上 下
60 / 65

SS:ある日のマクシミリアン

しおりを挟む
 地面に、鳥の雛が落ちていた。
 かれこれ三十分ほどクリスティーナが庭に出たままだとメイドの一人から聞かされて、マクシミリアンは様子を見に来たのだ。今日はとても暑いので。
 この気温では、クリスティーナはすぐに暑さに中てられてしまうに違いない。モニクが付いているから大丈夫だとは思うが、念のため――もしかしたら、具合が悪くなって難儀しているかもしれないから。
 そう思って庭に出てきたら、雛を見つけた。
 頭上の枝を見上げると、そこには鳥の巣がかかっている。
 もう一度、地面に目を向ける。目が合った――気がする。だいぶ羽は生えているから、じきに巣立ちの時期なのだろう。なんでこの期に及んで落ちたりなどしたのか。
 経験上、巣に戻しても親が育てるかどうかは五分五分だ。彼が拾った方が、生き残る確率は高い。
 マクシミリアンはしかめ面でしばしそれを睨み付け、ポケットからハンカチを取り出した。それで包み込んでしまえば、怪我をさせることもないだろう。
 そうして、本来の用を果たしに行った。

    *

 雛を見せると、クリスティーナは目を輝かせた。
「小さいですねぇ」
 腰を屈めて目線を合わせようとするのが、可愛い。恐ろしく、可愛い。
 彼女がパッとマクシミリアンを見上げてきた。少し表情が曇っている。
「助かりますか?」
 心配そうなその顔に、マクシミリアンは心臓の辺りが痛くなった。
「大丈夫だ。ここまで大きくなっていたら、普通は死なない。餌をやっておけば育つ」
 途端にクリスティーナの顔が明るくなって、マクシミリアンもホッとする。
 と、その時。
 雛が、ピィと啼いた。
「まあ」
 クリスティーナは声を上げ、輝かんばかりの笑みを浮かべる。その顔を、クルリとマクシミリアンに向けた。
 普段は白い頬に薔薇色が注し、真昼間だというのに空色の目の中には星が見えるような気がする。
「可愛らしいですね」
 パッと、一段と明るくなった笑み。
 花が咲いたのかと思うような。
 刹那、マクシミリアンはめまいめいたものに襲われた。
「マクシミリアンさま?」
 いぶかしげ――いや、心配そうなクリスティーナの目が真っ直ぐに見つめてくる。
 お前の方が、千倍可愛い。
 思わず転がり出しそうになった心の声を見えない両手で喉の奥に押し込め、マクシミリアンは後ずさった。
「私は、仕事があるから」
 かろうじて一声かけて、その場を後にした。

   *

「おや、マクシミリアン様、こんなところで何してるんですか?」
 廊下の窓枠に肘を置いて外をぼんやりと眺めていたマクシミリアンに、声がかかる。アルマンだ。
「雛はどうしたんです? クリスティーナ様、喜んだでしょ?」
 クリスティーナの名を口にしたアルマンをムッと睨むと、彼は目を丸くし、呆れたような顔になった。
「ちょっと、待ってくださいよ。もしかしてまた、あまりの可愛さにトキメいちゃって逃げ出してきたとか言わないですよね?」
 マクシミリアンは答えられない。
「もう……何やってんですか。せっかくの共通の話題でしょう? こういう時こそ、仲を深めないと。今まで散々雛の世話してきたんですから、知識も経験も腐るほどあるでしょうに。蘊蓄かましてやったらいいじゃないですか。憧れの眼差し注いでくれるのは必至ですよ」
 アルマンは唇を引き結んだままのマクシミリアンに、ため息をつく。
「まあ、いいですけど。世話はお願いしますよ? 多分、死ぬことはないと思いますけどね」
 先ほどのマクシミリアンと同じことを言って、アルマンは去っていった。
 その背中を見送りながら、マクシミリアンはハタと気付く。
 もしも雛が死ぬようなことがあったら、クリスティーナがどれほど悲しむか。
 今まで拾った雛は、皆無事に旅立っていったが、今回ばかりは絶対にしくじれない。
 何が何でも、生きてここから出て行ってもらわないと
 心の底から真剣に、マクシミリアンはあの雛を無事に育て上げることを決意した。
 
  *

 二週間が過ぎて。
「飛んでくれるでしょうか」
 不安げなクリスティーナの声。彼女の目は、庭の樹の枝にのせた鳥に一心に注がれている。
 無事に育った雛を空に返そうと試みて、今日が三日目だ。
 いつもピィピィと啼くだけで、羽ばたこうとしない。
 多分、外の世界を知らないから怖いのだろう。
 と、不意に、パタッと羽ばたきの音がして、拾った雛の隣に同種の鳥が舞い降りた。
 まるで会話をするようにピィピィと啼き合っている。
 そして。
「飛んだ――飛びました!」
 ギュッと、クリスティーナの手がマクシミリアンの腕を掴む。その顔は、満面の笑みを浮かべたままみるみる小さくなっていく鳥を追いかけていた。
 あまりに晴れやかなその笑顔から、彼は目が離せない。
 ストレイフ家に嫁いできてから、彼女はしばしばこんなふうに笑うようになった。
 それを見るとマクシミリアンの胸の中が熱を帯びる。だが、いつも、彼に向いた瞬間、その笑顔は淡雪のように消えてしまうのだ。
 自分に向けた笑顔が欲しい。
 マクシミリアンは切にそう望むけれど、きっとそれは無理な話なのだろう。
 彼女は望んで彼の妻になったわけではないのだから。
 不意に、仲間が来て、ためらいなく飛んでいった雛の姿が脳裏をよぎった。
 クリスティーナの世界も、いずれ広がる。いずれもっと多くの人間と知り合い、その中で、誰か――彼女を誘う者が現れるのかもしれない。
 それがマクシミリアンよりももっと彼女に相応しい者だったら。
 彼は奥歯を噛み締めた。
 想像すら、したくない。
 と、ひそりと。
「こんな笑顔を振りまいていたら、社交界でも大人気になりそうですよね」
 まるでマクシミリアンの不安を読み取ったようなアルマンの囁きは、彼の耳にだけ届けられた。ギラリと睨むと、忠実な秘書は悪びれた様子もなくにこりと笑う。
「それまでにはマクシミリアン様にメロメロにしておいてくださいよ?」
 空の雲を掴むよりも難しいようなことを平然と吐き、彼は足取りも軽く去っていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】やさしい嘘のその先に

鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。 妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。 ※30,000字程度で完結します。 (執筆期間:2022/05/03〜05/24) ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ 2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます! ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼ --------------------- ○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。  (作品シェア以外での無断転載など固くお断りします) ○雪さま (Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21 (pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274 ---------------------

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈 
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

【完結】後宮の秘姫は知らぬ間に、年上の義息子の手で花ひらく

愛早さくら
恋愛
小美(シャオメイ)は幼少期に後宮に入宮した。僅か2歳の時だった。 貴妃になれる四家の一つ、白家の嫡出子であった小美は、しかし幼さを理由に明妃の位に封じられている。皇帝と正后を両親代わりに、妃でありながらほとんど皇女のように育った小美は、後宮の秘姫と称されていた。 そんな小美が想いを寄せるのは皇太子であり、年上の義息子となる玉翔(ユーシァン)。 いつしか後宮に寄りつかなくなった玉翔に遠くから眺め、憧れを募らせる日々。そんな中、影武者だと名乗る玉翔そっくりの宮人(使用人)があらわれて。 涼という名の影武者は、躊躇う小美に近づいて、玉翔への恋心故に短期間で急成長した小美に愛を囁いてくる。 似ているけど違う、だけど似ているから逆らえない。こんなこと、玉翔以外からなんて、されたくないはずなのに……――。 年上の義息子への恋心と、彼にそっくりな影武者との間で揺れる主人公・小美と、小美自身の出自を取り巻く色々を描いた、中華王朝風の後宮を舞台とした物語。 ・地味に実は他の異世界話と同じ世界観。 ・魔法とかある異世界の中での中華っぽい国が舞台。 ・あくまでも中華王朝風で、彼の国の後宮制を参考にしたオリジナルです。 ・CPは固定です。他のキャラとくっつくことはありません。 ・多分ハッピーエンド。 ・R18シーンがあるので、未成年の方はお控えください。(該当の話には*を付けます。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

つがいの皇帝に溺愛される幼い皇女の至福

ゆきむら さり
恋愛
稚拙な私の作品をHOTランキング(7/1)に入れて頂き、ありがとうございます✨ 読んで下さる皆様のおかげです🧡 〔あらすじ〕📝強大な魔帝国を治める時の皇帝オーブリー。壮年期を迎えても皇后を迎えない彼には、幼少期より憧れを抱く美しい人がいる。その美しい人の産んだ幼な姫が、自身のつがいだと本能的に悟る皇帝オーブリーは、外の世界に憧れを抱くその幼な姫の皇女ベハティを魔帝国へと招待することに……。 完結した【堕ちた御子姫は帝国に囚われる】のスピンオフ。前作の登場人物達の子供達のお話に加えて、前作の登場人物達のその後も書かれておりますので、気になる方は是非ご一読下さい🤗 ゆるふわで甘いお話し。溺愛。ハピエン♥️ ※設定などは独自の世界観でご都合主義となります。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

逃げるための後宮行きでしたが、なぜか奴が皇帝になっていました

吉高 花
恋愛
◆転生&ループの中華風ファンタジー◆ 第15回恋愛小説大賞「中華・後宮ラブ賞」受賞しました!ありがとうございます! かつて散々腐れ縁だったあいつが「俺たち、もし三十になってもお互いに独身だったら、結婚するか」 なんてことを言ったから、私は密かに三十になるのを待っていた。でもそんな私たちは、仲良く一緒にトラックに轢かれてしまった。 そして転生しても奴を忘れられなかった私は、ある日奴が綺麗なお嫁さんと仲良く微笑み合っている場面を見てしまう。 なにあれ! 許せん! 私も別の男と幸せになってやる!  しかしそんな決意もむなしく私はまた、今度は馬車に轢かれて逝ってしまう。 そして二度目。なんと今度は最後の人生をループした。ならば今度は前の記憶をフルに使って今度こそ幸せになってやる! しかし私は気づいてしまった。このままでは、また奴の幸せな姿を見ることになるのでは? それは嫌だ絶対に嫌だ。そうだ! 後宮に行ってしまえば、奴とは会わずにすむじゃない!  そうして私は意気揚々と、女官として後宮に潜り込んだのだった。 奴が、今世では皇帝になっているとも知らずに。 ※タイトル試行錯誤中なのでたまに変わります。最初のタイトルは「ループの二度目は後宮で ~逃げるための後宮でしたが、なぜか奴が皇帝になっていました~」 ※設定は架空なので史実には基づいて「おりません」

処理中です...