放蕩貴族と銀の天使

トウリン

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第一部『地上に舞い降りた天使は護り手など必要としない。』

天使に貢物は通じない①

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 道すがら、ブライアンは考える。
 天使を微笑ませるには、いったい何をしたら良いのだろう、と。
 彼がウィリスサイドの猫の目亭に日参するようになってから、今日で十日目だ。
 十日前にアンジェリカと初めて目と目を合わせ、言葉を交わしたわけなのだが、ブライアンは、未だに彼女から笑顔の一つも引き出せていない。
 何がいけないのだろう。今まで、彼の前で微笑まない女性はいなかったのだが。
 首を捻りつつ、ブライアンは十日前からのことを振り返った。

   *

「私に用とは、何なのだ?」
 涼やかな声で堅苦しくそう問いかけられて。
「初めまして、僕はブライアン・ラザフォードというんだ」
 初めて猫の目亭を訪れたあの日、間近で真正面からまともに目を合わせてくれたアンジェリカに見惚れながら彼は名乗り、にっこりと笑いかけた。

 途端、ほんの少し、あれほど彼女のことを凝視していなければ気付かなかったであろうというほど、ほんの少しだけ、菫色の瞳が動いた。

 ブライアンが名前を告げたあの時、人形のように整った清楚な彼女の表情は、確かに、動きを見せたのだ。

「ラザフォード? 伯爵の?」
「知っているの?」
 ラザフォード家は貴族の中でもかなり金持ちの方だから、庶民が知っていてもおかしくない。ブライアンは少しばかりがっかりしながらも、これで話が早くなる、と気が楽になった。彼が裕福だと判れば、彼女の見る目も変わるだろうと思ったから。

 だが、しかし。

「知っている」

 短い応《いら》え。
 待ったけれども、その続きが来ない。

「えっと、……知っているんだよね?」
 にこりともしないアンジェリカに戸惑いつつ、ブライアンは念を押した。すると、彼女はまた頷いた。
「知っている」

 そして、また、問いが。

「それで、あなたは、私に、何の用だ?」

 何の用かと言われても、ただ、彼女に逢いに来ただけなのだ。逢いに来さえすれば、ブライアンは、アンジェリカの方から何か反応があると思っていた。そこそこ見栄えのいい金持ちが会いにくれば、女性は喜ぶものだろう、と。

「用、は、特には……」
 予想が外れたブライアンがしどろもどろに答えれば、怪訝そうな顔が返ってきた。
「ないのか? それなら、私は仕事に戻らせてもらう」
 そう言い残し、あっさりと彼女は行ってしまった。

 無意識のうちに彼女を引き留めようと手が上がったものの声は出ず、半ば呆然として優美なその背を見送るブライアンの耳に、フフンとせせら嗤いが届く。そちらへ目を遣れば、コニーと呼ばれていた娘が妙に得意げな笑みを浮かべていた。
「アンジーの見た目に寄ってくる男なんか、珍しくもなんともないんだからね。ちょっとくらいカッコ良くてお金持ちでも、あの子はあんたのことなんて相手にしないわよ。諦めてさっさと帰ったら?」
 どこか子どもっぽいしゃべり方だ。容姿も身体つきも色気もアンジェリカよりも年上のように見えるが、実は彼女よりも年下なのかもしれない。

 そんなコニーに、気を取り直したブライアンはにっこりと笑って返した。
「まだ僕のことをよく知らないから相手にしてくれないんだってこともあるだろう? 知ってもらったら、好きになってもらえるかもしれないじゃないか」
 途端にコニーの笑みが消え、ムッと唇を引き結ぶ。
「そんなこと、絶対、ない! おじさんよりガブリエルの方がずっとカッコいいし、ブラッドの方が頼りになるし!」
「え?」
 言い捨てたコニーは明らかに男のものと思われる名前を二つも残したにもかかわらず、ブライアンが問い返す余裕も与えず厨房に戻っていってしまった。

(ガブリエル? ブラッド?)
 何だろう、その二つの名前を繰り返してみたら、やけに胸の中がモヤモヤする。

 その後コニーが料理を運んできてくれたが、夕食時になって混み始めた店内で彼女の邪魔をするわけにもいかず、『ガブリエル』と『ブラッド』については有耶無耶のままになってしまった。

 もしや、恋人だろうか。
 いや、いてもおかしくはない。
 だが、他に誰かいようとも、ブライアンには関係がない。
 あれほど清楚で可憐ではかなげなアンジェリカなのだから、誰か庇護する者は必要だろう。確かに彼の目の前で二人の男をあっという間に組み伏せてしまったが、それでも、彼女はか弱い女性だ。許されるならば、自分も彼女を守る者になりたい。

 ――いや、なってみせる。
 
 決意を新たにしたブライアンは差し当たってアンジェリカの気を引こうと、翌日は両腕に抱えきるのも難儀するほどの深紅の薔薇の花束を贈ってみた。
 女性で、花を贈られて喜ばない女性はいない。花束が大きければ大きいほど、女性の笑顔も大きくなるものだ。

 当然、アンジェリカも、満面の笑みで輝かんばかりになるものと思っていた。

 だが、しかし。

「……ありがとう」
 薄い反応で花を受け取り、厨房に引っ込んでしまった。
 翌日訪れたら店のテーブル全てに一輪ずつ活けてあって、ブライアンは少し妙な気分になった。何というのか、ふわふわ浮いているところをグッと地面に押し付けられたような……とにかく、今まであまり味わったことのない感覚だ。

 もしかして薔薇があまり好きではないのかと、翌日は百合を持ってきてみた。確かに、深紅の薔薇よりも純白の百合の方がアンジェリカには似合う。
 ブライアンが差し出した百合の花束を受け取った彼女の麗しさは幻想的の域で、彼は自らの審美眼の確かさに悦に入った。

 だが、しかし。

「……ありがとう」
 薄い反応に微かな眉間のしわが加わったものの、他に表情の変化はなく、ましてや笑顔など一欠片も浮かべることもなく、行ってしまった。

 その後もとっかえひっかえ色々な花を試したがどれも期待した反応を引き出すことはなく、ついに三日前、アンジェリカに言われてしまった。

「料理屋には、香りの強い花は合わない」
 ――と。

 そもそも、店の為に持ってきたわけではないのだが、もしかしたら、婉曲な断りの言葉だったのかもしれない。
 そうだ、きっと、花はそれほど好きではないのだ。だから、笑ってくれなかったのに違いない。

 通い始めて一週間以上過ぎてからようやくそれに気付いたブライアンは、今度は別のものにしてみたのだが。

(これなら、きっと彼女も気に入るに違いない)
 そう確信している彼は、胸ポケットに入れてある包みを思い浮かべて自分自身に頷いてみせる。ついでに、包みから出したそれを見てパッと顔を輝かせるアンジェリカも想像してみた。

(よし、イケる――はずだ)

 角を曲がれば、猫の目亭の看板が目に入る。

(今日こそは、彼女の笑顔を見てみせる)

 勢い込んで、ブライアンは店の扉を押し開けた。
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