夢追い旅

夢人

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物語の余白1

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 怪しげな手紙を3日間も炬燵の上に放置したまま、毎夜河原町のスナックに通い詰めて酔いどれている。女房の節子とは去年愛想をつかれて離婚した。いや離婚調停中だ。一人娘の親権と養育費で揉めている。この離婚も出会いがしらの交通事故のようなものだと私は思っている。原因は酔いつぶれているスナックのママだ。この店に通って半年でママとベットを共にするようになった。
 ママと結ばれようとして節子との離婚を決意したが、なんとママには頼りない亭主がいて彼女はその亭主を愛していた。でも時々我慢ならなくなって浮気をする。数あるその中の一人だった。でも未練たらしく夜になったら印刷町工場からそのスナックに足が向いてしまう。
 それで4日目にして初めてその手紙の封を切った。
 田辺周平、そうだ私に勝手にこの5年間ノートを送り続けてきた男だ。1冊目は数ページ目を通したが、2冊目からは学生時代のアルバムと一緒に段ボール箱に投げ込んでいる。俺は大学時代という小説の中にいたのだ。小説の幕は閉まって女房と子供を食わすだけで精一杯の情けない男。
「僕は今松七五三聖子と暮らしている」
 その言葉で小説の世界に引き戻される。松七五三聖子という名を思い出した。周平と彼女の取り合いをしていた。私は慌てて段ボールの中を酔った目で舐めまわす。学生時代のアルバムは1冊きりしかない。それも数枚の写真しか張られていない。あの頃は小説家になる夢ばかり見ていて、過去を残すという気がなかった。ゼミで撮った写真と下宿の屋根の上で撮った写真、この間で足を投げ出している女性が松七五三聖子だ。
 周平も私もその頃はお互いに内緒にしていたことがある。今日は用事だと互いに言い訳がましく言った日は実は松七五三聖子の部屋の布団の中にいた。お互いにだ。互いに彼女の部屋の前の廊下まで来て微かな獣のうめき声を聞いて失望のどん底に落ち込んで長い道を歩いて帰った。
 お前はまた青春の小説の中に戻ってしまったのか。でも松七五三聖子が国外を出る最後の日、彼女は同朋にすべく私を部屋に呼び出した。だが私は抱き終わった後その誘いを断った。
「周平も誘ったのか?」
「誘っていない。彼には私より愛している人がいると思う」
 この話も最後まで打ち明けずに大学を卒業した。手紙の最後に、
「松七五三聖子は顔も記憶も失っている。だが君には二人の結婚を伝えたい。会いに行く」
 と半ば強制的に書かれていた。
 どうしたことか、ダメ人間に成り下がっていた男が10日の猶予を残して会う場所を指定した手紙を書いた。電話では伝わらないそんな気がした。会う前に周平のノートをすべて読んでおくのだ。妙な決意だ。




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