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富利路にて  事の始まり

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 坂本良行と言う、八嶋やしま国生まれの文士――小説家が星海に移って来たのは、猊利典ブリテン国の国王が即位五年を数えた頃で、大陸の西域での戦争が終わって一年経つか経たないかと言う時分だ。
 学生時代は武闘派を気取った事もあったが、現在は三文文士に過ぎない坂本が国を出た理由は、単純だが解決の難しいものだ。
 彼は、八嶋の帝都で起きた壊魔と妖怪の戦争に偶然関わりを持ってしまった。
 いわゆる『見鬼』であった為に、帝都住まいの妖怪達と繋がりを持ってしまった坂本は、結果として勝利に貢献してしまい、以来恩義を感じた妖怪達からの過剰な接待から、逃げ出す為に単身星海へ渡って来たのだ。
 坂本からすれば、国の始まりから八嶋にいた妖怪達はともかく、大陸の西でそれこそ西域中を巻き込む戦乱を起こした壊魔が目の前にいて、その対処を取らないと言う選択肢は無かっただけの話だったのだが。
 妖怪にも人喰いの性を持つ者は幾つもいるが、ただ食らうばかりか人間を家畜と呼び、人が動物の剥製や革製品を作るように美しい娘の皮を剥いでコートを作ったり、人間の骨で作った楽器をコレクションしたりと言った志向を持つ壊魔達は、最終的にはそこに住む人間も動物も食い尽くし、樟気で黒く爛れ腐った土地と共に虚空の彼方に消えるらしい。
 黒大陸には、そうして街が消し飛んだらしい荒野や、不自然に丸い湾が何ヶ所かあると言う。
 地勢学的に、町か村があるべき場所に町が無いのは、そう言う事らしい。
 話が長くなったが、つまり、穏便に事を解決する為と銘打って、坂本良行はしがらみの増えてしまった故国から飛び出した訳である。
 尤も、出奔一年目で、彼を探しに来た人間(そう、幸いな事に人間である)に捕まったのだが。
「先生! もう、やっと見付けましたよ!
 半島の方へ行ったって聞いたから、兄さん達に頼んで探して貰ってたのに、まさか半島は半島でも龍爪ロンジャー半島だなんて思いもしませんでしたよ!」
 富利路フーレイロードにある行き付けの飲茶屋で、馴染みになった地元のおっちゃん達と新聞片手に語らっているところへ、スラックスにハンティング帽を被った男装の少女が飛び込んで来た。
 但し、童顔小柄なだけで立派に成人女性であり、八嶋にいた時分に探偵小説を書いていた坂本の担当を務めていた女流編集者である。
「んあ? 阿波田さん?」
 食べ掛けの湯麺を、取り敢えずと啜り込んだ坂本の前の席に陣取ると、女性は憤懣やる形無しと言った様子で手にしたややボロボロの雑誌を相手の鼻先へと突き出した。
「何で、『言論中心社』から小説発表してるんですか! あそこはうちと読者層被ってるのに!」
「いやあ、たまたま屋台で飲んでて気の合った邦人が、偶然あっちの人だったってだけで」
「たまたま偶然じゃありません! 先生、ご自分がそれなりに有名人なんだって事を好い加減ご理解下さい!」
 女流編集者こと阿波田蘭子は、苦笑いしつつ頭を掻く絶賛国外逃亡中である元担当作家の様子に、こめかみが疼いて来るのを必死に耐えた。
 坂本良行は妙に自己評価が低い。彼女の所属する『冗談社』で発行していたエログロ雑誌、『冗談倶楽部』の中で数少ない探偵小説の作家として一定数のファンがついていたと言うのに。
 確かに、当世風のエログロの中で息抜き用に掲載されていた感は否めなかったが、その坂本の作品の為だけに雑誌を手に取り、購入してくれる読者もいたのだ。
 現に、編集部には今も坂本の再連載を求める手紙が、週に必ず二、三通届いているのだ。
 だと言うのに、よりにもよって読者層が被っている『黄昏画報』に彼の書き下ろし小説が載った為に、彼のファンが明確に向こうに動いたのだ。
 編集長の命令で良行を探しに来た以上、彼を連れ帰るか作品の一本は持ち帰らなければならない。
 その為に一週間も掛けて、蘭子はこの亜熱帯の街までやって来たのだから。
 真剣に草臥れた華服を着た三十歳前後の男を睨んでいる、二十歳過ぎ位だろう男装の女性に、周囲の親父達が同情の色を深くした。
「おいおい嶋人ダオレン、姐々を困らせるのはどうかと思うぞ?」
「そうだよ、嶋人。お前の故郷の人間で、お前さんに会いに来たんだろう?」
「お前さん達」
 嶋人と言うのは、この街での八嶋国の人間の呼び方だ。
 実に男らしいおっさん達の反応に、元々もしゃもしゃの頭をかき混ぜると良行はくっと唇を真一文字に引き締めている、年下の自分の所為で苦労している元担当――もう、縁が切れて良い筈なのに、ここまで来た真面目な女性に向かって、「何時まで滞在してるのか?」と問うた。
「は?」
「いや、今から三日ほど時間を貰えるなら、草稿を作ったのがあるからそれを仕上げるから持って帰って貰おうかと」
「本当ですか!」
 だんっと、テーブルに手をつき身を乗り出した蘭子に向かって、こくこくと目の前の自称三文文士は首を縦に振った。
「おお、この間ちと興味深い事件を耳に挟んだんで、それなりに書き溜めとったのがあるんで。
 ただ、原稿用紙に書いてないから、三日欲しい」
「判りました、三日後にこのお店に伺います、それまでにお願いします!」
 そう言うと、ガンと椅子を蹴った女流編集者は作家に深々と頭を下げるや、こちらに来て覚えたらしい江南語で「すみません、通して下さい」を繰り返して店の外へ出て行った。
 その、旋風のような有様に、様子を見ていた店の女主人が腰に手を当てつつこう言った。
「やれやれ、落ち着かない小姐だねえ」
「ああ、会社に原稿が入るって電報を打ちに行ったんですよ。
 再来月の号辺りに捻じ込む為に、先に連絡入れるんでしょうよ」
 そう言うと、冷めてしまった湯麺を全て腹に収めて、良行は立ち上がった。
「おや旦那、お帰りで?」
「おお、三日後に渡すからな。早速書き始めないと」
 そう言って、女将に手を振った自称三文文士は、ねぐらにしている下町の下宿屋へと歩き出した。
 途中の雑貨屋で、手頃な茶菓子を二、三買い込んで帰り着くと、良行は文机代わりに使っている木箱の蓋を開け、そこに入れていた原稿用紙を取り出した。
 国を離れる時、何故か入れた覚えが無かったのに荷物の中に未使用の原稿用紙の束が二冊、突っ込まれていたのだ。
「ああ、何とか後二本くらいは書けるかなあ。そうだな、ホーク君に聞いて売って無い様なら、阿波田さんに八嶋の原稿用紙を送って貰おう」
 そう呟きながら用紙と万年筆を前に置くと、さてとばかりに男は腕を組んだ。
 そして、半年前に起こった事件の事を思い返した。
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