47 / 65
再会③
しおりを挟む
「その人に話しかけても無駄だよ」
パッと振り返ったクリスティーナの目は、マクシミリアンとモニクの後方、ちょうど家の角の辺りにいる老婆を捉えた。
「どうして、ですか? いったい、何が、お母さまに何が……」
クリスティーナの視線が老婆と母の間を何度も行き来する。
逢ったら、母は喜ぶだろうか、不快に思うだろうか、驚くだろうか――ここに着くまでの間に、クリスティーナは色々考えた。
けれど、こんな反応は、全然予想していなかった。
狼狽しているクリスティーナにマクシミリアンが歩み寄り、腕を伸ばしてくる。力強いそれが優しく彼女を引き寄せ、その中に包みこんだ。大きな手が頭の後ろにあてがわれ、ゆったりとした鼓動が響く広い胸に押し付けられた。
クリスティーナはそれに耳を傾けながら、途方に暮れて目を母に向ける。
穏やかで、満ち足りた表情。
温かな視線は人形に向けられているけれど――茫洋としたそれは人形を通り抜けてその先にあるものを求めているようだった。この世には存在していない、何かを。
マクシミリアンの鼓動に宥められながら安らいだ母の顔を見つめていると、次第にクリスティーナの中の混乱が鎮まってくる。
(話を、聴かなければ)
母に何が起きているのか。
クリスティーナはマクシミリアンの胸に両手を当てて、そっと力を入れる。その合図に彼はすぐに気付いて、腕の力を緩めてくれた。
目を上げると、この上なく心配そうな顔が見返してくる。
自分よりもよほど大きな打撃を受けているように見えるマクシミリアンに、クリスティーナは思わず笑みを浮かべてしまった。
「わたくしは、大丈夫です。ありがとうございました」
クリスティーナのその言葉が効いたのか、それとも微笑みが効いたのか、いずれであるにしても、マクシミリアンの顔から険しさが和らぐ。
もう少し手に力を入れると、背中に回されていた彼の手が離れていった。
クリスティーナは一歩横に動いて、マクシミリアンの陰から出る。そうして、モニク、次いで老婆に目を向けた。
「母は、いつからこのような様子なのですか? モニクが最後にお母さまにお会いしたのは、わたくしが生まれてすぐ――二十年ほど前ですね?」
訊ねた彼女に、モニクは血の気の失せた顔で頷いた。
「はい。あの頃もとてもお気持ちが沈まれていましたけれど、まだ、こんなふうでは……少なくとも、お話はできていました。お屋敷を出られるというお話は、とにかく急に決まって……私はエリーゼ様にご一緒するつもりだったのですが、エリーゼ様は私にティナ様の世話をするように言いつけられました。私にティナ様を見守って欲しい、と――」
「お母さま、が」
「はい。申し上げましたでしょう? エリーゼ様は、お腹の中におられる時からティナ様のことをこの上なく慈しんでおられたと。エリーゼ様にとって、ティナ様はご自身よりも遥かに大事な存在ですもの」
クリスティーナの胸の中に、温かなものがジワリと湧いてくる。
母の愛は、確かにあったのだ。
母にとってきっと誰よりも近しい存在であろうモニクを、ティナの為に手放しても良いと思うほどに。
「……嬉しく思ったら、罰が当たるでしょうか」
ポツリと呟くと、憮然とした声が降って来た。
「何故」
顔を上げると、マクシミリアンがクリスティーナを見て、エリーゼを見て、またクリスティーナに戻って来た。
「貴女が嬉しいなら母上も嬉しいだろう」
至極当然、何の疑問の余地もない、という口調で断言されて、思わずクリスティーナは笑ってしまった。
「そうでしょうか?」
「そうだ」
また、即答。きっぱりと。
マクシミリアンが言うなら、きっとそうなのだ。
クリスティーナはエリーゼに目を遣り、別世界にいるような彼女に胸に痛みを覚えながらも、そっと微笑んだ。
「わかりました。お母さまがわたくしを想ってくださっていて、嬉しいです。とても、とても嬉しいです」
クリスティーナが声に出して認めると、マクシミリアンはしばし彼女の微笑みを見つめてから、手を上げた。
大きな掌がクリスティーナの頬をすっぽりと包み込む。気持ち頭を傾け、彼女は目を閉じその手のひらに頭を預ける。
マクシミリアンに触れられるのは、ただこれだけでも、心地良い。頬から伝わる彼の熱が、全身を温める。
彼の温もりに浸っていたクリスティーナだったけれども、静かに近づいた声にパッと目を開ける。
「――ここに来てひと月くらいは、一日中泣いてばっかだったよ。あんたを恋しがって」
『あんた』でクリスティーナに向けて顎をしゃくりながら、老婆が言った。
「あの子が、世話をしてくれって手紙と一緒にその人送り付けてきてさ。まあ、手はかからん人だし、世話賃もたっぷりもらってるからいいんだけど。日がな一日泣き暮らされるのは気が滅入ったけどね」
『あの子』とは誰だろう。
ここにエリーゼを連れてきたのは、父のはず。
その疑問を、クリスティーナはそのまま口にした。
「あの子、とは、どなたですか?」
「ああ、あんたの父親だよ。コディ――コデルロスだ」
ずいぶんと親し気な老婆の言い方に、クリスティーナは目をしばたたかせた。
「あの、父とはどういうご関係でしょう」
今初めて、そこに思い至る。
考えてみたら、縁もゆかりもない人のところにポイと投げるように妻を任せるのもおかしな話だ。父に親戚がいるという話は、ついぞ聞いたことがないけれども。
眉をひそめているクリスティーナに、老婆は肩を竦めた。
「コディはこの村にいたんだよ、子どもの頃」
「ここに、ですか?」
「ああ。母親に連れられてフラッとやって来たのが三つかそこらの頃かいな。それから一年か二年かして母親の方はまた姿を消してね。あの子だけ残ったんだ。放っておくわけにもいかないからうちの母親が引き取って、村の雑用させて食い扶持稼がせてたんじゃないかな。あたしもまだ子どもだったからあんまり覚えてないけどね、遊んでるところは見たことがなかった気がするよ。いつも何かしら仕事して」
コデルロスの生い立ちを知らなかったクリスティーナは、言葉を失った。彼女にとって父は父として存在していて、どうやってあの父になったかなど、頭の片隅でも考えたことがなかった。
思わぬ父の身の上話に呆然としていたクリスティーナは先を促す言葉もかけられずにいたけれど、反応のない彼女に構わず老婆は淡々と続ける。
「十をいくつか過ぎたくらいでこの村から出て行ってね、それから十年かもう少しくらいしてからかな、急にやってきて、あたしの母さんにこの家を建ててくれたんだ。昔あの子の世話をしてた時にかかった分の支払いだとかなんとか言って。母さんが死んでからはあたし一人で暮らしてたんだけど、そうしたら、あの人を寄越したんだよ」
そこで彼女はハア、と息をついた。
「来た時から『はい』くらいしか言わない人だったけど、だんだん、それすらなくなってね。今じゃ、食べて寝てしかしないよ。それ以外は、ずっとああやって人形抱いて歌うたってる」
「医者には診せたのか?」
低い声で尋ねたマクシミリアンに、老婆はまた肩を竦めた。
「別に、身体にゃ悪いとこないんだし。医者がどうこうできるもんでもないだろ。なんか、こうなってからの方が結構幸せそうだしね。少なくとも、泣き暮らすことはなくなったよ」
――『幸せ』そう。
老婆のその言葉に、クリスティーナは唇を噛み締めた。マクシミリアンから離れ、エリーゼの前にしゃがみ込む。そうして、下からすくうように母の顔を覗き込む。
そうやっても、やっぱり彼女の視線も表情も、動かなかった。
(今、本当に、お母さまはお幸せなのですか?)
確かに、穏やかな顔だ。
彼女がこれで幸せだというのなら、このまま、そっとしておくのがいいのかもしれない。
けれども。
「わたくしは、お母さまに見ていただきたい」
ポロリと、クリスティーナの口からこぼれた。
見て欲しい。ここにいる、幸せでいる自分の姿を。
目を合わせて、今現実に存在している『クリスティーナ』がいることを、知って欲しい。
せっかく母が築いた安寧の小部屋から彼女を引きずり出したいと願うことは、間違っているだろうか。
クリスティーナは手を伸ばし、人形を抱くエリーゼの手の甲にそっと触れた。
何も、反応はない。
この手に、触れて欲しい。
触れたら応えて、手を握り返して欲しい。
目を合わせて、微笑んで、声を聴かせてほしい。
(そう願うのは、いけないこと?)
そのクリスティーナの心の中での問いに、マクシミリアンが答える。
「連れて帰ろう」
「え」
振り仰ぐと、彼は数歩近付き、彼女の前にひざまずいた。
「母上はストレイフの屋敷に連れて帰る」
「マクシミリアンさま……」
「この人は貴女の母上だ。それに、貴女に逢いたがっていてこんなふうになったのなら、一緒にいた方がまだ回復する見込みがあるだろう」
「でも、一緒に暮らしたとしても、お母さまには、きっとわたくしのことがお判りになりません。お別れしたのが赤ちゃんの頃ですから」
「そのうち解かるようになる」
迷いなく、彼は言いきった。
その揺るぎない自信はいったいどこから湧いてくるのだろうと思いながらも、クリスティーナの胸が熱くなった。視界が滲んで、溢れた涙がコロリと頬を伝い落ちる。
「……ありがとうございます」
すん、とクリスティーナが小さく鼻をすすると、マクシミリアンが眉間にしわを刻んだ。
「礼はいらない。だが――」
彼が口ごもる。
微かに目を泳がせたマクシミリアンに、クリスティーナは首をかしげる。
「『だが』?」
いつもよりも高さの差がない真っ直ぐな目線でクリスティーナに凝視され、彼は気まずげにギュッと唇を引き結んでから、またそれを開いた。
「泣き止んでくれ。貴女が泣くのを見るのは嫌いだ」
本当に不本意気にムスッと言うから、思わずクリスティーナは瞬きをして、その拍子にまた涙が転げ落ちた。
「これは、悲しいとかではないですよ?」
「それでも、泣いて欲しくない。貴女には笑っていて欲しい」
子どものように要求を突きつける。
そんなマクシミリアンに、クリスティーナの顔には自然と笑顔が広がっていく。月下で優しく咲く大輪の花がほころぶのにも似た彼女の微笑みを、マクシミリアンは束の間凝視した。彼はそうしなければ彼女の笑顔を壊してしまうとでも思っているかのように息を詰め、そして、そろそろと吐息をこぼす。
「それがいい」
彼は囁き、穏やかだけれども確かな微笑みを、返してくれた。
パッと振り返ったクリスティーナの目は、マクシミリアンとモニクの後方、ちょうど家の角の辺りにいる老婆を捉えた。
「どうして、ですか? いったい、何が、お母さまに何が……」
クリスティーナの視線が老婆と母の間を何度も行き来する。
逢ったら、母は喜ぶだろうか、不快に思うだろうか、驚くだろうか――ここに着くまでの間に、クリスティーナは色々考えた。
けれど、こんな反応は、全然予想していなかった。
狼狽しているクリスティーナにマクシミリアンが歩み寄り、腕を伸ばしてくる。力強いそれが優しく彼女を引き寄せ、その中に包みこんだ。大きな手が頭の後ろにあてがわれ、ゆったりとした鼓動が響く広い胸に押し付けられた。
クリスティーナはそれに耳を傾けながら、途方に暮れて目を母に向ける。
穏やかで、満ち足りた表情。
温かな視線は人形に向けられているけれど――茫洋としたそれは人形を通り抜けてその先にあるものを求めているようだった。この世には存在していない、何かを。
マクシミリアンの鼓動に宥められながら安らいだ母の顔を見つめていると、次第にクリスティーナの中の混乱が鎮まってくる。
(話を、聴かなければ)
母に何が起きているのか。
クリスティーナはマクシミリアンの胸に両手を当てて、そっと力を入れる。その合図に彼はすぐに気付いて、腕の力を緩めてくれた。
目を上げると、この上なく心配そうな顔が見返してくる。
自分よりもよほど大きな打撃を受けているように見えるマクシミリアンに、クリスティーナは思わず笑みを浮かべてしまった。
「わたくしは、大丈夫です。ありがとうございました」
クリスティーナのその言葉が効いたのか、それとも微笑みが効いたのか、いずれであるにしても、マクシミリアンの顔から険しさが和らぐ。
もう少し手に力を入れると、背中に回されていた彼の手が離れていった。
クリスティーナは一歩横に動いて、マクシミリアンの陰から出る。そうして、モニク、次いで老婆に目を向けた。
「母は、いつからこのような様子なのですか? モニクが最後にお母さまにお会いしたのは、わたくしが生まれてすぐ――二十年ほど前ですね?」
訊ねた彼女に、モニクは血の気の失せた顔で頷いた。
「はい。あの頃もとてもお気持ちが沈まれていましたけれど、まだ、こんなふうでは……少なくとも、お話はできていました。お屋敷を出られるというお話は、とにかく急に決まって……私はエリーゼ様にご一緒するつもりだったのですが、エリーゼ様は私にティナ様の世話をするように言いつけられました。私にティナ様を見守って欲しい、と――」
「お母さま、が」
「はい。申し上げましたでしょう? エリーゼ様は、お腹の中におられる時からティナ様のことをこの上なく慈しんでおられたと。エリーゼ様にとって、ティナ様はご自身よりも遥かに大事な存在ですもの」
クリスティーナの胸の中に、温かなものがジワリと湧いてくる。
母の愛は、確かにあったのだ。
母にとってきっと誰よりも近しい存在であろうモニクを、ティナの為に手放しても良いと思うほどに。
「……嬉しく思ったら、罰が当たるでしょうか」
ポツリと呟くと、憮然とした声が降って来た。
「何故」
顔を上げると、マクシミリアンがクリスティーナを見て、エリーゼを見て、またクリスティーナに戻って来た。
「貴女が嬉しいなら母上も嬉しいだろう」
至極当然、何の疑問の余地もない、という口調で断言されて、思わずクリスティーナは笑ってしまった。
「そうでしょうか?」
「そうだ」
また、即答。きっぱりと。
マクシミリアンが言うなら、きっとそうなのだ。
クリスティーナはエリーゼに目を遣り、別世界にいるような彼女に胸に痛みを覚えながらも、そっと微笑んだ。
「わかりました。お母さまがわたくしを想ってくださっていて、嬉しいです。とても、とても嬉しいです」
クリスティーナが声に出して認めると、マクシミリアンはしばし彼女の微笑みを見つめてから、手を上げた。
大きな掌がクリスティーナの頬をすっぽりと包み込む。気持ち頭を傾け、彼女は目を閉じその手のひらに頭を預ける。
マクシミリアンに触れられるのは、ただこれだけでも、心地良い。頬から伝わる彼の熱が、全身を温める。
彼の温もりに浸っていたクリスティーナだったけれども、静かに近づいた声にパッと目を開ける。
「――ここに来てひと月くらいは、一日中泣いてばっかだったよ。あんたを恋しがって」
『あんた』でクリスティーナに向けて顎をしゃくりながら、老婆が言った。
「あの子が、世話をしてくれって手紙と一緒にその人送り付けてきてさ。まあ、手はかからん人だし、世話賃もたっぷりもらってるからいいんだけど。日がな一日泣き暮らされるのは気が滅入ったけどね」
『あの子』とは誰だろう。
ここにエリーゼを連れてきたのは、父のはず。
その疑問を、クリスティーナはそのまま口にした。
「あの子、とは、どなたですか?」
「ああ、あんたの父親だよ。コディ――コデルロスだ」
ずいぶんと親し気な老婆の言い方に、クリスティーナは目をしばたたかせた。
「あの、父とはどういうご関係でしょう」
今初めて、そこに思い至る。
考えてみたら、縁もゆかりもない人のところにポイと投げるように妻を任せるのもおかしな話だ。父に親戚がいるという話は、ついぞ聞いたことがないけれども。
眉をひそめているクリスティーナに、老婆は肩を竦めた。
「コディはこの村にいたんだよ、子どもの頃」
「ここに、ですか?」
「ああ。母親に連れられてフラッとやって来たのが三つかそこらの頃かいな。それから一年か二年かして母親の方はまた姿を消してね。あの子だけ残ったんだ。放っておくわけにもいかないからうちの母親が引き取って、村の雑用させて食い扶持稼がせてたんじゃないかな。あたしもまだ子どもだったからあんまり覚えてないけどね、遊んでるところは見たことがなかった気がするよ。いつも何かしら仕事して」
コデルロスの生い立ちを知らなかったクリスティーナは、言葉を失った。彼女にとって父は父として存在していて、どうやってあの父になったかなど、頭の片隅でも考えたことがなかった。
思わぬ父の身の上話に呆然としていたクリスティーナは先を促す言葉もかけられずにいたけれど、反応のない彼女に構わず老婆は淡々と続ける。
「十をいくつか過ぎたくらいでこの村から出て行ってね、それから十年かもう少しくらいしてからかな、急にやってきて、あたしの母さんにこの家を建ててくれたんだ。昔あの子の世話をしてた時にかかった分の支払いだとかなんとか言って。母さんが死んでからはあたし一人で暮らしてたんだけど、そうしたら、あの人を寄越したんだよ」
そこで彼女はハア、と息をついた。
「来た時から『はい』くらいしか言わない人だったけど、だんだん、それすらなくなってね。今じゃ、食べて寝てしかしないよ。それ以外は、ずっとああやって人形抱いて歌うたってる」
「医者には診せたのか?」
低い声で尋ねたマクシミリアンに、老婆はまた肩を竦めた。
「別に、身体にゃ悪いとこないんだし。医者がどうこうできるもんでもないだろ。なんか、こうなってからの方が結構幸せそうだしね。少なくとも、泣き暮らすことはなくなったよ」
――『幸せ』そう。
老婆のその言葉に、クリスティーナは唇を噛み締めた。マクシミリアンから離れ、エリーゼの前にしゃがみ込む。そうして、下からすくうように母の顔を覗き込む。
そうやっても、やっぱり彼女の視線も表情も、動かなかった。
(今、本当に、お母さまはお幸せなのですか?)
確かに、穏やかな顔だ。
彼女がこれで幸せだというのなら、このまま、そっとしておくのがいいのかもしれない。
けれども。
「わたくしは、お母さまに見ていただきたい」
ポロリと、クリスティーナの口からこぼれた。
見て欲しい。ここにいる、幸せでいる自分の姿を。
目を合わせて、今現実に存在している『クリスティーナ』がいることを、知って欲しい。
せっかく母が築いた安寧の小部屋から彼女を引きずり出したいと願うことは、間違っているだろうか。
クリスティーナは手を伸ばし、人形を抱くエリーゼの手の甲にそっと触れた。
何も、反応はない。
この手に、触れて欲しい。
触れたら応えて、手を握り返して欲しい。
目を合わせて、微笑んで、声を聴かせてほしい。
(そう願うのは、いけないこと?)
そのクリスティーナの心の中での問いに、マクシミリアンが答える。
「連れて帰ろう」
「え」
振り仰ぐと、彼は数歩近付き、彼女の前にひざまずいた。
「母上はストレイフの屋敷に連れて帰る」
「マクシミリアンさま……」
「この人は貴女の母上だ。それに、貴女に逢いたがっていてこんなふうになったのなら、一緒にいた方がまだ回復する見込みがあるだろう」
「でも、一緒に暮らしたとしても、お母さまには、きっとわたくしのことがお判りになりません。お別れしたのが赤ちゃんの頃ですから」
「そのうち解かるようになる」
迷いなく、彼は言いきった。
その揺るぎない自信はいったいどこから湧いてくるのだろうと思いながらも、クリスティーナの胸が熱くなった。視界が滲んで、溢れた涙がコロリと頬を伝い落ちる。
「……ありがとうございます」
すん、とクリスティーナが小さく鼻をすすると、マクシミリアンが眉間にしわを刻んだ。
「礼はいらない。だが――」
彼が口ごもる。
微かに目を泳がせたマクシミリアンに、クリスティーナは首をかしげる。
「『だが』?」
いつもよりも高さの差がない真っ直ぐな目線でクリスティーナに凝視され、彼は気まずげにギュッと唇を引き結んでから、またそれを開いた。
「泣き止んでくれ。貴女が泣くのを見るのは嫌いだ」
本当に不本意気にムスッと言うから、思わずクリスティーナは瞬きをして、その拍子にまた涙が転げ落ちた。
「これは、悲しいとかではないですよ?」
「それでも、泣いて欲しくない。貴女には笑っていて欲しい」
子どものように要求を突きつける。
そんなマクシミリアンに、クリスティーナの顔には自然と笑顔が広がっていく。月下で優しく咲く大輪の花がほころぶのにも似た彼女の微笑みを、マクシミリアンは束の間凝視した。彼はそうしなければ彼女の笑顔を壊してしまうとでも思っているかのように息を詰め、そして、そろそろと吐息をこぼす。
「それがいい」
彼は囁き、穏やかだけれども確かな微笑みを、返してくれた。
1
お気に入りに追加
203
あなたにおすすめの小説
【完結】王子妃になりたくないと願ったら純潔を散らされました
ユユ
恋愛
毎夜天使が私を犯す。
それは王家から婚約の打診があったときから
始まった。
体の弱い父を領地で支えながら暮らす母。
2人は私の異変に気付くこともない。
こんなこと誰にも言えない。
彼の支配から逃れなくてはならないのに
侯爵家のキングは私を放さない。
* 作り話です
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
【完結】【R18】これから、白いドアを開けて体験授業に挑みますっ!
にじくす まさしよ
恋愛
R18です。
少子化が進んだ上に、男女比までもバランスを崩した世界。
昔は、ほぼ1:1だったはずが、1,2:1、1,5:1、2:1、と男の数が増えてきていた。
ついには5:1となり、女児の減少が著しくなったため、誘拐などが横行した。小さな村では戦いが起こるほど。
各国はこの事態を重く受け止め解消するべく、男女雇用機会均等法ならぬ、男女比率均等法を発令。
それは、女児の保護並びに出生をコントロールするためのもので、満20歳までにパートナーを3人以上見つけるために施行された世界共通の法律である。
子供たちは、基本的に両親によって20までにパートナーを宛がわれるが、出来なかった場合の救済がある。
そのための体験授業に、マリアは強制参加させられる事に。
因みに拒否権はない。拒否などしようものなら、このシステムでもあぶれてしまう不特定多数の男たちが、そういう目的で通う施設に行かされる。そこは、一日最大10人も相手にしないと行けないという過酷な場所なのだ。
マリアは、昔ながらの一夫一妻に憧れており、3人も夫を持つことにどうしても納得がいかない。
授業の場所に続く白いドアを、不本意ながらそっと開けると、そこにいたのは──?
タグに地雷がある方はバックお願いします。
【完結】夫の愛人達は幼妻からの寵愛を欲する
ユユ
恋愛
隣国の戦争に巻き込まれて従属国扱いになり、政略結婚を強いられた。
夫となる戦勝国の将軍は、妻を持たず夜伽の女を囲う男だった。
嫁いでみると 何故か愛人達は私の寵愛を欲しがるようになる。
* 作り話です
* R18は多少有り
* 掲載は 火・木・日曜日
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
白い結婚なんてお断りですわ! DT騎士団長様の秘密の執愛
月夜野繭
恋愛
憧れの騎士団長様と結婚した公爵令嬢のミルドレッド。
甘々な新婚生活を送るはずだったのに、なぜか夫のクリストフが一度も抱いてくれない。
愛のない政略結婚だから……?
12歳も年下だから?
それとも、身長差が40センチもあるから?
でも、このまま白い結婚になんてさせないわ!
ミルドレッドはひそかに手に入れた媚薬を彼に飲ませようとして――。
年の差&体格差夫婦の溺愛ラブコメディ。
英雄になった夫が妻子と帰還するそうです
白野佑奈
恋愛
初夜もなく戦場へ向かった夫。それから5年。
愛する彼の為に必死に留守を守ってきたけれど、戦場で『英雄』になった彼には、すでに妻子がいて、王命により離婚することに。
好きだからこそ王命に従うしかない。大人しく離縁して、実家の領地で暮らすことになったのに。
今、目の前にいる人は誰なのだろう?
ヤンデレ激愛系ヒーローと、周囲に翻弄される流され系ヒロインです。
珍しくもちょっとだけ切ない系を目指してみました(恥)
ざまぁが少々キツイので、※がついています。苦手な方はご注意下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる