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魔法使い(女)

5話

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 (異世界にやってきて30年)

 「……いや、正確には、30年しか数えていないけれど」

 私は、この非道がまかり通る異世界で生き延びてきた。
死にかける場面に遭遇することもあった。覚悟したことも。けど、どうにかこうにか、生き延びることができた。それは私が弱腰だからこそ、慎重だったから。必ず簡易治療の道具を持ち、簡易な軽食を備えた。

 どんな場所に沈められようと、立ち上がれるように。
僅かな希望に縋れるように。私なりの生き残る術だった。

 「こういうこと、ってあるんだなあ」

 私はしみじみと、目の前の天使が腹減った、と呟き。
茂みの間で体育座り、地べたにぐったりとしているのを見守る。

 「……人間、何を面白がっている」

 対し、半眼で私を睨めつける天使。
清廉な容姿だが、その頭から被ってる毛布には枯草がちらほらと付着していた。なんだかアレだ、軍人が隠れるために身に着けてる迷彩柄みたいで、しかも隠れきっていない羽が僅かに蠢くのだからなんとも言いようのない気持ちになる。

 「いんや、なんでもないよ。
  で、私には持ちあわせの軽食は、この程度の乾物しかないんだけどさ。
  食べられる?」
 「……む」

 はい、と鞄から出したそれ、干し肉だった。色味は悪いが、長持ちさせるためにとびきりに塩辛い逸品だ。
 天使はそれを何らためらいなく素直に受け取るや、まじまじと見詰めてから、ぱくり。
しょっぱさが脳天を突き抜けたのだろう、瞬時に顔色を不健康そうな青白さから紫色に変化させ……、

 「げほっ」
 「あ」

 吐き出した。
 出されたそれは悲しいことにカエルの足みたいにぺたっ、と地面に貼りついた。
と、同時に天使は喚いた。怖い。

 「貴様、貴様、貴様ぁっ」
 「な、なんだなんだ」
 「貴様、やっぱり、わたしを……! こ、殺そうと!」

 疑ってたんかい。

 「美味しくなかったからって食べ物粗末にすんなってば」
 「こんな毒を喰わされる身にもなってみろ!」
 「ど、毒じゃないし。ただのしょっぱい肉だよ」
 「肉!
  肉、だなんて!! 
  この、神の迷い鳥に毒にしかならぬものを食べさせるとは!」

 言いながら、がくがくと私を揺すりながら。
天使はその青い双眸の端を、じわり、とさせ。涙の幕を張った。

 「やはり、人間は酷い。
  酷い生き物だ……、わたしを……苦しめてばかりだ」

 そして、鼻を啜り始めた。
ついで地面に這い蹲って頭を抱えて泣き始めてしまった……。
天使の唾液にまみれた干し肉は惨めにも虫にたかられているんだが、それは無視する意向のようだ。

 (どうすりゃいいのよ、コレ……)
とんでもない奴を助けてしまった、と私はどんよりとした気持ちになる。

 「……」

呆れてずーっと黙り込んでいたけれど、いつまでも泣きやまない生き物。
めそめそとしている。

 「うーん……」

空を見上げてばかりいては、何も落ちてこない。
無駄に蹲っているばかりでは、餌も与えられない。

 ふぅ、とため息をつく。

 「――――で、あんたは何が食べたいわけ?
  ぐずぐずしてる間に時間だけは過ぎるし、お腹すくでしょ。
  私がとってきてあげるからさ……泣かないで、ねぇ」

 返事がないので頭を突っつくとまた怒り出すし。
じわじわとしたイラつく焦燥感はあるが、嫌ってほどじゃない。




 まず、菜食主義者であるらしい。
タンパク質は豆から貰ってるんだろうか。
食形態に驚きつつも、細っこい金髪青眼の天使を見やる。

多分、私が殴ったら吹っ飛んで死にそうなぐらいには、貧弱だと思う。

 (……そもそも女なのか? それとも、男?)

 幸いにして、干し野菜も私は備えていた。 
萎びた野菜を美味しそうに頬張っている天使を見やりながら、なんとも不思議な心地で眺める。

 (……弟妹返せ、とか何とか言ってたな)

 性別、はありそうだ。私より背は高いが華奢ではある。少なくとも女である私がズリズリと地面に筋をつけて運べる程度には軽い。でも念のため聞いてみたほうがいいかもしれない。気になるし。何かあったら困るし。

 「ねぇ」
 「ん、何だ。やらんぞ」

 そんな涎べったりの温野菜化した干物はいらん。

 「あんた、性別はどっちなの?」

 と尋ねた。
すると、ぱちくり、と両目を瞬いた天使。
 じわりと、その目元を赤く染めた。

 「わ、わたしの……性別……、
  ……なんて、な、なんて破廉恥な!」

 ばさばさと、羽を動かして私を視界から除外するかのように。
自らの背中に生えてるそれでもって、身を隠し始めた。

 (威嚇? 威嚇かな?)

 煤に焦げたもののところどころ白さが目立つが、概ね灰色の羽である。そうして、私の毛布を改めて頭から被って全体的に姿が見えないよう隠しているつもりで、すごい目立つ隠れ方をしていなさる。
 私、異文化コミュニケーション、間違えただろうか?
 羽の中からずず、ずずと野菜を咀嚼して啜る音がするし、現金なのか、根性あるのか良くわからない生命体であると、私の中でカテゴライズされた瞬間でもあった。




 腹ごしらえをして落ち着きを取り戻した天使という名の道連れ生命体から目を離し、立ち上がる。

 「む、どこに行くのだ?」

 確かに。
私もどうしようと悩んでいるところだ。
かといって、このなんだか野垂れ死にそうな天使を置き去りにするには気が引けるので、連れて行くつもりだ。不法投棄する予定はない。

 とはいえ、中にまでは投入できんだろう。あんなにも人間に対し怯えていた。

 「人間の街へ」
 「……っ」

 すると、僅かに震えた天使、小汚くなった毛布を懐に羽交い絞めにして私を見据える。視線を地面に投げ、さきほどまでの勝気さが蝋燭の灯火のごとく瞬時に消えてしまい、さも、まるで借りてきた猫のようでさえある雰囲気になった。

 「食糧の買い込みをしてくるんだよ」
 「え……」
 「このままここにいても、食べるもの消費するだけだし。
  早く次の街へ行かないとね。
  ほら、行くよ」
 「行く……人間の街へ」

 言うや、どこか諦観の態になった天使に解説しておく。

 「そう、人間の街に。
  でないと、野宿できないでしょ」
 「そうか、やはり貴様はわたしを見捨てて人間と……
  ……野宿?」
 「買い込んで野宿するの。街で寝泊まりできない。
  だってあんたのその羽と見た目じゃ、
  目立って仕方ない」
 「……共に野宿する、というのか?」
 「他に方法がない」

 さすがに、この天使な容貌は奴隷狩りに遭いかねない。
私も危険だ。本当は宿に行って風呂だって入りたい。もう何日も入浴していない、綺麗好きというほどではないけれどもさすがに堪える。けれどそれは、目の前の天使も同じ。
 本当は捨てた方が、一番楽だ。後腐れがない。
 といっても、捨てるにしてはあまりにも一緒に居すぎた。

 「ほら、行こう」

 手を差し伸べる。
が、微動だにしないまま全然とってくれないので、柔すぎる腕を引っ張り上げて無理やり立たせた。

 「お前は……何を、考えている?」

 森の中を歩き始めて、訊かれた。
振り返ると、なんとも不安げな表情である。所在無げな。

 「何も考えてないよ」

 伝えると、それはそれで呆気にとられたように呟く。

 「……何も考えずに、わたしを連れて歩いているのか。
  食べ物さえ与えて」

 馬鹿にした口調でいながらも、私の足音についてくる。フクロウの鳴き声も、同様に。ほうほう、と。鳴いている。

 私は頭のてっぺんをぼりぼりと掻きながら、なんでもないという風に脳裏にある地図を読み解く。
そう、あともう少ししたら。関所を越えるだろう。
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