未来樹 -Mirage-

詠月初香

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3章

16歳 -火の陽月5-

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ヒノモト国では火の極日が目前になると、暑いなんて簡単な言葉では言い表せない程の暑さです。陽月でこの気温なら極日になったらどこまで気温が上がるのか? もしかしたら熱いって書く方が正解な気温になるんじゃ?なんて事を考えてしまう程の暑さですが、幸いな事に湿度が低いので日陰で風を受けていれば何とか我慢できます。だからこそヒノモト国の建築物はいかに日差しを遮るかという事と風通しを良くするかに特化していて、ヤマト国や天都の和の要素を感じる建物とは全く似ていません。

ただ共通しているのはお風呂やトイレがない事で……。

特にヒノモト国では水が貴重なので、ヤマト国にはあった蒸し風呂すら存在しません。みんな僅かな水で濡らした布で身体を拭いてお終いです。流石に王族や高位華族ともなればもう少しちゃんと綺麗にしているとは思うのですが、平民の中には海に飛び込んでササッと身体を洗って直ぐさま出るとそのまま乾かす人もいるようで、全身塩塗れでガビガビになってしまっている人もちらほらと見かけます。
あれ、病気にならないのかなぁ……。

トイレに関してはもう諦めていて、数年前の漂流生活時代に金さんと浦さんにお願いして作ってもらった携帯用ウォシュレットを持参しています。造り自体はとても簡単で、水を入れたタンク(袋)をギュッと握ればノズルから水が出るという仕組みです。島に家を建てるまではとてもお世話になったアイテムですが、今ではこうやって外出先で使うアイテムとして重宝しています。ただこの国では中に入れる水の確保が出来ません。なので浦さんには、毎晩交代で船に不寝番に行く叔父上や山吹に同行してもらい、樽に入れた海水を綺麗にしてもらって持ち帰ってきてもらっています。この為だけに浦さんには毎晩海に向かってもらう事になるのですが、ヒノモト国のこの時期に水の精霊の力が感じられてもおかしくない場所なんて海しかありません。なので浦さんの好きな料理を後日必ず作るからという条件で、何とか承諾してもらいました。

まぁ……自分たちだけ綺麗でも、周りの臭いが凄いんですけどね。

この国の人の臭さは体臭だけではなく、香辛料と混ざった独特なニオイでどうにも慣れません。最上級の暮らしをしているはずの王族の緋桐殿下ですら香辛料80%体臭20%といった感じなので、町を歩いている庶民のニオイたるや滞在中に慣れるかなぁ?と考えてから、いや慣れたくないわと思い直すほどです。




その緋桐殿下ですが、有言実行とばかりにこの宿に部屋をとってしまいました。明らかに場違いな客が居座る事になってしまい、この宿の主人や従業員の方には本当に申し訳ない気持ちになってしまいます。

なぜこんな事になってしまったのかといえば、緋桐殿下が叔父上に言っていた「伝えたい事」の所為なのです。

そもそも緋桐殿下がこの宿に滞在すると言いだした時、当然ながら叔父上は丁寧な言葉で断固として拒否の気持ちを伝えました。でも穏やかな表情のまま圧をかける叔父上に緋桐殿下も負けていませんでした。

「先程も言ったと思うが、伝えておきたい事があるのだ。
 その前に、櫻嬢。その……あの時の天都での出来事をご家族には……?」

色々と頑張って言葉を選んでくれているのは解るのですが、何も隠れていないよっ!とツッコミたくなる発言をする緋桐殿下に、

「全て話しています。隠さなくてはならないような事は何もしていませんから」

と返事をすると緋桐殿下は明らかにホッとした表情になりました。私も人の事は言えませんが、緋桐殿下も腹芸と呼ばれる類のものがかなり苦手なようです。

「では包み隠さず全て話せるな。
 あの後、櫻嬢は怪しい輩に後をつけられたりはしなかったか?
 或は何かしらの騒動に巻き込まれたりは?」

声のトーンを少し下げて、心持ち声を小さくした緋桐殿下が真剣な表情でそう切り出しました。あの後の騒動といえば、家族全員の人生を大きく変えたと言っても過言ではない襲撃事件が真っ先に思い浮かびます。時期的には天都から戻った直後とは言い難いのですが、約1ヶ月90日後にゼロから作り上げた大切な家を徹底的に壊して捨てなくてはなりませんでした。それに黒松や王風の事も……。

あの時の事を思い出す度に、今でも悲しくて悔しくて涙が滲んできそうになります。

「あの直後ですか? 特には……」

微妙に言葉を濁して返事をするのは、緋桐殿下の真意が今一つ読み取れないからです。悪い人だとは思っていませんが茴香ういきょう殿下や蒔蘿じら殿下程信頼できるかと言われれば、そこまでの親交も信頼もありません。

「あぁ言い方が悪かったな、直後ではないんだ。
 俺が気付いたのも天学に入学して暫く経ってから……
 確か火の陰月に入って少し経った頃だったと思う」

緋桐殿下が告げた日時は、私達が襲撃を受けた火の極日と大差がありませんでした。

「気付いたとは何に?」

叔父上が殿下に先を促すと、更に声を低く小さくした緋桐殿下は一つ呼吸を入れてからゆっくりと話し出しました。

志能備しのびだ。俺の様子を常に伺う気配があった。
 緋色宮家に滞在していた間中、常にその気配を感じていたのだが
 どうしても身柄が確保ができない。
 そんな手練れの志能備を囲っている者は……」

「ミズホ国……ですか」

「あぁ、そうだ。 緋色宮に志能備を送り込む理由は解るが、
 俺個人に付ける理由に全く思い当たる節が無くてな……。
 それに俺を常に監視している風ではあったんだが、
 何かを仕掛けてくる様子はなく……。
 ただ時期を考えるとあの時の神事に関係しているのではと思い至ったんだ」

どの国も表立って志能備を使っているなんて公言はしていませんが、どの国も確実に活用している志能備。ヒノモト国は正々堂々と戦う武人を尊ぶ気風から志能備をあまり好ましく思っておらず、王家としても単に素早く情報をやり取りするための集団という扱いですが、ミズホ国は違います。

過去に於いてあの国がヒノモト国と対等に戦争を長期間続けていられたのも、優れた志能備の技があってこそだと言われています。そんなところもヒノモト国人には受け入れ難く、とことん性格の合わない2国です。

「……そうですか」

どこまで話すのか、何を話すのかの判断に困って叔父上を見れば、叔父上も思案顔です。結局叔父上も殿下の出方を探るような会話を続けるしかなかったようで

「その志能備の気配は今でも感じられる事が??」

と殿下の話しを更に促します。

「あぁ、あの頃程ではないが……時々な。
 その度に何とか確保しようとするのだが上手くいかない。
 我が国にも志能備はいるが、かの国とは運用法が決定的に違うからなぁ。
 今一度、陛下に進言すべきかもしれん」

緋桐殿下はそう溜息をついてから改めて私を見ます。

「話しが逸れたな。つまり、志能備が付いたのが俺だけならば良いのだ。
 ただ櫻嬢にも同じように志能備が付いていた場合、
 偶然とはいえ俺と出会った事で何かしら相手に動きがあるやもしれん。
 それを警戒し防ぐ為にも護衛は付けた方が良い。
 見知らぬ者を身近に置きたくないというのであれば、俺が守ろう」

なるほど、殿下が同じ宿に泊まると言いだした理由は解りました。解りましたが、殿下がいると色々と不都合が生じます。例えば身内しか居ない場所なら許される事も、殿下が1人いるだけで不可能に……って、志能備が私についている可能性を考えたら殿下が居なくてもアウトでは?!

これは由々しき事態です。

叔父上たちはどうか解りませんが、私は街中の人にさえ気を付けていれば良いのだと思っていました。顔を隠して目立ちさえしなければ問題ないと思っていたのです。でも……私を監視する志能備って、何それ!って感じです。

思わず慌ててしまいましたが、深呼吸してから冷静に考えてみれば三太郎さんの目をかいくぐって志能備が島まで付いて来られる訳がありませんし、少なくとも現時点では志能備は付いていないと思います。もしそんな不審な人が居たのなら、間違いなく三太郎さんが注意してくれるでしょうし。

ただ、三太郎さんも決して万能って訳じゃないからなぁ……。


「殿下が櫻を気遣ってくださっている事は解りました。
 ですが第二王子殿下が常に商人の娘の傍に居るともなれば醜聞となります。
 ましてや火の極日も近いこの時期は王族である殿下は多忙極まりないはず。
 どうかご自身の事を第一にお考え下さい」

「あー、すまないがその醜聞が欲しいというのも理由の一つなんだ」

「は??
 いや、理由は聞きません。説明も要りません。
 櫻を巻き込むような事、絶対にさせませんので!」

途中までは丁寧な対応をしていた叔父上が、突然立ち上がると強い語調でキッパリと言い切ります。同時にそれまでは随身として叔父上の後ろで無言で立っていた山吹もギロリと殿下を睨みつけ、兄上までもがジトッと「駄目だ、この人」と言わんばかりの視線を殿下に飛ばします。

みんな、緋桐殿下は一応王子様だからねっ!!




結局、一晩考えさせてほしいと返事をして殿下には一度帰ってもらったのですが、帰り際に2階の全部屋を少々強引に借りてから帰っていきました。

この宿は2階に最高ランクの部屋が3つある造りなのですが、その部屋は既に借りているお客さんが居ました。それを宿の外で待機していた緋桐殿下の随身に命じて別の宿の部屋を手配し、更には詫び金を渡して移動してもらったのです。更には宿にも料金を上乗せして支払って、残りの2部屋を借り切ってしまいました。その為、このフロアに居るのは入口の守衛を除けば私達だけです。

ちなみに3部屋と便宜上言いましたがスイートルームのような造りなので一部屋の中に幾つもの部屋があり、私達も其々の個室に加えて全員が集まれるリビングもある大きな部屋に泊まっています。


「叔父上、どうしましょう?」

兄上が叔父上に問いかけますが、叔父上は眉間に皺を寄せて渋い顔をしたままです。

この世界では人相を伝える手段が手書きの絵しかないので、前世に比べれば隠れ住む事が容易です。何せキトラ古墳の女官像のような絵が主流のこの世界、どうやってあれで人相を判断できるのか首を傾げるレベルなのです。だから実際に母上や叔父上たちと会った事のある人と出会わない限り、幾らでも言い逃れが出来ると心のどこかで楽観的に考えていました。

「苦渋の決断だが、緋桐殿下の話しを受けよう。
 今すぐここを離れるという方法もあるが、
 今から稼ぎ時というこの時期に商人が町を出ていくのは不自然過ぎる」

深い深いため息をついた叔父上が、渋々といった感じで殿下の申し出を受ける事を決めました。叔父上の言う事はもっともで、それじゃなくても今日の騒動で目立ってしまったのにこれ以上の悪目立ちは避けたいところです。

「後、緋桐殿下と共に私達のうち誰かが常に櫻と共に居るようにしよう。
 三太郎様が櫻をお守りくださっていると油断する事の無いよう……
 良いな、槐。山吹」

「「はい」」

「櫻も良いね?
 窮屈かもしれないが、常に誰かと一緒に居るように」

その言葉に頷くしかありません。窮屈さよりも安全の方が優先に決まっています。

「僕たちは何時になったら安心して暮らせるようになるのでしょうか……」

ぽつりと漏らされた兄上の言葉に、叔父上や山吹は言葉に詰まってしまって返事ができません。叔父上や母上が何か罪を犯して逃げているのならば仕方ないと思えますが、何も悪い事をしていないのに何時まで逃げ続ければ良いのか……。

もともとは「せめて友人ぐらいは……」という親心から始まった今回のヒノモト国への上陸でしたが、友人を作るどころではなさそうです。




緋桐殿下は翌日から私達が泊まっている宿屋で寝泊まりするようになり、それに合わせて随身の男性が何名か出入りするようになりました。とはいえ私達の部屋に入ってくる事は当然無く、あくまでも緋桐殿下の借りている部屋に出入りしているだけです。どうやら借り切った2階の残り2部屋のうち片方を緋桐殿下の自室として、もう片方を執務室として使っているようで、時々木簡の束を抱えた男性が宿屋から王城のある方へと足早に遠ざかっていくのが窓から見えます。

余談ですが……
私が外出を避けている為に殿下もずっと部屋に籠る事になり、かつてないスピードで執務が片付いているそうです。1人だけ紹介された殿下の随身の中でも一番の古株だという石榴ざくろさんという男性から、「貴女のおかげです」と思いっきり感謝されたのでした。
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