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 目が覚めると、寮のベッドにいた。

「え?」

 記憶の最後では舞踏会に居た筈である。記憶がない。記憶を飛ばすほどお酒を飲んでいないはずで、だから本当に記憶がないということは、舞踏会で寝たまま起きなかったというわけだ。
 化粧は落とされているし、ネグリジェに着替えさせられている。
 流石に下着は昨日のものだった。恐らく、マリーナが処置してくれたのだろう。女子寮で世話になったのは彼女で間違いない。後でお礼を言って、何か奢らせてもらおう。

 問題は、自分が誰に舞踏会会場から女子寮まで送られたのか、という点である。

「あっ起きたの?」

 寮のドアが開き、既に支度を終えていたらしいマリーナが顔を覗かせる。どこかに行って戻ってきたところか。

「おはよう、マリーナ。昨日はお世話になったみたい。ありがとう」
「いいえ~私はいいのよ」

 何かを思い出したように、にやにやと笑うマリーナ。

「うっ、やっぱり私、舞踏会の会場から女子寮まで誰かに運んでもらったのよね」

 こんなことをするのはエスターくらいだろう。
 レティシアの前で絶対に自分をおぶらせたりしたくなかったのだが、予想以上の疲労感につい寝てしまっていた。寝起きの頭を覚ますため、テーブルに置いてあった水差しに手を伸ばす。
 冷えた水のお陰で頭がクリアになってきた。

「ええ。アッシュさんだっけ? あの子、本当に大切そうにリリアを運んでいたわよ」
「ゴホッゴホッゴホッ」

 むせてしまった。

「大丈夫?」
「う、うん」

 リリアとアッシュの関係は、舞踏会のパートナーで、最近仲良くなった先輩後輩。それ以上でもそれ以下でもなく、酒に酔って眠った先輩などむしろ適当な場所に放置しそうだ。いや、流石に運んでもらっておいてこの言い草は失礼か。

「ごめん。予想外の名前が出たから驚いちゃったわ」
「エスターさんより小柄なのに、安定してたわよ~力持ちなのね、彼」

 マリーナのにやにや顔から、自分がどんな風に運ばれたのか想像してしまって、頬に朱が差す。恥ずかしい。
 他でもないアッシュに醜態を見られたのだ。他の人だったらもう少し恥ずかしくはなかったのに。彼に良く見られたい、という意識でつい羞恥を感じてしまう。
 これが舞踏会前に助けに来て貰った故の変化……恋愛対象として意識してなのか、先輩の体面を守りたいからなのか、自分でも判断がつかない。

 ついでに舞踏会での「綺麗だ」なんて言われたことまで思い出して心が跳ねてしまう。

「そう…本当に、アッシュなの。お礼を言いに行かなくちゃね」

 恥を誤魔化して話を逸らしておこう。

「お礼を言うなら午後以降にしてあげて。あの子、一晩中駆けずり回ってついさっき寝たところだから」
「え?」
「レティシアさんとエスターさんもね。徹夜で証拠を集めて、先生に突き出したんだって。あの三人の気迫は見ていて怖かったわ。私はどこの誰だか知らないけど、まず処罰は逃れられないでしょうね」

 徹夜。証拠。
 昨日のことが頭でぐるぐる回り出す。

「ね、リリア」

 マリーナが淑女の微笑みを浮かべながらリリアのすぐ側に立つ。目が笑っていない。握る手の力は優しい物なのに、手錠のような拘束力を持っている気がする。

「昨夜のこと、私に洗いざらい話してくれる? 私はもう遅いからってまともに説明も受けずに帰されたけど、朝になってリリアを襲ったヤツに処分が下ったなんて聞いて、私がどんな気持ちになったと思う?」
「は、話す、話すわ」

 コクコクと力いっぱい頷く。
 今のリリアは親友の前で無力だった。

 リリアの詳しい視点とマリーナがエスターやアッシュ達から伝え聞いた情報を元に整理すれば、ライナス兄妹の計画が明らかになった。
 ライナス伯爵家には借金があり、それを返済するだけの力もさして残っていない。伯爵家とは言え、落ち目の貴族であった。その息子、クライスは自分の嫁に権力財力の申し分ない女性を求めていて、妹のクリスは気に入らない後輩であるリリアを少しとっちめてやりたかった。普段はエスターが側にいるので手を出しにくいが、舞踏会当日は確実に離れる。計画を実行するのに丁度良かったのだろう。

 リリアを密室に誘導し、結婚を迫る役割は兄に、その計画の邪魔となるアッシュを処理する役割はクリスに委ねられた。クリスの使用した睡眠薬の材料は薬学実験室から盗まれたことが判明しており、窃盗も踏まえて罪を追求されるそうだ。

 計画が上手くいかなかった原因は、いくつかのイレギュラーが重なったことが大きい。
 アッシュへの薬の効きが予想よりも良くなかったこと、また彼がリリアの居場所を特定し、鍵付きのドアを蹴破ったこと(扉は幸いにも壊れていなかったらしい)、リリアの抵抗が思いの外強かったこと。
 リリアさえ篭絡してしまえば、痴話喧嘩として処理できると踏んだらしい。

 しかし、そうはならなかった。

「二人への処罰はどうなったの?」
「半年の停学処分。実家に強制送還されるみたい。いくら貴族平民の貴賤なしと言っても、大貴族の影響力は多大よ。これでもエスターの圧力で伸びたのだけど、退学にはできなかった」

 十分だ。
 実害はなかったのだし、むしろそれだけの処罰を与えられるとは思っていなかった。

「エスターよれば、伯爵家の両親の方が娘息子に酷くお怒りになるんじゃないかって。大貴族は名誉を何よりも重んじるから、それを子供に傷つけられたと思うでしょうね。もしかすると、親の判断で停学が退学になるかもしれないわ。リリアの家にも、きっと謝罪が伯爵家から正式に謝罪が来るんじゃないかしら」
「そう…」
「ことは起きなかったのはわかっているけど、リリアの名誉のため、このことは内内に処理される。アッシュさん、エスターさん、レティシアさん、カイル、私、リリア以外は実際に起きたことを知らないわ」

 それは良かった。
 学園で事件が起きたとなれば、多くの生徒は不安になるだろう。自分のせいで学園の平和を乱したくない。

「みんなに、お礼を言わなくちゃね」

 ぽつんと呟いてから、段々自分が体験したことが飲み込めてくる。昨夜はとにかく舞踏会にアッシュを連れて行かなくちゃ、という思いが先行していた。その考えに支配されていたからこそ、なんともなかった。

「……っ、ふ」

 怖かった。自分ではどうにもならないのではないかという無力感。涙が頬を伝う。
 一夜明け、事が全て片付いたと知ると、体の力が抜けてしまった。

「リリア」

 マリーナが抱きしめてくれる。彼女の肩に顔を押し付けながら、リリアは嗚咽が漏れるのを我慢できなかった。

「こわかった」
「うん」
「こわかったよ」
「うん」
「ちからがつよいし、わたしじゃかなわなくて」
「うん」
「このまま、あきらめてしまいそうだった」
「うん」
「わたしのせいで、アッシュもきけんなめにあわせちゃった」
「きっと、アッシュさんはリリアを責めないよ」

 リリアが落ち着くまで、マリーナはずっと背中を擦ってくれていた。
 静かに、「私も、リリアがアッシュと会えるまで一緒に待っていれば良かったのに、ごめん」なんて謝ってくるから、急いで首を横に振った。マリーナは悪くない。

 しばらくたって落ち着くと、リリアの腫れた目元を冷やして、マリーナもちょっと泣いてたから冷やして、リリアとマリーナはもう一度、短い時間だったけど一緒に眠りに落ちた。
 再び起きると既に午後。
 なんだか心の内、弱い場所を曝け出してしまって気恥ずかしかったけど、それはマリーナも同じ気持ちらしかった。

 目元の腫れはメイクで誤魔化すことができるほどになっていたから、顔を整えてから、まずは話を聞くためにアッシュに会いに行くことにする。
 マリーナに背を押され、アッシュが休んでいるだろう男子寮の方に足を向ける。
 しかし、男子寮に付く前に、ベンチでアッシュが休んでいるのを見つけることができた。

「アッシュ」
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