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第18章.ジプシー
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いつもと変わらない雰囲気で、カウンターに座って待つ。その間、どうやって切り出せばいいのかと、悩んでいた。
──そんなの、分かる筈ない……
アメリカーノ──ビター・ベルモットとスイート・ベルモット、そしてソーダとレモンの果皮を入れたもの──を飲む。カクテル言葉は、届かぬ想い、だ。
今の私にぴったりだと──自嘲気味に──笑う。
その時、彼が入ってきた。
「お待たせしてすみません」
そう言いながら、私の隣に座る彼は、黒いスーツに白いカッターシャツ、そしてワイン色と暗いグレーのストライプのネクタイを合わせていた。
「……い、いや。私もさっき来たところだ」
一瞬、見とれていた。取り繕うように、笑って見せる。
「何を飲まれてるんですか?」
「うん?アメリカーノだよ」
「美味しそう……僕も同じものを」
「いや、君は」
「康介さん」
名前を呼ばれ、彼を見つめる。悪戯っぽく煌めく瞳が、私を見ていた。
「あのカクテルの意味を、知ったんだってね」
心の奥を見透かされそうで、目を逸らした。その間に彼は、私と同じものを注文する。
「……はい。ちょっと前ですが……」
連絡しなくてすみません、と、謝る彼に、カクテルが差し出される。
「構わないよ。あれは……忘れてくれ」
「どうして?あれが、康介さんの本当の気持ちなんでしょう?」
──今、君を想う……
確かにそうだ。いつだって君を想っている。
好きだ。そう伝えてしまえたら……
だが私は──私からは──言えない。
「剣崎君……朋樹はまだ幼い、と言っても、もう28になるんだが、精神的にはまだまだ子供で、至らない点や未熟なところは沢山ある。小さな事で腹を立てたり、白黒ハッキリさせないと気が済まなかったり、負けず嫌いで、時に回りが見えなくなる時もある。だがね、親バカで言うのではないが、とても真っ直ぐな子なんだ」
「……はい、そうですね」
「朋樹を頼む」
カラン、と──カウンターで──氷が鳴った。
「それって……」
「君は朋樹が好きだろう?」
彼の瞳が潤む。そして、差し伸べられた手が、私の頬に──優しく──触れた。
「僕の気持ちは、お聞きになられないんですか?」
聞きたい。だが。
──だが、もしかして……
淡い期待はある。もしかして、と、思う気持ちも、なくはない。だが、そのもしもが叶ってしまったら?
私は嬉しいが、朋樹は?
──朋樹の事を思うと……
「……朋樹の事は好きです。康介さんが言うように、甘えん坊で、だけど試合中の凛々しい顔、緊迫感のある空気……どれも愛おしいです……」
でも、と、彼は──私の頬から──手を滑らせた。その手が、私の手を握る。
「貴方の優しさも、誠実さも……温もりや感触も、忘れられないんです……」
一筋の涙。それは相変わらず美しい。
「剣崎君……それは……」
気持ちが揺れる。
私だって男だ。好きな人を口説きたい気持ちは大いにある。このままホテルに行って、激しく抱きたいとも思う。
──願わくば、奪い去りたい……
触れたい。キスしたい。抱き締めたい。
だが、そのどれをも、私には出来ない。
彼の手から逃れ、涙を拭ってやる。
それが今、私に出来る──私自身が許す──精一杯の愛情だ。
「いつか忘れてしまう……それに、君のその涙だけで十分だよ」
最後に、私はまた、彼にカクテルをプレゼントした。
「プリンセス・メアリー、と言うんだ」
白く、雪のように──ジンとホワイトカカオリキュール、それと生クリームで作る──美しいカクテルだ。
「綺麗……ですね」
「祝福、と言う意味だ」
グラスを手に取ろうとして──彼の──手が止まる。
「……もう、ライラじゃないんですね……」
「あぁ……」
ぎこちなく、はにかみながら、彼は一口、カクテルを飲んだ。それは、私の思いを汲んでくれた、とも言えるだろう。
「ごちそうさまです……」
そう呟き、彼は去った。
──終わった……
振り向く事はしないまま、扉が閉まる音を聞き、私は長い息を吐き出した。
「ジプシーを……」
新たなカクテルを注文する。意味は、暫しの別れ、だ。
完全な別れじゃない。
また、会える。
──澪……
もう呼ぶ事はない名前を心で呟いた。
──そんなの、分かる筈ない……
アメリカーノ──ビター・ベルモットとスイート・ベルモット、そしてソーダとレモンの果皮を入れたもの──を飲む。カクテル言葉は、届かぬ想い、だ。
今の私にぴったりだと──自嘲気味に──笑う。
その時、彼が入ってきた。
「お待たせしてすみません」
そう言いながら、私の隣に座る彼は、黒いスーツに白いカッターシャツ、そしてワイン色と暗いグレーのストライプのネクタイを合わせていた。
「……い、いや。私もさっき来たところだ」
一瞬、見とれていた。取り繕うように、笑って見せる。
「何を飲まれてるんですか?」
「うん?アメリカーノだよ」
「美味しそう……僕も同じものを」
「いや、君は」
「康介さん」
名前を呼ばれ、彼を見つめる。悪戯っぽく煌めく瞳が、私を見ていた。
「あのカクテルの意味を、知ったんだってね」
心の奥を見透かされそうで、目を逸らした。その間に彼は、私と同じものを注文する。
「……はい。ちょっと前ですが……」
連絡しなくてすみません、と、謝る彼に、カクテルが差し出される。
「構わないよ。あれは……忘れてくれ」
「どうして?あれが、康介さんの本当の気持ちなんでしょう?」
──今、君を想う……
確かにそうだ。いつだって君を想っている。
好きだ。そう伝えてしまえたら……
だが私は──私からは──言えない。
「剣崎君……朋樹はまだ幼い、と言っても、もう28になるんだが、精神的にはまだまだ子供で、至らない点や未熟なところは沢山ある。小さな事で腹を立てたり、白黒ハッキリさせないと気が済まなかったり、負けず嫌いで、時に回りが見えなくなる時もある。だがね、親バカで言うのではないが、とても真っ直ぐな子なんだ」
「……はい、そうですね」
「朋樹を頼む」
カラン、と──カウンターで──氷が鳴った。
「それって……」
「君は朋樹が好きだろう?」
彼の瞳が潤む。そして、差し伸べられた手が、私の頬に──優しく──触れた。
「僕の気持ちは、お聞きになられないんですか?」
聞きたい。だが。
──だが、もしかして……
淡い期待はある。もしかして、と、思う気持ちも、なくはない。だが、そのもしもが叶ってしまったら?
私は嬉しいが、朋樹は?
──朋樹の事を思うと……
「……朋樹の事は好きです。康介さんが言うように、甘えん坊で、だけど試合中の凛々しい顔、緊迫感のある空気……どれも愛おしいです……」
でも、と、彼は──私の頬から──手を滑らせた。その手が、私の手を握る。
「貴方の優しさも、誠実さも……温もりや感触も、忘れられないんです……」
一筋の涙。それは相変わらず美しい。
「剣崎君……それは……」
気持ちが揺れる。
私だって男だ。好きな人を口説きたい気持ちは大いにある。このままホテルに行って、激しく抱きたいとも思う。
──願わくば、奪い去りたい……
触れたい。キスしたい。抱き締めたい。
だが、そのどれをも、私には出来ない。
彼の手から逃れ、涙を拭ってやる。
それが今、私に出来る──私自身が許す──精一杯の愛情だ。
「いつか忘れてしまう……それに、君のその涙だけで十分だよ」
最後に、私はまた、彼にカクテルをプレゼントした。
「プリンセス・メアリー、と言うんだ」
白く、雪のように──ジンとホワイトカカオリキュール、それと生クリームで作る──美しいカクテルだ。
「綺麗……ですね」
「祝福、と言う意味だ」
グラスを手に取ろうとして──彼の──手が止まる。
「……もう、ライラじゃないんですね……」
「あぁ……」
ぎこちなく、はにかみながら、彼は一口、カクテルを飲んだ。それは、私の思いを汲んでくれた、とも言えるだろう。
「ごちそうさまです……」
そう呟き、彼は去った。
──終わった……
振り向く事はしないまま、扉が閉まる音を聞き、私は長い息を吐き出した。
「ジプシーを……」
新たなカクテルを注文する。意味は、暫しの別れ、だ。
完全な別れじゃない。
また、会える。
──澪……
もう呼ぶ事はない名前を心で呟いた。
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