大事なあなた

トウリン

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幸せの増やし方

十一

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「……それだけ、なんですか?」
 思わず、弥生は怪訝そうな声でそう訊いてしまう。

 そんな彼女に、宮川は肩をすくめた。
「そう、『それだけ』。別に、こんなところに感動した、とか、あんなところを尊敬している、とか。そんなんは無いよ。利害も、損得もなし。きっかけは、ただ、その時の顔にやられちまっただけ。今でも、これこれこういう理由で好きなんです、なんて説明はできないよ」

 それでは、自分と大差はない。『心』をよく知る宮川にも解からないのであれば、弥生に解かる筈もなかった。

 考え込む弥生に、宮川が笑みを浮かべる。タイミングよく、園内放送で閉園のアナウンスが入った。
「納得いかなそうだけど、そんなもんでいいんじゃないの? ま、今日のところは帰ろうか。家の事もしなくちゃなんだろ」
 言われて時計を見ると、五時十五分前を示している。夕飯の準備がギリギリ間に合うか、というところだ。
「はい、お願いします」

 そう言って、ペコリと頭を下げて歩き出そうとした、その時。

 不意に海から吹き付けてきた強い風に煽られて、弥生はふらつく。とっさに手を出した宮川に抱きつく形になってしまった。
「すみません!」
 声を上げながら腕を突っぱねて身体を離そうとしたが、抱き留めてくれた彼の腕が解かれない。思わず弥生が身体を強張らせると、それが伝わったのか、宮川の力が抜けた。
「悪い」
「いえ……ありがとうございます」
 どうしても、目を逸らしがちにしてしまう。と、その視界の片隅に、何かが光を反射したような輝きが一瞬だけ入り込んだ。

 ――何?

 瞬きして眼を凝らしてみたけれど、特に何もない。
「どうした?」
 眉をひそめて見下ろしてくる宮川に、弥生はかぶりを振った。
「あ……いえ、なんでもない、です」
 多分、街灯の柱か何かが光を反射したのだろう。そう納得すると、じきに彼女の頭からは零れ落ちていった。

 帰りの車の中も言葉は少なく、宮川の当たり障りのない言葉に弥生が頷く程度だった。
 六時を少し過ぎた頃に家に着き、弥生は車の外から頭を下げる。
「ありがとうございました」
 彼女に、宮川がどこか寂しそうな笑顔を向ける。
「今度は、『行こう』と思って行こうか」
 冗談めかしながらもどこか真剣な含みがあるその台詞に答えられない弥生に、彼は苦笑する。
「まあ、いいさ。じゃあな」
 そうして、宮川の車は走り去っていく。

 それが視界から完全に消え去るまで見送って、弥生は小さく息をついた。

 やっぱり、一輝と一緒に過ごす時間とは、違う。相手が彼であれば、乗っている車が家に近付くだけで胸がむずむずしてしまう。パンクでもしないかな、とか、ドアが故障して開かなくなったりしないかな、とか、ほんの少しだけだけれども、考えてしまう。
 それが、宮川だと、こうやって車が消えてしまっても、寂しさは欠片も湧いてこないのだ。

 一度だけ大きく深呼吸をして、弥生は家の中に入る。

「ただいま」
 明るい声で声を掛けると、今からひょっこり睦月《むつき》が顔を覗かせた。
「おかえり。タイミング悪いな。ついさっき、一輝から電話があったぜ」
「え、うそ!」
 かまちで靴を揃えていた弥生は、思わず跳び上がる。
「ホント。六時十分前くらいだったかな」
 本当に、『ついさっき』だったのだ。慌てて携帯電話を開いてみたけれど、そちらに着信記録は残っていない。いつもなら、家の電話ではなく、携帯電話の方にかけてくるのに。

 手の中の電話に目を落している弥生の隣に、いつの間にか睦月が立っていた。慌てて取り繕った笑顔を浮かべたが、弟の視線は鋭い。

「なあ、最近、アイツとどうなってんの?」
「え、どうって? どうもしないよ?」
「はあ? 全然会ってないんだろ?」
 一見がさつそうなのに、この弟は意外に鋭い。弁明の言葉が思い浮かばない弥生は、うつむくしかない。

「何やってんだよ、アイツは」
 頭の上から聞こえてきた舌打ちに、弥生は弾かれたように顔を上げた。
「一輝君は、何もしてないよ! ただ……多分、今は一生懸命に考えてくれてるんだと思う……」
「姉ちゃんをほったらかしにしてか? 何もしてないのが問題なんだろ!?」
 どうやら、弟は本気で一輝に対して腹を立てているようだった。その気持ちが嬉しくて、弥生は思わず笑ってしまいそうになる。その様子に気付いたのか、睦月はピクリと眉を震わせた。

「もうさ、あんなめんどくさいヤツ、やめちまったらいいじゃんか。姉ちゃんなら他にいくらでもイイのがいるだろ? ほら、森口とか!」

 意外に、睦月の中では、彼はポイントが高いのか。
 けれど、弥生は弟に向けて首を振った。

「森口君は、お友達だよ」
「……あいつも、報われないよなぁ……」
 心底から同情したように、睦月ががっくりと肩を落とす。弥生から見たら巨人のように成長した彼も、彼女にとっては可愛い弟だ。手を伸ばして、そのごわごわした髪を撫でてやる。
「ありがとうね。大丈夫、何とかするから」

 ――そう、何とかしよう。

 まだ、彼女自身の中でも何も整理がついていない。
 けれど、もしかしたら、これでいいのかもしれない。
 ふっと、弥生はそんなふうに思った。

 色々なことを考えてがんじがらめになってしまう一輝には、こんなふうに難しいことはよく解からない、単純なことしか考えない自分でいいのかもしれない。

 その考えは、弥生の中の何かをふわりと軽くする。

 ――一輝君が足を取られて動けないのなら、わたしが引っ張ってあげればいいんだよね。

 顔を上げると、眉間に皺を寄せて彼女を見下ろしている弟と目が合った。
「遅くなってごめんね、すぐお夕飯にするから」
 そう言って夕飯の支度のために台所へ向かいながら、弥生は心を決める。
『好き』という気持ちがいったい何なのか、とか、小難しいことは必要無い。ただ、一輝の傍にいたい――いさせて欲しい。それだけを伝えればいいのだと、彼女は思った。

 それが一番、大事なのだ、と。
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