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Ⅲ:捨てられ王子の綺羅星
二つの場所で:すれ違い
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「アレッサンドロは本当に賢い子でね、五つになって字を覚えたかと思ったら、あっという間にひと月で百冊の本を読んでいたよ」
しみじみとした口調でそう言ったのは、わざわざ庭に運んできた椅子に腰かけたジーノだ。今や、庭仕事をするステラの傍で日光浴をすることが、彼の日課となっている。滞在時間は長くないが、雨の日を除いてほぼ毎日、だった。
病弱だというジーノの身体が心配ではあったが、今ステラが作業しているのはアレッサンドロがいる執務室からも見える一画だから、いざとなったら大声で呼べばいい。ステラからアレッサンドロの姿が見えるくらいだから、きっと、すぐに気付いてもらえるに違いない。ジーノが話してくれる幼い頃のアレッサンドロの思い出を、ステラも楽しみにしていた。
「百冊って、一日三冊以上ですか? ここの図書館、わたしも覗かせてもらいましたけど、すごく難しそうな本ばっかりでした。この年で読んでも、わたしには理解できそうにないです」
「すごいだろう? たくさん勉強して私の手伝いをしたいのだというのが、あの頃のアレッサンドロの口癖だったよ」
我がことのように自慢げに、ジーノが笑う。が、ふとその笑顔が曇った。
「――結局、私の手伝いどころか、全てを負わせてしまっているがね」
呟いて、ジーノは膝の上に置いた手を握り締める。
アレッサンドロに重責を肩代わりさせてしまっていることが悔しいのだろうか。
「ジーノさま……」
その心中は嫌というほど理解できても掛ける言葉は見つからず、ステラは口ごもった。と、そんな彼女にジーノの眼差しが和らぐ。
「アレッサンドロのお陰で、私もずいぶんと強くなったからね。もう少し体力がつけば、少しはあの子の助けができるようになるかもしれないな」
その声からも瞳からも、アレッサンドロへの愛情が伝わってきた。
「アレックスのことが大事なんですね」
ポツリとステラがこぼしたその一言に、ジーノは彼女を見つめ、そして微笑む。
「ああ、大事だよ。とてもね」
その言葉に嘘偽りは欠片もないことは、疑いようがなかった。
(なのに、どうしてアレックスは頑なにあんなことを言うんだろう)
仮に十三年前に母と共にここを追われたという不遇があっても、戻ってから八年もあったのだからしようと思えば当時のことを話し合えたはずだ。そもそも当時はジーノもまだ子どもだったのだから、アレッサンドロ親子を守りようがなかっただろう。それを理解できないアレッサンドロだとは思えない。
きっと、ちゃんと言葉を交わしていれば、かつての兄弟の絆を取り戻せていたに違いない。
(それなのに……)
信じるな、なんて。
あの時の強張ったアレッサンドロの顔を思い出すと、ステラの胸がキリキリと締め付けられた。
ステラの両親は物心がつく前に亡くなってしまったから、肉親の情はもう記憶にない。彼女にとって両親のことは村の人たちから聞かされた人物像だけで、もうそれが増えていくことはないのだ。それだけに、今のアレッサンドロとジーノの関係が歯がゆくてならなかった。
(仲直り、できないのかな)
アレッサンドロには、支えとなる人がいて欲しかった。できたら自分がそれになりたかったけれども、それは多分、無理だから。
きっと、アレッサンドロとジーノの間にあるものは、ほんの少しのすれ違い。
ジーノがアレッサンドロを想っていることは火を見るよりも明らかだし、アレッサンドロがジーノを信じられないのは、かつてそれだけ兄のことを信じていたからだ。信じていた分だけ、裏切られたという思いも深くなってしまっているのだ。
どうにかできたらいいのにとジーノを見るともなしに見つめていると、ステラの胸中を知ってか知らずか、ニコリと笑顔を返された。
「貴女も、あの子のことをとても大事に想ってくれているよね」
「え、あ、はい。もちろんです」
ジーノの口調は問いというよりも確認、あるいは断定で、ステラは深く頷いた。そんな彼女に、ジーノは妙に嬉しそうに目を細める。と、その視線がわずかにずれた。
ステラの背後に向けられたその眼に、何かあるのかと彼女も振り返りそうになったが、ツンと毛先を引かれてとどまる。
「……ジーノさま?」
摘ままれた毛先に眼を落としながらためらいがちに呼びかけると、ジーノは微笑んだ。
「ちょっといいかな」
「何ですか?」
「もう少し、こちらへ」
髪を引っ張る力は軽くて痛みを覚えるようなものではなかったけれど、抗うこともできず、ステラはジーノに向けて身を屈める。彼はもう一方の手を伸ばし、ステラのこめかみの辺りに触れてきた。
ふわりとくすぐられるような感触があって、彼女は思わず肩を震わせてしまう。
本当に、何なのだろう。
困惑で眉をひそめたステラに、ジーノはその瞳に悪戯を企む子どもたちと似た光を宿して囁く。
「花弁がついていたよ」
いささか近過ぎる距離でのその言葉に、ステラは大きな瞬きを一つした。
「はな、びら?」
おうむ返しにしたステラに向けて、ジーノが屈託なく微笑む。
「そう、ほら」
答えてジーノはステラの髪を捉えたまま、手のひらにのせた鮮やかな黄色の花弁を彼女に披露した。
しみじみとした口調でそう言ったのは、わざわざ庭に運んできた椅子に腰かけたジーノだ。今や、庭仕事をするステラの傍で日光浴をすることが、彼の日課となっている。滞在時間は長くないが、雨の日を除いてほぼ毎日、だった。
病弱だというジーノの身体が心配ではあったが、今ステラが作業しているのはアレッサンドロがいる執務室からも見える一画だから、いざとなったら大声で呼べばいい。ステラからアレッサンドロの姿が見えるくらいだから、きっと、すぐに気付いてもらえるに違いない。ジーノが話してくれる幼い頃のアレッサンドロの思い出を、ステラも楽しみにしていた。
「百冊って、一日三冊以上ですか? ここの図書館、わたしも覗かせてもらいましたけど、すごく難しそうな本ばっかりでした。この年で読んでも、わたしには理解できそうにないです」
「すごいだろう? たくさん勉強して私の手伝いをしたいのだというのが、あの頃のアレッサンドロの口癖だったよ」
我がことのように自慢げに、ジーノが笑う。が、ふとその笑顔が曇った。
「――結局、私の手伝いどころか、全てを負わせてしまっているがね」
呟いて、ジーノは膝の上に置いた手を握り締める。
アレッサンドロに重責を肩代わりさせてしまっていることが悔しいのだろうか。
「ジーノさま……」
その心中は嫌というほど理解できても掛ける言葉は見つからず、ステラは口ごもった。と、そんな彼女にジーノの眼差しが和らぐ。
「アレッサンドロのお陰で、私もずいぶんと強くなったからね。もう少し体力がつけば、少しはあの子の助けができるようになるかもしれないな」
その声からも瞳からも、アレッサンドロへの愛情が伝わってきた。
「アレックスのことが大事なんですね」
ポツリとステラがこぼしたその一言に、ジーノは彼女を見つめ、そして微笑む。
「ああ、大事だよ。とてもね」
その言葉に嘘偽りは欠片もないことは、疑いようがなかった。
(なのに、どうしてアレックスは頑なにあんなことを言うんだろう)
仮に十三年前に母と共にここを追われたという不遇があっても、戻ってから八年もあったのだからしようと思えば当時のことを話し合えたはずだ。そもそも当時はジーノもまだ子どもだったのだから、アレッサンドロ親子を守りようがなかっただろう。それを理解できないアレッサンドロだとは思えない。
きっと、ちゃんと言葉を交わしていれば、かつての兄弟の絆を取り戻せていたに違いない。
(それなのに……)
信じるな、なんて。
あの時の強張ったアレッサンドロの顔を思い出すと、ステラの胸がキリキリと締め付けられた。
ステラの両親は物心がつく前に亡くなってしまったから、肉親の情はもう記憶にない。彼女にとって両親のことは村の人たちから聞かされた人物像だけで、もうそれが増えていくことはないのだ。それだけに、今のアレッサンドロとジーノの関係が歯がゆくてならなかった。
(仲直り、できないのかな)
アレッサンドロには、支えとなる人がいて欲しかった。できたら自分がそれになりたかったけれども、それは多分、無理だから。
きっと、アレッサンドロとジーノの間にあるものは、ほんの少しのすれ違い。
ジーノがアレッサンドロを想っていることは火を見るよりも明らかだし、アレッサンドロがジーノを信じられないのは、かつてそれだけ兄のことを信じていたからだ。信じていた分だけ、裏切られたという思いも深くなってしまっているのだ。
どうにかできたらいいのにとジーノを見るともなしに見つめていると、ステラの胸中を知ってか知らずか、ニコリと笑顔を返された。
「貴女も、あの子のことをとても大事に想ってくれているよね」
「え、あ、はい。もちろんです」
ジーノの口調は問いというよりも確認、あるいは断定で、ステラは深く頷いた。そんな彼女に、ジーノは妙に嬉しそうに目を細める。と、その視線がわずかにずれた。
ステラの背後に向けられたその眼に、何かあるのかと彼女も振り返りそうになったが、ツンと毛先を引かれてとどまる。
「……ジーノさま?」
摘ままれた毛先に眼を落としながらためらいがちに呼びかけると、ジーノは微笑んだ。
「ちょっといいかな」
「何ですか?」
「もう少し、こちらへ」
髪を引っ張る力は軽くて痛みを覚えるようなものではなかったけれど、抗うこともできず、ステラはジーノに向けて身を屈める。彼はもう一方の手を伸ばし、ステラのこめかみの辺りに触れてきた。
ふわりとくすぐられるような感触があって、彼女は思わず肩を震わせてしまう。
本当に、何なのだろう。
困惑で眉をひそめたステラに、ジーノはその瞳に悪戯を企む子どもたちと似た光を宿して囁く。
「花弁がついていたよ」
いささか近過ぎる距離でのその言葉に、ステラは大きな瞬きを一つした。
「はな、びら?」
おうむ返しにしたステラに向けて、ジーノが屈託なく微笑む。
「そう、ほら」
答えてジーノはステラの髪を捉えたまま、手のひらにのせた鮮やかな黄色の花弁を彼女に披露した。
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