秘伝賜ります

紫南

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第一章 秘伝のお仕事

001 平凡な青年?

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2017. 11. 30

**********

春から夏に向かう暖かさを感じる朝。時刻は既に九時を回っていた。

蔦枝高耶《ツタエタカヤ》は二限の授業にはまだ余裕だと思いながら、ゆったりとした足取りで住宅街から駅に向かって歩いている。

今時の大学生にしては珍しい真っ黒な髪は寝癖のようにボサボサ。言い方を変えれば無造作ヘアと呼べるものだろう。前髪もかなり伸びており、丈夫なのが良いと決めた黒ぶちメガネと合わさるとかなり野暮ったい。

根暗な印象ではあるが、薄い生地の濃紺のジャケットを羽織った背中を見れば、均整の取れた美しいシルエットが浮き上がっていた。

身長は百七十五丁度だと公言しているが、実際は一センチ足りないのは秘密にしている。自分ではまだ伸びると思い込むようにしているのだ。

常に眠そうで覇気のない態度ではあるが、猫背にならないのが不思議だった。

「ふぁ~ぁ……ねむい。もうその辺で昼寝して時間を潰すか……」

そう大きな欠伸をしながら伸びをして呟けば、頭の上から特殊な声が響く。

《相っ変わらずだな。我が子孫よ。だがまあ、本当の姿を隠すのは悪いことではない》
「……」

大仰に言うその声は、残念なことに、今ここでは高耶にしか聞こえない。

一気に眠くなるくらいの脱力感が襲う。

(なんだよ爺さん。一週間は向こうに行ってるって言ってただろ。何帰って来てんだよ)

心の中でその人物に集中して話しかければ、問題なく相手に届く。ただし、相手の声は周りにも聞こえないので普通に喋り返してくる。

《おいおい。邪険にし過ぎだろ。オレってば仮にも神様だぜ?》
(元は同じ人だろが。それよか『霊界最強決定戦』はどうしたんだよ。優勝して霊薬をゲットしてくるぜと、ひと月も前から息巻いてた爺さんが、なんで一日で帰って来てんだ?)

一週間の開催期間。優勝の決定戦まで残ればそのギリギリまで滞在することになる。それなのに戻って来たとはどういうことかと責める。

ここまで一切その姿を目に入れないようにしているのだが、声は雄弁だ。苛立ちが手に取るようにわかる。

《おヌシ! まさか、オレが負けたと思っておるのか!? 陰陽武道は最強! 勝ったに決まっておるぞ!》
(ならどうしたよ。あ、まさかまたぼっちが嫌でとかじゃねぇよな? わざわざ霊界の門まで開けてやったのに、そんな理由で帰って来ねえよな?)
《ぐぅっ》

間違いない。この爺さんが強いのは分かっている。だから、負けたとは疑わなくていい。ただ彼は、何百年と存在しているにも関わらず寂しがりやだった。

グッと顔を上げ、斜め上を睨みつける。そこには壮年の男が着物にタスキ、袴姿で浮いている。なんの疲れも見せない男を見たら抑えられなかった。

「なにが『ぐぅっ』だよ! こちとら家庭環境も変わって苦労してる時なんだぞ! 精神的に削られたこの状況で門を開けんのがどんだけ大変だと思ってんだ!!」

思わず叫んでしまうほど精神はボロボロなのだ。

この必死な意見に男は事もなげに言う。

(おヌシ……目立っておるぞ)
「はっ」

周りには、井戸端会議中の奥様方やベビーカーを押す子連れ親子までが奇異の目で高耶を見つめていた。

「っ~……っ」

どこからどう見てもストレスでおかしくなった青年だ。子どもを庇う母親達の態度を見たら一目瞭然である。恥ずかしくなった高耶は一気にこの場からの脱出を図る。

それは一陣の風と形容すべき速さだった。見た事もないその動きに、周りが騒然としたのは知る由もなかった。

一息で辿り着いたのは駅の手前にある大きな公園だ。散歩するお年寄りや親子がいるので、目につかなさそうな木陰に座り込む。

「はぁ……えらい目にあった」
《迂闊だな》
「誰のせいだよ」

不貞腐れる高耶の足下に、黒いミミズのようなものが生えてくる。それをおもむろに引き抜くとチリとなって消えた。

こいつらは影喰い。人の陰鬱な感情が大好きで、取り憑いてそれを増大させながら餌とするいわば妖だ。現代社会では餌に事欠かない。

《影喰いが寄ってくるほどか? ただ義理の妹と父親が出来ただけだろう》
「母さんにも未だに力のことを話せてなくて罪悪感いっぱいなのに、更にとか憂鬱にもなるわ……」

三ヶ月前。母親が再婚した。新しい父は人の良い優しい人だ。その上、連れてきた子どもは自分の子どもではなく兄の子ども。

ご両親と兄夫婦を落石事故で亡くした父は、その兄夫婦の生まれて間もない娘を、養女として引き取ったのだそうだ。そして、高耶の母と五年の交際の末に結婚した。

「あの人、良い人過ぎるし……母さんに言えないより堪えるって言うか……」

父は、高耶が高校生という不安定な時期に結婚する事を避けてくれた。妹となった子も今年小学生。受験の妨げになってはいけないと気遣ってくれたのだ。

本当はもっと早く籍も入れられただろうに、それさえも待っていてくれていた。

(確かに、アレはどこぞの神の加護を持っているようだからな。生き残れたのもそのお陰やもしれん)
「え、マジ? それは……確認しておく必要があるな」

本来の高耶なら、その神の加護も見抜ける。だが、こちらも気を遣って、そういったものを見ないようにしていたので知らなかった。

「もしかして、事故もなんか……」

そこまで考えた時、ふと知っている気配を感じて顔を上げる。そして目を見開いた。

「優希?」

少々離れた木陰の下のベンチ。そこに真新しくも大きいラベンダー色のランドセルを背負った妹がいたのだ。そして、その周りにはうじゃうじゃと影喰いが集っていた。

「うげっ、このヤロウ……っ」

駆け寄りながら、指でそちらへ向けて小さな浄化の方陣を描き放つ。すると、綺麗に一帯に集まっていた影食いが消滅し、不思議そうに優希が顔を上げた。

「お……おにぃちゃ……」

優希は、びっくりした表情を見せた後、不安げに顔をくしゃけさせると、ボロボロと涙を流したのだ。
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