ホワイト・ルシアン

たける

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第25章.変動

4.

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昏睡状態の我孫子監督は、右足骨折に、左大腿骨骨折。そして内臓を損傷し、頭部強打による頭蓋骨骨折と言う重症で、生きているのが奇跡だと、担当医は言っていた。

「我孫子は、若くして天涯孤独なんだよ」

ガラス越しに集中治療室を見つめながら、康介さんがポツポツと、語り出す。俺はその傍らに立ち、黙って耳を傾けていた。

我孫子弘之は、高校の時に事故で両親を亡くし──その時既に両祖父母は他界していた──スポーツ推薦で大学に入った。苦学生ではあったが、明るく社交的で、康介さんもそんな暗い過去があった事は──監督就任時に再会するまで──知らなかったと言う。

「本当に、自分の事は話したがらない奴でね」

そう言う康介さんもそうだと思ったが、敢えて口にはしなかった。

「とにかく、我孫子の事は私が引き受けるよ」

医師の話だと、いつまでこの状態なのか、いつ意識が戻るかも不明──逆に、意識が戻らないま逝ってしまう可能性だってある──だそうで……

「あの、剣崎君……」
「はい」

苦し気な顔に、俺まで胸が痛む。

「ちょっと我孫子を頼む」
「え……?」
「こんな時にあれなんだが、柔道連盟にこの件を報告しなくては……」

そうだ。監督は柔道日本代表の監督で、オリンピックも夏には開催される。例え近日中に意識が戻ったとしても、この体では監督として代表チームを牽引出来ない。となると、早急に新しい監督を選出しなければならないのだ。

「……分かりました。ここは僕が見ていますので、康介さんは早く連絡を」
「ありがとう。すぐ戻るよ」

そう言い、康介さんはエレベーターに乗り込んで行った。その背中を見送り、再び我孫子監督へと視線を戻す。

「監督……」

ただ、回復を願うしか出来ない歯痒さに、拳を握った。


──誰が次の監督に選出されるんだろう……?


我孫子監督は、康介さんを推していると言っていた。だが、柔道連盟の意思はどうだろう。そんな事を考えていると、康介さんが戻ってきた。その顔は険しく、眉間に深い皺を刻んでいる。

「お帰りなさい」
「剣崎君、悪いんだが……」
「呼び出し……ですか?」

そう尋ねると、康介さんは小さく頷いた。

「次の監督を選出する会議をするそうで、召集されてしまった……」

苦々しい表情に、行きたくない気持ちが現れている。不謹慎だが、笑ってしまった。

「顔に出過ぎですよ……!」
「うん?そうかい?」
「会議では、そんな顔しちゃ駄目ですよ?」
「うーん……分かった、努力するよ」

はにかみ、ぎゅっと手を握られる。

「恐らく、戻るのは随分遅くなると思う。君は面会時間が過ぎたら、1度家に帰ってくれ」
「ですが……」

嫌な言い方だが、いつ何時どうなるか分からない。そう言う不測の事態が急に起こるかも知れないのだ。

「こんな言い方はあれだが……側にいたからと言って、回復する訳じゃない。その時は何処にいたってくるものだし、運次第だと思う」

本当は側にいたい筈だ。だけどそうしてやれない事がもどかしいのだろう。

「……分かりました。時間がきたら、帰ります」
「すまない。それじゃあ、私は先に行くよ」
「あ、あの……!」

エレベーターへ向かう背中に声をかけた。伝えなければ、と、思い出した事があったから。

「うん?」

急いでいるのに、優しい微笑で振り返る康介さんに、俺は我孫子監督の思いを伝える。

「昼間、監督と会っていたんですけど……その時、我孫子監督は、次の日本代表の監督には康介さんを推していると言っていました」
「……そうかい?」

困ったように笑む康介さんに近付き、今度は俺がその手をぎゅっと握った。

「僕も、次の監督は康介さんがいいと思います。もし、会議で選出されたら、引き受けて下さい」

それはきっと、我孫子監督も願っている事だと思う。
康介さんは逡巡した後、俺の手を握り返してきた。

「もしそうなったら、引き受けるよ」

はい、と答える俺に笑いかける。その笑みはどこか寂し気ではあったが、康介さんは慌ただしくエレベーターに乗って行ってしまった。
面会時間終了まであと少し。俺は再び、我孫子監督の回復を願った。




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