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アマメと私

アマメと私 その7

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 明日がたとえクリスマスイブだろうが、たとえ旧正月だろうが、決まってしまったものは仕方がない。明日は祭りだ。冬祭りだ。青前さんを怒らせてしまったことはまずいが、こうなってしまえばあとは運命という大きな流れに身を任せるしかないだろう。

 その日の夜、私は押入れの奥から市松模様の浴衣を引っ張り出して試しに着てみた。袖を通すのは高校生以来であったが、大して身長も変わっていないので、着るには問題なかった。

 鏡の前で浴衣を着る私を見た父は、目を丸くして「なにやってるんだい」と訊ねた。

「浴衣を着てるんだから、祭りに行くに決まってるよ」

 私の答えを聞いた父は「それもそうか」と言って大いに笑い、ビールを呷った。それからは浴衣の件について追及してくることはなかった。息子の私が言うのもなんだが、ぼんやりした父である。このような時期に浴衣を着て祭りに行くような人間が、この世のどこにいるのだろうか。頭がおかしくなったと思ってもらわねば却ってこちらが不安になる。

 さて風呂上りのこと。自室で本を読んでいると青前さんから連絡があった。彼女からのメールには、「明日はお休みもらったから」とだけ書いてあった。顔文字も無ければ感嘆詞もない、素っ気ないメールであるが、一応は誘いに乗ってくれたらしい。

 私が「やはり怒っていますか」と返信すると、青前さんは「怒ってないよ」とこれまた素っ気ない文面で返してきた。窓の外の厳しい冷たさが、文字に乗せられ送られてきたかのようだった。

 十二月二十四日に女性を誘うということの意味をわからないほど、私は朴念仁ではない。しかしこちらにその気は無かったし、そもそも翌日がクリスマスイブであることに気づいていなかった。

 だいたい、私と青前さんは幼馴染、腐れ縁、悪友、ツレ、マブダチ――そういった気の置けない関係なのだから、男女間の駆け引き、すったもんだ、惚れた腫れたの交差点で地団太を踏み天に叫ぶ――などの行為とは遠く無縁の位置にあるのだ。意識してしまうこと自体、間違っていると私は思う。そう思うのだ。

 つまり、無暗に罪悪感を覚える必要はどこにもないのである。

 心中で言い訳に言い訳を重ねて、私は無心でメールを打った。

「浴衣、ありました。高校生の時、青前さんとお祭りに行った時のものですよ」
「あたしも見つけた」
「そうですか。それはよかった。明日が楽しみですね」
「明日はなにするの?」
「楽しみはとっておくものですよ」
「別に楽しみじゃないし、とっておかなくていい」
「そう言わずに。きっと楽しいですから」

 それから一時間ほど間があって、青前さんから「雨天決行?」とメールがきた。

「どうしてですか?」
「天気予報見れば」

 私は携帯で明日の天気をチェックした。新座の欄を見てみると、唇を曲げて眉をハの字にした雪だるまが雪に降られて立っていた。

「明日は朝から一日雪。ナリヒラくん、普段の行いでも悪いんじゃないの」
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