父の男

上野たすく

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クロス・ストリート ~蛍視点~

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 店員がコーヒーを持ってきてくれ、蛍は会釈した。
 一口、飲み、黒い液体を見つめたまま口角を上げる。
「別に、俺は浩平を嫌いじゃない。それに、昭弘を止められなかったのは、俺にも一因ある」
 あの日、電話で、好きだと言ってくれと昭弘から頼まれたときに気づくべきだったのだ。
 彼が自分との関係を終わらせようとしていることに。
 終わらしたくないと震えていたことに。
「だから、独りで早まらないで欲しい。浩平に何かあったら、昭弘に顔向けできない」
 組んだ指で額を支える三田を見て、カップを口元で傾けた。
 一気にコーヒーを飲み干す。
「じゃっ、夕飯の支度があるから」
「蛍」
 鞄を肩にかけ、振り返る。
「お前に得かどうかは、わからねえが」
 見開いた目が、ゆっくりと開閉する浩平の口を映した。
 三田と別々に喫茶店を出て、スーパーで買い出しをした。
 アパートへ帰宅し、肉じゃがを作る。
 いつものように、二人分。
 現在、時刻は午後八時半。
 昭弘は帰ってこない。
 蛍は鞄から登記六法を出し、商法の条文を黙読した。
 薄っぺらい紙を捲っていく。
 指がかさついて、その作業はスムーズにはいかず、目を伏せた。
 自分も歳をとっている。
 一年ごとに、確実に老いていく。
 学生になりたての頃は、まだ指の油がとれていなくて、紙を捲るのに苦労はしなかった。
 どうでもいいことだ。
 ハンドクリームを塗れば、マシになるだろう。
 対処の仕方は残されている。
 でも、対処をしなければいけないという事実に、たまらなく納得させられてしまうのだ。
 体は着々と時間になぶられていく。
 生きている代償として。
 三田が聞かせてくれたのは、自分の記憶にない過去の話だった。
「お前が小学生のとき、あいつはお前を、渋谷の元へ帰そうとしたことがあったんだ。お前、ホモの子だって、いじめられていただろ? 桜井は本当の親の元なら、お前が幸せに暮らせると思ったんだろうな。で、そのことを、聞いた途端、誰かさんが呼吸困難になっちまってさ」
 じっと見つめられ、視線をそらした。
「病院で手当てをしてもらって、話せる状態になったとき、お前はあいつに媚びたんだぜ。小学生のガキが中年の男に」

 しんぱいした? ボクがたおれて、あきひろは、しんぱいした?
 ああ。心配した。心配したよ。
 だったら。

「キスをしてくれだなんてよ。俺や夏樹もいたっつうに」
 口づけを受けて、自分は昭弘に抱きつき、泣きじゃくったらしかった。
「好きだ好きだって、そりゃあ、やかましかったのなんのって」
 三田のアイスコーヒーの氷が溶け、カランと音を出し、配置換えをした。
「愛している」
 どきりとした。
「俺はお前を、愛している。だから」
 三田が唇を伸ばす。

「二人で幸せになろう」

 目の前が真っ白になった。その白は体の奥底に沈ませた種を唐突に開花させ、涙を浮かべながら微笑む昭弘を驚くほど鮮明に引っ張り出した。
 どっどっどっと、心臓が強く血液を送り出す。
 初めて昭弘を愛撫した日、彼の精神状態に波紋を作ったのは、昔、交わした約束だったということか?
「大の大人がガキと生涯添い遂げる誓いをしたってのに、お前はそれを全部、無かったことにした。薬のせいもあったんだろうし、お前の精神も一杯一杯だったんだろう」
 彼はストローで氷をかき混ぜた。
「桜井もガキの絵空事だって、流しゃよかったんだ。そうすりゃ、成長したお前との恋に進めたってのにな。でも、まあ、本心は恋人で、建前は親で、どっちにも成りきれねえ状態で記憶喪失のガキの相手してりゃ、頭のネジもぶっ飛ぶわな」
 テーブルにのった五百円玉を返される。
「本当に好きなら、もう、あいつの現実を、あいつだけの現実にしてやるな」
 男はコップに直接口をつけ、薄まったアイスコーヒーを一息で飲んだ。
 三田はこちらがその日のことを思い出したことなど知るよしもなく、俯いて笑った。
「あの馬鹿、お前に何を言われたか知らねえが、精神が振り切れないように頑張っていたぜ。誰かさんが迎えに来てくれるまで、本当は誰とも寝たくなかっただろうにな」
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