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オーガ。
魔物の蔓延るこの世界では、様々な種類の魔物がいる。
オーガは鬼種の上位種であり、高い知性と非常に高い膂力を持つ化け物である。
個体差が大きく、単独で竜種をも屠る事のあるオーガの適正討伐ランクは、冒険者ランクにしてBからA。
何れもパーティでの討伐推奨の話である。
中堅パーティがオーガと相対する時、異常な殺意から死を覚悟するという。

「…チッ」

ダンジョンの下層で過去に一度だけ戦った事のあるオーガ。
そのオーガの殺意と変わらぬ、モールド伯の身も凍る威圧にデジャヴを感じる。
事前交渉にも関わらず、気づけば俺は剣の柄に手を伸ばしていた。
しかし、ここは敵陣。
剣戟が聞こえれば直ぐに敵兵の援軍がここへと殺到するだろう。
俺は死を覚悟し、貧乏くじを引かされた己の境遇を恨んだ。

「ははっ…。これが噂の王国最強の騎士の本気になった圧か」

ロムスタ伯の長男を横目で見れば腰が引けてやがる。
とんでもない事をしやがって。
先制攻撃しかないと斬り込む隙を探すが、怒れるモールド伯にまるで隙を感じない。
しかも、モールド伯の闘気は徐々に膨れ上がっていくように感じる。
本当に人間か?
…どうする?

「コホンッ」

モールド伯の横に立つ騎士の男が涼し気な顔で一つ咳払いをし、顎に手をやった。

「頼む、モモン」

モールド伯の膨れ上がる闘気は臨界へと達しつつある。
闘気の爆発するその瞬間にモールド伯は動くだろう。
もう後先考えずに斬り結ぶしかない。
モールド伯の動く瞬間に備え、まだ鞘の中にある剣の柄に手を添えながら出来るだけ脱力して集中する。
剣の柄から、いざとなれば力を貸すとゴブリンの精霊の声が聞こえてくる気がした。
汗が大量に流れ、周囲から音は無くなり、自分の熱い鼓動だけが大きくなっていく。
次の瞬間、さあっと冷たい霧がどこからともなく現れ、頬を撫でた。
途端にモールド伯の闘気が縮んでいく。
荒くなっていた俺の息も不可思議な程に落ち着いていく。
今、確実に何かが起きた。
何かが起きて、モールド伯の怒りを沈め、俺の緊張を解いた。
それだけは、はっきりとわかるが、いったい何が起きたのかは見当もつかなかった。

「…助かった」

モールド伯がそう呟くと、騎士の男が肩を竦めて無言で頷いた。
いったい何だ?
何が起きた?
俺は周囲をつぶさに観察するが、異常は見つからなかった。
ロムスタ伯の長男が耐えきれなかったのか尻もちをつく。

「ハハッ。人がドラゴンにでもなったのかと思ったよ。立てそうにないや。流石だねモールド伯」

俺は剣の柄から固まって動かない手をなんとか離し、空元気で笑ってみせるロムスタ伯の長男に肩を貸して立ち上がらせた。
モールド伯の闘気はオーガの殺意以上だとは思うが、果たしてそれはドラゴンと比肩する物なのだろうか。
ダンジョンの中はともかく、地上に居るドラゴンが襲ってきたなどという話は、長い王国歴の中でも数えるくらいしかない。
当然、ロムスタ伯の長男が本物のドラゴンの威圧を知っているハズもなかった。

「ドラゴン…。そうか。いや、心配せずとも、ドラゴンであったな」

ポツリとモールド伯は独白するかのように何かを呟いた。

「白けちゃったみたいだね。返事はいただいた事にする。交渉は決裂だってね…帰るよ」

「モールド伯。後は戦場で合間見えましょう」

俺はロムスタ伯の長男を連れ、モールド伯に一礼して陣幕を後にしようとする。

「今回の戦。一切の手加減はせん」

去り際に聞いたモールド伯の一言に身体が強張った。
手加減。
そう、死傷者の異常に少なかった前回の戦。
ロムスタ伯爵陣営からすれば、そんな馬鹿な訳は無いと、見て見ぬフリをしていた要素だ。
数も多い、装備も整っている、精鋭のロムスタ伯爵軍に対して、死傷者の出ないようにモールド伯爵軍が手加減をしていた可能性。
その可能性の真実が明らかにされた上で、今回の戦では手加減はないと言われたのだ。
俺は縋るように、モールド伯の言う事が本当かどうかを確かめるように、振り返り、モールド伯の目を見る。

「それはそれは。お手柔らかに」

事情を知らないロムスタ伯の長男が、にこやかに返事をした。

モールド伯爵軍の陣幕を少し離れると、途端に戦前の軍の喧噪が戻ってくる。
どうにも奇妙な感覚だ。
モールド伯の陣幕近くだけ、まるでダンジョンの中のように、空間が仕切られている感覚がある。

「全く、肝が冷えたよ。でも良い情報が拾えた」

死地から帰ってほっとしたからだろうか、くつくつとロムスタ伯の長男が笑う。
ロムスタ伯の長男が言う良い情報というのは、モールド伯の息女の事だろう。
モールド伯が息女を溺愛している噂は真実だったらしい。
王都でロムスタ伯が、モールド伯の息女を調べていると聞いただけで、あれだけ激怒したのだから。

「戦が終わった後が楽しみだねぇ。モールド伯が、生きながらにして全てを失う瞬間の顔が。王都の準備も抜かりないと聞いているし。弟も仕事を手伝うそうだしね」

ロムスタ伯の長男が嬉しそうに前髪を弄った。

「リオン様。…ロムスタ伯が何をするつもりなのかはわかりませんが、それよりも、モールド伯の陣幕で奇妙な感覚に陥りませんでしたか? まるで得体のしれない物に何かをされているような…」

「なんだいアイゼン? 臆病風に吹かれたかい? せっかく無事に帰れて、後はお楽しみの蹂躙するだけの時間になったというのに」

「いえ、私の気の所為ならそれで良いのですが」

きっと取り返しのつかなくなる何かに気づけていない、そんな感覚だ。
得体のしれない不安の中、何かに呼ばれてる気がして俺は空を見上げた。

「鳥、か?」

見えるかどうかの遥か上空を、変わった形の鳥がキラキラと何かを反射させながら旋回している。
柔らかな春の一陣の風が頬を撫でた。


☆  ☆  ☆  ☆


「ロムスタ伯は嫌な所を突いてきますな」

「…うむ。流石は中央貴族の搦め手といった所か」

「使者殿の露骨な挑発の狙い。ロムスタ伯は長男を我々に殺させて、その弔い合戦を大義に欲しかったのかと思います。何せ今のロムスタ伯には、王族に黙って東部貴族の兵を紛糾した大義がないですからな」

果たしてそうだろうか?
先ほど使者として来た軽薄そうな若者の目は、自分は必ず帰れると自信に満ちていたように思う。
もっとも、もしあの若者を私が激情のままに殺せば、騎士団長のアーロンの言う通りにロムスタ伯爵は利用したのだろう。
それは有効な手だった。

「先ほどは助かった。あれほど一息で冷静になれるとは。流石だな、アーロンの精霊は」

カモノハシのような精霊がアーロンの襟からこそこそと出てくる。

「モモン。やったな。ご当主様がお喜びだぞ」

ニコニコとカモノハシのような精霊の頭を撫でる騎士団長のアーロン。

「その精霊…、モモンを明日は空へと飛ばすのだろう? 行けるのか?」

「行けますとも。訓練は万全に終えております。現に今だって、モモンの代わりにバッシュの灯火の精霊を乗せ、ドーガの精霊は空からロムスタ軍を見張っているのですから」

カモノハシのような精霊は満足気にしきりに頷いた。
私は天幕の壁越しに空を見上げる。
マリア親衛隊であるドーガの精霊は視認出来ないよう、ロムスタ軍の遥か上空を飛んでいるハズだ。
相方であるバッシュの灯火の精霊はその背に乗って、ロムスタ伯爵軍を見張りながらも、ゆうゆうと空の旅を楽しんでいるのだろう。

「…ワイバーンの精霊か」

羨ましい。妬ましい。
戦ギリギリまでと取り上げられている私の精霊剣の事を思うと、涙目が出そうになる。

「精霊の可能性は無限ッ大ッ。先程の分も入れて、明日は彼奴らに目にモノを見せてやりましょう」

アーロンは頬を歪ませ犬歯を見せた。




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