ人が登場したかのような気持になることができた。
大好きな時計を前にしては、どうして指定された場所が廃墟だったのか、という疑問は重りと一緒に消えてしまう。
やがて、ヒカルはあることに気が付いた。
埃の被った廊下に、微かではあるけれど足跡があることに。足跡は奥の廊下へと続いている。ヒカルは、その足跡をたどって、薄暗い廃墟の奥へと進んでいった。
廊下の奥には、何もない八畳の座敷が広がっていた。南向きの窓からは日光が入り込んでいて、空中に舞う埃とを照らし、綺麗な光の筋が出来ている。畳の上にも、窓の形の光が浮いている。
足跡はそこで終わっていた。
呆気に取られてしまったヒカルは、何もないはずの和室をぐるぐる回ってみたけど、何も起こらなかった。隠し部屋があるのかとも考えた。畳を剥がそうとしたり、壁を叩いてみたりしたけれど、何も見つからない。
はあ、とため息をひとつ。
すると、家の外からガシャンと音がした。何事かと耳をすましてみると、なんと切ったはずの原付バイクのエンジンがかかっているらしい。
まさか! そう思ってポケットの中に手を入れてみる。
「差しっぱなしだ……」
ヒカルは慌てて来た廊下を駆け抜けた。しかし、どうにもおかしい。短い廊下のはずが、嫌に長く感じる。いくら走っても廊下が終わらない。むしろ長くなっている気もしたのだ。
「なんだこれ!?」
バイクが盗まれてしまうのではないかという不安もあったけれど、不気味に伸びた廊下から出られない恐怖がヒカルを襲う。どんどん走るスピードが速くなる。息も上がってきた。しまいに、足がもつれてしまって、ヒカルは転んでしまった。拍子に持っていた箱が飛ばされる。再び箱の中からチクチク、と再び音が聞こえてきた。
時計は無事かと箱を拾い上げてみると、さっきとは違い、秒針の音がどんどん早くなっていく。
チクチクチク……が、チチチ……と。
まるで時間が加速しているかのようで、チー……と、絶え間ない音が出るようになってきた。
秒針が遅れることはあっても、早くなることはほとんどない。それはヒカルもちゃんと知っている。だが、しばらくして、今度はチクチクチク……、と正常な間隔に戻っていった。
「なにが起こってるの?」
そして、さっきまで永遠に近く続いてはずの廊下の出口が、すぐ目の前にあることにヒカルは気が付いた。
伸びた廊下。急加速した時計の音。朝から多くの謎を詰め込まれたヒカルの頭は、すでにパンクしてしまっていて、何も考えることが出来ないまま、廊下を出た。
だからこそなのかも知れない。ヒカルが目の前の、本日最大の謎の光景を目にして、一つも驚くことができなかったのは。
廊下を抜けた先――そこは、影のおちた玄関ではなく、ただの草原が広がっていたのだ。
ドキリとした。
自分の名前が書かれているからではなく、この廃墟の中には誰かが居て、逃げてもきっと追いかけてくるに違いない、と確信できたからだ。
原付バイクのエンジンを切る。逃げられない――ヒカルは意を決して、ギイと嫌な音が鳴る鉄の玄関を開けたのだ。
廃墟の中は、外から見るより綺麗なままであった。
埃は積もっているけれど、家具や窓ガラスもそのままで、人が住めないような状態では決してない。玄関には、扉が一つと奥へと続く廊下がある。ヒカルは、箱を脇に抱えながら、
「すみません」
反応はない。ヒカルは腕時計をちらと見た。これも自分で拵えた自信作だ。美しい白の文字盤に、淡い青色の針が、ちょうど一一時を指していた。
南向きの窓が多いためか、廃墟の中は薄暗く肌寒い。影がいたるところに落ちていて、世界の色を奪っている。
「すみません!」
今度は少しだけ、ほんの少しだけ大きな声を出してみた。それでも、返事はなかった。
どうしよう。
玄関から身動きが取れなくなったヒカルは、いっそのこと箱を開けてしまおうかと考えてみた。じっと箱をみつめてみる。これがただのびっくり箱で、おじいちゃんおばあちゃんたちの悪戯だったら、と想像してみた。箱を振ってみると、カラカラと音がした。そして、チクチクチク、と音が聞こえ始めたではないか。
自動巻き時計の音だ、とヒカルはすぐに気が付いた。中には時計が入っている!
拳銃ではないと分かって、ヒカルの心の重りは半分くらい落とされた。でも、まだ安心できない。この時計を必ず届けなくては、と時計職人としての熱が出てきたのだ。慣れしたんできた時計がここにいる。それだけで、ヒカルはまるで最強の武器を手に入れたかのような、最強の助っ人が登場したかのような気持になることができた。
大好きな時計を前にしては、どうして指定された場所が廃墟だったのか、という疑問は重りと一緒に消えてしまう。
やがて、ヒカルはあることに気が付いた。
埃の被った廊下に、微かではあるけれど足跡があることに。足跡は奥の廊下へと続いている。ヒカルは、その足跡をたどって、薄暗い廃墟の奥へと進んでいった。
廊下の奥には、何もない八畳の座敷が広がっていた。南向きの窓からは日光が入り込んでいて、空中に舞う埃とを照らし、綺麗な光の筋が出来ている。畳の上にも、窓の形の光が浮いている。
足跡はそこで終わっていた。
呆気に取られてしまったヒカルは、何もないはずの和室をぐるぐる回ってみたけど、何も起こらなかった。隠し部屋があるのかとも考えた。畳を剥がそうとしたり、壁を叩いてみたりしたけれど、何も見つからない。
はあ、とため息をひとつ。
すると、家の外からガシャンと音がした。何事かと耳をすましてみると、なんと切ったはずの原付バイクのエンジンがかかっているらしい。
まさか! そう思ってポケットの中に手を入れてみる。
「差しっぱなしだ……」
ヒカルは慌てて来た廊下を駆け抜けた。しかし、どうにもおかしい。短い廊下のはずが、嫌に長く感じる。いくら走っても廊下が終わらない。むしろ長くなっている気もしたのだ。
「なんだこれ!?」
バイクが盗まれてしまうのではないかという不安もあったけれど、不気味に伸びた廊下から出られない恐怖がヒカルを襲う。どんどん走るスピードが速くなる。息も上がってきた。しまいに、足がもつれてしまって、ヒカルは転んでしまった。拍子に持っていた箱が飛ばされる。再び箱の中からチクチク、と再び音が聞こえてきた。
時計は無事かと箱を拾い上げてみると、さっきとは違い、秒針の音がどんどん早くなっていく。
チクチクチク……が、チチチ……と。
まるで時間が加速しているかのようで、チー……と、絶え間ない音が出るようになってきた。
秒針が遅れることはあっても、早くなることはほとんどない。それはヒカルもちゃんと知っている。だが、しばらくして、今度はチクチクチク……、と正常な間隔に戻っていった。
「なにが起こってるの?」
そして、さっきまで永遠に近く続いてはずの廊下の出口が、すぐ目の前にあることにヒカルは気が付いた。
伸びた廊下。急加速した時計の音。朝から多くの謎を詰め込まれたヒカルの頭は、すでにパンクしてしまっていて、何も考えることが出来ないまま、廊下を出た。
だからこそなのかも知れない。ヒカルが目の前の、本日最大の謎の光景を目にして、一つも驚くことができなかったのは。
廊下を抜けた先――そこは、影のおちた玄関ではなく、ただの草原が広がっていたのだ。
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