あなたの心に触れたくて

トウリン

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招かれざる客②

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 ストレイフ家で開かれた、日頃尽力してくれている人たちへの慰労のためのパーティーは、とても和気あいあいとした楽しいものだった。

 夫婦で開く初めての催しなので父のコデルロスにも招待状を送ったけれど、その主旨を伝えた為か、彼からは短い断りの手紙が返ってきただけだった。
 来て欲しいと願いつつ、きっと断るだろうと思っていたクリスティーナはさほど落胆せずにいる。それに、もしも招待に応じてくれても、こんなふうに『使用人』が自由に振舞っているのを父が目にしたらあまり良い結果にはならなかったかもしれない。
 むしろ、お互いに不快な思いをしないためには、断ってくれて良かったのだろう。

 クリスティーナは、そう気持ちを切り替えることにした。そうして、広間に目を戻す。

 パーティーが始まるとすぐに、マクシミリアンは皆の前でクリスティーナを紹介した。もちろん、屋敷の中で働く人たちは彼女のことを充分に知り尽くしていたけれど、パーティーの参加者の大半はマクシミリアンの仕事仲間で、ごくごくわずか――屋敷に書類を届けに来た数人――を除けば初対面だ。
 父の取引相手に笑顔を振り撒いていれば良かったのとは、違う。
 マクシミリアンの仕事仲間には、クリスティーナ個人に対して好意を持って欲しかった。
 元々あまり人前に立つのが得手ではない上にその気負いが輪をかけて、最初のうちは、ガチガチに肩を強張らせていた。けれど、皆屈託なく彼女のことを受け入れてくれたから、その緊張もあっという間に消え失せた。

 マクシミリアンの短い挨拶が終わるとすぐにクリスティーナはピアノの前に引っ張っていかれて、早々に彼とは離されてしまったけれど、心細さを感じる暇もなくパーティーの楽しい空気に呑み込まれてしまった。
 フロアいっぱいに溢れる者たちは、奏でられる音楽に乗って思い思いに身体を動かしている。型にはまったものではないそのダンスはただただ明るく元気で、ひたすら楽しそうで、その中に交じっていないクリスティーナも気分が浮き立ってくる。

 最初は一曲だけ、と思っていたのに、気付くとクリスティーナは促されるままに立て続けに何曲もこなしてしまっていた。さすがにだるくなった手を休ませるために彼女が立ち上がると、すかさず椅子に腰を下ろした若い男性が代わりに鍵盤を叩き出す。
 クリスティーナよりは年上で、マクシミリアンよりはいくつか年下くらい。男性はそこに佇んだままの彼女に、手を止めることはせず、ニコリと笑った。
「ありがとうございました」
 何に対しての礼なのだろうとクリスティーナは首を傾げたけれど、奏でられる曲に気を取られて、その疑問はすぐに頭の中から飛んで行ってしまった。
 彼が弾き始めた曲を、クリスティーナは聴いたことがない。
 技巧を凝らしたものではないけれどとても陽気で、まさにダンスの為の曲、という感じだ。

 しばらく弾き手の運指に見入っていたクリスティーナは、ふとマクシミリアンはどうしているのだろうと気になった。

 ぐるりと辺りを見渡しただけでは、見出せない。
 広間は広く、人はとても多いけれども、彼は他の人よりも頭半分は背が高いから、すぐに見つけられるはず。
 そう思ったのに、いない。

(どちらに……?)
 マクシミリアンの姿を求めて歩き出したクリスティーナの肩が、ポンと叩かれた。

(マクシミリアンさま?)
 期待で顔を輝かせてパッと振り返るとそこにいたのは彼ではなくて、笑顔が中途半端になってしまう。

「クリスティーナ様、ピアノをありがとうございました。みんなすごく喜んでましたよ――と、なんだか、がっかりしてません?」
 もちろん、クリスティーナの落胆は鋭いアルマンにはすぐに見抜かれてしまう。彼女は頬を染め、ごまかすように微笑んだ。
「少しでも皆さんに楽しんでいただけたなら、わたくしもうれしいです」
「少しでも、だなんて、そんな。大好評ですよ。ああ、でも、今、ピアノを弾いている彼、彼が一番喜んでいたかもしれませんね。今までは専ら彼の役目だったんですけど、今回はどうしてもダンスに誘いたかった子がいたそうで。クリスティーナ様のお陰で、無事、念願叶ったみたいですよ」
「まあ……」
 そんなことが、とピアノの方へと目を遣ると、さっきまでクリスティーナが立っていたところに別の女性が佇んでいた。彼はピアノを弾き続けながらその人と笑顔を交わしている。
 その笑顔を見ていると、クリスティーナの胸までふわりと温かくなった。

「また、代わって差し上げた方がいいかしら」
「いいえぇ。彼も彼女にイイところ見せたいでしょうから。あれはあれでいいんですよ」
 アルマンの返事に、クリスティーナはもう一度二人を見遣った。
 確かに、楽し気に笑み交わす彼らは、ダンスの輪に入れないことに不満を抱いているようには見えない。

(大事な人といられれば、それでいいのかもしれない)
 そんなふうに思って、クリスティーナは不意にマクシミリアンのことが気になった。というよりも、彼の傍に行きたくなった、と言うべきか。

「ねぇ、アルマン。あの、マクシミリアンさまをお見かけした?」
 際立つはずの彼の姿をまた目で探しながら、彼女はアルマンに問いかけた。
 すぐには返事が来ない。
 アルマンに目を向けると、彼は少し困ったような顔をしている。

「アルマン?」
「あの方は、いつもしばらくするとふらりと姿を消してしまいます。マクシミリアン様が先代からこの事業を引き継いでから毎年この会を開いていますが、開会のお言葉をくださると、それからはもうどこかに行かれてしまって。そうですね、書斎にいらっしゃったこともありますし、庭にいらっしゃったこともありますし」
「お庭……この寒い時期に?」
「ええ。今年はクリスティーナ様がピアノをお弾きになりますし、ここにおられると思っていたのですが……ああ、でも、しばらくはいらっしゃいましたよ。いつもよりは、長く留まっておられました」

 残念そうな、アルマンの顔。

 クリスティーナはベランダの外に目を向けた。
 暗闇の中にチラチラと白いものが舞うのが見える。
(お庭に、いらっしゃるのかしら)
 そう思った瞬間、雪空の中で独り佇むマクシミリアンの姿が脳裏に浮かんだ。不意に、居ても立ってもいられなくなる。

「わたくし、その、少し席を外してもよいかしら」
 そわそわと両手を胸の前で組んでクリスティーナが訊ねると、アルマンはしばし彼女を見つめてから頷いた。

「構いませんよ。皆、勝手に飲み食い踊りをしてますから」
「ありがとう」
 一刻も早くマクシミリアンを見つけ出したくて、感謝の一言もそこそこに身を翻し、クリスティーナはその場を後にしようとした。その彼女を、アルマンの静かな声が引き留める。

「奥様」
 普段聞き慣れない呼び方に、クリスティーナは肩越しに振り返った。首をかしげる彼女を、アルマンがその呼び方と同じくらい見慣れぬ生真面目な眼差しで見つめ返してくる。

「僕はあの人の一番傍に仕えてきたと自負していますが、それでも、国の東の端と西の端にいるんじゃないかと思うくらい、未だに距離を感じます」

 唐突な告白に、クリスティーナは眉をひそめる。
(アルマン、でも?)
 マクシミリアンとの間に隔たりを覚えているのは自分だけなのかと思っていたけれど。

 彼の言葉にどう返していいのか判らずにいるクリスティーナに、アルマンはニコリと笑った。
「でもね、最近のあの方は、ちょっとばかし綻びができ始めている気がするんですよ」
「綻び?」
「そう。あるいは、『隙』かな」
 頷き、アルマンは親指と人差し指で小さな小さな隙間を作る。
「こんなくらいしかありませんどね、でも、鉄壁の要塞が、たまに揺らいでます――クリスティーナ様といる時にだけ」
「わたくし、といる時だけ」
 言われたことを繰り返したけれど、彼女にはそうは思えなかった。自分が彼に何らかの影響力を持っているとは、思えない。

 疑いの眼差しでアルマンを見返すクリスティーナに、彼は静かに微笑んだ。

「どうか、あの方に『楽しい』という感情を覚えさせてあげてください」

 深い響きを持つ声での、願い。
 けれど、乞われても、果たしてクリスティーナに成し遂げられるものだろうか。

「それは……わたくしにできることでしょうか」
 心許なく彼女がつぶやくと、即座に返事が来る。
「多分、クリスティーナ様にしかできませんよ」

 ずいぶんと自信満々な風情だけれど、その自信は、一体どこから来るのだろう。
 ムッとアルマンを睨むと、彼はニヤリと笑った。それは、いつもの、どこかからかいを含んだような笑顔で。
「あの方もまだ三十五ですからね。これから生きても、まだまだ人生取り戻せますから」
 一転、軽い口調で、まるで、今までのマクシミリアンの人生が有意義なものではなかったかのような言い方をすると、アルマンはクリスティーナの肩を回して広間の扉がある方へと向ける。

「さあ、マクシミリアン様を探しに行ってあげてくださいな」
 その台詞と共にそっと背中を押されて、クリスティーナは一歩を踏み出した。
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