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Epilogue 囚われの皇妃は絶望の中で

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「……何故なぜ、このようなことに……」
 閉ざされた塔の中、フィオレンジーヌは答えの出ない自問自答を続けていた。
 結婚してからの数年、彼女は自らの幸せを全くうたがっていなかった。
 夫は他の誰かに目をうつすこともなく彼女だけを愛し、この上なく大切にあつかってくれた。妃として彼とならび立つ身分となったフィオレンジーヌは、それまで身分差ゆえにあったへだたりも無くし、さらに親密にベルージュリオと距離きょりめていった。全てが上手くいっているように思っていた。
 だが、その関係はいつの間にかほころび、いびつねじれていた。
 
「待て、リオ!何のゆえあって財務長官を罷免ひめんなどするのだ!?」
「あの男はお前をねらっている。皇帝たるこの私がどれほど皇妃を愛しているかを知りながら、その妃をうばおうとたくらんでいるのだ。立派な背信はいしんであろう?」
「何の証拠しょうこも無くそのようなことを……!皇帝がそんな私情しじょう人事じんじを動かしてどうする!」
「……かばうのか?お前も満更まんざらではなかったということか?皇妃の座と私の愛だけではりぬと言うのか……?」
「何を馬鹿なことを……。目をませ、リオ!」
 
 ある時からベルージュリオは、フィオレンジーヌと少しでもしたしくする男を、王宮から排除はいじょしようとするようになった。
 フィオレンジーヌや他の重臣たちが必死に説得し、めさせるが、今度はフィオレンジーヌを他の男に一切近づけさせないようになった。
 皇妃としての公務もままならず、フィオレンジーヌはしばらく鬱屈うっくつした日々を送っていたが、妊娠にんしん発覚はっかくを機に気持ちをあらためる。せめて我が子を立派な次期皇帝に育て上げようと、心血しんけつそそぐようになったのだ。
 しかし、そのことがベルージュリオの心をさらにゆがませることとなる。
 
「お前は結局、次期皇帝の母親になりたかっただけなのだな。子が生まれれば私のことなど、もうどうでも良いということか。だが、お前は皇子の母である前に、私の妃だ。私から目をらすことなどゆるさぬ……!」
ちがう!あの子はまだ幼いから、目をはなせないだけだ!決して貴方あなたないがしろにしていたわけでは……」
「口だけならば何とでも言える。言葉だけを信じることなどできぬ。だから、フィオレンジーヌ……お前の目に、私しか映らぬようにしてやろう」
 そう告げるベルージュリオの瞳には狂気の色がらめいていた。
 
 そのままフィオレンジーヌは塔の中へと幽閉された。
 世話係の侍女じじょとベルージュリオ以外はおとずれることのない、宮殿の奥深くの寒々さむざむとした塔の中に……。
 
「……そうか。クリスティアーノはまだ立太子りったいしも受けさせてもらえぬままか……」
 手の中の小さな紙片しへんに目を落とし、フィオレンジーヌはひとりごちる。
 囚われの身とはなったが、弟のヴィオランドやジリアーティの派閥はばつに属する者たちが、侍女や差し入れの品をかいして外の情報をとどけてくれる。彼女にとって一番の関心事かんしんじは、生き別れとなった一人息子のことだった。
「クリスティアーノ……。もうだいぶ、大きくなったであろうな……」
 国の現状はかんばしくない。皇帝ベルージュリオは政治への興味を失い、臣下の勝手を許しているし、次期皇帝であるはずの皇子クリスティアーノはいまだ正式に皇太子と認められてすらいない。そして皇妃の幽閉ゆうへいに不満と不信を持つ者が多数……。
 ヴィオランドはいざとなれば軍部の力でクーデターを起こし、フィオレンジーヌを救い出すとまで言っている。
「……国を乱す皇帝は、排除されねばならぬ。ジリアーティ家の教育方針からすれば、それが "正解" なのだろうな……」
 フィオレンジーヌはつぶやき、読み終わった紙片を暖炉だんろの火に投じる。小さな紙切れはあっと言う間に燃えきて無くなった。
「……ほぅ。さすがはフィオレンジーヌ様。このような状況にあってもなおみずからの運命をあきらめておられない」
 とびらの外から聞こえてきた声に、フィオレンジーヌはハッとして立ち上がった。
「まさか……ハミントンきょう!? 馬鹿な!リオが他の男の塔への侵入しんにゅうを許すなど……」
 閉ざされた扉にけ寄り、監視かんし用ののぞき窓を内側から開けると、ハミントンは以前によく見た嫌味いやみな笑顔でこちらを見つめていた。
じゃの道はへびというものでして……私にもいろいろとツテがあるのですよ。このことは皇帝陛下にはどうぞご内密ないみつに。の侵入などバレては、見張りの兵が殺されてしまいますからね」
「どうして、ここに……」
「……そうですね。懺悔ざんげとでも言うのが一番しっくり来ますかね……。何もかさぬままと言うのは、どうにも罪悪感にいたたまれなくなりまして……」
 懺悔ざんげと言いながらも、男の口調くちょうはあくまでも軽い。わけも分からず呆然ぼうぜんとしたままのフィオレンジーヌに、男は勝手に語り始める。
「ベルージュリオ様は実に素直で無垢むく御方おかたでした。そして貴女あなたのことを心から愛していらっしゃる。貴女の御目おめは正しかった。あのような御方であれば、妻をおのれ従属物じゅうぞくぶつのようにあつか横暴おうぼうな男などより、よほど女性は幸せになれることでしょう。……あくまであのままお育ちになっていれば、のことですが」
「……何が言いたい?」
 問いながら、フィオレンジーヌの胸に不穏ふおんな予感が渦巻うずまく。「まさか……」という思いがいてくる。
「他人の言うことを何でも素直に受け入れる世間せけん知らずな皇子おうじ様……そのお耳に、悪意や疑惑ぎわくを吹き込んだらどうなると思われます?」
 フィオレンジーヌの目が愕然がくぜんひらかれる。その顔から血のが引く。
「まさか……お前が……?」
「ええ。まぁ、私が直接吹き込んだわけではありませんがね。あの方は実に見事みごとやみまってくださいましたよ。真綿まわたが水をうように、その心に真っ黒な感情を吸って……ね。貴女はあの方に素直で無垢なままいて欲しかったのでしょうね。ですが、最低限、他人を疑うすべは教えて差し上げるべきだった」
貴様きさま……っ!何が狙いだ!?」
「狙い?私自身に狙いなどありませんよ。全ては神々によりあらかじめ定められていたことです」
 そう言い、ハミントンは一瞬遠い目をした。
「貴女は、かつてこの地にいたの巫女に、とてもよく似ていらっしゃる。姿も、気質も、その運命さえ……。伝承では巫女は建国王と恋仲であったと言われていますが、事実は違っておりましてね……。巫女が真実愛していたのは、帝国と共にほろびた最後の皇帝の方だったのですよ」
「……何故、貴様がそんなことを知っている?まるで、見てきたかのように……」
 ハミントンはその問いには、ただ苦笑をこぼすばかりで答えなかった。
「国を乱す皇帝は倒されるべき――それが愛する者であったとしても……。ジリアーティ家の教育は、実に優秀で、悲しいほどに正しい。その悲壮ひそうなまでにつよい魂の輝きが、どうしようもなく私をきつける」
 ハミントンは宝玉ほうぎょくでもでるかのようにうっとりとフィオレンジーヌの顔をながめ回す。
「ご安心なさってください。貴女はいずれ解放されます。ただし、それは貴女の息子が貴女の夫をち取った後のこと。闇に染まった皇帝は倒され、この国は正される」
「何だと……!? 貴様、この上さらに何かするつもりか!?」
「何もいたしませんよ。もう事態は動き始めていますからね。では、いずれまた、貴女がはなたれた後にお会いしましょう」
「待て!貴様は何を知っている!?」
 声を上げ、手をばすが、囚われのフィオレンジーヌはハミントンをとらえられない。
 去っていく男の背をすべ無く見送り、フィオレンジーヌはそのまま扉にすがりつくようにして床に座り込む。
「リオ……」
 自由を奪われ、愛を疑われても、フィオレンジーヌはベルージュリオをにくみきることができなかった。
 ……初めての恋だったのだ。
 それが一方的な片想いでなく、想い想われていたことを知った時、どれほど幸福を感じたことか……。ベルージュリオが変わってしまうまでの数年間、どれほど満たされた気持ちを味わってきたことか……。
「誰か……」
 他人にすがることは、彼女の本意ほんいではない。フィオレンジーヌは自分の運命はみずからの手で切りひらくことが当然と思い、育ってきた。かつては、どんな運命も自らの手で変えられると信じていた。
 しかし現在いまのフィオレンジーヌには何もできない。あまりにも無力だった。
「誰か、助けて……。あの人を……この国を……」
 神にいのるような思いで、フィオレンジーヌはつぶやいた。
 絶望の中で。この声が、結局誰にも届くことはないと、心のどこかであきらめながらも……。
 
 一人の暴走王女と一匹の猫の乱入により、フィオレンジーヌが囚われの身から解放され、ベルージュリオがその死の運命から救われるのは、これより数年ののちのこととなる。
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