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狼におあずけをくわせる方法
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目を開けると、すぐ傍にあったのは一輝の顔だった。
視線が合って、弥生はパチリと瞬きを一つする。
――え? あれ、何で?
確か、露天風呂に入りに行った筈だったのに。
しばらく考えて、やがてもやもやと記憶が戻ってきた。
思わず、布団の中を覗いてしまう。そこにある彼女の身体には、きっちり浴衣が着付けられていた。
自分で浴衣を着た記憶は、皆無だ。
言葉もなく、弥生は視線を一輝に戻す。
彼の顔は、ひどく生真面目で。
「申し訳ありません」
その顔のまま、唐突に、謝罪の言葉を口にする。
「……え?」
「自分を抑えられませんでした」
「…………え?」
「責任は、取ります。取らせてください」
「何の、こと?」
キョトンと、本当にキョトンと、弥生は訊き直してしまう。だが、一輝は真剣な顔のままで、とんでもないことを言い出した。
「すみません。耐えなければいけないと、思ったんです。でも、つい……我慢できなくて……」
一輝の真面目な顔が、あまりに面白くて。
思わず、弥生はクスリと小さな笑いをこぼしてしまう。それが引き金で、クスクスと、止められなくなる。身体を起こしながら、笑い続けた。
「弥生、さん?」
呆気に取られている一輝が、更に笑みを誘う。
「一輝君が、そんなことするわけないよ」
「え?」
今度は、彼が疑問符を浮かべる番になる。
「わたしの知らないうちに何かするなんて、一輝君は絶対にしない」
「……」
絶句する一輝に構わず、弥生は続けた。
「それにね、『責任』っていう言葉は、イヤだな。一輝君は、わたしのことで何かを負う必要なんて、ないんだから。どんなことでも、ね」
「弥生さん……」
ポカンとしている一輝が、可愛らしい。
いつでも隙がない彼に対してそんなふうに思えることは、滅多にない。
弥生は両手を突いて身を乗り出すと、そっと彼の頬に口づけて、彼の首に腕をまわした。
そうして頬を寄せて、変わらぬ想いを伝える。
「一輝君は、どんどん歩いて行ってね。時々はちょっと離れちゃうかもしれないけど、絶対、追い付くから。一輝君が要らないって言うまで、――ううん、要らないって言われても、わたしの方から追いかけてくよ」
そう言って少し身体を離して一輝の目を覗き込み、ニッコリと彼に笑いかけた。それを向けられた当の本人は、泣きかけているような、笑っているような、何とも複雑な顔をしている。
「まったく、あなたという人は……」
その言葉とともに。
弥生の身体は、優しく、けれどもきつく、一輝の腕の中に捕らわれる。
「……どれだけ、僕を甘やかせば気が済むんですか」
ため息とともに、耳元でそんなふうに囁かれた。そんな彼に、弥生は心の中でそっと返す。
――甘やかしてくれているのは、一輝君の方だよ。
そうして、両腕を伸ばして、出会った頃とは全然違う、大きな彼の背中を抱き締めた。それが今の彼女にできる、精一杯。けれども、返してくれる一輝の腕の強さが、自分はこれでいいのだと教えてくれる。その腕は、焦らなくてもいい、ちゃんと待っているから、と、弥生に伝えてくれていた。
*
――数日後、新藤の屋敷で落胆に肩を落とす者がいたことは、言うまでもない。
視線が合って、弥生はパチリと瞬きを一つする。
――え? あれ、何で?
確か、露天風呂に入りに行った筈だったのに。
しばらく考えて、やがてもやもやと記憶が戻ってきた。
思わず、布団の中を覗いてしまう。そこにある彼女の身体には、きっちり浴衣が着付けられていた。
自分で浴衣を着た記憶は、皆無だ。
言葉もなく、弥生は視線を一輝に戻す。
彼の顔は、ひどく生真面目で。
「申し訳ありません」
その顔のまま、唐突に、謝罪の言葉を口にする。
「……え?」
「自分を抑えられませんでした」
「…………え?」
「責任は、取ります。取らせてください」
「何の、こと?」
キョトンと、本当にキョトンと、弥生は訊き直してしまう。だが、一輝は真剣な顔のままで、とんでもないことを言い出した。
「すみません。耐えなければいけないと、思ったんです。でも、つい……我慢できなくて……」
一輝の真面目な顔が、あまりに面白くて。
思わず、弥生はクスリと小さな笑いをこぼしてしまう。それが引き金で、クスクスと、止められなくなる。身体を起こしながら、笑い続けた。
「弥生、さん?」
呆気に取られている一輝が、更に笑みを誘う。
「一輝君が、そんなことするわけないよ」
「え?」
今度は、彼が疑問符を浮かべる番になる。
「わたしの知らないうちに何かするなんて、一輝君は絶対にしない」
「……」
絶句する一輝に構わず、弥生は続けた。
「それにね、『責任』っていう言葉は、イヤだな。一輝君は、わたしのことで何かを負う必要なんて、ないんだから。どんなことでも、ね」
「弥生さん……」
ポカンとしている一輝が、可愛らしい。
いつでも隙がない彼に対してそんなふうに思えることは、滅多にない。
弥生は両手を突いて身を乗り出すと、そっと彼の頬に口づけて、彼の首に腕をまわした。
そうして頬を寄せて、変わらぬ想いを伝える。
「一輝君は、どんどん歩いて行ってね。時々はちょっと離れちゃうかもしれないけど、絶対、追い付くから。一輝君が要らないって言うまで、――ううん、要らないって言われても、わたしの方から追いかけてくよ」
そう言って少し身体を離して一輝の目を覗き込み、ニッコリと彼に笑いかけた。それを向けられた当の本人は、泣きかけているような、笑っているような、何とも複雑な顔をしている。
「まったく、あなたという人は……」
その言葉とともに。
弥生の身体は、優しく、けれどもきつく、一輝の腕の中に捕らわれる。
「……どれだけ、僕を甘やかせば気が済むんですか」
ため息とともに、耳元でそんなふうに囁かれた。そんな彼に、弥生は心の中でそっと返す。
――甘やかしてくれているのは、一輝君の方だよ。
そうして、両腕を伸ばして、出会った頃とは全然違う、大きな彼の背中を抱き締めた。それが今の彼女にできる、精一杯。けれども、返してくれる一輝の腕の強さが、自分はこれでいいのだと教えてくれる。その腕は、焦らなくてもいい、ちゃんと待っているから、と、弥生に伝えてくれていた。
*
――数日後、新藤の屋敷で落胆に肩を落とす者がいたことは、言うまでもない。
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