Prisoner

たける

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第8章

3.

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ゲイナーが入院し──ドーズが婚姻届を提出してから──1週間が経った。その間クレイズは外出する事を許されず、ロゼに見張られるように過ごしていた。
そんなある日、ドーズがいつものように仕事へと出かけ広い屋敷にロゼと2人だけになると、ハリスがやって来た。

「やぁ、クレイズ。久しぶり」

ロゼに案内されクレイズの部屋へやって来たハリスは、そう言って片手を軽く上げた。

「元気そうだな。何か用か?」

そう尋ねると、ハリスは部屋の中程まで歩いて来てクレイズに笑いかけて来た。

「ゲイナー、昨日退院したんだって」
「昨日?早くないか?」

首を切られた割に随分と早い退院だ。クレイズはそれに驚き、信じられないと訴えるように目を丸くした。

「昨日警察署に行ったら、ゲイナーがいてさ。俺も驚いたよ。早くない?って聞いたら、怪我はたいした事なかったんだって」

そうハリスが説明しても、クレイズはいまいち納得出来なかった。
ゲイナーはたくさん血を流していた。なのに、たいした事がないなんて嘘っぽい。

「医者に無理を言って退院したんじゃないのか?」

可能性を口にすると、ハリスもそうかもね、と言った。

「首にはまだ包帯を巻いていたけど、元気そうだったよ?」
「そう、か。なら、いい」

家族には、何と説明したのだろう。だが、何にせよ、ゲイナーが退院した事は嬉しかった。クレイズはベッドから立ち上がると、出窓へと歩いた。
もうすぐ2月になる。
風は更に強く吹いていて、木の枝には葉はもうなかった。

「ゲイナーのとこに、連れて行って上げるよ」

唐突にハリスが言った。その申し出にクレイズは嬉しがるでもなく、首を横に振った。

「どうしてさ。ドーズは今いないし、今しか会いに行けないんだよ?」

ハリスがそう言うと、クレイズは庭先を箒で掃いているロゼを見下ろした。

「ドーズはいなくても、ロゼがいる。奴はドーズの忠実な執事だ。黙って行かせてくれる筈がない」

そう言ったクレイズにハリスが歩み寄ると、同じ様に窓からロゼを見下ろした。

「らしくないよ。人生は1回きりなんだから、楽しまないと駄目だ……!」

そう言ったハリスの言葉に、クレイズは片眉を上げた。

「確かに……そうだな。人生は楽しまないと」





医者に少しだけ我が儘を言って退院したゲイナーは、家族との外食を楽しんでいた。
楽しい筈なのに、ふとした時にクレイズを思い出す。


辛そうに、自分を覗き込んでいた顔。首筋に触れる刃の感触。頬に落ちたクレイズの涙。


それらが脳裏へ断続的に現れては消え、少しだけ鬱になっていた。


──彼女を救いたかった筈なのに、逆に追い詰めてしまっている。


そう思うと胸が痛い。切り付けられた首筋の傷が、どうにかしてくれ、と訴えるように時折疼いた。

「パパ、最近仕事はどう?」

息子のケイトがそう声をかけてきて、ゲイナーは慌てて意識をこっち側へ引き戻した。そして他の事を考えていた事を悟られないよう、取り繕うように笑いかける。

「どうって、変わりない。どうしてそんな事を聞くんだ?」

そう尋ねると、ケイトはスパゲティーを頬張りながら答えた。

「入院したりするぐらいだから、大変なのかと思って」
「確かに大変だ。だが、この街から犯罪を無くす為に、パパは頑張ってるんだ」

そう嘘をつくと、ゲイナーの視界に少し濁ったような色の金髪が見えた。ゲイナーが一瞬だけそちらに目をやると、クレイズとハリスが隣のテーブルに座っていた。

「ちょっと仕事の電話が……」

そう言って席を立つと、ゲイナーは逃げるように店を出た。


──会いたい。会いたくない。


両極端の感情が胸に渦巻き、ゲイナーはどうしていいか分からなかった。
退院した事をクレイズに知らせたのは、ハリスだろう。クレイズとは入院したその日以来会っていないし、結局何に追い詰められたのかも聞けず終いだった。


──まだクレイズは悩んでいるのかも知れない。


相談に乗ってやりたかったが、家族がいる場所ではそうもいかない。
取り敢えず、ゲイナーは電話に出る事にした。





クレイズがゲイナーを追って店の外に出ると、こちらに背を向けながら電話越に話しをしていた。その背中を見つめながら、電話を切るのを待つ。
暫くしてゲイナーが電話を切ると、クレイズは声をかけた。

「誰からの電話だったんだ?」

その声にゲイナーはゆっくり振り返ると、携帯を胸元に仕舞った。

「久しぶりだな、クレイズ」
「もう平気なのか?」

そうクレイズが尋ねると、ゲイナーは頷いた。

「あぁ、大丈夫だとも」

その割に、まだ首にはハリスが言っていたように包帯が巻かれていた。

「早くないか?」

腕を組みクレイズがそう尋ねると、ゲイナーは人差し指で眼鏡を上げた。

「そうでもないさ。傷はたいした事はなかったんだ」

そう言ったゲイナーに、クレイズは抱き着いた。だがゲイナーは、そんなクレイズを困った様に優しく押し退けると、店内の方に目を遣った。

「家族と食事をしているんだ」
「あぁ、見てたよ。仲のいい家族だな」

クレイズも同じ様に店内に目を遣ると、ハリスを指で示した。

「ハリスがお前が退院したと教えてくれて、ここへ連れて来てくれたんだ」
「そうなのか。ハリスが」

そうゲイナーが言うと、扉が開いて家族が出て来た。咄嗟にクレイズが背を向けると、ゲイナーがそれを隠すように1歩前に出た。

「パパ、もう帰るよ?」
「そうか。悪いが急な仕事が入ってね、先に帰っていてくれ」

嘘を言ったゲイナーの声がして、クレイズは横目にゲイナーを窺ったが、その表情までは分からなかった。

「仕事人間なんだからぁ」
「はは……すまないな」

軽くゲイナーが謝ると、じゃあ頑張ってねー、と言うケイトの声がもう1つの足音と共に遠ざかって行った。

「平然と嘘をついたな?」

そう言ってからクレイズが振り返ると、ゲイナーは微笑みながら先に歩き出した。その後をクレイズは黙って歩き、ゲイナーの背中を見つめていた。

「なぁゲイナー、一体何処へ行くんだ?」

クレイズが声をかけると、ゲイナーは微笑んだまま右手を握ってきた。絡まった指先に結婚指輪が触れ、淋しい気持ちになる。
クレイズの手を引きながら、ゲイナーは歩道に出て手を上げタクシーを呼び止めると、クレイズに乗るよう促した。それに黙って従い乗車するのを待ち、ゲイナーも隣に乗り込む。
行き先を運転手に告げてから、背もたれに漸く背中をつけると、ゲイナーは右手を自分の顔の位置まで持ち上げ、少しだけコートの袖を引き上げた。
手首には銀色をした大きめの時計がつけられている。

「お礼を言う機会を逃してしまって」

そう言って笑うゲイナーを、クレイズは見つめた。
腕時計は、ゲイナーの誕生日パーティーの時にクレイズが慌ただしくプレゼントしたものだった。

「礼なんて、そんな」

身につけてくれている事が嬉しくて、クレイズは言葉に詰まった。するとゲイナーは、クレイズの目を真っ直ぐに見つめ返してきた。

「ありがとう、クレイズ」

膝上で手を握られた。クレイズの体に熱と緊張が走り、罪悪感と感激に唇が震えた。

「すまない……ゲイナー」

何とかそう言うと、ゲイナーは困ったように眉尻を下げて微笑んだ。

「あれからずっと気になっていたんだ。病室では、聞きそびれてしまったから」

ゲイナーがそう言うと、タクシーが停車した。クレイズは窓の外を見遣ったが、信号待ちで停まった訳ではないようだった。

「着きましたよ、お客さん」

バックミラー越しに運転手がそう告げると、ゲイナーは代金を支払って先にタクシーから下りた。クレイズも後に続いて下りると、辺りは見覚えのある景色だった。

「ここは」

そう呟くと、ゲイナーは目の前の小道を手で示した。そちらに顔を向けると、小道の先には大きくて古風な屋敷が見える。

「君の家だ」

そう言ってゲイナーは、小道を歩き出した。クレイズも懐かしみながら歩き、何故ゲイナーがここへ連れて来たのかを考えていた。
先に屋敷の玄関前に立ったゲイナーは、振り返ってクレイズを見てきた。

「ここは以前、オレが住んでた屋敷だ。どうしてここへ?」

クレイズが尋ねると、ゲイナーは僅かに微笑みながら懐に仕舞った財布の中からそっと鍵を取り出した。そしてその鍵で扉を開けると、先にクレイズを屋敷の中へと入れた。それに従いクレイズが玄関へ入ると、埃臭い中にも懐かしさが漂った。

「あれからちっとも帰ってないから、埃だらけだ」

そう言うと、クレイズは通路を歩きリビングへと向かった。食器棚もテレビも、全てあの時のままで白い埃を蓄えている。
少し湿ったような感触のする絨毯の上を歩き、ソファから軽く埃を叩いて腰掛けると、さっきから黙ったままのゲイナーを見上げた。

「懐かしいかい?」

クレイズと視線のあったゲイナーは、そう言いながらソファのひじ掛けに腰を下ろした。

「ドーズとは、結婚したんだろう?どうだ?新婚生活は」

そう尋ねるゲイナーに、クレイズはソファから立ち上がって背中を向けた。

「幸せさ。何でもしてくれるし不自由はない」

嘘をついた。本当は自由のない監禁生活のようだった。
そんな事がゲイナーに言える筈もなく、クレイズは無理に笑って見せた。

「そうか。なぁ、クレイズ。嘘はよくない」

ゲイナーがそう言った。クレイズは笑うのを止めてそんなゲイナーを見遣ると、その顔は辛そうでいて険しいものだった。

「嘘、だと?オレが嘘を?何故そう思うんだ」

そう言うとゲイナーはひじ掛けから立ち上がり、クレイズの後ろに立った。

「君は気付いていないかも知れないが、君は嘘をつく時、右口角が僅かに上がる」

そう言われ、クレイズは口元に手を宛ててみた。

「何年も警察に勤めているし、そこそこ洞察力もある。分からないとでも思ったかい?」

肩をそっと叩かれ、クレイズは振り返った。

「知らなかったな。これからは気をつけよう」
「で、本当はどうなんだ?ドーズは君に優しいかい?」

そうゲイナーに尋ねられ、クレイズは俯いた。


──言ってどうにかなるだろうか?ただ、ゲイナーを悩ませるだけじゃないだろうか?


そんな事を考えていると、ゲイナーの指が顎に触れ、顔を引き上げられた。

「話してくれ。クレイズ」

真剣な眼差しにクレイズは目を細めた。
ゲイナーなら、今のこの状況を何とかしてくれるのではないだろうか?そんな期待と、やはりどうにもならない、と言う絶望を感じながらも、クレイズは話す事にした。

「あそこは、オレにとって牢獄みたいなもんだ。自由が全くない。1人の時間もない。トイレへ行くにも、風呂に入るにもドーズがついてくる。風呂に入れば体を隅々まで洗われ、トイレが済めば拭いてくれる」

虚ろな目でクレイズがそう話すと、ゲイナーは息巻いたように顔を赤らめ唇をわななかせた。

「それはやりすぎだ……!」
「ドーズがいない時は、トイレも風呂もしてはいけない。だがこうなる事は予想内だから、問題はない」

そう答えたクレイズの肩を強く掴むと、ゲイナーは首を左右に振った。

「それは慣らされてるだけだ。そんなの、人としての尊厳もないじゃないか……!」

必死に抑えようとする怒りが、見え隠れするようにゲイナーの言葉に滲み出ている。クレイズはそれを聞きながら、目を閉じた。

「ドーズと結婚したんだ、仕方がないさ」

自分の肩を掴んでいるゲイナーの手をそっと放すと、クレイズは少しだけ放れた。

「仕方がないって言っても、それは」
「いいんだゲイナー。もう、お前の事は忘れる。だからゲイナー、お前も今聞いた事を忘れてくれ」

そう言ったものの、クレイズは辛くて今にも泣いてしまいそうだった。
だが、泣く訳にはいかない。

「そんなに辛いなら、離婚してしまえばいい」

ゲイナーはそう言うと、放れた分だけクレイズに歩み寄った。

「もういいんだ。もう、いい。忘れ、見てみぬ振りをする事がお互いの為にとっては最善なんだ。ゲイナーだって、もう迷惑しないで済む」

そう言うとクレイズは更にゲイナーから放れ、再び俯いた。

「そんな……」
困った様な戸惑った様なゲイナーの声が聞こえ、クレイズは唇を噛み締めた。


──別れる訳でもなく、2度と会わなくなる訳でもない関係は、一方的な片思いだった。


そうクレイズは思い返し、ゲイナーの分かった、と言う言葉を待った。
だが、待ってもゲイナーから返事はなかった。
沈黙に耐え切れなくなったクレイズは肩を震わせ、何か言わなければ、と思った。その時、ゲイナーが漸く口を開いた。

「振り向かせておいて、それはないだろう……?」

ゲイナーはそう言い、クレイズの肩を掴んで振り向かせると、その潤んだ瞳を見つめてきた。

「ゲイナー……?」

ゲイナーが言った言葉がゆっくりとクレイズに浸透して行く。

「やっぱり君が好きだ。忘れるなんて出来ない。あぁ、君の気持ちが父親への思慕でも何でも構わない。ずっと好きだった。だが、そんな目で見てはいけないと、自分に言い聞かせてた」

そう言うと、ゲイナーはクレイズを抱きしめた。

「ゲイ……ナー……嬉しい……」

何とかそれだけを言うと、クレイズもゲイナーに腕を回した。
強く抱きしめられ胸が苦しくなったクレイズは、そっと涙を零した。ゲイナーがその涙を拭うと、クレイズは背伸びをしながらゲイナーにキスをした。するとゲイナーは、そのままクレイズをソファへ押し倒すと、少し困った顔をした。

「もう、我慢出来ない」

そう言ったゲイナーの首にそっと腕を回すと、クレイズは嬉し涙を零しながら笑った。

「オレも、我慢出来なくて……早く欲しい」

誘う様な眼差しでゲイナーを見つめると、ゲイナーは微笑み、クレイズに覆いかぶさった。




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