クローバー

上野たすく

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 服に装着したツナギはあと二本。
 それをズボンのポケットに押し込み、上衣じょういを脱いだ。
「一つ、お願いがあります」
「んん?」
 振り返った夏目は、Tシャツ姿の富嶽に目を見開けた。
「戦闘服は防護服やぞ」
「シャツもツナギの糸で作られた物です。だから、これを、腕の止血に使わせてください」
 富嶽は自分の戦闘服を、夏目に見せた。
「聞いてもらえないなら、自分を切ります」
 夏目は左腕を富嶽へ向けた。
 富嶽は血を垂れ流すハンカチの上から、戦闘服をきつく縛った。
 夏目は住民と顔を合わせると、移動方法を変更する提案をした。
「今まで、離れたところから、後方支援をしていましたが、これからは、みなさんの傍で行います。前方、後方にわかれて進みましょう」
 夏目は女の子を抱いた恰幅の良い男へ、首を回した。
「班員が二人とも、戦闘に参加できるよう、その子のことを、頼んでもいいですか?」
 男は頷き、夏目は感謝を口にした。
 富嶽は刀にツナギをかけ、先頭を、緩い速度で走った。
 秩序を加えた避難方法は、それぞれがめいめいに逃げていた時より安定感があり、予想より早く、第三シェルターに着くことができた。
 住居区域と一つの道で、くっきりと区切られているそこには、すでに数人の戦闘員がいて、受け入れ態勢が整っていた。
 富嶽は駆け寄ってくれた戦闘員に、住人の保護を頼んだ。
 夏目が煙のたつ町に戻ろうとする。
 出血がひどく、彼の顔は蒼白で、目がぼんやりしている。
「一心ですか? 俺が行きます! 夏目さんは手当を受けてください!」
 大声で言ったつもりなのに、夏目は答えず、よたよたと町へ歩いて行く。
 前に回り、富嶽は相手の両肩を持った。
 夏目は不自然なほど簡単に、動きを止め、もたれかかってきた。
 呼吸が浅い。
 体が冷たい。
 富嶽は夏目を抱えながら、膝をついた。
 叢雲が、夏目の手の中から消える。
 夏目が意識を失ったのだ。
「救護班を! お願いします! 誰か、救護班を呼んでください!」
 シェルターを守る戦闘員に叫ぶ。
 だが、彼らは富嶽たちの背後を見て、その顔を凍りつかせた。
 大きな影が自分と夏目に重なっている。
 夏目に気を取られ、イーバの存在を見落としていた。
 富嶽は夏目を抱きしめ、体が硬くなるイメージをした。
 イーバの攻撃が、せめて、夏目を傷つけぬよう、固く、固くなれ。
 クローバー病を克服した人間は、イメージを具現化することができる。
 そう言い出したのは、夏目だ。
「空間が小さな点で満たされとってな。それが、いきなり、違う色になったり、集まったりするんよ。で、仮説をたててみたんや」
 小さな点は思いで姿を変え、目で見える形として現れる。
 クローバー病にかからなくとも、人は多かれ少なかれ、それを常に行っている。クローバー病にかかった人間は、よりスムーズに小さな点にアクセスできる。
 誰も、聞く耳を持たなかった。
 夏目を好いている金森ですら、だ。
 おかげで、F班は変人が指揮をとっている、と班員の志願者がいなくなった。
 富嶽は富嶽なりに、夏目の言葉を咀嚼し、飲み込んだ。
 思いは現実を引き寄せる。
 きっと、そこに、夏目の言う小さな点が関わっているのだ、と。
 自分は三つ葉であり、他者を守ることに特化した六つ葉ではない。
 だけど、イメージが、願いが、この世界を創造するならば、それを行うことは、決して、無駄ではない。
――絶対に死なせない!
 パキンッ、と何かが綺麗に弾けた。
 キラキラと空中に氷の結晶が舞う。
氷輪ひょうりん
 感情のこもらない青年の声が耳をかすめ、夏目を抱く力を強めた。
 氷の結晶が富嶽の後ろへと集まりだす。
 肉を裂く音とイーバの悲鳴が聞こえ、やんだ。
 振り向くと、切り刻まれた緑色のイーバが、地面に倒れていた。
 切断面が凍っている。
 音もなく、喉元に刀身が当てられ、富嶽は息を殺した。
「今、冷静でいられる自信がありません。そのまま、質問にだけ応えてください」
 朝波だ。
「さっき言っていた一心って、誰のことですか?」
 背中に、冷たい怒りが突き刺さる。
「詳しくは聞かされていない。お前の、知り合いとだけ」
 刀身がゆっくりと後ろに引いていく。
 戦闘服に身を包んだ細身の青年が、走ってくる救助班の体に隠れ、そして、消えた。
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