知らないだけで。

どんころ

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その日から稜くんと少しずつメッセージのやり取りが続いている。
今日はマフィンを作ったよとか、庭のお花が咲いたよとか、稜くんは家の近くにカフェがオープンしたから今度行こうとか、同僚の人と飲みに行ったとか日常の何気ない報告だ。

先生に確認したところフェロモンは安定してきているから、次のヒートが終わったら、デートをという話になっている。
明日か、明後日ぐらいか…少し体がだるくなってきているのを感じるから、そろそろくるかもしれない。
念のため家族に連絡をすると、今日からご飯もお部屋で食べるようにして、部屋から出ずに生活するように言われた。

稜くんにももうすぐ来そうですと連絡すると、分かったと返事が来た。
準備も万端だし、ここは助けてくれる人がいるから大丈夫、何も心配いらないと思っていたけれど、いざもうすぐですってなるとちょっとずつ不安が煽られてくる。




そういえば…先生、番にお願いできたら、使用済みのハンカチか何かもらうといいかもって昨日言ってたなぁ。
辛くなった時、家族でもいいけど何かフェロモンを感じるものがあると安心するよって。
流石に家族にぐちゃぐちゃなところを見られると恥ずかしいし、困ったらお願いするつもりでは居るけど、とりあえず稜くんに頼んでみようかな。

何か使用済みの衣類を貸して欲しいとお願いすると、今日着たパジャマを明日届けてくれると言ってくれた。
安心して寝て起きると、もう本当にすぐに来そうな火照りと下半身の疼きがあった。
部屋の入り口に置かれたお盆を何とかゆっくり机へ運び、隣に置いてあったビニール袋も持ってきた。
今のうちに食べなくちゃと、そんなに食欲も湧かないけれど何とか食べ、そういえばビニール袋があったなと中を覗くと、見覚えのあるパジャマが密閉されて入っていた。
ただ貸してと言っただけだけど、僕の意図は伝わっていたらしい。
薄れないように、他の人の匂いが混じらないようにと密閉して持ってきてくれたのだろう。
その細やかな気遣いが嬉しくてついふふっと声がもれた。

そうして迎えた発情期はパジャマに抱きつくことで安心して、自傷行為もなく乗り越えられた。






発情期も無事に終わり、フェロモン値も落ち着いた所で、稜くんとのデートは美味しいケーキ屋さんでお茶をすることになった。
家まで迎えにきた稜くんは、車が止まるか止まらないかくらいで車を飛び出し、玄関前で待っていた僕の前で膝をついた。
謝ろうとする稜くんにそのままぎゅっと抱きついた。
「もういいよ。稜くんの気持ちも伝わったし、もう僕大丈夫だから。」
僕は知らなかったけど、発情期前にお願いしたパジャマは毎日交換されていたらしい。
僕に会えないこともわかってて毎朝自分で持ってきて交換してくれていたと後から兄に聞いた。
フェロモンが消えないなんてすごいななんて呑気に思っていたら、稜くんのおかけだった。
実家から稜くんの家まで往復1時間はかかる。
1週間といえど忙しい中、毎朝。
僕が連絡を返せないことが分かった上で、発情期中も毎日連絡が入っていた。
必ず体調を気遣う言葉から始まるそのメールは、朝はその日の予定で夜は帰ってきたという報告で結ばれていた。
稜くんの態度から想いが伝わっていたのは本当だった。

「ごめん、本当に…申し訳ない。」
絞り出すようにそう言って震える手を僕の背中に回した。
稜くんが泣いてるのを見て、見送りに来ていた家族はそっと家の中に戻っていった。
αはプライドが高い生き物なので遠慮したのだろう。

落ち着いたのを見計らって膝が汚れるから立とうと声をかけた。
見たことがないほど目を真っ赤にした顔に少し笑ってしまうと、恥ずかしそうに稜くんは目をそらした。

ケーキ屋さんに向かう道中、気まずい空気が流れるかと思ったけれど、意外にも穏やかに会話が続いた。
僕の発情期に何か作って持っていこうと料理をしてみたが、全くできず、持っていけなかったこと。
やっぱり美鶴の料理が1番おいしいと言ってくれた。
家に帰ってソファの定位置に僕がいないのがつらくて、リビングに滞在できなかったこと。
美鶴がいないと、ダメダメだって少し恥ずかしそうに笑う稜くんに少しキュンとした。

ケーキ屋さんで美味しいケーキを2人で食べて、稜くんはお土産にとケーキを僕の家用にと買って持たせてくれた。
何も言っていないのに、どちらを食べるか迷って、選ばなかったモンブランがお土産のケーキに入っていた。
僕のこと見ててくれたのかななんて少し嬉しくなった。

僕たちが車で家に帰ると玄関前に家族が揃っていた。
何だか過保護な家みたいで少しだけ恥ずかしいけど、心配してくれたんだなって思うと嬉しい気持ちの方が大きい。
両親に挨拶すると稜くんはまた連絡するねと言って帰っていった。

稜くんの姿が見えなくなると、兄が僕に向き合って上から下まで何かチェックを始めた。
「然兄さん?」
「ん?」
「どうしたの?」
「稜に嫌な事されなかった?美鶴後ろ向いて?」
“鬼退治”に行くほど稜くんに怒っていた兄だったが、僕の発情期が終わると呼び捨てで呼ぶ仲になっていた。
言われるがまま後ろを向くとまた何か確認をしているようだった。
「ん、よし。フェロモンが濃くついてる感じもないし、美鶴の顔色も良いし、良さそうだね。」
「うん、調子いいよ?」
「何かあったら検査のために先生呼ばないといけなかったけど、必要なさそうだね。」
兄は僕をぎゅっと抱きしめておかえりと言った。
ただいまと返しながら僕も兄の背に手を回した。
兄も両親も僕が帰ってからスキンシップがすごく増えた。
僕の体調が安定するからと先生に言われたのもあるけど、前まではこんな風にできなかったからと喜んでやってくれている。
そのおかげか、稜くんに会ってもフェロモンの乱れでヒートを起こすことなく、体調も安定している。
兄の番が終わると次は両親の番で、2人に抱きしめられた。



夕食後、稜くんが買ってくれたケーキを食べながら、今日の出来事を話した。
「ミルフィーユとモンブランで悩んでたからね、帰りに稜くんがお土産持たせてくれたみたい。」
「良かったわね。昔からモンブラン好きだものね。」
「うん!……?」
昔からと言うフレーズに少し違和感を感じて首をひねっていると、
「ケーキを買ってくると、毎回モンブランかミルフィーユ食べてたからね。」
と母が言葉を足した。
離れにいたのに、なんで僕の生活ぶりを知っているんだろう…。

「美鶴が離れにいる頃は、毎日帰る前に野間さんにこっちにきてもらって1日の様子を報告してもらってたんだよ。懐かしいな。」
野間さんは僕を母親がわりに育ててくれた使用人だ。
今もまだ働いていて、使用人をまとめてくれている。
「え?」
父の思いがけない言葉に思わず声が漏れる。
僕の存在は無いもののように過ごしていたものだと思っていたから。
「そうそう、今日はどのくらい食べたとか、何話したとか。稜と会う日もあっただろ?マフラーもらって喜んでたとか、会う日の服装にかなり前から悩んでるとか教えてもらってたんだ。」

「もしかして、毎回新しい服が増えてたのは、、」
「そう、3人で交代で買ってた。美鶴に似合う服どれかなって。なんだかんだ似通っちゃうんだけどね。淡い色が似合うから。」
「そうなのよ、ついね。」
確かに会う日の2週間とか前から服装に悩んでいたら、気づいたら服が増えてて野間さんが最近買ったこの服にしましょうみたいな風に勧められて着ていくことが多かった気がする。

「そんなに昔から僕のこと気にかけてくれてたんだね。」
僕がそう言うと、当たり前でしょうとそのまま抱きしめられた。

今回の騒動がなかったら、こうやって見守ってもらっていたことも知らずに、家族と話すこともなかったと思えば、辛い思いもしたけど、これで良かったのかもしれない。
そうみんなに伝えるとさらにギュッと抱きしめられて、母はあぁダメと言いながらまた泣いているようだった。
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