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【11:春野日向は青ざめる】
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春野は大根を輪切りにしようとして、誤って包丁で人差し指の腹を切ってしまった。
大した怪我ではないけれど、ひと筋、血が流れ出している。
固まって動かない春野の顔を横から覗き込むと、口をポカンと開けて真っ青になっている。
「血が……血が……」
唇がプルプルと震え、目がうつろ。
春野はこの世の終わりみたいな顔をしている。
大した傷ではないのに。
偉そうに言う割には、春野は案外チキンハートだ。
俺は部屋の隅にある救急箱から、消毒薬と絆創膏を取り出して、春野の前に置いた。
「ほれ。軽く水で傷を流して、これを使え」
春野は何も答えずに、バッと振り向いて、俺を睨んだ。
春野の目には涙がたまっていて、今にもあふれ出しそうだ。
「あ、あ、秋月君! 私、怪我をしたのにっ! そ、そんなに軽く扱わないでくれるっ!?」
「そんなこと言ったって、大した傷じゃないよ」
「た……大したことない……ことなんかないっ! 痛いもん!」
春野は血が流れている人差し指を、俺に見せつけるように、目の前にずいっと突き出した。
眉尻を下げて、ホントにこのままじゃ泣き出しそうな顔をしている。
「ああ、悪かった。俺が間違ってたよ。そうだな、俺が手当てしてやる」
料理をしていたら、これくらいの傷なんて日常茶飯事だろうとは思うが……
春野が大したことあるって言うなら、邪険に扱うわけにはいかない。
なんと言っても彼女は、我が料理教室の大切なお客様なんだし。
それにこんなに動揺している女の子を突き放すなんてのは、男が廃る。
俺は春野の人差し指をつかんで、流しの水道でさっと血を流した。
そして春野の指に消毒薬を吹きかけてから、防水性の高い絆創膏を人差し指に巻いてやる。
「さあ、これで傷は大丈夫だ」
「あ、ありがとう……」
春野は消え入りそうな声で礼を言ったけど、まだ青ざめた顔で固まっている。
さっきなんか、冷静で自信満々な普段の春野からはまったく想像がつかないくらいテンパって、まるで駄々っ子のようになっていたし。
「春野。お前、大丈夫か?」
彼女は俺の言葉には答えずに、ふらふらとした足取りで部屋の端まで歩いて行って、壁際に置いてある丸椅子に腰を下ろした。
そして「はぁっ……」と大きなため息をついて、がっくりと肩を落としてうつむいた。
凄い落ち込みようだ。
どうしたんだ?
あまりに自分ができなくて、落ち込んでるのかもしれない。
あれだけなんでもできるスーパー美少女なのだから、プライドがズタズタに引き裂かれているのかもしれない。
「ん? 春野さん……?」
母がこちらを気にして声をかけようとしたけど、俺は目でそれを制して、壁際に座る春野に歩み寄る。
「なあ春野。気にするなよ」
うなだれる頭の上から声をかけると、春野はすっと顔を上げて俺を見た。
「な……なんの話? ちょっと休憩してるだけよ。何も気にしてないから!」
「誰だって最初はそんなもんさ」
「そんなもんって何かなぁ? 秋月君は、私が下手くそだって言いたいわけ?」
そのとおりだ。ここまで不器用なヤツは絶滅危惧種並みにレアだ。でもまあ今の春野には、慰めが必要だ。
「いや、そんなことはないよ。だけど春野。やっぱりホントは、包丁握ったことないんだろ?」
「えっ? いや、あの、だから……」
「無理すんなよ春野。見ればわかるさ。ほとんど、またはまったく料理の経験がないはずだ」
「あ……」
春野はちょっと目を見開いて、俺を見た。
自分の技量を見透かされて、まるで悪戯がばれた子供のように、ばつの悪そうな表情をしている。
「うん……まあ。生まれてこのかた、2、3回かな。料理は母が全部するからって、させてもらってないの。ちょっと訳あってさ」
「ん? 訳……?」
「あ、いや、なんでもない。秋月君がお見通しのとおり、ほとんど包丁は握ったことがない」
「じゃあやっぱり仕方ないよ。初めてなんだから、誰だって上手くなんてできない」
「でも、だからと言って、こんなに無様な姿をクラスメイトに見られるなんて、もう嫌だ。やっぱり私、帰った方がいいんだ」
なんとまあ、プライドが高いことだ。
苦手なモノの一つや二つ、あってもいいのに。
「何を言ってるんだ春野。俺はクラスメイトだけど、料理教室の講師だぞ。お前よりもっと下手くそな人を、今まで山ほど見てきた。春野は、初めてにしては上手い方だよ」
「ほ……ホント?」
春野の表情が少し和らいで、ほのかに頬が緩んだ。
少しは気を取り直してくれたようで良かった……
まあ、春野が上手い方っていうのは大嘘だけど、嘘も方便だ。
コイツ、今まで見たことがないくらい、こんなに不器用なヤツがいるのかと信じられないくらい、ダントツで不器用だ。
「ああ、ホントだ。それに何だってスーパーにこなす春野なんだから、すぐに上手くなるさ」
俺の言葉に、春野は自嘲するような息を鼻からフッと吐いて、視線をそらした。
そして俺に聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。
「でも私、手先の細かいこととか、案外苦手なのよね……」
そうなのか。それは意外だ。春野も人間なんだ。苦手なものもあるのだと、極めて当たり前のことに今気づいた。
そう思いながら黙って春野を見ていたら、ふと俺の目線に気づいた春野が、笑顔を取り繕って、焦るように早口になった。
「あっ、いやっ……わ、私はなんだってできるから。大丈夫だから」
「まあまあ、春野。そう無理するな。苦手なものが一つくらいあったっていいじゃないか」
そうだよ。
あれだけなんでもスーパーにできるし、見た目もアイドル並みに美人だ。
料理が苦手なくらい、かえって可愛いものだと、俺は思うけどな。
「無理なんかしてないし。別に苦手って決まったわけじゃないし」
春野は取り繕った笑顔を顔に貼りつけたまま、ちょっとムスッとした口調で言い返してきた。
大した怪我ではないけれど、ひと筋、血が流れ出している。
固まって動かない春野の顔を横から覗き込むと、口をポカンと開けて真っ青になっている。
「血が……血が……」
唇がプルプルと震え、目がうつろ。
春野はこの世の終わりみたいな顔をしている。
大した傷ではないのに。
偉そうに言う割には、春野は案外チキンハートだ。
俺は部屋の隅にある救急箱から、消毒薬と絆創膏を取り出して、春野の前に置いた。
「ほれ。軽く水で傷を流して、これを使え」
春野は何も答えずに、バッと振り向いて、俺を睨んだ。
春野の目には涙がたまっていて、今にもあふれ出しそうだ。
「あ、あ、秋月君! 私、怪我をしたのにっ! そ、そんなに軽く扱わないでくれるっ!?」
「そんなこと言ったって、大した傷じゃないよ」
「た……大したことない……ことなんかないっ! 痛いもん!」
春野は血が流れている人差し指を、俺に見せつけるように、目の前にずいっと突き出した。
眉尻を下げて、ホントにこのままじゃ泣き出しそうな顔をしている。
「ああ、悪かった。俺が間違ってたよ。そうだな、俺が手当てしてやる」
料理をしていたら、これくらいの傷なんて日常茶飯事だろうとは思うが……
春野が大したことあるって言うなら、邪険に扱うわけにはいかない。
なんと言っても彼女は、我が料理教室の大切なお客様なんだし。
それにこんなに動揺している女の子を突き放すなんてのは、男が廃る。
俺は春野の人差し指をつかんで、流しの水道でさっと血を流した。
そして春野の指に消毒薬を吹きかけてから、防水性の高い絆創膏を人差し指に巻いてやる。
「さあ、これで傷は大丈夫だ」
「あ、ありがとう……」
春野は消え入りそうな声で礼を言ったけど、まだ青ざめた顔で固まっている。
さっきなんか、冷静で自信満々な普段の春野からはまったく想像がつかないくらいテンパって、まるで駄々っ子のようになっていたし。
「春野。お前、大丈夫か?」
彼女は俺の言葉には答えずに、ふらふらとした足取りで部屋の端まで歩いて行って、壁際に置いてある丸椅子に腰を下ろした。
そして「はぁっ……」と大きなため息をついて、がっくりと肩を落としてうつむいた。
凄い落ち込みようだ。
どうしたんだ?
あまりに自分ができなくて、落ち込んでるのかもしれない。
あれだけなんでもできるスーパー美少女なのだから、プライドがズタズタに引き裂かれているのかもしれない。
「ん? 春野さん……?」
母がこちらを気にして声をかけようとしたけど、俺は目でそれを制して、壁際に座る春野に歩み寄る。
「なあ春野。気にするなよ」
うなだれる頭の上から声をかけると、春野はすっと顔を上げて俺を見た。
「な……なんの話? ちょっと休憩してるだけよ。何も気にしてないから!」
「誰だって最初はそんなもんさ」
「そんなもんって何かなぁ? 秋月君は、私が下手くそだって言いたいわけ?」
そのとおりだ。ここまで不器用なヤツは絶滅危惧種並みにレアだ。でもまあ今の春野には、慰めが必要だ。
「いや、そんなことはないよ。だけど春野。やっぱりホントは、包丁握ったことないんだろ?」
「えっ? いや、あの、だから……」
「無理すんなよ春野。見ればわかるさ。ほとんど、またはまったく料理の経験がないはずだ」
「あ……」
春野はちょっと目を見開いて、俺を見た。
自分の技量を見透かされて、まるで悪戯がばれた子供のように、ばつの悪そうな表情をしている。
「うん……まあ。生まれてこのかた、2、3回かな。料理は母が全部するからって、させてもらってないの。ちょっと訳あってさ」
「ん? 訳……?」
「あ、いや、なんでもない。秋月君がお見通しのとおり、ほとんど包丁は握ったことがない」
「じゃあやっぱり仕方ないよ。初めてなんだから、誰だって上手くなんてできない」
「でも、だからと言って、こんなに無様な姿をクラスメイトに見られるなんて、もう嫌だ。やっぱり私、帰った方がいいんだ」
なんとまあ、プライドが高いことだ。
苦手なモノの一つや二つ、あってもいいのに。
「何を言ってるんだ春野。俺はクラスメイトだけど、料理教室の講師だぞ。お前よりもっと下手くそな人を、今まで山ほど見てきた。春野は、初めてにしては上手い方だよ」
「ほ……ホント?」
春野の表情が少し和らいで、ほのかに頬が緩んだ。
少しは気を取り直してくれたようで良かった……
まあ、春野が上手い方っていうのは大嘘だけど、嘘も方便だ。
コイツ、今まで見たことがないくらい、こんなに不器用なヤツがいるのかと信じられないくらい、ダントツで不器用だ。
「ああ、ホントだ。それに何だってスーパーにこなす春野なんだから、すぐに上手くなるさ」
俺の言葉に、春野は自嘲するような息を鼻からフッと吐いて、視線をそらした。
そして俺に聞こえるか聞こえないかの小さな声でつぶやいた。
「でも私、手先の細かいこととか、案外苦手なのよね……」
そうなのか。それは意外だ。春野も人間なんだ。苦手なものもあるのだと、極めて当たり前のことに今気づいた。
そう思いながら黙って春野を見ていたら、ふと俺の目線に気づいた春野が、笑顔を取り繕って、焦るように早口になった。
「あっ、いやっ……わ、私はなんだってできるから。大丈夫だから」
「まあまあ、春野。そう無理するな。苦手なものが一つくらいあったっていいじゃないか」
そうだよ。
あれだけなんでもスーパーにできるし、見た目もアイドル並みに美人だ。
料理が苦手なくらい、かえって可愛いものだと、俺は思うけどな。
「無理なんかしてないし。別に苦手って決まったわけじゃないし」
春野は取り繕った笑顔を顔に貼りつけたまま、ちょっとムスッとした口調で言い返してきた。
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