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触れたくて、触れられなくて◇サイドA

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 セレスティアさまのお屋敷で開かれるその会を、あの方は、お仕事関係の方々が集まるものだとおっしゃっておられました。
 そうお聞きしていましたので、来られるのは、アシュレイさんやアメリアさんのようなお立場の方ばかりだと思っていたのです。
 ですから、わたしは、今目の前に立っておられるそのお姿をただただ見つめることしかできませんでした。

 そう、ちょっと手を伸ばしたら届きそうなほどの所に立っておられる、旦那さまのお姿を。

 セレスティアさまは、旦那さまはとてもおやつれになったとおっしゃっていましたが、わたしの目には以前と同じお姿に見受けられます。

 セレスティアさまのお話をうかがったとき、わたしはとても心配しました。心配したし、後悔して、申し訳無さに駆られました。

 それなのに。

 確かにほんの少し、お痩せになったかも知れませんが、『やつれた』という感じではありません。わたしがお屋敷を出た時と変わらず、ちゃんとされておられます。

 艶やかな金色の髪と、夏空のような青い瞳。
 どちらも、最後にお会いした時と同じようにキラキラしています。
 ホッとして足の力が抜けてしまいそうなほど変わりのない、旦那さま。

 目が合ってしまうと息が詰まるような感覚に襲われて、頭がふわふわしてきました。

 何故、こんなふうになってしまうのでしょうか……

 二ヶ月ぶりにお逢いしたから?
 けれど、旦那さまが二年ぶりにお戻りになられた時は、こんなことはありませんでした。離れていた期間も今回のほうが遥かに短いのに、いったい何が違うのでしょう。

 心配が強かった反動?
 この二ヶ月間、ずっと、これまでにないほど旦那さまのことを考えていました。
 戦争に行っておられた時よりも、考えていたかもしれません。
 あの頃は、毎日お怪我はないかしらとか、ご病気になっていないかしらとか、そういうことを始終案じておりました。

 では、この二ヶ月は?

 この二ヶ月は――

「エイミー?」
 喧騒の中なのにはっきりと聴こえる静かな声で名前を呼ばれて、グルグルと回り続けていたわたしの頭の中が、ピタリと止まりました。

 どこかためらっておられるようにも聴こえる、優しいお声。
 この二ヶ月の間、夢の中でしか聴かれなかった、懐かしい、お声。

 旦那さまが名前を呼んでくださったのに、わたしはお応えすることができなくて。

「エイミー」
 もう一度呼ばれて、ようやく自分を取り戻しました。

 どうしましょう。
 わたしはまだ、お逢いできるような気持ちになっていませんのに。
 謝罪とか説明とか、何か申し上げなければいけないのは判っていますが、何も言葉が思い浮かびません。
 今すぐこの場から逃げ出したくなりましたが、鎖のような旦那さまの視線に捉えられて一歩も動けませんでした。

「……旦那さま」
 そうしようとしたつもりはないのに、勝手に舌が動いてしまいます。途端、旦那さまはめまいでも起きたかのようにギュッと目をつぶられました。

 やっぱりお加減がよろしくないのでしょうか。
 思わず伸ばしてしまった手が、危うく旦那さまに触れそうになりました。そうなる寸前に我に返ってすぐに下げようとしましたが、さっと伸びてきた旦那さまの手に捉まってしまいます。

 セレスティアさまから頂いたドレスの袖は肘までで、レースの手袋は手首までで。
 旦那さまの手はその間の何も覆うものがないところを掴んでいて、旦那さまがはいている絹の手袋を通して、温もりがわたしの肌にじわりと染みこんできました。

 一瞬ギュッと強く掴まれて、緩んで、そっと包み込まれている程度に。

 わたしが一歩下がればすぐに解けそうな力です。
 けれど、動けませんでした。
 旦那さまから離れたいと思うのに、離れなければいけないと思うのに、ほんの一歩も動けません。

 真っ青な目をただただ見つめ返すことしかできないわたしを旦那さまも黙って見下ろしておられます。
 わたしを見つめていた旦那さまは、何かおっしゃりたげに口を開きかけ、また、引き結びました。
 そして、不意に、歩き出されたのです――わたしの腕を掴んだまま。

 唐突ではありましたが乱暴ではなかったので、わたしも自然と足が動いてしまいました。黙々と人の中を進む旦那さまの背中を見ながら、言いようのない胸苦しさを覚えながら、ついていきます。
 それほど広くはないホールですのですぐに扉まで辿り着き、廊下に出ることができました。

 旦那さまはこのお屋敷の中をよくご存じな様子で、迷いなく廊下を歩いていかれます。並ぶ扉の一つを開けるとわたしを中に入れ、背中で塞ぐようにして扉を閉められました。

 このお部屋は――図書室です。
 パーティーの日に図書室にいらっしゃる方などおられないでしょうから、確かにゆっくりとお話をするには最適なお部屋ですよね。
 では、旦那さまは、ここが図書室だと知っておられたのでしょうか……?
 どこに何のお部屋があるかご存じなほどに、このお屋敷に良く来られているのでしょうか……?

 わたしがここに移ってから、三日。
 その三日の間に旦那さまの姿をお見かけすることはありませんでしたけれど、間取りをお知りでなければこんなに真っ直ぐにお部屋を選べないはず。

 突然、胸がツキンと痛みました。

 旦那さまは扉に背を預けたまま、黙ってわたしを見ておられます。
 気まずくなるほど、マジマジと。
 目が合うと、キュゥッとみぞおちの辺りが苦しくなって。

 今、『おかしい』のは旦那さまではありません。わたしです。
 広間で再会した時からずっと、わたしは変です。自覚があります。自分が変であることに、戸惑っています。

 パーティーの喧騒はもう遠いもので、部屋の中には大きな柱時計が立てるコチコチという音だけが流れています。それを無意識のうちに数えていると、数が増すほどわたしの中に逃げ出したい気持ちが募っていきます。

「あの……」
 ――広間に戻りませんか。
 静けさに耐えかねてそう申し上げようとした時、ふらりと旦那さまが身体を起こされました。

 ゆっくりと近付いて来られるその足取りに気圧されて、思わず後ずさってしまいます。
 そんなわたしに気付かれて、旦那さまは立ち止まりました。
 どことなく困ったようなご様子を漂わせて、小さく首をかしげられます。

「座らないかい?」
「え?」
「足が痛くない? 踵のある靴は慣れていないだろう?」

 ……おっしゃるとおりですが、何故、お判りに?
 ドレスは爪先まで隠していて、わたしが何を履いているかなんて見えませんのに。

 旦那さまは思わず足元を見下ろしたわたしの目の前に三歩で来られ、背中に手を添え安楽椅子へと促されました。
 そうして一人掛けのそれにわたしを座らせると、旦那さまは向かい合う形でその場にひざまずかれます。

「旦那さまがお掛けに――」
 慌てて立ち上がろうとしましたが、旦那さまに両手を取られて押さえられ、中腰で止まってしまいました。
「いいから、座っておいで」
 中途半端な格好で立っているわけにもいかず、仕方がないのでまた柔らかな椅子へと腰を下ろします。わたしが座るとすぐに旦那さまは手を放されて、代わりに安楽椅子の肘掛けを握られました。

 わたしは所在なく宙に浮いてしまった自分の手を膝の上に落ち着かせます。旦那さまの両腕に囲まれる形でいるから目のやりどころがなくて、しばらくその手を見つめていました。
 けれど、額のあたりにひしひしと視線を感じます。
 どうにも耐えかねて、仕方なく顔を上げました。

 わたしが椅子で、旦那さまは床ですから、どうしても旦那さまを見下ろす形になってしまいます。
 とても、居心地が悪いです。
 ほんの少し身動ぎしただけでも膝が触れ合ってしまいそうな距離なので、真っ直ぐに見上げてこられる旦那さまの眼差しに耐えつつ、ジッと座っているしかありません。
 ずっとお傍にいた時にはあまり意識したことのなかったコロンの香りがとても甘くて、何だか少しクラクラしてきます。

 どれほどそうしていたか。

 不意に、旦那さまの唇がほころびました。
 柔らかなそのほほ笑みにトンと胸を突かれたような気がして、息が詰まります。
 旦那さまの笑顔なんて、見慣れているはず。
 でも、この胸の苦しさは全然慣れていなくて。

 とにかく、お元気そうで何よりです。笑顔を拝見できてうれしいです。ホッとしました。

 顔を伏せてそう思った時でした。
「君が元気そうでホッとしたよ」
 まるでわたしの胸の中でのそのつぶやきを繰り返すような、旦那さまの囁き声。
 パッと顔を上げると、わたしに注がれていた眼差しとまともに目が合ってしまいました。
 そこから、ピクリとも動けなくなってしまいます。
 吸い込まれてしまいそうな真っ青な瞳から目を逸らせずにいると、心持ち、肘掛けを握る旦那さまの手に力がこもりました。

 一瞬、グッと奥歯が噛み締められて、また笑顔になられます。
 今度は、少し、硬い感じで。

「週に一度の君の手紙は読んでいたけれど、やっぱりこうやって無事な姿を見ると、安心する」
 ――週に一度の手紙……? 旦那さまに……?
 記憶に無いことに眉をひそめていると、旦那さまは微笑まれました。
 スッと、その微笑みに吸い込まれるような、感覚。
 目眩のような。

「ねえ、僕がものすごく心配したってことは、判っているんだろうね?」

 それは、もちろん。

 声に出ていなかったわたしのその答えは何故かちゃんと伝わったようで、旦那さまの笑顔は苦笑に変わりました。
「だったら、戻ってきてくれたら良かったのに。僕の心配なんてどうでも良かった?」
 責める、とか、怒る、とかいうよりも、なんというか……拗ねていらっしゃるように聞こえてしまうのは、気のせいでしょうか。
 ある意味、とても旦那さまらしいそのご様子に、つい、わたしも口が滑ります。

「ですが、アシュレイさんからのお手紙では、段々と落ち着いてきていらっしゃるようでしたので、わたしは距離を置いていた方が良いのではないかと思って……」
「アシュレイ? バートンの、手紙?」
 訝しげにそう問い返されて、はたと思い出しました。

 確か、わたしがアシュレイさんを頼ったことは内緒にしておくようにとのことでした……

 どう言い繕おうかと懸命に考えましたが、わたしの言ったことはあまり旦那さまのお気を引かずに済んだようです。
「気にはしてくれていたんだね」

 ――やっぱり、拗ねていらっしゃいますか……?
 思わずまじまじと見つめてしまったわたしに、旦那さまは小さく咳払いをされました。

「まあ、とにかく、――僕が悪かった」

「……え?」

「僕が強引すぎた。確かに、君が僕から離れたのは正解だったよ。頭を冷やして考える時間ができたから」
 そのお言葉とは裏腹に、今は一向に離れてくださる気配はありません。
 むしろ、心なしか距離が縮まったような気がして、椅子の背もたれにギュッと背中を押し付けました。

 と、その時。

「もう、無理に戻って来いとは言わないよ」
 ヒュッと、息が、止まりました。
「違う、違うよ。それは絶対に違う。帰ってくるなと言っているんじゃない」
 慌てたように旦那さまはかぶりを振って肘掛けを放すと、わたしの両手を持ち上げました。そうして、右の甲、左の甲、と、順に唇に押し当てます。
 そこから広がる奇妙な熱と痺れに気を取られて、旦那さまのお言葉は一瞬で頭の中から吹き飛んでしまいました。
 わたしが黙ったままでいても旦那さまは気にしたふうもなくて、わたしの手をひっくり返すと、今度は手のひらに、同じことをされました。

 右と、左に。

 何だか腰のあたりがムズムズとくすぐったくて、たまりません。
 手を放していただきたいのに、旦那さまはわたしの指先をしっかりと掴まえて口元に持っていったまま、言葉を続けます。

「僕は今すぐにでも君に帰ってきて欲しい。でも、強制はしたくないんだ。それこそ、義理や義務では帰ってきて欲しくない。君が帰ってもいいと思えたら、その時に、帰ってきて欲しいんだ」
 そうおっしゃると、旦那さまは少し身を乗り出しながらわたしの手首を持ってそっとお引きになりました。
 わたしの指先が旦那さまに届いてしまっても、離してくださいません。
 失礼にならないようにさり気なく振りほどこうとしましたけれど、全然叶わなくて、わたしの手のひらは旦那さまの胸元にピタリと押し当てられてしまいました。
 旦那さまはわたしの手の上にご自身の手を重ねて、押さえ付けてこられます。きつくはありませんが、外せません。

「エイミー」
 つい、爪を立ててしまいそうになって、名前を呼ばれて我に返りました。

「エイミー、僕に触れているのは、嫌?」

 嫌――では、ありません。
 全然。
 ほんの少しも嫌ではありませんが、何となく、何となく……そう、怖い、です。
 伝わってくる旦那さまの鼓動は、力強くて、速くて――こんなに速くて、大丈夫なのでしょうか?

 眉をひそめて見返すと、旦那さまは少しお笑いになって、そしてとても真面目なお顔になりました。

「ねえ、エイミー。今から、すごく大事なことを訊きたいんだ」
 大事なこと……?
「――何でしょうか?」
 眉をひそめてお尋ねすると、旦那さまは大きく息を吸い込まれました。そして、吐き出されて。

「あのね、僕が君のことをどう想っているか、君は解かっている?」

 旦那さまが、わたしのことを?
「恩人の娘で、使用人で、保護しなければと思っていらっしゃいます」

「――――…………それだけ?」
「他に、ですか?」
 今回のわたしの勝手な行動にお怒り――ではないように見受けられます。

「とても、心配をお掛けしました。申し訳ありません」
「そうじゃなくて、いや、心配はすごくしたんだけど、そうじゃなくて……」
 旦那さまは天井を仰ぐとしばらくそのままでいて、また頭を元に戻して、溜息とも深呼吸ともつかない吐息をつかれました。

 そして、小さな咳払いを一つして。

「エイミー。僕はこれからものすごく大事なことを言うから、しっかりと聴いて欲しい」
 わたしはうなずきました。
 とは申しましても、今まで旦那さまのお言葉を疎かにしたことはありませんが。

 全身を耳にしてお言葉を待っていると、旦那さまはまた咳払いをされました。

「あのね、エイミー」
「はい」
「僕は君のことを女の子――いや、女性として、好きなんだよ」

 ……はい?

 今、とても奇妙な言葉を耳にしたような気がします。
 わたしが固まったままでいると、旦那さまは眉尻を下げて苦い笑いを浮かべられました。

「まさか、とは思っていたけど、本当にそうだったんだな」
 独り言のようにそうつぶやかれると、旦那さまは胸に押し付けていたわたしの手を握り直されました。少し痛いくらいの、力で。

「僕は、ずっと君が僕の気持ちを知っていると思っていたんだ。だけどそうではなかったんだね」
 青い目が、怖いほどに真剣なものになって。

 わたしは何故かそれ以上聴いてはいけないような気がしました。
 それ以上聴いてしまったら、今までとは何もかもが変わってしまうような、気がして。
 けれどわたしの両手は旦那さまに捉えられていて、逃げることも耳を塞ぐこともできません。

「旦那さま、あの――」
 とにかく何か言えば、旦那さまを止められる。
 そう思って発した声は、けれど、続けることができませんでした。
 力のないわたしのものとは全く違う、断固とした旦那さまの声に遮られてしまったから。
 旦那さまはチラリとも視線を動かさず、わたしの目を凝視しながら続けられます。
「僕は君を愛している。戦に行って、君いわく『おかしく』なる前から。ああ、先に言っておくけど、君のお父さんのことは関係ないからね。確かに彼は恩人だけど、それと君への想いは全く別の話だよ。僕は君が欲しいんだ。一生、僕だけのものにしておきたい。君が他の誰かのものになるなんて絶対に我慢できない」

 束の間、わたしの手を握る旦那さまの力が、とても、とても強くなりました。
 ――わたしの指先が白くなるほどに。

 旦那さまはすぐに気付かれて、謝罪のようにわたしの爪の先にそっと唇で触れられました。
 それがとても温かくて、心地良くて。

「僕は、ずっと君に触れたかった。片時も放していたくない。恩人の大事な娘に対してそんな事を考えるのは、むしろ間違いだろう? これは純粋に僕の我儘、それだけなんだ」
 それを最後に旦那さまはわたしの手を放して立ち上がり、三歩ほど下がられました。

 旦那さまのおっしゃったことに気を取られていて、そんな仕草がとても急で大きなことのように感じてしまいました。
 旦那さまに手を取られ、触れさせられていた時にはとても後ろめたいような気がして早く放していただきたかったのに、いざ離れてみると、まるで身体の一部をいっしょに持っていかれてしまったような心持ちになりました。

 こんなふうに感じるのは、不適切です。
 こんなふうに、放されない方が良かったと、感じてしまうのは。

 旦那さまのお言葉も、自分の中にある気持ちも、よく理解できなくて、わたしは空になった両手をきつく握り合わせました。
 そんなわたしと距離を置いたまま、旦那さまは首をかしげるようにして見つめてこられます。見返すわたしから目を逸らされないままその足が一歩こちらへと踏み出され、その手が持ち上がりました。

 また、捉まる……?
 思わずわたしが身構えると、旦那さまはギュッと握り込んだ拳を身体の両脇に下ろされました。

 そのお顔に浮かんだ微笑みは、どこか寂しげで。

 それを見た途端、つい、わたしの方から手を伸ばしてしまいそうになりました。
 そうしない為に、組み合わせた指に力を込めます。

「……僕が言ったことを、良く考えてみて欲しいんだ。それと、行方不明にはならないで欲しい。さっきも言ったように、無理矢理には連れ戻さないから」
 そうおっしゃった旦那さまのその時のご様子を目にしていれば、誰でもかぶりを振ることなどできなかったでしょう。
「わかりました」
 うなずいたわたしに旦那さまはホッと小さな息をつかれ、ほんの少しだけ頬を緩められました。

「約束だよ」

 そう残して。
 旦那さまはほとんど後ずさるようにして、図書室を出て行かれました。

 一人室内に残ったわたしは、旦那さまがおっしゃったことを、もう一度思い返してみました。

 突然の、お言葉。

 ……ですが、本当に『突然』だったのでしょうか?
 確かに言葉は、思いもよらない初めて知らされる内容のものでした。
 でも、旦那さまは、想い始めたのは「戦争に行く前から」とおっしゃっていました。

 でしたら、実際には、いつからのことなのでしょう。

 思い返してみても、わたしへの旦那さまの態度というものは、幼い頃からあまり変わっている気がしません。
 同じように、お優しくて、甘やかしてくださって。

 ――九歳の頃と、十九歳になった今と、違いはどこにあるのでしょうか。

 お声、眼差し、触れ方。
 まるきり同じに思えますが、改めて振り返ってみると、ただただ温かったそれらに、いつからか時折翳がよぎるようになってはいませんでしたか?
 わたしはそれに気付いていながら、どうしたのだろうと思いながら、見なかったふりをしていませんでしたか?

 旦那さまはわたしのことを『女性として』好意を抱いてくださっているとおっしゃりました。

 では、わたしが旦那さまに対して抱いている気持ちは、どういうものなのでしょう。

 わたしが思うのは、旦那さまのお傍にいて、旦那さまの幸せの手助けをさせていただきたいということ。

 それで、良いのでしょうか。
 それは、旦那さまが求めていらっしゃるものと、合致しているのでしょうか。

 わたしと旦那さまの見ているもの、求めているものが同じでなければ、きっと、お傍に居ても旦那さまを幸せにはできません。
 わたしが一番望んでいるものは旦那さまの幸せだというのに、このままではわたし自身がその妨げになってしまいます。

 ――良く、考えないと。

 旦那さまも「良く考えて欲しい」とおっしゃりました。
 わたしは、良く、考えないといけません。
 旦那さまの元へ帰るには、答えを出してからでないといけません。
 そうでなければ、お傍にいてはいけないでしょう?
 何も解かっていないわたしにも、あんなふうにおっしゃった旦那さまのお傍に今までのようにいるわけにはいかないということは、解かっていますから。

 ……ですが、いったい、何をどのように考えたら答えが出るものなのか、そもそもどんな答えが正解なのか。

 まずは、そこから始めなければ。

 そうは思っても全然先は見えなくて、わたしは柔らかな安楽椅子に身を沈め、深々と息を吐き出しました。
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