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SS:良くないことだと、解かっているが【中編】

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 屋敷に帰ると、まずマクシミリアンはクリスティーナを寝室に連れて行った。

「今日はもう休むといい。俺は少しアルマンと話があるから、先に寝ていてくれ」
 そう告げて、彼女のこめかみにそっとキスを残して部屋を出ようとした。が、そんな彼を小さな手が引き留める。
「あの、マクシミリアンさま!」
 彼の上着の裾を掴んだ手を見下ろすと、クリスティーナはハッと我に返ったようにそれを放した。

「すみません。でも、あの……」
 口の中でもごもごと言いながら、クリスティーナは俯いてしまった。しばらく待ったけれども、彼女は顔を上げない。

 クリスティーナは何を考え、何を望んでいるのだろう。

 沈んだ様子の彼女を見つめ、マクシミリアンは考えた。
 馬車の中でもずっと頭を巡らせていたが、パーティーそのものは、多分、問題なかったと思う。
 今のマクシミリアンには、クリスティーナの笑みが作ったものなのか自然なものなのか、見分けられる。確信をもって言えるが、途中までは、マクシミリアンの知り合いに紹介されて彼女は楽しげに笑っていた。
 変わったのは、控室に行ってからだ。クリスティーナと離れたのもあの時くらいだし、きっと、そこで何かあったに違いない。

 例えば、あの、黒髪の女とか。
 誰かが何かしたとすれば、思いつくのは見覚えはあるが特に印象は残っていないあの女くらいだ。

 顔を伏せたままのクリスティーナの顎に手を添えて、そっと持ち上げる。
 一瞬だけ合った目が、すぐに逸らされた。

 マクシミリアンは頭を下げて唇を重ねる。触れ合わせただけで離し、ふわりと包み込むように抱き締めた。

「先に寝ていろ」
 もう一度そう残し、寝室を出た。

   *

 道すがら出会ったメイドにアルマンを探すように言いつけて、マクシミリアンは書斎に向かった。中で待っていると、それほど間を置かずに扉が叩かれる。

「お帰りなさい。意外に早かったですね」
 マクシミリアンを見るなり、アルマンが言った。
 確かに、パーティーの半ばほどでの退出だから、予定よりもずいぶん早い。
「あんまり楽しくなかったんですか?」
 アルマンの顔には微かに案じる色がある。
 クリスティーナには社交の場がかなりの負荷になるということは彼も知っているから、心配していたのだろう。

「いや、それほど悪くなかったと思うが……お前、黒髪で緑の目の、口元にほくろがある女を知っているか? 多分、三十代前半だ」
 アルマンはしばらく考えて問い返してくる。

「色っぽくて猫目の?」
 言われてみると、そうかもしれない。
「ああ」
「それって、ティボー未亡人では?」
「ティボー? ああ、彼の?」
 ティボーは二年ほど前に亡くなった貿易商だ。もう七十近かったが、そう言えば、晩年えらく若い妻を迎えていた記憶がある。
 取り敢えず身元は判明したが、逆にマクシミリアンの疑問はいっそう深まった。彼は誰かの妻に手を出したことはない。夫を亡くした後であっても、二年前であれば誰とも関係を持たなくなってからのことだ。
 あんなふうに絡まれる余地は、毛先ほどもないはずだが。

「今日、彼女と会ったんだが……やたらに親しげにされた」
 首をかしげてそう言うと、アルマンは奇妙な顔でマクシミリアンを見返してきた。
「もしかして、マクシミリアン様、覚えてないんですか?」
「何を?」
「いや、あの人、ティボー氏が亡くなってからスンゴイ猛攻かけてきたじゃないですか」
「猛攻?」

 何のことだろう。
 声に出さなくともその疑問は充分にマクシミリアンの顔に表れていたらしい。
 アルマンが呆れたといわんばかりの声を上げる。

「うぅわ、気付いてすらいなかったんですね? ちょっと気の毒」
「だから、どういう意味だ」
 ムスッと尋ねれば、盛大なため息が返された。
「まったく、もう。あの人、貴方の奥さんの座を狙ってたんですよ。ほら、地位ある人には妻がいた方がいい……とか、商人の妻として色々ものを知っている人がいい……とか、チクチク売り込みかけてたじゃないですか」
「それはただの世間話だろう」
「違いますよ。洗脳しようとしてたんです。でも、明らかにやり方間違えましたね。直截に言ったって伝わらないことが多々あるのに、そんな遠回しで通じるわけがありませんよねぇ、マクシミリアン様には。第一、あの頃、クリスティーナ様以外の女性は視野に入ってませんでしたものね。しょっちゅう他の女性に訊かれましたよ、貴方は病気なのかって」
 はあ、とまたため息をつくアルマンに、ムッとする。

「病気?」
「『機能』しなくなる病気」
 さらっと答えられて、マクシミリアンは唖然とする。
 そんな主人をよそに、アルマンはにっこり笑った。
「とにかく、ティボー未亡人が余計なちょっかいかけてきて、クリスティーナ様が落ち込んで、早々にパーティーから切り上げてきた、ってわけですね?」
 要約すると、そういうことなのだろう。

 頷くと、アルマンの目から、目だけから、笑みが消えた。
「だったら、さっさと誤解を解いていらっしゃい。クリスティーナ様は、貴方のことを『皆の共有財産』みたいに扱ってたあの頃の女性方とは、違うんですからね。普通は、好きな相手に他に相手がいると思えば悲しいものなんですから」
 やれやれと説教を垂れるアルマンに、マクシミリアンは眉間に深い溝を刻んで頷いた。
「判っている」
 その気持ちは、充分に。
 マクシミリアンだって、かつてはクリスティーナにそういう相手ができるかもしれないと想像しただけで、書斎中の棚を全てひっくり返したいような衝動に駆られたものだったのだから。

   *

 廊下を走る勢いで足早に寝室に戻ったマクシミリアンは、扉を開ける前に大きく深呼吸を一つした。
 それから、扉を叩く。

 小さな返事。

 開けてまずベッドに目を向ければ、その縁に腰かけて彼の方を見ているクリスティーナの姿が真っ先に飛び込んできた。

「寝ていなかったのか」
 一晩たりとも彼女に悲しい思いをさせるわけにはいかないから、眠っていたら起こしてでも話をしなければ、と思っていたマクシミリアンは少しホッとする。

 上着を脱ぎながら大股にクリスティーナのもとへ向かい、途中でそれを椅子の上に放り投げて、彼女の前に膝を突く。
「眠れなかったのか?」
 静かにそう訊ねれば、クリスティーナは少し唇を噛んでから、頷いた。
「控室で、何かあったのか?」
 続いてそう問うと、彼女の目が心持ち見開かれた。そうして、また、頷く。

 が、それ以上は何も言ってくれない。

 マクシミリアンは奥歯を噛み締めてから、告げる。
「……ティボー未亡人とは何もなかった」
 クリスティーナがぱちりと目をしばたたかせた。それから視線を落とす。
 どうやら、あの女の他に、引っかかるものがあるようだ。だが、それが何なのかは、マクシミリアンにはもうお手上げだ。

 彼はクリスティーナの顎に指先を添えて自分の方に顔を向けさせた。噛み締められた唇に親指を当てて、外させる。

「ティナ、何か他に嫌なことがあったなら話してくれ。でないと判らん」
 切実な気持ちで、その空色の目を覗き込むようにして懇願した。
 クリスティーナはそれからもなかなか目を合わせようとはしなかったけれど、マクシミリアンは辛抱強く待つ。

 ずいぶん、時間が過ぎた気がする。
 ようやく、ポツリと。

「マクシミリアンさまは、とてもたくさんの女性の方とお付き合いがあった、とうかがいました」

 消え入るような声が、マクシミリアンの胸をグサグサと突き刺す。
「それは……――否定できない」

 クリスティーナの肩がピクリと小さく跳ねたけれども、それだけだった。彼女はマクシミリアンから逃れようとするかのように、より深く顔を伏せる。さらりとこぼれた淡い金髪が、きれいに顔を隠してしまった。
 丸い頭のてっぺんにあるつむじを見つめていると、その丸さにすら胸を締め付けられる。
 過去はどうしようもできないが、今のマクシミリアンにはクリスティーナしかいない。
 マクシミリアンは彼女の髪の一本ですら愛おしく感じるのに、一度顔を合わせただけの女の言葉にこれほど動揺させられてしまうなんて、クリスティーナには彼の想いは伝わっていないのか。
 そう思うと、もどかしさと苛立たしさが同じくらいの強さで込み上げてくる。

 ため息をこぼして顎に添えていた手を頬に滑らせたマクシミリアンは、そこで触れたものにぎょっとした。

「ティナ!?」
 更に身を屈めてうつむく彼女の顔を覗き込めば、頬に光る涙の筋が真っ先に目に入ってきた。

 彼が、泣かせたのだ。
 現在の彼ではないかもしれないけれど、過去の彼が、その行動が、クリスティーナを泣かせた。

「ティナ……」
 両手で彼女の頬を包み込み、上げさせようとした。けれど、いつもはマクシミリアンにされるがままに上がる顔が、抵抗する。
 それ以上力を入れることはできなくて、マクシミリアンはクリスティーナの顔を上げさせることは断念した。代わりに彼女の隣に腰を下ろして自分の膝の上に抱き上げる。
 また、わずかな抵抗があったけれども、今度は腰と頭に手を回して、しっかりと自分の胸に閉じ込めた。
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