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隠逸花(2)
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勤め先へ向かおうと外に出た晶はしかし、小さな変事を目撃した。炎陽の浮かぶ空でクルクル廻っている鳥を、変な飛び方をしているなとなんとなしに気にしていると、その鳥がヒューッ……と落ちた。晶のすぐ前の地面で死の痙攣を見せる。ぎょっとして、それからなぜか漠然とした不安を覚えた。
だが暑い中、勤め先に着いて業務をこなしているうちに忘れる程度の不安である。猛暑がつづいているせいかばてて休んでいる者が最近多く、田舎の閑散とした役場でも人手が足りておらず忙しく感じた。
だから家に帰って、慧が珍しく出かけずに寝間で気怠げに横になっているのを見かけて、彼もばてているのかと晶は思った。夕食の時間になっても、慧は明るく笑ってはいたが二口か三口で食事をやめ、優雅に動かすはずの箸の先を小刻みに震わせていて、晶は心配になったが、不安は鳥が落ちるのを見た時以下だ。今朝は宿酔している癖に元気だった。
「慧さま、お体の工合いでもよろしくないのでしょうか?」
繭子が問うと、慧は苦笑しながら箸を置き、そのまま震える手を隠すように食卓の下へ遣った。
「ああ……夏負けしたかな。ケロリン飲んで寝るよ」
「すぐにお出しします」
「大丈夫か?」
どこか痛いところもあるらしい慧に晶は声をかけつつ、まあ偶にはこんなこともあるだろうと内心頷く。言葉通り、繭子が鎮痛薬と水をすぐに持ってきた。
「日が落ちれば涼しいのだし、寝てれば治る。……あっ」
薬を受け取り、水も取ろうとした慧の手から洋盃(コップ)が辷り落ちた。割れはしなかったが畳に広がる染みを慧は暫し、ぽかんと見つめた。
翌日からも晶は小さな変事を見た。道端に烏や野良猫の屍骸があるのがやたらと目につき、村人たちが気味悪がっていた。勤め先では休んでいた者たちが幾人か重症になりつつあるらしいと聞いて、晶は浅く驚き、浅く心配した。それらの変事が慧に結びついているなどと、夢にも思わない。
或る日、晶は重症だった年輩の職員が重篤になったという噂を役場で聞いてから、鳴り響いた電話の受話器を取った。慌てふためく繭子の声が、折好く受話器に当てた晶の耳に這入る。
『ああ、晶さま……慧さまが転んで、立ちあがれないと……お医者さまをお呼びしたのですが、原因がサッパリわからないそうで……ど、どうしましょう』
いまいち要領を得ない連絡だったが、晶は早めに仕事を切りあげ、家に帰った。改めて聞いた繭子の説明曰く、未だに不調の慧が床から起きあがって居間へ向かう途中廊下で転び、そのままなぜか脚に力が全く這入らず立てなくなったという状況らしい。
寝間へ向かい、眠っているかと思ったが幽かに呻きが聞こえたので、晶は張ってある蚊帳の中へ這入る。仰向けに寝ていた慧は視線のみを緩慢に兄へ向けた。
「あ、あき、ら、俺、だいじょ、大丈夫、だから」
発声がおかしい。蒼白い顔に必死の努力で浮かべた様子の微笑。どう見ても大丈夫ではない慧の姿は初めて見るうえに、艶があったはずの頬が蒼褪めている様は病み臥せっていた時の母を思い出させ、晶はぞっとした。
「……お前が病気になるだなんて、珍しいこともあるものだな。自堕落な生活が祟ったんだろう。治ったら少しは改めてみたらどうだ?」
恐怖に近い不安を慧に対する漠然とした信用で抑え、晶は笑ってみせる。大丈夫。慧は強いのだから大事には至らないだろう。漠然とした、根拠のない希望。
「ン、考えて、みる」
これが慧とまともな言葉を交わせる最後になるとは、晶は夢にも思わなかった。それから先に繭子の手で慧に薄い粥を食べさせてから、晶と繭子は居間の食卓に着く。一緒に夕食をとりつつ、繭子が愁眉を寄せて言う。
「お医者さまが仰っていました。近頃、慧さまと同じような症状を訴える患者さんが増えているんですって。なにか奇病でも流行っているのかしら……」
その日の夜更け、ウーウーと響いてくる呻り声で晶は目を醒ました。寝惚けた頭には悪魔の声のように聞こえて恐ろしくなったが、正気になると慌てて起きあがり、襖を開けて隣の寝間へ這入る。
「慧! どうした?」
呻っているばかりで慧は返事をしない。しない、というよりもうできないのだ。電燈を点けて蚊帳の中へ這入り、慧の枕元に晶は膝を着く。慧は目を見開き、涎を垂らしている口から気味の悪い鳴き声をあげつづけている。美貌が崩れている様に呆然としそうになりながらも、晶は或る悪臭を感じ、慧の蒲団を剥いだ。
慧の股ぐらから敷き蒲団にかけて汚穢が広がっている。それを晶が見た途端、慧の目から涙がぽろぽろと零れた。気味の悪い、悪魔のような鳴き声は、憐憫の情を覚えるべき悲鳴だったのだと晶は理解した。
しかし、不安がとうとう信用と希望を上廻り、晶は恐怖に戦慄(わなな)いて、慧の身を案ずるどころではなくなった。
慧は寝たきりのまま幾日か泣き喚きつづける。家中に響きそうな狂躁に紛れるように、晶は自分の寝間の隅でしゃがみ込み、頭を掻き毟りつつ慟哭した。こんなのは嘘だ、なにかの間違いだ、と繰り返しながら。
慧より先に謎の奇病に罹った村人たちがバタバタ死んでゆき、火葬場からよく煙が昇った。さすがに異常だと村中調査され、やがて病根が判明する。村の周りの工場が河川に或る有害物質を含んだ排水を流していた。それに魚が汚染されていた。復興を急き、環境に配慮せず生産してきた結果である。
平和だった村があっという間に混乱に陥った。工場はなかなか事実を認めようとせず、揉め事は長引きそうであった。工場に憤るより、晶は心の底から自分も魚をもっと食べておけばよかったと後悔していた。
体内に少しずつ溜まっていったその有害物質は脳へ入り、細胞を蝕んでいく。有害物質を抜く方法はなく、細胞も壊されたら再生しない。つまり病を治す方法はない。
医者も病院も意味がない。繭子のような処女(おとめ)にはつらい世話もあるだろうと、晶が休職して慧を看病していた。役場は今特に忙しいであろうが、不治の重病人が死ぬまでのそう長くはない間だと勤め先も理解している。
病は村の名から、水連病と名づけられた。伝染(うつ)る病気ではないと世間に説明されたが、それでも村へ来る人はバッタリといなくなり、元々閉鎖的であった村により閉塞感が漂った。村から出ようとする者も、石を投げられるかもしれないから殆どいない。
親戚も、狂躁は落ち着いたが今度は屍体のように沈黙した慧を一目見てから来なくなった。遠廻しに、慧を病院に任せないのか晶に訊いて。
ただ一人、慧と仲のよかった、ワンピースを着た娘がよく見舞いに訪れた。娘も病を軽症だが発症しているようで、症状と悲しみで震える手を伸ばし、目尻を涙で赤くしながら慧の髪に触れていたのを晶は見ていた。親御さんから症状が重くなるかもしれないからやめろと言われているんじゃないのかと、晶はやや心配になる。
村の中ですら病への理解は浅かった。祖父が水連病に罹ったらしい、繭子の家はどうだろうか。変わらず家事をしにきてくれているが、繭子の家族は繭子を祖父にも近づけたくない心情なのではないか。晶がそう繭子を案ずると、繭子は
「そんな、伝染る病気ではないのでしょう? 私は今のところ全く大丈夫です。それより、晶さまは大丈夫ですか? 窶れましたわ。慧さまのお世話、障りのないことは私がやります」
と、愁眉を寄せる。発症はしていないはずだが隈(くま)を作り、色艶も悪い病人のような顔に晶は苦笑を浮かべた。
「いや……できるだけ、俺が看たいから」
繭子が帰ってから、晶はタオルが三枚と衣類と盥(たらい)を持って慧の寝間へ向かう。蚊帳の中へ這入り、蒲団を剥ぐ。慧の浴衣を脱がせる。やっと見慣れてきた、お襁褓(むつ)に股間を包まれたその姿。
「……薄情なものだな」
お襁褓を外し、晶は慧に話しかける。少しずつ壊されている脳で言葉を理解できるのかはわからないが、耳は聞こえているらしい。タオルを盥に張った水で湿らせ、陰部を拭う。
「この調子じゃ、健康な者も苦労することになりそうだ。俺も復職しても避けられる……いや、差別が苛烈さを増したら辞めさせられるかもしれない。五月蠅い親戚がこれで静かになってくれたら助かるけれど」
睦まじい兄弟相手でもそう目にすることはないであろう尻の穴まで綺麗にすると、今度は別のタオルを湿らせる。慧の顔から髪を拭いた。開いた目の瞳は斜めを向き、口も少し開いているが、静かになったことで慧は幾分か美しさを取り戻していた。しかし薄ら髭が伸びている。明日、剃ってやろうと晶は思った。
「ああ、でもあのワンピース着た娘はいい娘(こ)だね。お前のこと、愛しているんだね。やはり愛だな、うん。……繭子はどうだろうな。病気になったの俺じゃなくてよかったなんて思ってるのかな」
疲弊した晶は、心配してくれている繭子に対し捻くれた想像をしてしまっていた。そのうえ自惚れているような言葉だが
「お前のほうがいい男なのに。親戚も俺はお前と違って優等生だとか、家の高貴な血を引いているとか言ってきたけれど、俺知ってる。本当はお前のほうが頭もいいし、上品だ」
卑屈だった。慧の体を拭く。
確かに、晶じゃなくてよかったという気持ちが繭子にない訳ではない。しかし晶は知らない。繭子は唯一残っていた家族を喪おうとしている晶の不幸と、数年仕えてきた慧の溌剌とした身に降りかかった悲劇を思い、涙を零している。ただ、繭子には慧は派手すぎたというだけだ。
「本当、なんでお前が……? 発症しても軽症で済む奴もいる。ぴんぴんしている奴もいる。俺、苦手だったけど偶に魚くらい口にしていたし、繭子だって普通に食べてた!」
肌を僅かに湿らせた水分を乾いたタオルで拭い、新しいお襁褓を当ててあげたところで、晶のなにかが決壊した。わッと倒れ込み、慧の体に抱きつく。
「伝染る病気だったらよかったのに! それで皆死んじまえばいい。罰が当たったんだよ、この村は。外界でなにがあっても、キノコ雲が昇っても、のうのうとしていたから。その平和をよそへ分けてやる気もなかったから……」
晶の脳裏に、あの疎開児たちの姿が浮かんだ。苦い記憶もあるから急いで頭から追い出す。
横に転がり、晶は慧の胴に腕を廻した。寝間着にしている浴衣の開(はだ)けた胸元に、密着させている慧の二の腕の肌理(きめ)を感じる。両脚で慧の腿を挟むようにして、晶はしくしく泣いた。
嘆いたり、抱きついたり、晶は慧にこんなにも直情的になったことは、弱い癖に高い自尊心が邪魔をしていたから今まで一度もない。応答がないから、できたことだった。
幼い頃から弟の後ろに隠れ、弟に憧れ、弟の真似をできることはしていた。自我を委ねていると言っても過言ではない片割れが、消えようとしている。抱きつく腕に力を込めた。
「ああ、厭だ、厭だあ」
慟哭して震えると、慧の腰骨に股ぐらが擦れる。そうしているうちに、下着の中がじんわりと熱くなり、晶は思わず小さく呻いた。
「えッ」
涙がピタリととまり、眠りっぱなしであった雄の急な目覚めに周章狼狽する。耐え難い劣情に襲われ、いけないと思うのとは裏腹に晶の腰は勝手に動いた。思春期のうちにこういうことを学習できなかった晶に、自制などできる訳がない。
だが暑い中、勤め先に着いて業務をこなしているうちに忘れる程度の不安である。猛暑がつづいているせいかばてて休んでいる者が最近多く、田舎の閑散とした役場でも人手が足りておらず忙しく感じた。
だから家に帰って、慧が珍しく出かけずに寝間で気怠げに横になっているのを見かけて、彼もばてているのかと晶は思った。夕食の時間になっても、慧は明るく笑ってはいたが二口か三口で食事をやめ、優雅に動かすはずの箸の先を小刻みに震わせていて、晶は心配になったが、不安は鳥が落ちるのを見た時以下だ。今朝は宿酔している癖に元気だった。
「慧さま、お体の工合いでもよろしくないのでしょうか?」
繭子が問うと、慧は苦笑しながら箸を置き、そのまま震える手を隠すように食卓の下へ遣った。
「ああ……夏負けしたかな。ケロリン飲んで寝るよ」
「すぐにお出しします」
「大丈夫か?」
どこか痛いところもあるらしい慧に晶は声をかけつつ、まあ偶にはこんなこともあるだろうと内心頷く。言葉通り、繭子が鎮痛薬と水をすぐに持ってきた。
「日が落ちれば涼しいのだし、寝てれば治る。……あっ」
薬を受け取り、水も取ろうとした慧の手から洋盃(コップ)が辷り落ちた。割れはしなかったが畳に広がる染みを慧は暫し、ぽかんと見つめた。
翌日からも晶は小さな変事を見た。道端に烏や野良猫の屍骸があるのがやたらと目につき、村人たちが気味悪がっていた。勤め先では休んでいた者たちが幾人か重症になりつつあるらしいと聞いて、晶は浅く驚き、浅く心配した。それらの変事が慧に結びついているなどと、夢にも思わない。
或る日、晶は重症だった年輩の職員が重篤になったという噂を役場で聞いてから、鳴り響いた電話の受話器を取った。慌てふためく繭子の声が、折好く受話器に当てた晶の耳に這入る。
『ああ、晶さま……慧さまが転んで、立ちあがれないと……お医者さまをお呼びしたのですが、原因がサッパリわからないそうで……ど、どうしましょう』
いまいち要領を得ない連絡だったが、晶は早めに仕事を切りあげ、家に帰った。改めて聞いた繭子の説明曰く、未だに不調の慧が床から起きあがって居間へ向かう途中廊下で転び、そのままなぜか脚に力が全く這入らず立てなくなったという状況らしい。
寝間へ向かい、眠っているかと思ったが幽かに呻きが聞こえたので、晶は張ってある蚊帳の中へ這入る。仰向けに寝ていた慧は視線のみを緩慢に兄へ向けた。
「あ、あき、ら、俺、だいじょ、大丈夫、だから」
発声がおかしい。蒼白い顔に必死の努力で浮かべた様子の微笑。どう見ても大丈夫ではない慧の姿は初めて見るうえに、艶があったはずの頬が蒼褪めている様は病み臥せっていた時の母を思い出させ、晶はぞっとした。
「……お前が病気になるだなんて、珍しいこともあるものだな。自堕落な生活が祟ったんだろう。治ったら少しは改めてみたらどうだ?」
恐怖に近い不安を慧に対する漠然とした信用で抑え、晶は笑ってみせる。大丈夫。慧は強いのだから大事には至らないだろう。漠然とした、根拠のない希望。
「ン、考えて、みる」
これが慧とまともな言葉を交わせる最後になるとは、晶は夢にも思わなかった。それから先に繭子の手で慧に薄い粥を食べさせてから、晶と繭子は居間の食卓に着く。一緒に夕食をとりつつ、繭子が愁眉を寄せて言う。
「お医者さまが仰っていました。近頃、慧さまと同じような症状を訴える患者さんが増えているんですって。なにか奇病でも流行っているのかしら……」
その日の夜更け、ウーウーと響いてくる呻り声で晶は目を醒ました。寝惚けた頭には悪魔の声のように聞こえて恐ろしくなったが、正気になると慌てて起きあがり、襖を開けて隣の寝間へ這入る。
「慧! どうした?」
呻っているばかりで慧は返事をしない。しない、というよりもうできないのだ。電燈を点けて蚊帳の中へ這入り、慧の枕元に晶は膝を着く。慧は目を見開き、涎を垂らしている口から気味の悪い鳴き声をあげつづけている。美貌が崩れている様に呆然としそうになりながらも、晶は或る悪臭を感じ、慧の蒲団を剥いだ。
慧の股ぐらから敷き蒲団にかけて汚穢が広がっている。それを晶が見た途端、慧の目から涙がぽろぽろと零れた。気味の悪い、悪魔のような鳴き声は、憐憫の情を覚えるべき悲鳴だったのだと晶は理解した。
しかし、不安がとうとう信用と希望を上廻り、晶は恐怖に戦慄(わなな)いて、慧の身を案ずるどころではなくなった。
慧は寝たきりのまま幾日か泣き喚きつづける。家中に響きそうな狂躁に紛れるように、晶は自分の寝間の隅でしゃがみ込み、頭を掻き毟りつつ慟哭した。こんなのは嘘だ、なにかの間違いだ、と繰り返しながら。
慧より先に謎の奇病に罹った村人たちがバタバタ死んでゆき、火葬場からよく煙が昇った。さすがに異常だと村中調査され、やがて病根が判明する。村の周りの工場が河川に或る有害物質を含んだ排水を流していた。それに魚が汚染されていた。復興を急き、環境に配慮せず生産してきた結果である。
平和だった村があっという間に混乱に陥った。工場はなかなか事実を認めようとせず、揉め事は長引きそうであった。工場に憤るより、晶は心の底から自分も魚をもっと食べておけばよかったと後悔していた。
体内に少しずつ溜まっていったその有害物質は脳へ入り、細胞を蝕んでいく。有害物質を抜く方法はなく、細胞も壊されたら再生しない。つまり病を治す方法はない。
医者も病院も意味がない。繭子のような処女(おとめ)にはつらい世話もあるだろうと、晶が休職して慧を看病していた。役場は今特に忙しいであろうが、不治の重病人が死ぬまでのそう長くはない間だと勤め先も理解している。
病は村の名から、水連病と名づけられた。伝染(うつ)る病気ではないと世間に説明されたが、それでも村へ来る人はバッタリといなくなり、元々閉鎖的であった村により閉塞感が漂った。村から出ようとする者も、石を投げられるかもしれないから殆どいない。
親戚も、狂躁は落ち着いたが今度は屍体のように沈黙した慧を一目見てから来なくなった。遠廻しに、慧を病院に任せないのか晶に訊いて。
ただ一人、慧と仲のよかった、ワンピースを着た娘がよく見舞いに訪れた。娘も病を軽症だが発症しているようで、症状と悲しみで震える手を伸ばし、目尻を涙で赤くしながら慧の髪に触れていたのを晶は見ていた。親御さんから症状が重くなるかもしれないからやめろと言われているんじゃないのかと、晶はやや心配になる。
村の中ですら病への理解は浅かった。祖父が水連病に罹ったらしい、繭子の家はどうだろうか。変わらず家事をしにきてくれているが、繭子の家族は繭子を祖父にも近づけたくない心情なのではないか。晶がそう繭子を案ずると、繭子は
「そんな、伝染る病気ではないのでしょう? 私は今のところ全く大丈夫です。それより、晶さまは大丈夫ですか? 窶れましたわ。慧さまのお世話、障りのないことは私がやります」
と、愁眉を寄せる。発症はしていないはずだが隈(くま)を作り、色艶も悪い病人のような顔に晶は苦笑を浮かべた。
「いや……できるだけ、俺が看たいから」
繭子が帰ってから、晶はタオルが三枚と衣類と盥(たらい)を持って慧の寝間へ向かう。蚊帳の中へ這入り、蒲団を剥ぐ。慧の浴衣を脱がせる。やっと見慣れてきた、お襁褓(むつ)に股間を包まれたその姿。
「……薄情なものだな」
お襁褓を外し、晶は慧に話しかける。少しずつ壊されている脳で言葉を理解できるのかはわからないが、耳は聞こえているらしい。タオルを盥に張った水で湿らせ、陰部を拭う。
「この調子じゃ、健康な者も苦労することになりそうだ。俺も復職しても避けられる……いや、差別が苛烈さを増したら辞めさせられるかもしれない。五月蠅い親戚がこれで静かになってくれたら助かるけれど」
睦まじい兄弟相手でもそう目にすることはないであろう尻の穴まで綺麗にすると、今度は別のタオルを湿らせる。慧の顔から髪を拭いた。開いた目の瞳は斜めを向き、口も少し開いているが、静かになったことで慧は幾分か美しさを取り戻していた。しかし薄ら髭が伸びている。明日、剃ってやろうと晶は思った。
「ああ、でもあのワンピース着た娘はいい娘(こ)だね。お前のこと、愛しているんだね。やはり愛だな、うん。……繭子はどうだろうな。病気になったの俺じゃなくてよかったなんて思ってるのかな」
疲弊した晶は、心配してくれている繭子に対し捻くれた想像をしてしまっていた。そのうえ自惚れているような言葉だが
「お前のほうがいい男なのに。親戚も俺はお前と違って優等生だとか、家の高貴な血を引いているとか言ってきたけれど、俺知ってる。本当はお前のほうが頭もいいし、上品だ」
卑屈だった。慧の体を拭く。
確かに、晶じゃなくてよかったという気持ちが繭子にない訳ではない。しかし晶は知らない。繭子は唯一残っていた家族を喪おうとしている晶の不幸と、数年仕えてきた慧の溌剌とした身に降りかかった悲劇を思い、涙を零している。ただ、繭子には慧は派手すぎたというだけだ。
「本当、なんでお前が……? 発症しても軽症で済む奴もいる。ぴんぴんしている奴もいる。俺、苦手だったけど偶に魚くらい口にしていたし、繭子だって普通に食べてた!」
肌を僅かに湿らせた水分を乾いたタオルで拭い、新しいお襁褓を当ててあげたところで、晶のなにかが決壊した。わッと倒れ込み、慧の体に抱きつく。
「伝染る病気だったらよかったのに! それで皆死んじまえばいい。罰が当たったんだよ、この村は。外界でなにがあっても、キノコ雲が昇っても、のうのうとしていたから。その平和をよそへ分けてやる気もなかったから……」
晶の脳裏に、あの疎開児たちの姿が浮かんだ。苦い記憶もあるから急いで頭から追い出す。
横に転がり、晶は慧の胴に腕を廻した。寝間着にしている浴衣の開(はだ)けた胸元に、密着させている慧の二の腕の肌理(きめ)を感じる。両脚で慧の腿を挟むようにして、晶はしくしく泣いた。
嘆いたり、抱きついたり、晶は慧にこんなにも直情的になったことは、弱い癖に高い自尊心が邪魔をしていたから今まで一度もない。応答がないから、できたことだった。
幼い頃から弟の後ろに隠れ、弟に憧れ、弟の真似をできることはしていた。自我を委ねていると言っても過言ではない片割れが、消えようとしている。抱きつく腕に力を込めた。
「ああ、厭だ、厭だあ」
慟哭して震えると、慧の腰骨に股ぐらが擦れる。そうしているうちに、下着の中がじんわりと熱くなり、晶は思わず小さく呻いた。
「えッ」
涙がピタリととまり、眠りっぱなしであった雄の急な目覚めに周章狼狽する。耐え難い劣情に襲われ、いけないと思うのとは裏腹に晶の腰は勝手に動いた。思春期のうちにこういうことを学習できなかった晶に、自制などできる訳がない。
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