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013 出陣よ!
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それは、フレアリールが北の大地に戻ってきた三日後のこと。
「旦那様!」
いつもはクールであまり表情も変わらないメイド長であるエリスが、珍しく焦った様子で主人の執務室へ特攻していた。
「……どうした……」
「なんだい? 君が手を出す前にあのハリボテ王子が死んだのかな?」
「そうであればヤった者に全財産の半分をお渡ししています」
「半分か~」
それは微妙な報酬額だ。
執務室には、辺境伯であるゼリエス・シェンカとその息子であるウィリアス・シェンカがいた。
二人は飛び込んできたエリスへ顔を向けることなく、積み上げられた書類をひたすら処理していた。話もほとんど聞いてはいない。
「父上、隣はもうダメそうだよ。移民も多いし、土地ごとそのままもらっちゃう?」
「そう簡単ではないと言っているだろう……」
「冗談だよ。でも、もう目一杯だから東にもう少し切り拓く必要があるかも」
「……検討しなくてはならんな……」
この一年。日の光が戻ったことで、不作による飢饉は解消とは簡単にはいかなかった。
作物の種となるものも少なくなっていたし、土に力がなかった。そのため、不作は続いているのだ。
多少は人々も前向きになってはいたが、それでも現実は追いついてこない。
原因は取り除かれたとはいえ一向に良くならない暮らしに人々の不満は爆発寸前。それらは領主達に向けられ、国に向けられた。
あの北の大地からの影響は、もちろんこの国だけでは留まってはいない。
南の国も状態はそれほど変わらず、ただでさえ好戦的な隣国は土地と食料を求めて戦争に乗り出す兆候さえみられた。
「本当、今更過ぎて笑えるよね。不作対策の一つや二つや三つ、常時考えておくべきだよ」
「……仕方あるまい。貴族である為政者が本当の意味で生産者の現状を知ることなどできるものではないからな……」
領主にはやることが沢山ある。もちろん、それらに手を抜いている者は多いが、真面目にやっている者でも一日のほとんどを執務室で過ごすしかない。
そんな領主が農業を手ずからやれる時間などないだろう。話を聞いたところで、本当の意味で理解などできっこない。
良くても視察程度、その後の収穫量を数字で見るくらいで終わる。苦労が伴わなければ、現実など分かりっこないのだ。
だからこそ、なぜ収穫量が減っているのかも考えない。どうにかしろと民達に丸投げ。分からないということを棚上げする。
これでは協力体制も取れないし、丸投げされた方は不満しか生まれない。
「だから、学校で農作業を体験する授業をと前々から言ってるんですけどね~。学園長も頭が固い。これだけ対策を提示しているというのに全く聞く耳を持たない。それなのに、結果だけ求めてくるんですからね。いっそ潰しますか」
ウィリアスは様々な新しい対策や政策について考え、それを多方面に提案していた。
その一つが、貴族の子息達が通う王都の学園で授業の一環として農作物の栽培を体験するという案だ。
いかに民達が苦労して作物を育てているのか。それを知ることで将来、領地を治める上での様々な対策を考えつくことができるだろうというものだった。
しかし、これに誰も賛同しない。
「聞かないことは予想できるだろう……」
「分かってますよ?」
「……」
ウィリアスはこうして一度は提案してみせる。一度はだ。これに反応できるかどうかを見て、使える者かどうかの判断をする。
耳を傾けられる者。現状を把握している者。それを見極めるために、一度は対策を提示してみせるのだ。
そして、使えないと判断した場合は、その後どれほど協力を望まれようと切り捨てる。
この考え方はシェンカに伝わる家訓の一つ。
『夢の世界で生きるバカは切り捨てろ』
『失敗したことの責任を自分で取れない貴族はクソだ』
現実を見ず、足下を見ることなく未来を夢想する貴族は多い。それも、夢想するのはより良い未来だけ。失敗を知らない。
貴族、領主にとっての失敗は民達を殺す。失敗したことにさえ気付かないバカは相手にするだけ無駄。
そういう貴族は他人に罪をなすりつける。後になって『なぜ助けてくれなかった』と怒るのだ。
そんな奴は死ねばいい。
死ぬ気で責任を取れと蹴り払うのがシェンカ一族だ。
「後で泣きついて来るのが楽しみです」
「……そういう言葉は腹にしまっておけ……」
「ふふ。蹴り返す練習をしておかなくてはいけませんよね」
「……」
ゼリエスは、息子のブラック加減が酷くなったのに気付いていた。それもここ一年で何倍も酷くなった。
ウィリアスは妹であるフレアリールを溺愛していた。ただ、本心を隠すのが上手いため、フレアリールにはそこまで重症だとは感じさせていない。
十才になったフレアリールが、ウィリアス曰く『バカでアホでマヌケな王子』と婚約した日は屋敷の三分の一が消えた。
フレアリールには事故だということにしてある。だが本当は、ウィリアスが魔術によって吹っ飛ばしたのだ。
それほど愛していた五つ離れた可愛い妹が、恋をしたと言って頬を染めたのがこの数日後。
そして、この告白を聞いた次の日。東の未開拓の森の木が一晩で数キロに渡って切り倒されていた。
フレアリールが稀代の真の聖女ならば、ウィリアスは数百年ぶりに現れた天才魔術師だったのだ。
それこそ、フレアリールが死んだと報告があったその日に、この国は消えていた可能性だってあった。
そうならなかったのは、何よりウィリアスがフレアリールの死を受け入れられなかったこと。それと、彼の婚約者である令嬢の尽力による。
ゼリエスは、壊れかけたウィリアスに三年待とうと言い聞かせた。これはそのまま、この国への猶予期間でしかない。
実力行使に出ないとはいえ、ウィリアスはこの国を切り崩しにかかっている。無能な貴族を追い落とし、自身の次期王位を疑わないレストールに何も残らないように。
使えると判断したまともな貴族達にレストールを叩かせる。自身の手を汚すことなく、静かに国を消滅させる気でいるのだ。
ゼリエスはそれを調整し、崩壊を遅らせることしか出来なかった。ウィリアスは有能過ぎるのだ。
息子の暴走を止めることに精一杯だと自身に思い込ませなければ、ゼリエスも壊れてしまいそうだった。
彼もフレアリールの死を受け入れることができないのだ。
「あなた! ウィル!」
そこへ、突然ゼリエスの妻であるファルセ・シェンカが飛び込んできた。さすがに驚いて顔を上げる。
そういえばエリスの声が聞こえたはずだが気のせいだっただろうかと二人は首を傾げた。
「なにをのんびりしているのです!」
「……いや……仕事中だが……」
決してサボっていない。必死で仕事中だ。
「だったらさっさと終わらせてください! フレアが帰ってくるというのに、こんなみっともない執務室を見せる気なのですか!!」
「「……え……?」」
今何と言われたのだろうか。
「え? ではありません!! フレアが帰って来るのですよ!? 北の大地から舞い戻ったあの子がこの状況を見たら……王の第二夫人になると出て行ってしまったらどうするつもりですか!」
「……フレアが……?」
この惨状を見れば、王も同じように書類に埋もれているかもしれないからと、王都に行ってしまいそうだ。人の何倍もの処理速度を誇るゼリエスとウィリアスが仕事を溜め込んでいるのだ。王都はその比ではないだろうと推測できる。
そうなれば、王と宰相の補佐仕事をしようとフレアリールならば動くだろう。
第二夫人というのは冗談に聞こえるかもしれないが、フレアリールが王を好いているのは事実なのだ。もしやと思わずにはいられない。
「……何を言って……」
茫然とするウィリアスに答えたのは、ファルセの後ろから現れたエリスだ。
彼女は、二人が聞く耳を持たないと判断してすぐに報告先をファルセに移したのだ。
「先ほど、最北の門より連絡がありました。間違いなくフレア様が北の大地よりお帰りになったとのこと。直接フレア様と言葉を交わした者もおります」
「「っ!? 本当なのか!」」
「本当です。それも、聖獣様を連れているとの話もありました。間違いありません。そんな嘘みたいなことを現実にされるのです。フレア様以外に居られると思われますか?」
「「フレアだ!!」」
間違いない。
「すぐに終わらせる」
「迎えにっ……行くより仕事だ!」
全て終わらせてフレアリールを迎え入れよう。情けない惨状は見せられない。
「ふふっ。さあエリスちゃん。私たちもやるわよ!」
「はい! お屋敷をきっちり磨き上げ、領内を隅々まで掃除いたします!」
「そうねっ。ゴミ出しまで完璧にやるわよ!」
「はっ! すぐに剣をお持ちいたします!」
「出陣よ!」
「「「「「はい、奥様!!」」」」」
「「……」」
何を掃除する気だろうとか、なんで剣が必要なんだとか口には出せない。
「……きれいになりそうだな……」
「ええ。本当に……」
この領で一番危ないのは誰なのか。
それを誰も口にはできないのだから。
**********
読んでくださりありがとうございます◎
また一日空きます。
2019. 3. 14
「旦那様!」
いつもはクールであまり表情も変わらないメイド長であるエリスが、珍しく焦った様子で主人の執務室へ特攻していた。
「……どうした……」
「なんだい? 君が手を出す前にあのハリボテ王子が死んだのかな?」
「そうであればヤった者に全財産の半分をお渡ししています」
「半分か~」
それは微妙な報酬額だ。
執務室には、辺境伯であるゼリエス・シェンカとその息子であるウィリアス・シェンカがいた。
二人は飛び込んできたエリスへ顔を向けることなく、積み上げられた書類をひたすら処理していた。話もほとんど聞いてはいない。
「父上、隣はもうダメそうだよ。移民も多いし、土地ごとそのままもらっちゃう?」
「そう簡単ではないと言っているだろう……」
「冗談だよ。でも、もう目一杯だから東にもう少し切り拓く必要があるかも」
「……検討しなくてはならんな……」
この一年。日の光が戻ったことで、不作による飢饉は解消とは簡単にはいかなかった。
作物の種となるものも少なくなっていたし、土に力がなかった。そのため、不作は続いているのだ。
多少は人々も前向きになってはいたが、それでも現実は追いついてこない。
原因は取り除かれたとはいえ一向に良くならない暮らしに人々の不満は爆発寸前。それらは領主達に向けられ、国に向けられた。
あの北の大地からの影響は、もちろんこの国だけでは留まってはいない。
南の国も状態はそれほど変わらず、ただでさえ好戦的な隣国は土地と食料を求めて戦争に乗り出す兆候さえみられた。
「本当、今更過ぎて笑えるよね。不作対策の一つや二つや三つ、常時考えておくべきだよ」
「……仕方あるまい。貴族である為政者が本当の意味で生産者の現状を知ることなどできるものではないからな……」
領主にはやることが沢山ある。もちろん、それらに手を抜いている者は多いが、真面目にやっている者でも一日のほとんどを執務室で過ごすしかない。
そんな領主が農業を手ずからやれる時間などないだろう。話を聞いたところで、本当の意味で理解などできっこない。
良くても視察程度、その後の収穫量を数字で見るくらいで終わる。苦労が伴わなければ、現実など分かりっこないのだ。
だからこそ、なぜ収穫量が減っているのかも考えない。どうにかしろと民達に丸投げ。分からないということを棚上げする。
これでは協力体制も取れないし、丸投げされた方は不満しか生まれない。
「だから、学校で農作業を体験する授業をと前々から言ってるんですけどね~。学園長も頭が固い。これだけ対策を提示しているというのに全く聞く耳を持たない。それなのに、結果だけ求めてくるんですからね。いっそ潰しますか」
ウィリアスは様々な新しい対策や政策について考え、それを多方面に提案していた。
その一つが、貴族の子息達が通う王都の学園で授業の一環として農作物の栽培を体験するという案だ。
いかに民達が苦労して作物を育てているのか。それを知ることで将来、領地を治める上での様々な対策を考えつくことができるだろうというものだった。
しかし、これに誰も賛同しない。
「聞かないことは予想できるだろう……」
「分かってますよ?」
「……」
ウィリアスはこうして一度は提案してみせる。一度はだ。これに反応できるかどうかを見て、使える者かどうかの判断をする。
耳を傾けられる者。現状を把握している者。それを見極めるために、一度は対策を提示してみせるのだ。
そして、使えないと判断した場合は、その後どれほど協力を望まれようと切り捨てる。
この考え方はシェンカに伝わる家訓の一つ。
『夢の世界で生きるバカは切り捨てろ』
『失敗したことの責任を自分で取れない貴族はクソだ』
現実を見ず、足下を見ることなく未来を夢想する貴族は多い。それも、夢想するのはより良い未来だけ。失敗を知らない。
貴族、領主にとっての失敗は民達を殺す。失敗したことにさえ気付かないバカは相手にするだけ無駄。
そういう貴族は他人に罪をなすりつける。後になって『なぜ助けてくれなかった』と怒るのだ。
そんな奴は死ねばいい。
死ぬ気で責任を取れと蹴り払うのがシェンカ一族だ。
「後で泣きついて来るのが楽しみです」
「……そういう言葉は腹にしまっておけ……」
「ふふ。蹴り返す練習をしておかなくてはいけませんよね」
「……」
ゼリエスは、息子のブラック加減が酷くなったのに気付いていた。それもここ一年で何倍も酷くなった。
ウィリアスは妹であるフレアリールを溺愛していた。ただ、本心を隠すのが上手いため、フレアリールにはそこまで重症だとは感じさせていない。
十才になったフレアリールが、ウィリアス曰く『バカでアホでマヌケな王子』と婚約した日は屋敷の三分の一が消えた。
フレアリールには事故だということにしてある。だが本当は、ウィリアスが魔術によって吹っ飛ばしたのだ。
それほど愛していた五つ離れた可愛い妹が、恋をしたと言って頬を染めたのがこの数日後。
そして、この告白を聞いた次の日。東の未開拓の森の木が一晩で数キロに渡って切り倒されていた。
フレアリールが稀代の真の聖女ならば、ウィリアスは数百年ぶりに現れた天才魔術師だったのだ。
それこそ、フレアリールが死んだと報告があったその日に、この国は消えていた可能性だってあった。
そうならなかったのは、何よりウィリアスがフレアリールの死を受け入れられなかったこと。それと、彼の婚約者である令嬢の尽力による。
ゼリエスは、壊れかけたウィリアスに三年待とうと言い聞かせた。これはそのまま、この国への猶予期間でしかない。
実力行使に出ないとはいえ、ウィリアスはこの国を切り崩しにかかっている。無能な貴族を追い落とし、自身の次期王位を疑わないレストールに何も残らないように。
使えると判断したまともな貴族達にレストールを叩かせる。自身の手を汚すことなく、静かに国を消滅させる気でいるのだ。
ゼリエスはそれを調整し、崩壊を遅らせることしか出来なかった。ウィリアスは有能過ぎるのだ。
息子の暴走を止めることに精一杯だと自身に思い込ませなければ、ゼリエスも壊れてしまいそうだった。
彼もフレアリールの死を受け入れることができないのだ。
「あなた! ウィル!」
そこへ、突然ゼリエスの妻であるファルセ・シェンカが飛び込んできた。さすがに驚いて顔を上げる。
そういえばエリスの声が聞こえたはずだが気のせいだっただろうかと二人は首を傾げた。
「なにをのんびりしているのです!」
「……いや……仕事中だが……」
決してサボっていない。必死で仕事中だ。
「だったらさっさと終わらせてください! フレアが帰ってくるというのに、こんなみっともない執務室を見せる気なのですか!!」
「「……え……?」」
今何と言われたのだろうか。
「え? ではありません!! フレアが帰って来るのですよ!? 北の大地から舞い戻ったあの子がこの状況を見たら……王の第二夫人になると出て行ってしまったらどうするつもりですか!」
「……フレアが……?」
この惨状を見れば、王も同じように書類に埋もれているかもしれないからと、王都に行ってしまいそうだ。人の何倍もの処理速度を誇るゼリエスとウィリアスが仕事を溜め込んでいるのだ。王都はその比ではないだろうと推測できる。
そうなれば、王と宰相の補佐仕事をしようとフレアリールならば動くだろう。
第二夫人というのは冗談に聞こえるかもしれないが、フレアリールが王を好いているのは事実なのだ。もしやと思わずにはいられない。
「……何を言って……」
茫然とするウィリアスに答えたのは、ファルセの後ろから現れたエリスだ。
彼女は、二人が聞く耳を持たないと判断してすぐに報告先をファルセに移したのだ。
「先ほど、最北の門より連絡がありました。間違いなくフレア様が北の大地よりお帰りになったとのこと。直接フレア様と言葉を交わした者もおります」
「「っ!? 本当なのか!」」
「本当です。それも、聖獣様を連れているとの話もありました。間違いありません。そんな嘘みたいなことを現実にされるのです。フレア様以外に居られると思われますか?」
「「フレアだ!!」」
間違いない。
「すぐに終わらせる」
「迎えにっ……行くより仕事だ!」
全て終わらせてフレアリールを迎え入れよう。情けない惨状は見せられない。
「ふふっ。さあエリスちゃん。私たちもやるわよ!」
「はい! お屋敷をきっちり磨き上げ、領内を隅々まで掃除いたします!」
「そうねっ。ゴミ出しまで完璧にやるわよ!」
「はっ! すぐに剣をお持ちいたします!」
「出陣よ!」
「「「「「はい、奥様!!」」」」」
「「……」」
何を掃除する気だろうとか、なんで剣が必要なんだとか口には出せない。
「……きれいになりそうだな……」
「ええ。本当に……」
この領で一番危ないのは誰なのか。
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