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北の国

11話

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 大した情報も得られず、戦争、という二文字が日々、あちこちで囁かれていた。

 「ああ、嫌だ嫌だ」

 言いながら、奴隷として働くミランダ。
まるで鼻歌でも歌うようにして世間を笑い飛ばす。

 「間抜けのアホばっか、終わりの始まりよ。
  人と獣が争い、人と人が互いをけなし合う。
  あはは、馬鹿と馬鹿の馬鹿仕合。
  泥に塗れて殺し合え!
  あは、あは、あはははは」

 ばさっと真っ白なシーツを広げ、雑草の生える庭で乾かしている。




 「……むー……はあ」

 窓辺から、外を見やる。
使用人たちがアイロンをかけるここ、狭いけれど窓枠が多くて日向ぼっこにちょうど良い。

 「リア、あんた猫みたいだねぇ」

 後ろから声をかけられたけども振り向きもせず、

 「にゃー」

 言うや、くすくすと笑い、畳んだ服を抱えて出ていくメイドたち。
ぶすっとした顔で、頬杖をつき。ミランダひとりが干して回っている洗濯物が、青空に翻っているのを見詰める。

 愉快そうな奴隷のミランダ。
彼女はこの館では孤独だ。奴隷という元娼婦。その身元は彼女をひとりに追いやる。
他の洗濯メイドたちは嫌がる仕事を彼女に与えた。ミランダは快く引き受けている。

 (まあ、洗濯メイドとして雇われているから……)
 下っ端といえば下っ端である。

かちかちと、どこかの部屋で銀食器を拭う音がした。多分、執事だろう。あるいは、ボーイか。彼らは食器を預かる立場にある。男爵家は裕福な家柄ではあった。ただ、あまり主がやってこない館で、男爵夫人が好きなように暮らしているだけの家だ。

私はその男爵夫人の護衛である。ほかにもいるが職務柄、あまり外には出られない。いつ呼ばれるか分からないためだ、勝手に外出して仕事がなくなっていてはおじゃん、である。路銀は欲しい。

 (あれ以来、夜会には奥様出る気配がない)
 思わず口の先が尖がる。
情報が、欲しかった。




 本は、一般庶民にはあまり親しみのないものだ。

勉強というものは貴族だけがするもので庶民はただ、親の言われるがまま、女は結婚、男は親の仕事の後を継ぐ。他の男兄弟あぶれ者は、どこかの大店の店に丁稚奉公にでも出されるか、傭兵か、高望みして騎士になるか。あるいは私のようにフーテンになるか。奴隷になるか。

 男の奴隷は単価が安い。
若い奴隷はもっと安い。生まれて使い物にならないと判じた親が多いということだ。
使い捨て、といった言葉が脳裏をよぎる。

 (あぁ、嫌だ嫌だ)

 ますますこの世界が嫌いになっていく。
どうして、ここまで人が人を卑下するんだろう。何故、人は人を利用するんだろう。
分からない。理解できない。私がまるでおかしい人間みたいだ。




 ぼさっとしていても、仕事は待っていてくれていた。

 「リア、奥様がお呼びですよ」

 今度は、二人目の愛人宅へ赴くようだ。
夜更け、私は長年立ち働いているメイドのひとりと共に、奥様の護衛を頼まれた。

 (あの、少し侘しい場所に立っている掘っ立て小屋か)

 天使のごとき華奢な羽人と比べると格段に落ちるが、愛人二号も整ってはいる容貌だった。人間にしては、だけど。元はどこぞの家で仕事をしていたらしいが、奥様の目に留まり。目出度く愛人宅を与えられて寂しい独り暮らしをしているという。

 私は馬車から降り立つ奥様があの愛人二号と抱擁しているのをしり目に、あちこちを目ざとく警戒する。
 (ふぅん……)
 なんだか、人の気配がするようだ。

 (奴隷狩り、かな)
 このような場所に愛人を住まわせているのだ、よくまあ今まで無事だったとは思う。
路地の裏側。あちらに、2,3人。いるっぽい。

 私は年かさのメイドに伝える。

 「どうも、人相の悪そうな暴れん坊が複数いるようです。
  殺しておきますか?」
 「そうね……」

 メイドは、老いた頬に手を当て、ほう、と嘆息して。
奥様の長い愛の営みを考慮にいれているらしい、眉間に皺をよせ、

 「許可します。
  やっておいてくださいませ、リア」

 露払いもしておいて、といった意味合いの言もあるんだろう、

 「しばらくしてから、こちらにおいでなさい。
  静かになったところを見計らい、格別にお菓子を食べさせてあげましょう。
  あなたはとかく、痩せっぽち」
 「……ありがとうございます」

 上から目線だが、まあ、その視線には最初の頃の侮蔑の色はない。
少しは役に立つ人間、といったものだろう。道具扱いは奴隷に対してもそうだが、日雇いの、通りすがりの護衛にもそれは与えられる。

 家に懐かない猫。
若いメイドは、私が一か所にいるのを好まないことを苦笑する。

 「……では、行ってきます」

 た、た、と。
腰にある魔術書と、胸にある魔術書をさらりと平手で撫でて、静かに気配を消していく。




 奴隷狩りは儲けが良い。
奴隷商人たちへ売り払う前に、どこぞの問屋のようなところへ売るのだ。
買い取り先があるということは売る先もあるということ。

 人が財産になり得るからこそ、こんな馬鹿みたいな輩が絶えないのだ。

 (……さて、どこに)
 薄暗い、郊外はどこもかしこも不気味だ。

壁と壁の間から出てきそうだし、家の扉から武器を持った奴が出てきてもおかしくはない。

 腰にある書物は、私を守ってくれる。
だから不安はない。ただ、耳障りな緊張感が私を苛む。

 ずっとやってきた、この生き方。

たまに、不安にはなるのだ。このままこうやって生活していくべきなのか。誰か、好きになった人と共に生きていけば良いのだということも考慮したことはある。ただ、薄らぼんやりと考えただけだが。

 (異世界の人間と寄り添う、とは)

 私は……、潔癖なのかもしれない。

奴隷を扱い、人権を蹂躙する。
そんな異世界を軽蔑しきっている。

 だから未来に思いを馳せるだけ馳せ、シャボン玉のように消した。
 ばたばた、と。
何かが倒れる音がした。派手な物音。

 はっとして見やり、その騒動のある場所へ誘われるように近づく。
誰か、言い合いをしているらしい。

 「……なんだろ」

 腰にある本という名の武器に手を当てて、ゆっくりと呼吸をして該当箇所へ。
足を動かしていく。靴の音は決して鳴らさずに。奥様が馬車から降りた際、じっと見詰めていた目玉が複数あった。その強い視線が私の背中に貼りついている。

 (後門の虎、前門の……なんだったかなあ)

 挟み撃ちでもなんとかなる、というのが魔術書の凄いところである。
でなければ、私は早々に命を散らしていた。そういった場面が幾つもあったのだ。そのたびに、ああ、あのとき死んでおけば楽だっただろうなあ、とミランダを見ながら思うことがある。
 複雑な心境として。
どっちが正しいか、それはわからないけれど。

さて。
塀の向こうの通りには、いったい何が行われているのか。
そっと、顔を寄せた。




 帽子フードつきマントの、そのフードを深く被った人間が複数の人間と相対していた。

 「さぁて、お嬢さん、大人しく俺らにつかまってくれや」
 「……断る!」
 「ふはぁ、元気だねぇ。
  こりゃあ、高値で取引できそうだ」

 じゅるり、と涎を垂らさんばかりに喋くっているのは奴隷狩りの小さい方。
何やら小刀を片手に、じりじりと接近している。ほかに二人。
 一般的な奴隷狩りの奴らだ。顔を隠している。

 「顔も悪くなさそうだし、娼館で高く売れそうだ」

 (娼館付きの奴隷狩り、か)
どこかの酒場で聞き及んだことがある。とにかく若い娘を補充しなければ売れないという、娼館。奴隷という商売が娼館という商売にも影響を及ぼしている。

 春をひさぐその商売は、奴隷たちを酷使した。
奴隷はいくらでも補充がきく。それは回転率も高いということ。人間扱いしていなかった。ちょっとでも具合が悪くなれば、奴隷商人から買い、少しでも高く売れるうちに損切りをするという訳だ。なんとも酷い話だが、奴隷狩りは身が軽くすぐにいなくなるのが特徴である。

 怨みを買われないためなのか、それとも派手にその日暮らしをするためか。
いずれにせよ、儚き奴隷たちを生み出すためのおぞましき存在である。
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