父の男

上野たすく

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誰かが誰かを愛している ~蛍視点~

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 渋谷家にも、大分、慣れてきて、挨拶や世間話もできるようになった。
 朝食を作ったなら、思いのほか好評で、母と交代で夕飯を担当することになった。
 小学一年生の少女とも、彼女の学校の宿題を見ている内に、打ち解けることができた。彼女に、お兄ちゃんと笑顔を向けられると、照れくささと愛しさが生まれた。
 父が家にいる時間が増え、咳をする回数が減った。
 彼と彼の妻を、父、母と呼ぶと、彼らは頷き、微笑んでくれた。
 自分の人生をやり直すことはできない。だけど、変わろうとすることはできる。
 変わりたい。大切な人のために……。
 十二月、期末テストが終わり、ほっとしているところで、進路志望のアンケートが配られた。
 放課後、その用紙を見つめていると、爪が整えられた細い指に奪われた。
「ついに、真面目に考えなきゃいけない時期になっちゃったね」
 中野だった。
「話したいことがあるんだ。つきあってよ」
 高校から十五分の商店街にあるファーストフード店は、さまざまな制服の男女で埋め尽くされていた。
 二人で向き合って座り、会話がないまま、セットメニューを口に運ぶ。中野から、いつもの明るさが抜け落ちていた。 
「赤城君、大学推薦を取り消されたから」
「え?」
「前、渋谷君が、職員室で問い詰められていた煙草事件あったでしょ。その犯人が自分だって名乗り出たの」
「知らなかった」
 急に、彼女の目つきがきつくなった。
「渋谷君ってさ、赤城君の友達だったじゃん? だったら、赤城君の成りたいものくらい、知ってるよね?」
「いや」
「……渋谷君にとっては、その程度の人なんだよね、赤城君って」
 なぜか、責められているようで、蛍は食べ物から手をどけた。
 ねえ、とふっくらとした唇が、言葉を紡ぐ。
「小学生のとき、渋谷君を悪く言うクラスメートに、あいつが怒ったこと、知ってた? 渋谷君が目指してる高校に入りたいからって、中三のとき、猛勉強してたの、ちゃんと、見てた? 今だって!」
 中野の目が見開き、強張っていく。彼女はギュッと瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
「頑張ってるよ、あいつ。頭が悪いなりにさ」
 彼女は顔を上げ、蛍を睨みつけるように、しかし、潤んだ瞳で、再度、頑張ってるよ、と言った。どことなく、声量が抑えられている。蛍は小さく頷くに、とどめた。
「……渋谷君はどうすんの?」
「就職か進学か、まだ迷ってる」
「ふうん……」
 中野はストローでジュースを啜り、店内に視線を馳せた。
「……合コン」
「悪かったな。参加できなくて」
「私達が昭弘さんにべたべたしていたら、渋谷君が自分の気持ちに気づくかと思ったの」
 嫉妬で、と彼女は、こちらを見ずに言った。
「私がそうだったから」
 喧騒の中、蛍は黙ってクラスメートの声を聴いた。
 彼女の視線がこちらに来る。
「たぶん、赤城君も、初めはそうだったんだと思う」
 昭弘さんへの嫉妬、と形のいい唇が動いた。
 こちらが呆けていると、彼女は目を伏せ、苦笑した。
「一言でいいから、声、かけてやってよ。赤城君、渋谷君から連絡がくるかもって、携帯番号、変えてないからさ」
「会ったときに話すよ」
「今。……今、ここで、電話をかけて」
 中野からのプレッシャーに、鞄から携帯電話を取り出す。
 アドレス帳には、まだ、赤城庄次の情報が残っていた。
 中野を一度見て、彼女の微笑みに唇を噛み、蛍は電話をかけた。
「……もしもし」
 赤城の声は震えていた。
「渋谷だけど」
 中野がコートと鞄を腕にかけ、トレーを持ち上げる。
 立ち去ろうとする、彼女の腕を掴んだ。
「一緒に勉強しないか? 中野と三人で」
 中野の目が見開かれる。
「…………いいよ。どこで待ち合わす?」
 蛍は赤城に居場所を伝え、電話を切った。
「俺、昭弘に告白した。受け入れてもらえなかったけど、今までの関係を変えられたと思う。お前は、赤城に気持ちを伝えたのかよ」
 中野は俯き、力なく唇を伸ばした。
「そんなの、言えるわけないじゃない。だって、ふられること前提だよ」
「可能性がないわけじゃないだろ?」
「ないよ。だって、赤城君、渋谷君のためにお医者さんになりたいって、未来まであげちゃってるんだよ!」
「おい!」
 中野と二人で振り返った。そこに、赤城がいた。

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