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第一幕 第一章 家にいる気はありません
004 私が作りました。
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2018. 8. 17
**********
父は執務室にこもっていた。
「お父様。カトラです」
「っ……入れ」
平静を保とうとする時、仕事をするのは父の悪い癖だ。
「お食事が途中でしたので」
「あ、ああ……すまない……」
執務机ではなく、そこから離れた休憩用のテーブルに部屋に入る前に出した軽食を置く。
父は気まずそうに立ち上がり、一つしかない椅子に座る。しかしすぐにその表情は崩れた。
「これは……?」
用意した軽食は、野菜やハム、卵を挟んだサンドウィッチだ。四角く切ってあり、小さくて食べやすいサイズにしてある。そこにコーンクリームスープと飲み物にフルーツジュースを用意した。
「私が作りました。サンドウィッチです。外のはパンで、中は野菜とハム、卵が挟んであります。こちらはトゥルモのスープ。飲み物はアプリジュースです」
「……いただくよ」
見た目も匂いも良いそれらに、思わず喉を鳴らしながら手を伸ばす。一口サンドを頬張ったところで、父は目を煌めかせた。
「美味しいっ。これは……本当にパンかい?」
「製法が少し違うのです。ゆっくり召し上がってください」
父が全て完食するまで、カトラは話をするのを待っていた。
「ふぅ……美味しかったよ。ありがとう」
「いいえ……これはお詫びですので……」
「どういうことだい?」
首を傾げる父に、カトラは背筋を伸ばしてから頭を深く下げた。
「アウラ様のことを二人に話しました」
「なっ!?」
椅子を蹴散らしながら立ち上がる父の様子に、カトラは頭を下げたまま続けた。
メイドが話してしまったとはいえ、止めなかったのはカトラだ。責任はカトラにある。
「お父様のお気持ちはわかります。ですが、もういいかげん、アウラ様にも理解していただかなくてはなりません。例え侯爵家の血を引く者だとしても、この家の正妻なのです。境遇を嘆かず、しっかり立っていただかなければ」
「っ……」
アウラは甘えているのだ。伯爵家に嫁いだという事実よりも、侯爵家の令嬢であることに未だにしがみついている。
「あの方はもう侯爵令嬢ではない。伯爵夫人です。お父様を支えるべきものなのです。お父様も理解してください。許すのならば、罪は認めさせなくてはいけません。ですから私も母もアウラ様を許せない」
「カトラ……っ」
動揺するのが分かった。頭を上げず待っていれば小さくはっきりと続けた。
「……一人にしてくれ……」
「お父様……」
固い声だった。拒絶するような。そんな冷たい声。だから反射的に顔を上げた。
そこには、泣きそうに歪んだ顔があった。傷付けてしまったと感じる顔。
「出て行ってくれ!」
「っ……はい……」
きっと父も分かっている。色々なしがらみで、動けなくなっているだけ。それを分かっていても、拒絶されたその声は、カトラを深く傷付けていた。
自室に戻り、カトラは母上のベッドを見つめて呟いた。
「仕方ない……のかな……」
母は、アウラを憎んでいた。だから、アウラが体を壊すと、自業自得だと笑った。
薬学の知識のあった母に、父は何度かアウラへの薬を頼んだことがある。けれど、その全てを突っぱねていた。
『あんな女……醜くのたれ死ねばいいのよ……』
今でも思い出す。幼い頃に見た母の黒い笑み。本気で人を恨み、呪う顔を怖いと思った。けれど、それは正当な怒りで、誰も何も言えないものだった。
◆◆◆◆◆
父はあれから食事の席に顔を出さなくなった。
彼は決して弱い人ではない。大きな決断をする時には、とことん考えてから答えを出す。そんな人だから、邪魔をしないよう声をかけることはやめた。
そうして数日が経った昼過ぎ、家令のベイスが部屋に神妙な様子でやってきた。
「何かあった?」
カトラもあれから部屋を出ていないのだ。真実を知った兄や姉達がなにかしたのではないかと心配になった。
「……メイドが二人、辞職しました……」
「……あの時の二人?」
「はい」
兄達に本当の事を言ったあのメイド達だった。
「そう……就職先の紹介はしてくれた?」
「ご指示通りにいたしました。お嬢様には申し訳なく……」
「いい。どのみちそろそろ限界だったから。寧ろ言わせてしまって彼女達には悪かったわ」
「そんなっ、そんなことはありません」
メイド達には、あのまま変わらずにここで働き続けられる未来があった。それを台無しにしてしまったことが申し訳なかった。
それは、前世の苦い記憶を呼び起こす。クレーマーの言葉によって、かつてバイト先をクビになった事があった。人はいとも容易く、他人の人生を壊すことが出来る。
理不尽だと感じても、大勢のために一人を切ることは当然の処置になるのだ。誰も、常に自分に置き換えて考える頭はないのだから。
「お嬢様が用意された金額だけでも数年は遊んで暮らせます。その間に二人とも次の職場に就けるはずです」
二人の安全を考えると、辞めるという選択が出るのは分かっていたのだ。だから、その時にはと紹介状を用意させ、退職金を預けていた。Aランクの冒険者は伊達ではない。とはいえ、そこから出せばベイスも不審に思う。だから、母の残してくれた遺産だからと言って渡した。
「あれだけのものをお出しになって本当によろしかったのですか?」
「構わない。気にしないで」
カトラにとっては本当に問題のない金額なのだ。
「……そんなお嬢様に、あの二人は……申し訳ありません。彼女達は先日、アウラ様とこの家の実態を侯爵家に告発する文章を送ったと……っ」
「っ……それは……」
さすがに寝耳に水だ。
「どなたに送ったかわかる?」
「アウラ様のお母上だそうです。あの方は厳しい方ですので……」
「……お父様にこの事……」
「今朝お話いたしました……」
はっきり言って、侯爵は悪い人ではない。父も尊敬しているのだ。だからこそ真実を話せないでいた。アウラの事を知れば、間違いなく侯爵は娘であるアウラを許さないだろう。下手をすれば剣を持って押しかける。
「その手紙……私の事も書いてあるのね……」
「はい。ですから、先程からアウラ様を別邸に移動しようと旦那様が動いておられます」
「……聞くとは思えないけど……それに、あの兄と姉がこのまま大人しくしているとも思えない……」
嫌いだからと言って、彼らは子どもの頃からカトラに毒を盛ってきたのだ。疎遠になっていた侯爵が突然来ることで、何をするかわからない。
父の立場など考えも及ばないだろう。どれだけ人が良くても伯爵家と侯爵家では格が違う。そのことを理解できているかも怪しいのだ。
「ベイス、夕食後でいいから、もう一度来てくれる? それまでに色々要り用な物を用意しておく」
「え、はい……要り用な物ならば、こちらでご用意いたしますが」
「薬とかはすぐに用意できないでしょう? 任せてくれればいい」
「…….承知いたしました」
打てる手は全て打っておくべきだ。
**********
読んでくださりありがとうございます◎
次回、月曜20日です。
よろしくお願いします◎
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父は執務室にこもっていた。
「お父様。カトラです」
「っ……入れ」
平静を保とうとする時、仕事をするのは父の悪い癖だ。
「お食事が途中でしたので」
「あ、ああ……すまない……」
執務机ではなく、そこから離れた休憩用のテーブルに部屋に入る前に出した軽食を置く。
父は気まずそうに立ち上がり、一つしかない椅子に座る。しかしすぐにその表情は崩れた。
「これは……?」
用意した軽食は、野菜やハム、卵を挟んだサンドウィッチだ。四角く切ってあり、小さくて食べやすいサイズにしてある。そこにコーンクリームスープと飲み物にフルーツジュースを用意した。
「私が作りました。サンドウィッチです。外のはパンで、中は野菜とハム、卵が挟んであります。こちらはトゥルモのスープ。飲み物はアプリジュースです」
「……いただくよ」
見た目も匂いも良いそれらに、思わず喉を鳴らしながら手を伸ばす。一口サンドを頬張ったところで、父は目を煌めかせた。
「美味しいっ。これは……本当にパンかい?」
「製法が少し違うのです。ゆっくり召し上がってください」
父が全て完食するまで、カトラは話をするのを待っていた。
「ふぅ……美味しかったよ。ありがとう」
「いいえ……これはお詫びですので……」
「どういうことだい?」
首を傾げる父に、カトラは背筋を伸ばしてから頭を深く下げた。
「アウラ様のことを二人に話しました」
「なっ!?」
椅子を蹴散らしながら立ち上がる父の様子に、カトラは頭を下げたまま続けた。
メイドが話してしまったとはいえ、止めなかったのはカトラだ。責任はカトラにある。
「お父様のお気持ちはわかります。ですが、もういいかげん、アウラ様にも理解していただかなくてはなりません。例え侯爵家の血を引く者だとしても、この家の正妻なのです。境遇を嘆かず、しっかり立っていただかなければ」
「っ……」
アウラは甘えているのだ。伯爵家に嫁いだという事実よりも、侯爵家の令嬢であることに未だにしがみついている。
「あの方はもう侯爵令嬢ではない。伯爵夫人です。お父様を支えるべきものなのです。お父様も理解してください。許すのならば、罪は認めさせなくてはいけません。ですから私も母もアウラ様を許せない」
「カトラ……っ」
動揺するのが分かった。頭を上げず待っていれば小さくはっきりと続けた。
「……一人にしてくれ……」
「お父様……」
固い声だった。拒絶するような。そんな冷たい声。だから反射的に顔を上げた。
そこには、泣きそうに歪んだ顔があった。傷付けてしまったと感じる顔。
「出て行ってくれ!」
「っ……はい……」
きっと父も分かっている。色々なしがらみで、動けなくなっているだけ。それを分かっていても、拒絶されたその声は、カトラを深く傷付けていた。
自室に戻り、カトラは母上のベッドを見つめて呟いた。
「仕方ない……のかな……」
母は、アウラを憎んでいた。だから、アウラが体を壊すと、自業自得だと笑った。
薬学の知識のあった母に、父は何度かアウラへの薬を頼んだことがある。けれど、その全てを突っぱねていた。
『あんな女……醜くのたれ死ねばいいのよ……』
今でも思い出す。幼い頃に見た母の黒い笑み。本気で人を恨み、呪う顔を怖いと思った。けれど、それは正当な怒りで、誰も何も言えないものだった。
◆◆◆◆◆
父はあれから食事の席に顔を出さなくなった。
彼は決して弱い人ではない。大きな決断をする時には、とことん考えてから答えを出す。そんな人だから、邪魔をしないよう声をかけることはやめた。
そうして数日が経った昼過ぎ、家令のベイスが部屋に神妙な様子でやってきた。
「何かあった?」
カトラもあれから部屋を出ていないのだ。真実を知った兄や姉達がなにかしたのではないかと心配になった。
「……メイドが二人、辞職しました……」
「……あの時の二人?」
「はい」
兄達に本当の事を言ったあのメイド達だった。
「そう……就職先の紹介はしてくれた?」
「ご指示通りにいたしました。お嬢様には申し訳なく……」
「いい。どのみちそろそろ限界だったから。寧ろ言わせてしまって彼女達には悪かったわ」
「そんなっ、そんなことはありません」
メイド達には、あのまま変わらずにここで働き続けられる未来があった。それを台無しにしてしまったことが申し訳なかった。
それは、前世の苦い記憶を呼び起こす。クレーマーの言葉によって、かつてバイト先をクビになった事があった。人はいとも容易く、他人の人生を壊すことが出来る。
理不尽だと感じても、大勢のために一人を切ることは当然の処置になるのだ。誰も、常に自分に置き換えて考える頭はないのだから。
「お嬢様が用意された金額だけでも数年は遊んで暮らせます。その間に二人とも次の職場に就けるはずです」
二人の安全を考えると、辞めるという選択が出るのは分かっていたのだ。だから、その時にはと紹介状を用意させ、退職金を預けていた。Aランクの冒険者は伊達ではない。とはいえ、そこから出せばベイスも不審に思う。だから、母の残してくれた遺産だからと言って渡した。
「あれだけのものをお出しになって本当によろしかったのですか?」
「構わない。気にしないで」
カトラにとっては本当に問題のない金額なのだ。
「……そんなお嬢様に、あの二人は……申し訳ありません。彼女達は先日、アウラ様とこの家の実態を侯爵家に告発する文章を送ったと……っ」
「っ……それは……」
さすがに寝耳に水だ。
「どなたに送ったかわかる?」
「アウラ様のお母上だそうです。あの方は厳しい方ですので……」
「……お父様にこの事……」
「今朝お話いたしました……」
はっきり言って、侯爵は悪い人ではない。父も尊敬しているのだ。だからこそ真実を話せないでいた。アウラの事を知れば、間違いなく侯爵は娘であるアウラを許さないだろう。下手をすれば剣を持って押しかける。
「その手紙……私の事も書いてあるのね……」
「はい。ですから、先程からアウラ様を別邸に移動しようと旦那様が動いておられます」
「……聞くとは思えないけど……それに、あの兄と姉がこのまま大人しくしているとも思えない……」
嫌いだからと言って、彼らは子どもの頃からカトラに毒を盛ってきたのだ。疎遠になっていた侯爵が突然来ることで、何をするかわからない。
父の立場など考えも及ばないだろう。どれだけ人が良くても伯爵家と侯爵家では格が違う。そのことを理解できているかも怪しいのだ。
「ベイス、夕食後でいいから、もう一度来てくれる? それまでに色々要り用な物を用意しておく」
「え、はい……要り用な物ならば、こちらでご用意いたしますが」
「薬とかはすぐに用意できないでしょう? 任せてくれればいい」
「…….承知いたしました」
打てる手は全て打っておくべきだ。
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