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真昼の対面◇サイドA

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 日曜日は、わたし達使用人がお休みをいただける日です。わたしはお仕事が無くてもたいていお屋敷で過ごして終わるのですが、今日はちょっと予定があるのです。

 お昼ご飯の後から午後のお茶の時間になるまで、二時間ほどの間の、お出かけ。
 このお出かけは、半年ほど前から、ひと月一回の習慣になりました。
 いつもは丸くまとめている髪は緩く三つ編みにして、服も、メイド仲間のドロシーさんのお古ではありますが、お仕着せではない、少し余分にレースが付いたドレスです。

 お屋敷の中には、使用人用の通路、使用人用の階段、使用人用の出入り口、そして使用人用の門があります。普通は、使うのは使用人だけです。
 ……使用人だけの筈なのですが。

 使用人用の門を抜けようとした、その時。

「出かけるのかい?」
 後ろからの呼びかけに足を止めて振り向くと、そこにおられたのは――
「旦那さま」

 何故こんな所に、という疑問をわたしが口にするよりも、旦那さまの方が速くて。

「どこに行くんだい? 僕も行くよ」
「あ、でも――」
 わたしが口ごもると、先に立って歩き始めていた旦那さまが振り返りました。
「何?」
「いえ」
 今日は、お墓参りに併せて、ブラッドさんとお会いすることになっているのですが……。

 どうしようかと思いながら旦那さまを見上げると、首をかしげるようにしてわたしを見返してこられます。まるで、一緒に行くのが当然、というお顔で。

 そうですね、ブラッドさんは良い方ですから、旦那さまも気晴らしになるかもしれません。
「父と母の所に行こうかと思いまして」
「ああ、墓地か。じゃあ、馬車を用意させよう」
 わたしの答えに、旦那さまはずいぶんと嬉しそうににっこりされてます。
 思わず、しげしげとそのお顔を見つめてしまいました。
「どうかしたかい、エイミー?」
 わたしが黙って立ち止っているからか、旦那さまは笑顔を消して、いぶかしげに眉をひそめています。こういう旦那さまは、ごくごく『普通』なのですよね。

 それこそ、どうかされてしまったのかしらと思ってしまった旦那さまの『求婚』から、もうひと月ほどになります。
 しばらくは何かとわたしのいる所に姿をお見せになったり、何かとわたしに触れてこられたりと、何となく変なご様子だったのですが、いつだったか、ある時から突然、少なくともわたしに対する行動に関しては、前のような旦那さまに戻られました。
 求婚についてもあれきり何もおっしゃってこられませんから、やっぱり一時の気の迷いというものだったのでしょう。
 このままご自身を取り戻してくださるなら、それに越したことはありません。

「エイミー?」
「何でもありません。参りましょう」
 わたしがそう言うと、旦那さまはパッと顔を明るくされて、わたしの手を取ってご自分の腕にかけさせました。

 ……やっぱり、微妙におかしい、ような。
 こういうのは、身分のあるご令嬢とかにされることでは?

 思わず手を引っ込めようとしたら、それより先に旦那さまの手が重なってきました。
「あの、旦那さま……?」
「何だい?」
 旦那さまは笑顔ですが――何となく、そこはかとなく、無言の圧力がかけられているような気がしてなりません。
「……何でもありません」
 視線を逸らしつつそう言うと、ほんの少し、旦那さまの手に力がこもりました。

 ――やっぱり、まだだいぶ、変かもしれません。

   *

 馬車の中での旦那さまはわたしのはす向かいに座って、何もおっしゃらずに窓の外を眺めていらっしゃいました。そうしている間はどこかよそよそしい素振りだったのに、墓地に着くと、旦那さまは先に降りてわたしに手を差し伸べてくださいました。

 別に、一人で降りられるのですが?

 とは言え、戸のすぐ外に立つ旦那さまを避けて降りることはできませんので、仕方なくその手に指先をのせます。
 降りたらすぐに離してくださるのかと思ったら、またそのまま旦那さまの腕に持っていかれてしまいました。
 屋敷の中なら旦那さまの酔狂なところは皆の知るところなので多少奇妙な行動をされても許されるかもしれませんが、外なのに使用人に対してこんなことをしていては、旦那さまが変な目で見られてしまいます。

 わたしは今度こそ手を引こうとしたのですが、旦那さまの胸と腕にガッチリと挟み込まれた指先は、ビクともしません。
 さりげなくそれを解こうとしてその場に立ち止っていたわたしに、旦那さまはまたニッコリと笑顔を向けてこられます。
「行かないの、エイミー?」
 そうやって歩くのが当然のこと、という顔をされてしまっては、わたしにイヤとは言えません。
「……参ります」
 釈然としないわたしとは裏腹に、旦那さまはやけに満足そうなのは何なのでしょう。
 まあ、少し前までのように唇であちこちに触れてこないだけ、マシと言えばマシなのですが……。
 旦那さまのお知り合いの方には見られていませんようにと祈りつつ、墓地の中を進みます。

 幸いにして墓地の中には人が少なく、いかにも貴族然とした旦那さまと、いかにも使用人なわたしが並んで歩いている様に奇異なものを見る目が向けられることはありませんでした。

 寛いでおられる旦那さまのお隣にいると、わたしの肩からも、だんだんと力が抜けていきます。
 春から夏へと移り変わろうとしているこの時期、下生えも、樹の葉も、青々と茂っています。空気の匂いも瑞々しくて、亡くなった方々が眠る場所だというのに新しい命が溢れています。
 旦那さまは、わたしの歩く速度に合わせてくださっているのでしょう。

 一歩一歩を踏みしめるように、サク、サク、と、ゆっくりと進む足音。
 おこがましいとは解かっていますが、誰かに見られることさえ気にしなければ、旦那さまに手を取られてこうやって歩いていることは、何だか心地良いとすら思えてしまいます。
 まだ幼い頃に手をつながれて歩いたのとは、少し違う近付き方で、くすぐったいような、面映ゆいような、感じ。
 もうわたしも子どもではないのですから、本当は離れて、数歩下がって歩かなければならないということは、よく解かっています。
 それなのにほとんど隙間なく寄り添ってしまうのは、旦那さまがピタリと引き寄せているから、です。
 ――……きっと。

「エイミー、ここじゃないのかい?」
 不意に耳に入ってきたその言葉に、わたしはハッと我に返りました。
「あ、はい」
 旦那さまのおっしゃる通り、いつの間にかお父さんとお母さんのお墓が並ぶ前まで来ていました。
「ボウッとしているなんて珍しいね」
 確かに、何も考えずに周りも確かめずに歩いてしまっていました。多分、すっかり旦那さまにお任せしてしまっていたのだと思います。けれど、そう明かしてしまうのは、何となくはばかられるような気がしました。
「え、いえ、……」
 ごまかそうとするわたしに、旦那さまがくすりと小さな笑い声を漏らされるから、いっそう気まずくなってしまいます。
 慌ててしまって固まったわたしの手を、旦那さまの方からそっと放してくださいました。

「それ、置かないのかい?」
「あ、はい」
 何だか、さっきから、間の抜けた同じような答えしかお返ししていないような気がします。
 いつものお墓参りになのに、なぜこんなに落ち着かない気分なのだろうと思いながら、わたしは膝を折ってしゃがみ込んで、先ほど旦那さまが目くばせされた庭師のダンカンさんからいただいておいた花を二つに分けて、お父さんとお母さん、それぞれの墓前にそっと供えました。

 目蓋を閉じて頭を垂れると、すぐ傍で衣擦れの音が聞こえました。
 そちらを見ると、旦那さまが、わたしが先ほどそうしていたように、目を閉じていらっしゃいます。
 そうされると、どこか厳しいお顔付きになってしまわれて。
 つきん、と、わたしの胸の奥辺りが微かに痛みました。それは、旦那さまがお戻りになられてから、ふとした拍子に覚えるようになった痛みです。この刺すような痛みだけではなくて、他にも、ギュッと絞られたりするような感じなこともあります。
 旦那さまがお傍にいない時には出ないので、病気というわけではないのでしょうが。
 多分、旦那さまのことが気がかりで、いわゆる『心が痛んでいる』のだと思います。

 わたしはもう一度目をつぶって、心を落ち着けて、胸の中でお父さんに語りかけました。
 旦那さまのお気持ちはどうやったら安らぐのでしょうか。
 わたしは、何をして差し上げたらよいのでしょう、と。
 真面目な旦那さまは良いのです。
 けれど、何かを思い悩んだり、過ぎてしまった、どうやっても取り戻せないことを思って打ち沈んだりしている旦那さまは、イヤなのです。
 それくらいなら、少しばかしいい加減な旦那さまの方が、良いと思えるくらいです。

 ふう、と小さく息をついて、わたしは目を開けました。
 と、まるでそれを待っていたかのように。

「もういいの?」
 パッとそちらを向くと今日の空のような真っ青な目が同じ高さにあって、何故か急に心臓がドキリと強く打ちました。何だったのか、一瞬詰まった息が戻ってくると胸の鼓動も普通になっていて、わたしはこっそり眉をひそめました。

 ――これは、あんまり今までなかった感覚な気がします。

 幸い、わたしのそんな奇妙な反応に、旦那さまはお気づきにならなかったようです。
「はい、もう結構です」
 頷きながらスカートの裾を払って立ち上がろうとすると、旦那さまはまた手を差し出してくださいました。

 ――やっぱり、その手を取らないわけにはいきませんよね。

 諦め半分で手を引かれて立ち上がると、来た時と同じように、その手は旦那さまの脇に挟み込まれてしまいました。
「じゃあ帰ろうか」
 そうおっしゃって歩き出した旦那さまに釣られかけましたが、三歩ほど進んだところで、わたしは大事な約束のことを思い出しました。

「あ、旦那さま、今日は人と会う約束があって……」
「約束?」
「はい。ブラッド・デッカーさんという、警官の方です。妹さんが、この墓地に……」
 ブラッドさんのお名前を口にした瞬間、旦那さまの目がほんの一瞬まるで矢尻か何かのように鋭くなったように思えたのは、気のせいでしょうか? そのせいで、つい、余計なことまで口にしてしまいそうになりました。
 ちょっと不自然な感じで言葉を切る形になりましたが、旦那さまはあまり気にしていらっしゃらないようです。

「僕も一緒にいていいのかな?」
 ニッコリと微笑まれて、そうおっしゃいました。

 ……微笑まれているのですが――何となく、目が笑っていません、旦那さま。

「是非とも、お会いになってください」
 そう答えはしたのですが、果たして、それが正しかったのでしょうか。
 自信はありませんでしたが、約束の時間もあるので、取り敢えずは行かないと。

 ブラッドさんとは、あの助けていただいた日をきっかけに、毎月の最後の日曜日にお逢いする約束をしました。
 とは言っても、ブラッドさんは休日もなくお忙しいお仕事です。日にちと時間だけ決めておいて、お逢いできればお話をする、できなければそのまま帰る、というふうにしていました。
 なので、今日いらっしゃるかどうかは、判りません。

 どうかしらと思いながら、待ち合わせの場所にしている大きな樹の下に行ってみると、果たして。

 ――いらっしゃいました。

 約束の樹は樹齢何百年だとかのとても大きなものなのですが、その下に、これまた大きな人影が佇んでいます。
 旦那さまの腕からするりと手を抜いて小走りに近寄っていくと、反対側を向いていたブラッドさんもわたしに気付いて振り返ってくださいました。

「エイミー」
「こんにちは、ブラッドさん」
 ブラッドさんは、よくよく見るとそうだと判る淡い笑みを浮かべて、わたしに片手を上げてくださいました。

 すぐ傍まで行くと、手を伸ばして、いつの間にか三つ編みから少しほつれてしまっていたわたしの髪を、耳にかけ直してくださいます。
 この墓地にはブラッドさんの妹さんも眠っておられるのですが、生きていらっしゃったらちょうどわたしと同じくらいの年なのだそうです。だからでしょうか、良くこんなふうにされます。

 ――そう言えば、相手がブラッドさんの時も、触れられて心臓が変になったりすることはありませんね。
 ふと、そんなことに気付きました。

 最近、旦那さまのお傍にいると生じるようになった動悸や胸痛や呼吸困難のようなものは、ブラッドさんとお逢いしている時には感じたことがありません。
 お屋敷の、他の方がお相手でも、大丈夫なのです。
 違いは、なんなのでしょう。
 うつむき加減で内心で首をかしげていると、顎に指先を引っかけるようにして、ブラッドさんがわたしの顔を持ち上げました。
 かなり大きな方なので、目と目を合わせるにはだいぶ頭を反らせなければなりません。

「元気そうだな」
「はい。ブラッドさんもお元気そうで」
 わたしがそう答えるとまた少し笑顔を深くしてくださいましたが、わたしの後ろを見ると不意にその笑みが消えてしまいました。
「で、あそこでオレを睨んでいるのは、誰だ?」
 後ろにいるのは旦那さまですが、『睨んでいる』?

 パッと振り向くと、笑顔の旦那さまです。初対面の相手を睨むような方ではない筈ですが……?
 わたしと目が合ったのをきっかけに、立ち止まっていた旦那さまもこちらに近寄って来られます。

 確かに微笑んでおられると思うのですが。

「エイミー、その方がデッカー氏かい? 紹介してもらっていいかな?」

 ――微笑んでおられます、よ、ね?

 ……なんだか、ちょっと、自信が無くなってきました。
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