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迷子の仔犬の育て方
九
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新しい週が始まろうとしているその朝に、睦月を前に、弥生は懇々と言い聞かせていた。
「いい、睦月? 一輝君は学校に行くのは初めてなんだからね? よぉく、気を付けてあげるのよ?」
「わかってるって。もう何度目だよ、それ。だいたい初めてったって、もう十二だろ? 過保護にもほどがあるってんだよ……」
ぶちぶちと文句を言う睦月をよそに、今度はクルリと一輝に向き直り、こちらもジッと見つめて言い含める。
「一輝君、わからない事があったら睦月に訊いてね? 無理したり、我慢したりしたらダメなのよ?」
まるで母親のようだ、と一輝は思い、それに対して不満を覚えている自分に気付いた。
しかし、何故不満なのか。
預かっている子どものことを心配に思うのは、当然のことだろう。
一輝はそう納得させようとしたが、何かしこりが残る。
弥生は、そんな一輝の心中には気付いていないようだった。まだ心配そうに軽く首を傾げて二人を交互に見やる。
「じゃあ、遅刻するからもう行きなさい。帰りも寄り道しないでね」
「遅刻したら姉ちゃんのせいだろ」
ボヤく睦月の頭を、ペチンと叩き、弥生が一輝に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい、一輝君。楽しんできてね」
「はい。……行ってきます」
その言葉を口にするのは、少しくすぐったい。
「行ってくらぁ」
そう言ってさっさと出て行く睦月の後を、一輝は追いかける。
「行ってらっしゃい!」
柔らかな声が、背中に被さった。
*
一輝がクラスに入ると同時に、ザワザワと子どもの間に波が立つ――それは、特に女子の間で強かった。
「うわぁ、カッコイイ」
「睦月君とどういう関係なの!?」
これは女子の間での囁き。
「何だよ、すかした奴だな」
「いいとこの坊ちゃんかぁ?」
「朝、睦月と一緒に来た奴だろ?」
これは男子の間でのもの。
睦月と関係がある、という点ではどちらも好評価だが、一輝個人に対しては、男女で大きく差が出るようだ。
――睦月は人望があるんだな。
そう思い、一輝は何となく納得する。あの開けっ広げなところは、気持ちがいいかもしれない。
「じゃあ、ご挨拶してみて?」
まだ三十にはなっていないだろう若い女性が担任だった。彼女に促され、一輝は一礼する。
「新藤一輝と申します。数か月という短い間ですが、皆さんと一緒に勉強させていただきます。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
刹那、教室内が水を打ったように鎮まり返る。
皆、ポカンと彼を見つめていた。
担任は戸惑ったように数秒間口ごもった後、ようやく場を取り繕う。
「え、あ、丁寧なご挨拶ね。じゃあ、あそこの一番左の列の、睦月君の前に座ってね」
そう言った担任の笑顔が若干引きつって見えるのは、気のせいではないだろう。
どうも、自分の言動の何かがおかしかったようだ。
しかし、一輝にも『おかしかったらしい』というところまでは判ったが、果たして何が悪かったのかが判らず、困惑する。これまでも、取引相手のもとに赴いた時やパーティーなどで何度も同じような言葉を口にしてきたが、いつもはこんな反応は示されない。
何がいけなかったのだろうかと首を傾げながら席に着くと、後ろの睦月に背中を突かれた。椅子を後ろに引いて近づけると、睦月が囁いてくる。
「お前、あの挨拶何なんだよ? どこのおっさんかって感じだったぜ」
そう言われて、ようやく気付いた。
「そうか、TPOか……」
だが、そう言われても、小学生の集団に合わせた応対の仕方など、学んでいない。これは、しばらくここで覚えていくしかないのだろう。
一輝は、担任が板書していく内容を眺めながら、少なくとも授業よりは面白そうだと、考えることにした。
「いい、睦月? 一輝君は学校に行くのは初めてなんだからね? よぉく、気を付けてあげるのよ?」
「わかってるって。もう何度目だよ、それ。だいたい初めてったって、もう十二だろ? 過保護にもほどがあるってんだよ……」
ぶちぶちと文句を言う睦月をよそに、今度はクルリと一輝に向き直り、こちらもジッと見つめて言い含める。
「一輝君、わからない事があったら睦月に訊いてね? 無理したり、我慢したりしたらダメなのよ?」
まるで母親のようだ、と一輝は思い、それに対して不満を覚えている自分に気付いた。
しかし、何故不満なのか。
預かっている子どものことを心配に思うのは、当然のことだろう。
一輝はそう納得させようとしたが、何かしこりが残る。
弥生は、そんな一輝の心中には気付いていないようだった。まだ心配そうに軽く首を傾げて二人を交互に見やる。
「じゃあ、遅刻するからもう行きなさい。帰りも寄り道しないでね」
「遅刻したら姉ちゃんのせいだろ」
ボヤく睦月の頭を、ペチンと叩き、弥生が一輝に微笑みかけた。
「行ってらっしゃい、一輝君。楽しんできてね」
「はい。……行ってきます」
その言葉を口にするのは、少しくすぐったい。
「行ってくらぁ」
そう言ってさっさと出て行く睦月の後を、一輝は追いかける。
「行ってらっしゃい!」
柔らかな声が、背中に被さった。
*
一輝がクラスに入ると同時に、ザワザワと子どもの間に波が立つ――それは、特に女子の間で強かった。
「うわぁ、カッコイイ」
「睦月君とどういう関係なの!?」
これは女子の間での囁き。
「何だよ、すかした奴だな」
「いいとこの坊ちゃんかぁ?」
「朝、睦月と一緒に来た奴だろ?」
これは男子の間でのもの。
睦月と関係がある、という点ではどちらも好評価だが、一輝個人に対しては、男女で大きく差が出るようだ。
――睦月は人望があるんだな。
そう思い、一輝は何となく納得する。あの開けっ広げなところは、気持ちがいいかもしれない。
「じゃあ、ご挨拶してみて?」
まだ三十にはなっていないだろう若い女性が担任だった。彼女に促され、一輝は一礼する。
「新藤一輝と申します。数か月という短い間ですが、皆さんと一緒に勉強させていただきます。至らないところもあると思いますが、よろしくお願いします」
刹那、教室内が水を打ったように鎮まり返る。
皆、ポカンと彼を見つめていた。
担任は戸惑ったように数秒間口ごもった後、ようやく場を取り繕う。
「え、あ、丁寧なご挨拶ね。じゃあ、あそこの一番左の列の、睦月君の前に座ってね」
そう言った担任の笑顔が若干引きつって見えるのは、気のせいではないだろう。
どうも、自分の言動の何かがおかしかったようだ。
しかし、一輝にも『おかしかったらしい』というところまでは判ったが、果たして何が悪かったのかが判らず、困惑する。これまでも、取引相手のもとに赴いた時やパーティーなどで何度も同じような言葉を口にしてきたが、いつもはこんな反応は示されない。
何がいけなかったのだろうかと首を傾げながら席に着くと、後ろの睦月に背中を突かれた。椅子を後ろに引いて近づけると、睦月が囁いてくる。
「お前、あの挨拶何なんだよ? どこのおっさんかって感じだったぜ」
そう言われて、ようやく気付いた。
「そうか、TPOか……」
だが、そう言われても、小学生の集団に合わせた応対の仕方など、学んでいない。これは、しばらくここで覚えていくしかないのだろう。
一輝は、担任が板書していく内容を眺めながら、少なくとも授業よりは面白そうだと、考えることにした。
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