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「アッシュ」

 アッシュはすぐにこちらに気づいたようで、リリアがベンチの隣に座りやすいよう、少し詰めてくれた。遠慮なく座らせてもらおう。

「話は、マリーナ先輩から聞いたみたいだな」
「ええ。聞かせてもらったわ。貴方、薬を飲まされたんですって? その、大丈夫なの? 副作用とか」
「学園の薬学実験室ではそもそもそんな薬盗める場所には置いてない」

 流石に薬の管理はこれから強化されることだろう。
 今までは強い薬効の薬の管理のみに気を配っていたそうが、他の薬も調合次第ではこのように悪用できてしまうことが証明されているわけだから。

「それに、俺は先輩が睡眠薬を飲まされなくて良かった」
「まぁ、可能なら口頭で交渉したかったみたいだし、流石に一人分の薬剤を盗むのでやっとだったんじゃないかしら」

 無理に体を迫るのは極力したくない、という発言は事実であったのだろう。

「でも、私のせいで貴方を巻き込んでしまったわ。改めて謝罪させて頂戴」
「いや、必要ない。俺は何ともないし、第一この事件でで責められるべきはあの兄妹二人だけだ」
「ありがたいけど、副作用はいつ現れるかわからないわ。もしかすると、明日や一週間後に異常が出るかもしれない」

 断固として謝罪を受け取らない、という姿勢を示すためか、アッシュが生真面目にこちらに視線を投げてくる。ベンチの隣に座っているのでやりにくいが、視線を合わせた。

「そうはならない。俺は、普通の人間よりも頑丈に出来ている。薬が効きにくかったのもそれが原因だろうな」
「その言い草じゃ、貴方が普通の人間じゃないみたいよ」
「ああ。俺は異能者だ」

 息を呑む。
 アッシュのこれまでの反応や会話からして、その可能性が頭をよぎらなかったと言えば嘘になる。ヴァロン先生の話を聞き、現代にも異能者が存在すると知れば尚更。
 しかし、アッシュがリリアに明かす日が来るとは思わなかった。
 この野良猫のような後輩が、恐らくは己の最大の秘密であるそれをリリアを安心させるために明かしたのだ。

「……そんな顔をするな。元々、舞踏会が終わったら、どうしてリリアの居場所がわかったのか話すと約束しただろう。俺は異能を使った。俺はドアとドアを繋げることができる、条件付きの瞬間移動に近い異能の持ち主だ。開けるドアは鍵がかかっていようと問題ない」

 談話室のドアには鍵がかかっていた。
 蹴り破ったというのは異能を知らない一般人向けの体裁だったらしい。

「じゃあ、『リリア・エンダロインがいる部屋のドア』に移動するようにしたってこと?」
「ああ。女子寮に出る可能性もあったのは確かだが、その……他意はない」

 それはわかっている。
 彼は、リリアの身を案じ、急遽使う予定のない異能を使ったのだから。

「ありがとう。私のために、そこまでしてくれて」

 不甲斐ない先輩だ。後輩にここまで無理をさせているとも知らず、自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていた。

「リリア先輩に危機が迫っているかもしれなかった。当然の決断だ」
「私も、異能者だったらアッシュに決断させる前にもっと抵抗できていたのかもね」

 ヴァロン先生の特別授業で異能者には臍に痣があると教えてもらった。自分の体とは言え、臍をじっくり観察することはない。その日のうちに見てみたが、痣らしいものはひとつもない、見事につるんとしたお腹だった。
 リリアは異能者ではない。

「っと、弱音を聞かせちゃってごめんね。そろそろ、私もエスターとか、お世話になった人にお礼を言ってこなくちゃいけないから、この辺で失礼するね。無事が確認できて安心したわ」

 リリアはベンチから立ち上がり、次に訪問するのは誰にするべきか考える。エスターとカイルは食堂でご飯を食べる時に会うから、その流れで、必要があれば場所を移動して話をするつもりだ。
 ということは、次はレティシアにお礼を言っておこう。

「リリア先輩」
「ん?」

 まだ話があったのだろうか。
 真剣な面持ちの後輩を振り返る。

「弱音ぐらい、吐いてくれたって構わない。俺は後輩だが、自分ではそんなに頼りない後輩だとは思わない」

 頼りない後輩だとは思わないって。

「貴方は私が一年生の時よりずっとしっかりしているから、確かに頼り甲斐はありそうね」

 真顔で、エスターよりは身長がないとはいえ、筋肉もあってリリアより大きな男なのに、どうしてこう可愛く見えてしまうのか。これが後輩の力なのか。頼ってほしくて拗ねている顔がいじらしい。

「もし、後輩というだけじゃなくなったら、もっと、俺を頼る相手として、弱音を吐く相手として選んでくれるのか」

 そこまで、頼られたいという願望があったとは。目を丸くするリリアに、アッシュは言い過ぎたと思ったのか、ベンチに座りなおす。勢いづきすぎて立ち上がってしまったらしい。

「…いや、なんでもない。ただの張り合いだ。忘れてくれ」
「私、留年はしてあげられないからね」

 いくら後輩が可愛くても、アッシュの為に留年はできない。親も心配するし、マリーナ達と離れ離れになるのは嫌だった。

「わかってる」



 リリアを見送ったアッシュは、深いため息をついた。
 記憶に残っているのは、リリアに必死になっていたあの先輩。
 エスター・カンザス。彼はリリアに迷惑をかけられるのは自分が受ける当然の権利だと思っているかのようだった。

 アッシュが死守しなければ、リリアを起こすのは可哀想だからと慣れたその手でリリアを抱き上げていたところだったろう。
 二人は同い年で、アッシュと違い、長い時間を共に過ごしている。
 お互いへの信頼関係は無意識の内にも発揮されていることが傍からもわかった。彼らは『お似合い』だ。二人は二人とも、ごく自然に相手のことを考え、互いの存在がある前提で話を進めているところがある。

(お似合いだから、なんなんだよ)

 初めての感情に。
 気づいてしまったら、胸が張り裂けそうだった。

 自分にとって、いつからリリアが失いたくない存在になっていたのだろう。
 異能を彼女のために使うことを躊躇わなかった時。
 自分が異能者であると明かした時も、彼女を安心させるためと言う体裁を保ちながら本当は自分が彼女に自分のことを知っていてほしいだけだった。

 エスター・カンザスと過ごした経験も、その感情も、エスター・カンザスについて知っていることも、全てアッシュで塗りつぶせてしまえたらいいのに。

 醜い。
 信じたくはないが、これは醜い嫉妬だ。

 自分がこれほど、一人の人間のために考えることができるとは思わなかった。リリアに出会うまでの自分は人に関心なんてなくて、自分が異能者であること、その異能について知識を深めることに悦楽を感じていた。それ以外のことはどうでもよかった。視界に入る人々も、アッシュの心を揺さぶることはない。
 孤独ではなかった。
 幼少を両親に殆ど放置された状態で過ごしたためか、もはや孤独は唯一の隣人と言って差し支えなかった。

 けれど、それは過去の話。
 取り返しのつかないほど、いつの間にかリリアはアッシュの心の内に入り込んで、失いたくない存在になってしまっていた。

 彼女の一番は自分であってほしい。

 頼られるのも、側に居たいと思われるのも、全て。

 アッシュ・トライトンは、リリア・エンダロインに恋をしていた。

 自分を後輩として、庇護対象としてしか見ていないリリアに、欲張ってそれ以上を求めてしまう。

「はあ」

 深いため息と共にベンチから腰を上げ、アッシュは校舎の方に向かうことにした。
 この時間ならヴァロン先生はまだ学校にいるだろう。

「叱られてくるか」

 学園内で勝手に異能を使った。今の今まで押しかけてこないということは、ある程度情状酌量の余地ありと見做してくれるのだろうか。若干期待してしまう。
 ともかく、罰を受ける時間だ。
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