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10日以上かけて進んだ樹海。その樹海は1年前とは明らかに様相が変っていて、危険度が跳ね上がっていました。その危険度の上昇ぐあいは、1年前に遭遇した火を吐く熊が可愛らしく思える程です。あの巨体の熊は2足歩行で腕は4本、怪力な事に加えて火を吐くモンスターでした。冒険者ギルドに行った際に知りましたが、あれはファイアベアと呼ばれているモンスターで危険度は単体でB+、複数になるとAランクに分類されるそうです。ウィルさんやお兄様たちでなければ苦戦は免れなかった事でしょう。
ところが、そのファイアベアがまるで引きちぎられたかのようにバラバラになって死んでいる場面に何度も出くわすのです。つまり今の樹海にはアレを無造作に倒す事の出来る別のモンスターが闊歩しているという事になります。ただでさえ神経が張りつめている中、その事実は更なる緊張をもたらしました。
それでなくとも瘴気の濃度が以前とは桁違いで、私の視界は黒い靄の所為で暗闇の中を進んでいるかのようでした。これなら瘴気を視認できない方が良かったと思う程です。お兄様も瘴気を視認できますが、私と違って周囲が何も見えなくなるような事はないらしく、同じ「瘴気の視認」でも私とお兄様とでは効果が違うようでした。さすがに視界が全く効かない状態で進むのは危険すぎますので、休憩時間にファフナーが私を守護界に招いてくれ、そこで一時的に瘴気の視認能力を封じて視界を確保してくれました。
こうしたファフナーの持つ魔法の知識や技術は、魔法伯のお父様すら驚かせるレベルです。お父様が驚くという事は、この世界では類を見ない魔法や知識だという事になります。なので何処でその知識を得たのか気になって聞いた事があったのですが、その時にとても寂しそうな声で「もう忘れた」と言われてしまい、それ以来私はファフナーの過去には出来るだけ触れないようにしています。
私にとってファフナーは友達のように思える存在です。
そんな友達を悲しませるような質問をした事に後悔しかありません。
ごめんなさい、ファフナー……。
━━━]━━━━━━━━━-
そこは木々の殆どが腐ったり枯れたりして、私が知っている緑色の森ではなく茶色の森でした。辺りに漂う空気も森の濃い土や植物の匂いではなく、呼吸を躊躇う程の腐臭に満ちています。
「これは酷いですね。私の目にはこの先は闇にしか見えません」
お兄様には靄の所為で見えていないようですが、お兄様の視線先にはあまりにも巨大すぎて全体像が判別できない程の大きな何かがいました。
「……アレがそうなの?」
腕の中に居るファフナーにそう尋ねれば、
「そうだ。アレが俺の本体ともいうべき身体だ。
もう……どうしようもないほどに瘴気に侵されていて
元の姿の面影すらないがな」
本体だという黒い巨大な何かをジッと見るファフナーに、つられるように私もソレへと視線を動かしました。まだまだ距離はあるのですが、それでもソレが放つ異様な雰囲気は私の足を竦ませるには十分でした。辛うじて大きな翼と角がある事は判別できますが、いったい元がどんな姿だったのかは全く解りません。この巨体を見つけた時に念の為に皆の持つ宝石に魔力を籠め直したのですが、本当に結界の効果が発揮されているのか確認したくなるほど皆の顔色も悪くなっています。
黒く澱んだ巨大な異形……。
それがこの魔境の王、魔王でした。
世の中には黒くても綺麗なモノはたくさんあります。例えば希少性の高い黒い宝石はとてもキラキラと煌めいて、身につける人の品や格をグッと上げると王国や皇国では言われています。また宝石のような希少なモノでなくても黒猫の艶やかな毛並みは美しいですし、私の専属騎士のトマスの瞳もとても綺麗な黒色です。
対し目の前のソレの持つ色は禍々しく、穢れ、生理的嫌悪をもたらす色で、これを黒と呼ぶ事は他の全ての黒に対する侮辱と感じるほどの色でした。しかもよく見ればその体表のあちこちで不自然な半球型の膨張が見られ、プシュッと空気が抜けるような音と共に何かを周囲にばらまいているのです。瘴気の視認を封じられているので見えませんが、恐らく瘴気を噴出しているのでしょう。
「どうする?
俺達の仕事の優先順位は第一に瘴気の氾濫の兆しの確認で、
第二に魔王の居所を探り状況を確認する事だ。
その2つの仕事は既に完了したと言って良いだろう。
残るは何より最優先されるべき仕事で、全員が無事に帝都に戻る事だ。
だから俺は引き返す事を提案する」
ウィルさんが皆を順に見回し、現状を簡潔に伝えたうえで自分の意見を述べます。モディストス王国とは比べ物にならない程の大国の第二皇子で、実質このパーティのリーダーでもあるウィルさんですが、決して自分の意見を押し付けるような事はしません。緊急時の判断こそウィルさんの一存で決めてしまう事もありますが、基本的にはこうしてちゃんと皆の意見を聞いてから進退を決めるのです。
「私も帰還する事に賛成ですね。
正直な所、現在の私の視界では魔法を相手に正確に当てる事は不可能かと」
お兄様がウィルさんに賛成し、心持ちウィルさんの方へと立ち位置を変えました。不思議な事に私はファフナーの守護界に呼ばれれば入る事ができますし、瘴気の視認を封じてもらう事もできます。ですがお兄様にはそれらが全く効果を発揮しないのです。そういえばファフナーと思念を相互にやり取りする事も私とは可能ですが、お兄様たちとは出来ません。魂の波長の問題だと出会った頃にファフナーが言っていましたが、私と余程相性が良いのか、それともお兄様たちと相性が悪いのか……。
ギルさんやアンディさんも帰還する事に異存は無いとの事だったので、私達は今いる位置を地図に書き込むとその場を後にしようとしました。
その時です。
「グワァアアアーーーーッ、ギャァアアアンンン!」
先程まで全く動かず大人しかったソレが耳を劈くような咆哮を上げ、同時に見えない何かが私達に襲い掛かってきました。雄叫びによって生じた衝撃波なのか、男性陣の中でも一番体重の軽いお兄様が吹き飛ばされてしまいます。当然ながら私なんてひとたまりも無く、あっと思った時には全身を強打したかのような衝撃に襲われ、身体が簡単に宙に浮いてしまいます。このまま何かに叩きつけられる覚悟をした次の瞬間、私の腕を掴んで抱え込むようにして庇ってくれた温もりがありました。
「大丈夫か?!」
「は、はい。吃驚しましたが大丈夫です」
その温もりはウィルさんでした。吹き飛ばされそうになった私を抱き寄せて庇ってくれたようです。その間にも第2、第3の衝撃波が襲ってきますが、流石に不意打ちではない為、今度はお兄様も吹き飛ばされたりはせずに耐えられたようです。
「いきなりどうしたんだ。俺達がいる事に気付いたのか?」
アンディさんはそう言いながらも皆の盾になるように少し前に出るとグッと腰を落として守りの体勢になりました。その後ろにギルさんやお兄様が入り、ウィルさんも私を抱えたまま、お兄様たちの後ろへと移動します。
しかし最初は咆哮だけだった黒いソレが、のたうつように地響きを立てながら周囲を破壊し始めたのです。
「どうやら僕たちに気付いた訳ではなさそうですが……」
周囲を手当たり次第攻撃している様子にギルさんがそう言いますが、問題は吹き飛ばされてくる樹木や岩です。無差別な攻撃だからこそ予測が立てづらく、またけっこうな距離があるはずなのに直撃したら怪我ではすまない勢いで飛んでくる岩
や木々に邪魔をされて、後退しようにも少しずつしか後退できません。
ジリジリと後ずさる私達と暴れる魔王。そんな状況の中、ファフナーが急に呻きだしました。
「ま……まずい、共鳴だ。早く、離れろ……」
苦しそうにそれだけ言うと、ファフナーがもがき始めました。それは私の腕から逃れたいという感じではなく、何か目に見えないモノから逃れようとしているようです。
「共鳴?! 共鳴って何?! ファフナー、しっかりして」
ふわふわの身体を抱きしめて名前を何度も呼びかけますが、呻くばかりで返事がありません。もしかして瘴気がファフナーを蝕んでいるのではと、慌ててファフナーが身につけている宝石を毛の中から探しだしますが、宝石にはまだ魔力が大量に残っています。そうなると私には、苦しむファフナーに対して名前を呼んで抱きしめる事しか出来ません。
何か出来る事がないかと焦る私でしたが、ファフナーの呻き声に混じるようにして別の声が聞こえてくることに気付きました。
(苦しい……ツライ…………悲しい………………神よ、呪われろ!!!
どうして……寂しい……神など滅べばよい!! 全てが消え去れば良い!!)
幾度も幾度も同じような言葉を繰り返す、ファフナーと似ているけれどもっと低い男性の声。それはあの日、初めてファフナーに会った時にファフナーと会話した感覚とよく似ていました。耳ではなく心で聞く言葉……。
だとしたら、これは誰の言葉なのか。
私は直感のままに、視線をのたうちまわる黒い巨体へと向けました。視線がそちらに向いたせいで意識も魔王へと集中したようで、先程よりもずっと強く声が聞こえてきます。
ひたすら神を呪う声が。
寂しいや苦しいといった感情も伝わってきますが、それらは全て神に対する恨みに繋がっているようで、ただただ神を呪う言葉と感情が伝わってきます。
「これ……まさか、魔王の声??」
「どうした、リア?」
私の様子に心配そうな表情になるウィルさんですが、「大丈夫です」とだけ返して再び魔王の声に意識を傾けます。魔王の言葉から対処法を見つける事が出来るかもしれません。
「魔王の感情が伝わってくるんです。
苦しいとかツライとか、悲しいとか寂しいとか……。
ただ全ての感情の結論が神への呪詛になっていて……」
その言葉に全員が驚愕の視線を私に向けました。ファフナーの時と同じで、みんなには単なる咆哮にしか聞こえない以上、私に対して懐疑的な眼差しになっても仕方がありません。ところが
「苦しいって魔王が言っているのかい?
……ファフナーが魔王の一部なのは確かなようだし、
そのファフナーの言葉によれば魔王自身も瘴気によって狂化している……。
だとすればリアが聞いた声の通り、魔王も苦しんでいるのかもしれない」
そう言ったのはお兄様でした。
「ならば魔王の瘴気を浄化出来れば……。
今のファフナーと同じように意思の疎通が可能になって
瘴気の氾濫も止める事ができるのでは?」
「それはリアの負担が大きすぎる!!」
良いアイデアを思いついたとばかりに顔を上げたギルさんでしたが、それをウィルさんがすかさず窘めます。確かにこんなに巨大で、しかも瘴気を濃縮したかのような存在の魔王を浄化するには、どれだけの魔力が必要になるか解りません。もしかしたら再び頭身が低くなる事だってありえます。
ですが、私の頭身が低くなる事で瘴気の氾濫を防ぐことができるのなら……。
何より今、苦しみの声を上げ続けている魔王とファフナーを助ける事ができるのなら、私の頭身なんて幾らだって低くなって構いませんし、外見が醜くなったって構いません。
「いえ、やります。
完全な浄化は出来るかどうか、私自身解りませんが……。
それでも今よりはずっと良い状態になるはずです。
だからやらせてください」
私を庇うように立っていたウィルさんの顔を見上げて、その目を見ながら自分の決意を伝えます。ウィルさんは私を見下ろして、何かを言いかけては視線は彷徨わせて躊躇っていましたが、最終的には
「あぁ、解った。リアの望む通りにすれば良い、俺はその決意ごと守るだけだ。
ただ撤退のタイミングは俺が決める。これだけは譲れない」
「リアは無理をしすぎる事がありますからね。それならば私も賛成しましょう」
ウィルさんとその横に来ていたお兄様が、条件付きの許可を出してくれました。ただアンディさんは渋い顔をしていて、
「リアに危険がある行為は出来るだけ避けたいんだが……」
とかなり不本意なようです。逆に教義の関係なのか少しでも瘴気を消し去りたい神官戦士のギルさんは
「僕も全力でフォローするから!」
と乗り気です。フォローはありがたいのですが、問題はあの巨体をどうやって浄化するかです。魔王は今も暴れていて近付く事ができませんから、攻撃の届かない所から広範囲を結界で囲って浄化する必要があります。
結界を張るだけで良いのなら、モディストス王国全土を覆っていた時の方が広範囲でした。ただ今回は結界の外も中も瘴気に満ちている上に、中の魔王が放つ瘴気が今まで経験した事のないレベルの濃度だという事です。
「ほ……宝石、使え……、四方から、囲むよ……に」
悩む私に、腕の中から苦しそうに声をかけてきたのはファフナーでした。
「宝石……四方……。そうね。やってみるわ!」
私はファフナーを抱きしめたまま、片手で荷物の中からムーンストーンを1つとサンストーンを4つ取り出しました。この2種類の宝石は私の魔力と相性が良く、サンストーンは力強く、ムーンストーンは優しく私の力を放出してくれます。そんな2種類の宝石を私は予備も含めて7~8個ずつ持って来ていて、それら全てが皇国中どころか世界中の宝石店の中からお父様が厳選に厳選を重ねて集めたモノです。なので大きさや色や輝きは勿論、何より内包できる魔力量が桁違いに多く、誰が見ても一級品だと解る逸品なのです。
ただここで再び問題点に気付きました。確かに四方から囲むように結界を発動させ、その中を浄化すれば効率よく魔王の瘴気を浄化できるかもしれませんが、1地点目を此処にするとしても後の3地点にどうやって宝石を置けば良いのか……。それに例え四方に宝石を置けたとしても、それだけだと魔王の勢いよく噴射される濃い瘴気に、私の魔力が負けてしまう可能性が高そうです。つまり四方と同時に魔王の近くにも宝石を置く必要があります。
(…………やるしか……ないわよね)
私は腕の中で苦し気に声を上げるファフナーを見て、覚悟を決めたのでした。
ところが、そのファイアベアがまるで引きちぎられたかのようにバラバラになって死んでいる場面に何度も出くわすのです。つまり今の樹海にはアレを無造作に倒す事の出来る別のモンスターが闊歩しているという事になります。ただでさえ神経が張りつめている中、その事実は更なる緊張をもたらしました。
それでなくとも瘴気の濃度が以前とは桁違いで、私の視界は黒い靄の所為で暗闇の中を進んでいるかのようでした。これなら瘴気を視認できない方が良かったと思う程です。お兄様も瘴気を視認できますが、私と違って周囲が何も見えなくなるような事はないらしく、同じ「瘴気の視認」でも私とお兄様とでは効果が違うようでした。さすがに視界が全く効かない状態で進むのは危険すぎますので、休憩時間にファフナーが私を守護界に招いてくれ、そこで一時的に瘴気の視認能力を封じて視界を確保してくれました。
こうしたファフナーの持つ魔法の知識や技術は、魔法伯のお父様すら驚かせるレベルです。お父様が驚くという事は、この世界では類を見ない魔法や知識だという事になります。なので何処でその知識を得たのか気になって聞いた事があったのですが、その時にとても寂しそうな声で「もう忘れた」と言われてしまい、それ以来私はファフナーの過去には出来るだけ触れないようにしています。
私にとってファフナーは友達のように思える存在です。
そんな友達を悲しませるような質問をした事に後悔しかありません。
ごめんなさい、ファフナー……。
━━━]━━━━━━━━━-
そこは木々の殆どが腐ったり枯れたりして、私が知っている緑色の森ではなく茶色の森でした。辺りに漂う空気も森の濃い土や植物の匂いではなく、呼吸を躊躇う程の腐臭に満ちています。
「これは酷いですね。私の目にはこの先は闇にしか見えません」
お兄様には靄の所為で見えていないようですが、お兄様の視線先にはあまりにも巨大すぎて全体像が判別できない程の大きな何かがいました。
「……アレがそうなの?」
腕の中に居るファフナーにそう尋ねれば、
「そうだ。アレが俺の本体ともいうべき身体だ。
もう……どうしようもないほどに瘴気に侵されていて
元の姿の面影すらないがな」
本体だという黒い巨大な何かをジッと見るファフナーに、つられるように私もソレへと視線を動かしました。まだまだ距離はあるのですが、それでもソレが放つ異様な雰囲気は私の足を竦ませるには十分でした。辛うじて大きな翼と角がある事は判別できますが、いったい元がどんな姿だったのかは全く解りません。この巨体を見つけた時に念の為に皆の持つ宝石に魔力を籠め直したのですが、本当に結界の効果が発揮されているのか確認したくなるほど皆の顔色も悪くなっています。
黒く澱んだ巨大な異形……。
それがこの魔境の王、魔王でした。
世の中には黒くても綺麗なモノはたくさんあります。例えば希少性の高い黒い宝石はとてもキラキラと煌めいて、身につける人の品や格をグッと上げると王国や皇国では言われています。また宝石のような希少なモノでなくても黒猫の艶やかな毛並みは美しいですし、私の専属騎士のトマスの瞳もとても綺麗な黒色です。
対し目の前のソレの持つ色は禍々しく、穢れ、生理的嫌悪をもたらす色で、これを黒と呼ぶ事は他の全ての黒に対する侮辱と感じるほどの色でした。しかもよく見ればその体表のあちこちで不自然な半球型の膨張が見られ、プシュッと空気が抜けるような音と共に何かを周囲にばらまいているのです。瘴気の視認を封じられているので見えませんが、恐らく瘴気を噴出しているのでしょう。
「どうする?
俺達の仕事の優先順位は第一に瘴気の氾濫の兆しの確認で、
第二に魔王の居所を探り状況を確認する事だ。
その2つの仕事は既に完了したと言って良いだろう。
残るは何より最優先されるべき仕事で、全員が無事に帝都に戻る事だ。
だから俺は引き返す事を提案する」
ウィルさんが皆を順に見回し、現状を簡潔に伝えたうえで自分の意見を述べます。モディストス王国とは比べ物にならない程の大国の第二皇子で、実質このパーティのリーダーでもあるウィルさんですが、決して自分の意見を押し付けるような事はしません。緊急時の判断こそウィルさんの一存で決めてしまう事もありますが、基本的にはこうしてちゃんと皆の意見を聞いてから進退を決めるのです。
「私も帰還する事に賛成ですね。
正直な所、現在の私の視界では魔法を相手に正確に当てる事は不可能かと」
お兄様がウィルさんに賛成し、心持ちウィルさんの方へと立ち位置を変えました。不思議な事に私はファフナーの守護界に呼ばれれば入る事ができますし、瘴気の視認を封じてもらう事もできます。ですがお兄様にはそれらが全く効果を発揮しないのです。そういえばファフナーと思念を相互にやり取りする事も私とは可能ですが、お兄様たちとは出来ません。魂の波長の問題だと出会った頃にファフナーが言っていましたが、私と余程相性が良いのか、それともお兄様たちと相性が悪いのか……。
ギルさんやアンディさんも帰還する事に異存は無いとの事だったので、私達は今いる位置を地図に書き込むとその場を後にしようとしました。
その時です。
「グワァアアアーーーーッ、ギャァアアアンンン!」
先程まで全く動かず大人しかったソレが耳を劈くような咆哮を上げ、同時に見えない何かが私達に襲い掛かってきました。雄叫びによって生じた衝撃波なのか、男性陣の中でも一番体重の軽いお兄様が吹き飛ばされてしまいます。当然ながら私なんてひとたまりも無く、あっと思った時には全身を強打したかのような衝撃に襲われ、身体が簡単に宙に浮いてしまいます。このまま何かに叩きつけられる覚悟をした次の瞬間、私の腕を掴んで抱え込むようにして庇ってくれた温もりがありました。
「大丈夫か?!」
「は、はい。吃驚しましたが大丈夫です」
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「いきなりどうしたんだ。俺達がいる事に気付いたのか?」
アンディさんはそう言いながらも皆の盾になるように少し前に出るとグッと腰を落として守りの体勢になりました。その後ろにギルさんやお兄様が入り、ウィルさんも私を抱えたまま、お兄様たちの後ろへと移動します。
しかし最初は咆哮だけだった黒いソレが、のたうつように地響きを立てながら周囲を破壊し始めたのです。
「どうやら僕たちに気付いた訳ではなさそうですが……」
周囲を手当たり次第攻撃している様子にギルさんがそう言いますが、問題は吹き飛ばされてくる樹木や岩です。無差別な攻撃だからこそ予測が立てづらく、またけっこうな距離があるはずなのに直撃したら怪我ではすまない勢いで飛んでくる岩
や木々に邪魔をされて、後退しようにも少しずつしか後退できません。
ジリジリと後ずさる私達と暴れる魔王。そんな状況の中、ファフナーが急に呻きだしました。
「ま……まずい、共鳴だ。早く、離れろ……」
苦しそうにそれだけ言うと、ファフナーがもがき始めました。それは私の腕から逃れたいという感じではなく、何か目に見えないモノから逃れようとしているようです。
「共鳴?! 共鳴って何?! ファフナー、しっかりして」
ふわふわの身体を抱きしめて名前を何度も呼びかけますが、呻くばかりで返事がありません。もしかして瘴気がファフナーを蝕んでいるのではと、慌ててファフナーが身につけている宝石を毛の中から探しだしますが、宝石にはまだ魔力が大量に残っています。そうなると私には、苦しむファフナーに対して名前を呼んで抱きしめる事しか出来ません。
何か出来る事がないかと焦る私でしたが、ファフナーの呻き声に混じるようにして別の声が聞こえてくることに気付きました。
(苦しい……ツライ…………悲しい………………神よ、呪われろ!!!
どうして……寂しい……神など滅べばよい!! 全てが消え去れば良い!!)
幾度も幾度も同じような言葉を繰り返す、ファフナーと似ているけれどもっと低い男性の声。それはあの日、初めてファフナーに会った時にファフナーと会話した感覚とよく似ていました。耳ではなく心で聞く言葉……。
だとしたら、これは誰の言葉なのか。
私は直感のままに、視線をのたうちまわる黒い巨体へと向けました。視線がそちらに向いたせいで意識も魔王へと集中したようで、先程よりもずっと強く声が聞こえてきます。
ひたすら神を呪う声が。
寂しいや苦しいといった感情も伝わってきますが、それらは全て神に対する恨みに繋がっているようで、ただただ神を呪う言葉と感情が伝わってきます。
「これ……まさか、魔王の声??」
「どうした、リア?」
私の様子に心配そうな表情になるウィルさんですが、「大丈夫です」とだけ返して再び魔王の声に意識を傾けます。魔王の言葉から対処法を見つける事が出来るかもしれません。
「魔王の感情が伝わってくるんです。
苦しいとかツライとか、悲しいとか寂しいとか……。
ただ全ての感情の結論が神への呪詛になっていて……」
その言葉に全員が驚愕の視線を私に向けました。ファフナーの時と同じで、みんなには単なる咆哮にしか聞こえない以上、私に対して懐疑的な眼差しになっても仕方がありません。ところが
「苦しいって魔王が言っているのかい?
……ファフナーが魔王の一部なのは確かなようだし、
そのファフナーの言葉によれば魔王自身も瘴気によって狂化している……。
だとすればリアが聞いた声の通り、魔王も苦しんでいるのかもしれない」
そう言ったのはお兄様でした。
「ならば魔王の瘴気を浄化出来れば……。
今のファフナーと同じように意思の疎通が可能になって
瘴気の氾濫も止める事ができるのでは?」
「それはリアの負担が大きすぎる!!」
良いアイデアを思いついたとばかりに顔を上げたギルさんでしたが、それをウィルさんがすかさず窘めます。確かにこんなに巨大で、しかも瘴気を濃縮したかのような存在の魔王を浄化するには、どれだけの魔力が必要になるか解りません。もしかしたら再び頭身が低くなる事だってありえます。
ですが、私の頭身が低くなる事で瘴気の氾濫を防ぐことができるのなら……。
何より今、苦しみの声を上げ続けている魔王とファフナーを助ける事ができるのなら、私の頭身なんて幾らだって低くなって構いませんし、外見が醜くなったって構いません。
「いえ、やります。
完全な浄化は出来るかどうか、私自身解りませんが……。
それでも今よりはずっと良い状態になるはずです。
だからやらせてください」
私を庇うように立っていたウィルさんの顔を見上げて、その目を見ながら自分の決意を伝えます。ウィルさんは私を見下ろして、何かを言いかけては視線は彷徨わせて躊躇っていましたが、最終的には
「あぁ、解った。リアの望む通りにすれば良い、俺はその決意ごと守るだけだ。
ただ撤退のタイミングは俺が決める。これだけは譲れない」
「リアは無理をしすぎる事がありますからね。それならば私も賛成しましょう」
ウィルさんとその横に来ていたお兄様が、条件付きの許可を出してくれました。ただアンディさんは渋い顔をしていて、
「リアに危険がある行為は出来るだけ避けたいんだが……」
とかなり不本意なようです。逆に教義の関係なのか少しでも瘴気を消し去りたい神官戦士のギルさんは
「僕も全力でフォローするから!」
と乗り気です。フォローはありがたいのですが、問題はあの巨体をどうやって浄化するかです。魔王は今も暴れていて近付く事ができませんから、攻撃の届かない所から広範囲を結界で囲って浄化する必要があります。
結界を張るだけで良いのなら、モディストス王国全土を覆っていた時の方が広範囲でした。ただ今回は結界の外も中も瘴気に満ちている上に、中の魔王が放つ瘴気が今まで経験した事のないレベルの濃度だという事です。
「ほ……宝石、使え……、四方から、囲むよ……に」
悩む私に、腕の中から苦しそうに声をかけてきたのはファフナーでした。
「宝石……四方……。そうね。やってみるわ!」
私はファフナーを抱きしめたまま、片手で荷物の中からムーンストーンを1つとサンストーンを4つ取り出しました。この2種類の宝石は私の魔力と相性が良く、サンストーンは力強く、ムーンストーンは優しく私の力を放出してくれます。そんな2種類の宝石を私は予備も含めて7~8個ずつ持って来ていて、それら全てが皇国中どころか世界中の宝石店の中からお父様が厳選に厳選を重ねて集めたモノです。なので大きさや色や輝きは勿論、何より内包できる魔力量が桁違いに多く、誰が見ても一級品だと解る逸品なのです。
ただここで再び問題点に気付きました。確かに四方から囲むように結界を発動させ、その中を浄化すれば効率よく魔王の瘴気を浄化できるかもしれませんが、1地点目を此処にするとしても後の3地点にどうやって宝石を置けば良いのか……。それに例え四方に宝石を置けたとしても、それだけだと魔王の勢いよく噴射される濃い瘴気に、私の魔力が負けてしまう可能性が高そうです。つまり四方と同時に魔王の近くにも宝石を置く必要があります。
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私は腕の中で苦し気に声を上げるファフナーを見て、覚悟を決めたのでした。
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