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第一章:お母さんになりたい
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ついにその時がやってきた。
今、黄色と黒の卵の殻にはヒビが入り、中からコツコツと叩く音がしている。
マリーシアは両手を握り締めて、彼女の「可愛い赤ちゃん」が出てくるのを心待ちにしていた。その横で、出てきたものが、ほんの一筋でもマリーシアに危害を加えようとしたならば即座に叩き潰そうと、ギーベルグラントが身構えている。
ピキッと音がして、卵歯が覗く。
「頑張れ!」
マリーシアは拳を振って、声を上げた。まるで、初めて歩こうとしているこどもを励ます親のようだ。
ヒビ割れは次第に広がり、そして、卵はパカリと割れた。
出てきたものを見て、マリーシアが目を大きく見開く。
頭でっかちな為か、それは卵の殻から這い出そうとしてつんのめり、顎からペタリとうつ伏せになる。しばらくそのままでいたが、やがて鉤爪の付いた前足、いや翼をパタ付かせ、よっこらせとばかりに座り込んだ。ぽってりとした後ろ足を投げ出して、顔の四分の一はあろうかという大きな金色の目を、ぱちくりと瞬きさせる。
そう、それは、見事な、ワイバーンの縮小版だった。
ワイバーンは非常に凶暴な性格をしており、同類とでも繁殖期以外は死ぬまで戦う。基本的に卵は産み捨てで、孵化するかどうか、孵化した後に育つかどうかは、その個体の運にかかっている。食物連鎖の頂点に立ち、成体にはほぼ敵なしだが、その生態ゆえに繁殖しにくく、個体数は少ないのだ。
ワイバーンはキョロキョロと周囲を見回し、また大きく瞬きをした後、「キュイ」と鳴いた。以外に可愛らしいその声に、マリーシアの頬が染まる。
「可愛い……」
「え?」
ギーベルグラントは耳を疑った。どう見ても大きなトカゲだ。普通は、可愛いという表現に値しないだろう。しかし、思い返せば、マリーシアは爬虫類どころか昆虫までも可愛いと評する少女だった。
「可愛い……可愛い!」
その声にハッと気付いたギーベルグラントが止める間もなく、マリーシアはワイバーンを抱き上げていた。即座に喉笛を食いちぎられてもおかしくない暴挙だ。ギーベルグラントは慌てて両者を引き剥がそうとしたが、ワイバーンは全く凶暴さを見せず、それどころか、マリーシアの「可愛い」の連発に合わせて「キュイ」「キュイ」と鳴き続けている。まるで、彼女の声に反応しているかのようだった。
――マリーシアの事が判っているのか?
これまで知られているワイバーンの生態からすると、有り得ないことである。しかし、実際に、まるで、親鳥に懐く雛のように、ワイバーンは目を細めながらマリーシアに擦り寄っていた。
「マリーシア」
ギーベルグラントはマリーシアに手を伸ばす。
次の瞬間、幼いとはいえ曲がりなりにもワイバーンの強靭な顎が、寸前までギーベルグラントの手があった空間をバクリと噛んだ。わずかでも遅れていたら、彼の指先はワイバーンの腹におさまっていたかもしれない。
ワイバーンの凶悪な眼差しとギーベルグラントの絶対零度の眼差しが、激しく衝突する。
全ては、マリーシアの背後で起きたことである。
「ギイ?」
ワイバーンを抱えたまま、マリーシアがクルリと振り返る。そこにあるのは、いつもどおり穏やかに微笑むギーベルグラントの姿だった。
「マリーシア、重くないですか? 下ろした方がいいと思いますが」
さっさと始末してやる。
ギーベルグラントはマリーシアをにこやかに促しながら、そう内心で呟いた。
しかし、不隠な彼の考えなど思いもつかないマリーシアは、高らかに宣言する。
「ギイ、わたし、この子の名前はキュイにする!」
「飼うつもりですか!?」
「だって、わたしお母さんだし」
当たり前じゃない、と言わんばかりに、マリーシアが頷く。
「やっぱり、ちゃんと卵の中でもわたしの声が聞こえてたんだよ。だから、初めて会ったのに、ちゃんとお返事してくれるんだわ。ねえ、キュイ」
地面に下ろされたワイバーンは、よたよたと不恰好に歩きながら、マリーシアの脚に頭を擦り付ける。その様は、まさに甘える子どものものだった。
そして、やがてマリーシアから離れて茂みの方へと向かうと、昆虫を探し出し、ついばみ始めた。
「すごいね、もう自分でエサを捕るんだ」
「元々、親が子どもの世話をすることのない種ですから」
ギーベルグラントは、暗に、だから飼う必要はないのだと示す。けれども、マリーシアは少しうつむいてポツリと呟いた。
「何か、さびしいね」
「そういう種なんですよ。……マリーシアも、お母さんがいなくて寂しいですか?」
「んー……うん、ううん」
少しの迷いの後、マリーシアは首を振る。
「覚えてないんだけどね、何となく、もう会えない気がするの。それに、今は、わたしにはギイがいるからいいの。ギイって、お母さんみたいなんだもん」
「お母……そうですか……」
満開の笑顔でマリーシアに返された。慕われているのは嬉しいが、ギーベルグラントの胸中は複雑である。自分がこの少女とどのようなつながりを望んでいるのかは彼自身にもわからないが、少なくとも母親と娘ではない気がした。
そんなギーベルグラントの気持ちをよそに、マリーシアはニコニコと頬に笑窪を作りながら餌を漁るワイバーンを見守っている。
まあ、いいか。
マリーシアの全開の笑顔を見ていられるならば、もう少しの間、母親役を兼ねているのも悪くない。
ギーベルグラントは、半ば諦め、半ば喜びの気持ちで、小さく呟いた。
今、黄色と黒の卵の殻にはヒビが入り、中からコツコツと叩く音がしている。
マリーシアは両手を握り締めて、彼女の「可愛い赤ちゃん」が出てくるのを心待ちにしていた。その横で、出てきたものが、ほんの一筋でもマリーシアに危害を加えようとしたならば即座に叩き潰そうと、ギーベルグラントが身構えている。
ピキッと音がして、卵歯が覗く。
「頑張れ!」
マリーシアは拳を振って、声を上げた。まるで、初めて歩こうとしているこどもを励ます親のようだ。
ヒビ割れは次第に広がり、そして、卵はパカリと割れた。
出てきたものを見て、マリーシアが目を大きく見開く。
頭でっかちな為か、それは卵の殻から這い出そうとしてつんのめり、顎からペタリとうつ伏せになる。しばらくそのままでいたが、やがて鉤爪の付いた前足、いや翼をパタ付かせ、よっこらせとばかりに座り込んだ。ぽってりとした後ろ足を投げ出して、顔の四分の一はあろうかという大きな金色の目を、ぱちくりと瞬きさせる。
そう、それは、見事な、ワイバーンの縮小版だった。
ワイバーンは非常に凶暴な性格をしており、同類とでも繁殖期以外は死ぬまで戦う。基本的に卵は産み捨てで、孵化するかどうか、孵化した後に育つかどうかは、その個体の運にかかっている。食物連鎖の頂点に立ち、成体にはほぼ敵なしだが、その生態ゆえに繁殖しにくく、個体数は少ないのだ。
ワイバーンはキョロキョロと周囲を見回し、また大きく瞬きをした後、「キュイ」と鳴いた。以外に可愛らしいその声に、マリーシアの頬が染まる。
「可愛い……」
「え?」
ギーベルグラントは耳を疑った。どう見ても大きなトカゲだ。普通は、可愛いという表現に値しないだろう。しかし、思い返せば、マリーシアは爬虫類どころか昆虫までも可愛いと評する少女だった。
「可愛い……可愛い!」
その声にハッと気付いたギーベルグラントが止める間もなく、マリーシアはワイバーンを抱き上げていた。即座に喉笛を食いちぎられてもおかしくない暴挙だ。ギーベルグラントは慌てて両者を引き剥がそうとしたが、ワイバーンは全く凶暴さを見せず、それどころか、マリーシアの「可愛い」の連発に合わせて「キュイ」「キュイ」と鳴き続けている。まるで、彼女の声に反応しているかのようだった。
――マリーシアの事が判っているのか?
これまで知られているワイバーンの生態からすると、有り得ないことである。しかし、実際に、まるで、親鳥に懐く雛のように、ワイバーンは目を細めながらマリーシアに擦り寄っていた。
「マリーシア」
ギーベルグラントはマリーシアに手を伸ばす。
次の瞬間、幼いとはいえ曲がりなりにもワイバーンの強靭な顎が、寸前までギーベルグラントの手があった空間をバクリと噛んだ。わずかでも遅れていたら、彼の指先はワイバーンの腹におさまっていたかもしれない。
ワイバーンの凶悪な眼差しとギーベルグラントの絶対零度の眼差しが、激しく衝突する。
全ては、マリーシアの背後で起きたことである。
「ギイ?」
ワイバーンを抱えたまま、マリーシアがクルリと振り返る。そこにあるのは、いつもどおり穏やかに微笑むギーベルグラントの姿だった。
「マリーシア、重くないですか? 下ろした方がいいと思いますが」
さっさと始末してやる。
ギーベルグラントはマリーシアをにこやかに促しながら、そう内心で呟いた。
しかし、不隠な彼の考えなど思いもつかないマリーシアは、高らかに宣言する。
「ギイ、わたし、この子の名前はキュイにする!」
「飼うつもりですか!?」
「だって、わたしお母さんだし」
当たり前じゃない、と言わんばかりに、マリーシアが頷く。
「やっぱり、ちゃんと卵の中でもわたしの声が聞こえてたんだよ。だから、初めて会ったのに、ちゃんとお返事してくれるんだわ。ねえ、キュイ」
地面に下ろされたワイバーンは、よたよたと不恰好に歩きながら、マリーシアの脚に頭を擦り付ける。その様は、まさに甘える子どものものだった。
そして、やがてマリーシアから離れて茂みの方へと向かうと、昆虫を探し出し、ついばみ始めた。
「すごいね、もう自分でエサを捕るんだ」
「元々、親が子どもの世話をすることのない種ですから」
ギーベルグラントは、暗に、だから飼う必要はないのだと示す。けれども、マリーシアは少しうつむいてポツリと呟いた。
「何か、さびしいね」
「そういう種なんですよ。……マリーシアも、お母さんがいなくて寂しいですか?」
「んー……うん、ううん」
少しの迷いの後、マリーシアは首を振る。
「覚えてないんだけどね、何となく、もう会えない気がするの。それに、今は、わたしにはギイがいるからいいの。ギイって、お母さんみたいなんだもん」
「お母……そうですか……」
満開の笑顔でマリーシアに返された。慕われているのは嬉しいが、ギーベルグラントの胸中は複雑である。自分がこの少女とどのようなつながりを望んでいるのかは彼自身にもわからないが、少なくとも母親と娘ではない気がした。
そんなギーベルグラントの気持ちをよそに、マリーシアはニコニコと頬に笑窪を作りながら餌を漁るワイバーンを見守っている。
まあ、いいか。
マリーシアの全開の笑顔を見ていられるならば、もう少しの間、母親役を兼ねているのも悪くない。
ギーベルグラントは、半ば諦め、半ば喜びの気持ちで、小さく呟いた。
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