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猫耳の子

神よ、いずこへ<国王の苦悩>

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 次期国王として生まれたものの、その重圧から逃れるために逃げ込んだ先が本であった。昔から読書は好みであった。世界中の叡智が詰め込まれている。内向的な性格、というよりかは、歳の離れた弟が誕生し両親のみならず周囲の傅く者らが皆が皆、弟へ愛情を注いでいるのを見るに耐えず、物言わぬ書物へ入り浸った、というのが正しい。大人しい自分にはその程度の世界しか持ちあわせていなかった。

 学びを深めねばならない、立派な王にならねばならぬ。だが、このまま誰もいない本に囲まれたままでいいのだろうか。人の顔を見なければならぬ政事にこれから一生をかけて携わらねばならんのに。いや、これもまた学び。いずれ役立つだろう……どうせ王になったら、嫌が応にも向き合わねばならぬ。

 そういった言い訳を胸の内で繰り返し読み返しつつ、文字を手繰る手を止めなかった。寂しさを埋める手段とはいえ、とてもじゃないが人には言えぬ次期王位継承者の苦悩だ。可愛らしくも憎たらしい弟の顔が、脳裏を時々掠める。全ての愛情が注がれて当然ともいうべき、幼き弟王子。欲しいものはすべて手に入れられる王族とはいえ、本当に得られないものを生まれながらに与えられた彼は実に、兄王子を苦しめることに長けていた。

 たとえば、建国秘話を教師から学んでいたときのこと。
憎たらしいが可愛らしい幼い弟が、北の国の成り立ちをあまり理解していなかったゆえに、少々の手ほどきをした。

 「神人……」
 「そうだ。この北の国も南の国も、元はといえば、同じ国。
  いや、もっといえば……」

 大陸丸ごとひとつで、大きな帝国だったような形跡がある。

 「わあ!」

 とはいえ、それは所詮、想像にすぎない。
雄大過ぎるが、他の大陸も傘下に治めていたのではないか……。
そのような気配が、書物の隅々にまで至っていたのだ。植物然り。人間の移動、船の形跡然り。何から何までどうも別大陸と共通する部分が幾つかあったのだ。賢い専門の学者に尋ねるのもためらわれ、馬鹿にされる可能性に怯えた自分の中で長年温めてきた考えであった。どこか似たような響きを持つ言語もそうだし、もしかすると南北のこの国は、あちらの国からやってきた人々で形成されたのではないか……?

 「……あくまでも、推察だ。個人的な」
 「兄上の!」
 「……独り言だ、
  結局はそれを確かめるための証拠や物的なものを調べていない」

 思わず持論を述べてしまったが、熱を入れて喋ってしまったと後悔していた。ここまで語るつもりはなかった、所詮、想像の中の想像である。失敗したと憂慮する兄王子と違って、しかし、弟王子はいたく感動してしまったようである。愛らしい瞳をキラキラと輝かせ、大きくさせている。
 嬉しそうに、兄を眩い目で見つめている。

 「北の国の民は皆、幸運です!
  兄上のような賢王を戴くのですから!」

 何を、馬鹿な。
端正な顔立ちの弟が、平凡極まりない自分をえらく褒め称える。なんと滑稽な兄弟愛。そう思わずにいられなくなるほどに、兄王子の歪なところはすでに目に見え始めていた。ぴくつく眉毛に歪む唇の端。幼い弟を怒鳴りつけたくもなったが、高まる感情を鎮め、

 「あくまでもこれは素人の思いつきだ。忘れろ」
 「いいえ! 忘れませんとも!
  僕は、忘れられない……!
  神人がいて、神鳥がいて僕たちは……、
  僕の先祖たちは、約束をしたんですものね!
  神の使いだもの、他の大陸も支配していても、いや、世界を!
  支配していたとしても、おかしくはない!」

 王宮外の話をしてしまったのが悪かったのか。
世界の未知なるものに俄然興味を持ってしまった弟は、剣技を磨くだけ磨ききったあとに城を出て行ってしまった。老いたる両親の嘆きや心配ようは見ていて心にくる切ないものではあったが、

 (……父も母も。ああして、自分を心配してくれたことがあったんだろうか)

 こみ上げて淀むものはしこりのように胸の中で渦巻いていた。
へばりついていて、決して剥がれようとはしない。

 両親が引退するとのことで王位継承を受け、一時帰国してきた弟。
彼はその歳でいっぱしの冒険者を名乗り、護衛としての仕事もして日頃の生活費を稼いでいるという。なんと野蛮な、とも思ったがその変わらぬ端正さ、いや、精悍ささせ身に着けた立派な居住まいに城中の人々の心を一瞬で虜にしたのを目の当たりにして、ますます自分の居場所が王であるということを自覚する。次期国王という価値でしか、自分をはかることが出来なくなってしまった兄王子。王位継承が無事に果たせるまで、まんじりとしない夜を迎えたものだ。

 それから、年月が過ぎ――――
 兄王子は国王となり、弟王子は公爵として。

滅多に帰ってこないがゆえに幻の王族呼ばわりされてしまっているけれども、自分のせいで公爵たる弟は気兼ねしているのではないか、と気を病んだ。邪険にはしてはいない。王族たるもの、相手に己の感情を見せない術は心得ている。いくら小憎たらしい弟とはいえ可愛いと思う気持ちはあるのだ。

 (だが……)

 若く美しい王妃を得ても、跡取りやら子を何人も産ませて安定した国を志すも、やはり本の世界はたまらないものだった。特に、弟に幼き頃言って聞かせてしまった与太話ばかりは。

 それは、ふとしたものだった。
勝手に攻め入ってきた蛮族南の国との競り合いをして退けたときに、見つけた。
 鳥の羽を。
視線を辿れば、なんと。若くも美しい、まるで天女のような人間が白い羽を羽ばたかせ、気持ちよさそうに空を飛翔していたのである。なびく髪は衣のようで、思わず触れたいと思うほど。煌びやかな人形がその指で天を撫でているかのようだ、美しい人の形はすべてを魅了する。
 己を守る護衛の騎士らも、そのあまりにも悠久なる光景に、ほう、と。
知らず知らずのうちに、息をついていた。

 「神鳥……」

 昔。それもとうの昔に、北の国にかつて存在していたものであった。

 「神の鳥……!」
 「へええ、羽鳥って昔いたってのはどこかで聞いたな」
 「ああ、とても遠い昔、人と獣も境がなく……」

 伝承としても残っている伝説の神の鳥が、目の前に。
国境を越え、南の国へと戻っていったそれは、あまりにも。
誰もが目を奪われる生き物だった。

 振り返れば、薄汚れた奴隷たち。
 北の国周辺を荒し回った南の国の人間どもだ。今回の戦果である。

どれもこれも垢抜けておらず、むしろ垢まみれ。とてもじゃないが抱きたいとも触りたいとも思えぬ女どももいた。子供は捨てさせた。そのせいか喚いて煩くてたまらない。殴りつけても逃げ出そうとする、妙に根性があって手間をかけさせてくれる。やはり子は捨てるべきではなかっただろうか? いや、それだと足手まといだ。ああだこうだとつけあがるのは間違いなかった。

 所詮、蛮族どもだ。
我が国の民、北の国の女や子どもを蹂躙してきた。だから奴隷として扱われる。当然の帰結だ。やったのだから、やり返される。しかし自分が手に入れたいものは、こんなものじゃない。

 (そう、余が手に入れるべきもの。
  ……空に、あるではないか)

 あの天の使いが舞っていた空に、手を伸ばす。
ぐっと掴むかのように拳を握る。





 それはとても残酷な景色だった、と。
人づてに話を聞いた。だが、それがどうした。
 余は国王である。この北の国の。与えられた権力である、神人が人と。

 「……残りの鳥は、あと何匹か」

 政務をしながら、ふと気になった事柄をあげると、

 「3匹、ほどでありましょうか」

 政務官が答える。

 「他、10匹余りの生き残りは褒美として、
  分け与えましたが、
  すべてがすべて息の根が止まってしまった模様で。
  申し訳ございません、
  ありがたく下賜されたものを、失ってしまいました」
 「よい。あれは、捕まえた時点で死にかけておったからな」

 美しい鳥はいずれもまろやかな甘美な味がする容姿であった。
だが、いずれもその見目に反することなく弱弱しい。ひとたび触れようとすると、逃げ惑い、気を失ってそのまま青白い顔になって震え、命の灯を消した。いたずらに愛でることさえできぬほどの綿菓子のような生き物であった。そのため、神の鳥たちは乙女たちが世話をする。そして食べ物にも気を使う。朝露を与えるのは当然として、新鮮な野菜や果物でないと餌として受け付けぬ。それでもまだ、丈夫で健康な鳥の場合である。

 それ以外のほとんどが、もはや。

 「……話さぬ、か」
 「はい。神人のことは、さっぱり」

 ふむ……。
顎をいじりながら、まさかこれほどまでに神人の情報を得られぬとは思わなかった。それこそ、ここまで弱弱しく貧弱、細い身体を痛めつける訳にもいかない。鳥の羽は神経が通っているらしく触れるとひどく狼狽して暴れ死ぬ。その美しい顔を愛でようとすれば、白目を剥いて失神、命を消す。とかく、扱いが難しい奴隷であった。あれでは奴隷の証を刻むことも与えることも難しいであろう。それこそ、物言わぬ羽鳥らの骸を大事にしている奴らぐらいだ、天の奴隷を寵愛しているのは。悲鳴も愛も囀らぬ死した鳥ガラを満足そうに撫でている様子は狂人のさまだと、家のものたちは怯え暮らしているという。

 「……陛下」
 「なんだ」

 執事が、こそこそと近づいてきた。
余は片手を上げて良いと答え、うやうやしく礼をしてから口を開く。

 「……公爵閣下が、お見えです」
 「何」
 「何でも、本日の晩餐会に出席されるとのこと」
 「ほお」

 この一報に思わず、政務官が唸った。

 「なんと、あの王宮に出入りせず、下民どもと戯れていなさる方が。
  夜会に出たときも、あまりの衝撃に皆、驚きを隠せず」

 唐突な王宮出没は前にもあった。だがそれは、老いた両親を見舞うためのことであって、余や王妃、独り身の公爵にとっては血のつながりのある我が子王子たちに会いに来たくてやってくるぐらい、他に訪問なんてことはよっぽどのことがない限りすることがなかった。貴族の出る晩餐会や夜会、舞踏会なんてもってのほか。男らしい端正な顔立ちは若い令嬢らに黄色い声を散々に上げさせていたものだが、その夜会のみならず、晩餐会。今回の晩餐会は、大事な催しである。

 (神鳥を返せと宣う、南の国の王。
  ……毟った羽鳥を返せとでも?)
 しかめっ面になるのを、抑えることができなかった。
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